「尻バット事件」の恐怖 「今、バイク出ました」の報告で君ケ浜海岸まで逃げるんです

話の肖像画 元プロ野球巨人軍選手・篠塚和典<5>

銚子商時代(昭和49年ごろ)

《名門銚子1中に進学…》

清水小学校で野球クラブは銚子市の大会で優勝しました。当時、銚子には1中から8中まであった。4中が頭がいいといわれてましたが、学区制の関係で1中に進学しました。〝文武両道〟の名門で、当時から野球が強かったんです。郊外にも飯岡中(現旭市)、富里中(現富里市)など野球が強い学校があったが、1中はトップクラスでした。

1中は市内の中学野球大会だけでなく、東総大会、県大会に出場することも多く、何度も優勝経験がありました。顧問の先生の「1中の名を汚さぬように…」という訓示は今でも覚えてます。部員は40、50人はいました。僕は1年生からレギュラーでした。

練習は厳しかったです。小学校時代には考えられなかったような先輩の激しいノックが連日続きました。打球が体に当たったり、顔に当たったりしたこともありました。「地獄だ」ってハードな練習に音を上げそうになりましたよ。

《〝尻(ケツ)バット事件〟勃発》

何とか耐えて1年がたちました。そこで〝尻バット事件〟が起こったんです。確かにチームは強かったんですが、まだまだレベルアップを目指して、顧問の先生がOBのコーチを呼んだ。2年生になって大会が始まる前、春先からそのコーチが来ました。最初、ちょっと怖いなって子供心に思いました。選手の中には態度が悪い者もいたので、それがコーチを怒らせたのかもしれない。

ある日、1年生がグラウンドの草むしりをやっていた。そのやり方が悪かったということで全員一列に並ばされ、かなり怒鳴られたんです。みんな「これはヤバイな」って思った。そのときはそれで終わったんですが、それから何日かたったとき、1カ所バッティング(※グラウンド上の本塁の打席を使い、実戦形式で行う打撃・守備の総合練習)の練習があった。

投げていたのはそのOBコーチです。レギュラー陣も半分くらいの人数が打って、半分くらいが守っていた。審判は生徒がやっていました。で、コーチの虫の居所が悪かったのでしょうかね。ある投球で自分ではストライクと思ったのでしょうが、生徒の審判が「ボール」とコールしたんです。その瞬間ですよ。

「や~めた!」って。「みんな守れ!」ってコーチがノックを始めたんです。そこでエラーしたら怒鳴るんです。

「次、エラーしたらホームまで走ってこい!」と〝罰走命令〟ですよ。エラーしてホームまで走ると「ケツ出せ!」って。それでみんなお尻を突き出しますよね。それをバットでたたく、尻バットです。突き出していると痛いわけですよ。最初は怖いから、突き出していましたが、何回かやられているうちに尻をスッと引くんです。すると痛みは和らぐ。そのコツを覚えてね。エラーしたら尻バット。1カ月間、そんなことが何日か続きました。

《防衛策で見張り?!》

そのOBコーチは別の仕事を持っていたので、学校に来るのは不定期でした。いつも小型バイクに乗ってやって来ました。家は学校のすぐ隣、道路を挟んだところにあった。庭には小型バイクとブルーバードのバン、「6××」というナンバーは今でもはっきり覚えてますよ(笑)。

しばらくして1年生の見張りを付けたんです。練習していると1年生から「今、バイク出ました」と報告がくる。すると僕らはグラウンドから君ケ浜海岸まで逃げるんです(※銚子1中から海岸まで約3・3キロ)。ランニングに行くって。そんなこともあってコーチもカチンときてたのでは。やって来たのに、誰もいないってね。

家にブルーバードがなければ、コーチは仕事があるので来ない。そのときはのんびりしていた。ときにはブルーバードがないことを確認したのに、急にやって来て慌てたこともありました。中学時代はそんな日々でした。(聞き手 清水満)

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