2章 若者と大人のモノサシの違いは、もしかすると目盛りの数かもしれないね。多分。④
放課後が訪れた。部活動や委員会はスルーすると決めている兼重は、そのまま帰ることにした。
未だ体験入部を繰り返している子、最初から決めていた部活や委員会に入って活動している子、勧誘のチラシを配る上級生……校内はまだまだ賑やかだ。
もちろん、中には部活や委員会に入る気自体がなく、友達との会話でなんとなく時間を浪費しているだけの子たちもいる。
そうした景色を横目に、兼重が校門までたどり着いた時だ。男の子の叫び声が聞こえてきた。兼重は気になって様子を見に行くことにした。
「確かこっちからだな……お?」
そこは部室棟であり、上級生も新入生も入り混じっての人だかりができていた。
校内で工事があったのか、何台かの重機が見えた。その重機たちはいくつもの部室の入り口を塞ぐように置かれていた。
部室に入れず部活動の準備ができないようだ。人だかりの中にクラスメイトの男子を一人見つけた兼重は声をかけた。どうしてこういう事態になっているのか、普通に気になるからだ。
「ちょっといいか」
「おっさん! 見てよこれ、困るよなぁ。俺は今日が部活初日なのに……」
「なんで重機がこんなところに置かれてるんだ?」
「さっき三年生が事情を説明してくれたんだけど、校内の別の場所を工事してた作業員の人たちが、登下校とかで使う真ん中の通路を塞がないように邪魔にならないように、っていうので気を使ってここに置いちゃったんだと」
「気を使って?」
「ここを物置倉庫の区画か何かだと思ったらしくて、用がない限り誰も来ないだろうからっていう感じ?」
「なるほどな」
「おっさんって職業経験豊富なんでしょ?」
「まぁ重機も扱えるな」
「じゃあ動かして――いや、動かせるとしても鍵がないと無理か……」
「鍵は職員室とかで預かっているんじゃないか? 普通は仮設のプレハブ事務所とかに置いてたりすると思うが、それが見当たらない。長期の工事ではない……ということは、面倒くさがって施設側に預けて保管して貰ってる可能性がある」
「そうなんだ? じゃあ職員室に一緒に聞きに行こうよ」
そういう流れになったので、兼重はクラスメイトの男子と一緒に職員室に尋ねに行くことになった。すると、兼重の指摘通りに、職員室で鍵を預かっていることが判明した。夕真がいなかったのもあって、少しばかり説明に時間を要したものの、兼重が免許を出したことで『先方に連絡を取ってみる』とのこと。
待つこと数分。建設会社からOKを貰えたということで、兼重は鍵を受け取って元の場所に戻ると、人の海を掻き分けつつ重機に乗り込んだ。
いきなり登場して重機に乗った兼重に、現場周囲の生徒たちは困惑していた。
兼重の年齢的に、経歴によっては免許を持っているかもしれない、という発想に行きつくのは、教師を除けば入学式を共にした一年生だけだ。上級生の目には大人びた顔の一年生が何か勝手に重機に乗った風にしか見えないのであって、特に屈強なタイプの上級生男子は止めにくる者もいた。
「そこの老け顔の一年坊……何をやって」
「重機を動かす為にここにいる」
「貫禄あるな……いや、そうじゃない。それは玩具じゃないんだ」
「免許はある。昔に仕事で動かしていた」
「は?」
上級生男子が素っ頓狂な声をあげて固まる。それを見て、兼重のクラスメイトの男の子が説明を始めた。
「先輩……コイツ俺のクラスメイトなんですけど、普通に先輩より年上でして」
「どういうことだ?」
「社会人を経験してから入学してきたタイプで、アラサーで色々な職場を転々としてきてるっぽいんで……」
「そんなのがいるのか? もしかして俺も敬語を使わないといけない感じか? いや、でも下級生に使うのはおかしいだろうしな」
「俺に敬語を使う必要はない。職場でも、年下の部下に気を使っていては仕事にならないことが多いし効率も悪くなる。敬語を使わずに命令を出すヤツも多くいる。そういうものだ、と今のうちから慣れていた方が社会に出てから楽になる」
「な、なるほど、わかった。じゃあ頼む」
「了解……先輩。危険だから人だかりをなんとかしてくれ」
「それもそうだな――おい! 全員ここから離れろ! 散れ! もうちょい時間経ってからもう一回きてくれ!」
兼重の要望を受けて、上級生男子が周囲の生徒をどんどん別の場所へと追いやる。数分も経たないうちに誰もいなくなった。
兼重は重機を一台ずつ、改めて何もない校舎の隅へと移動した。終わるまでに要した時間も十分足らずだ。各部室の入り口も普通に使える状態になった。徐々に一度は散った生徒たちが戻り始め、誰もが兼重に礼を言いながら、各々自分たちの部室へと入って行った。
――凄い新入生くん。ありがとね。
――アラサーの一年生か……これまた珍しいのが入ってきたもんだな。
「本当に感謝する」
人払いを手伝ってくれた上級生男子も改めて礼を言いにきた。兼重はやれやれと肩を竦めた。
「俺は自分に出来ることをしただけだ。先輩」
「謙遜するな。皆が助かったんだ。誇りに思うべきだ。それにしてもアラサーか……夕真先生と近い歳なのか」
「夕真?」
「呼び捨て……?」
「同じような流れが少し前にもあったな……まぁいい。夕真先生とは知り合いでな」
「そうなのか? ど、どういう仲だ?」
「どういう……中学が同じだったというか……」
「何⁉」
夕真の名前が出た途端に上級生男子は妙にそわそわし始めた。兼重は上級生男子が夕真に異性として好意を寄せているのだとすぐに気づいた。
年頃の男の子の恋心をからかって壊す趣味は兼重にはないので、大丈夫だと安心して貰えるように言葉を選ぶことにした。
「同じ学校に通っていただけで……夕真……先生とは何もない」
「そういう言い方をされると何かを隠されている気がしてくる」
「そんなことはない」
「夕真先生と性行為したことは?」
「なんて失礼を聞くんだ」
「失礼は承知だ。今回限り……頼む、教えて欲しい。真剣なんだ」
兼重はずっこけそうになった。思春期の男の子ゆえに、性的なことに興味を持ったり感情や思考が縛られやすいのだろうが……。
まぁどうしても本人が気になる、ということで、兼重は答えることにした。
「そういう関係になったことはないな」
中学時代にお友達として夕真の自宅に遊びに呼ばれた時はあったが、それくらいだった。夕真とはそういう行為をするような状況になったことも、関係性になったことも事実としてないのだ。
「では、夕真先生の笑顔を見たことは?」
「それはあるが、ただ、そんなに見た回数が多いわけではない」
「嘘を言ったら駄目だぞ?」
「少し考えてみて欲しいのだが、例えば、自分が小学生や中学生の頃を思い出してくれ。クラスの半分くらいは女の子だったと思うが、そのうち顔を思い出せるのは何人だ? 実際に仲良くなって、頻繁に一緒に遊んだのは何人だ?」
「一緒に遊ぶのは大体が男同士だな……女子のことは……確かにそんなに覚えてない……なるほど言われてみると……いや待てお前は怪しい」
上級生男子は一瞬納得してくれそうにはなったものの、どうしても感情面で疑いを取り下げられないようだ。それは年頃だから仕方のないことではある、と兼重は理解しつつも、だとしても先ほどにくれた感謝を考えると凄い掌返しだとも思った。
こういう時は『そっとしておく』のが正解である。下手になんとかしようとして新しい情報を出してしまうと、それを基点に逆に妄想を膨らませる燃料にされるからだ。
というわけで、兼重は誤解を解くのは諦めて、適当に用事があると告げてその場から離れたのだった。
――話は終わっとら~~~~~ん! 逃げるな!
初心で淡い思春期男子の恋心……それが成就するのかと言えば、恐らくはしない可能性が高いと兼重は漠然と思った。
夕真が兼重の知る昔のままであるならば、真面目であるからこそ生徒と云々を考えない性格なハズだからだ。
あの上級生男子がどれだけ夕真のことを好き好きと言っても、その恋心が叶うことは残念ながらない、というのが兼重の見立てとなる。
余談になるが、兼重自身が夕真のことを異性として見たことは昔に一度だけあった。くしゃっと笑って「兼くん、兼くん」と袖を引っ張ってくる夕真にドキりとしたのだ。
あるいは、そのまま普通の高校生になれて、大学にも進学していたのなら……今頃は籍を入れるような関係になっていた可能性も……ある……のだろうか?
まぁ考えても意味のないことだ。
それはそれとして。
兼重が重機を動かしていたのを、学校の設備の維持や清掃をしているお爺さんが見ていたらしく、それがどう繋がったのか謎ではあるのだが帰り際に校内のエアコン清掃の手伝いを頼まれた。
特に喫緊の用事があるわけでもなかった兼重は、断ることなく二つ返事で了承した。作業中に世間話が始まった。
「その歳で定時とかじゃなくて全日の高校生ねぇ……」
「ですね」
「生活費とか大丈夫なのか?」
「ある程度は目途が立ってから入学したので。あと、生活する分くらいは入ってくるようになっていると言いますか……」
「入ってくる?」
「入学前の直近まで勤めていた職場の社長に運よく自分のことを気に入って頂けて、入社してすぐの頃から上場企業の株を買ったりすることを奨められて、コツコツと買い増しているうちに増配になったり、急に株価が凄い上がったのも一部あったりですね」
「なるほど……ずっと前からとなると、仮に今ニュースなんかで『暴落だ暴落だ』って騒ぎになっても、それでも買った頃より上がってるから儲かったままって感じか。どんな風になっても、極端な贅沢は無理だが普段の生活は何の問題もなく、趣味とかもそれなりに楽しめる感じだな? 将来はもう安心?」
「いやいや全然ですよ。不安も沢山あります」
「謙遜するな。その歳で人生上がりとは上手くやったな」
兼重が仕事をやめて、夢だった学生になれたのは、今まさに会話に出てきた経緯があって生活の目途もある程度は立ったからだ。
それから。
特に理由も目的もない、大人が職場でよくするような、会話をする為だけの会話を兼重はしばらく続けたのだった。
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