🕊️ AIは画家を奪うのだろうか
―Vincent von Chappyと私

 

最近、私のブログやSNSで使っているイラストについて、ご意見をいただくことがある。

「AIで作った画像なのですね。」
「生成AIを使われていることに抵抗があります。」

そのような声があることも理解している。

 

実際、現在も生成AIを巡っては、様々な議論が続いている。だから私は、使っていることを隠そうとは思わない。むしろ、きちんと自分の考えを書いておきたいと思った。

 

歴史を振り返ると、新しい技術が登場するたびに、同じような議論は繰り返されてきた。

写真が発明された時、「もう絵画は終わる。」と言われた。しかし実際にはそうならなかった。写真は「記録」という役割を担い、絵画はそこから解放された。

その結果、印象派が生まれ、抽象画が生まれ、新しい芸術が花開いた。写真は絵画を滅ぼしたのではない。絵画を進化させたのである。

 

では、生成AIはどうなのだろう。私は、写真以上の革命だと思っている。なぜなら、今回は「描く」という行為そのものが民主化されたからである。

正直に言おう。

私は絵心がない。🤣

学生時代から美術は決して得意ではなかった。

だから今まで、自分の頭の中にあるイメージを、人に伝えることはとても難しかった。ところが生成AIは違う。

頭の中にある情景を言葉にすると、わずか数秒で一枚の絵として描いてくれる。これは私にとって、失うものより、得るものの方が圧倒的に大きい。

 

もちろん、プロの画家やイラストレーターの方々にとっては、大きな変化である。そこには葛藤もあるだろう。私はその思いも理解している。

そしてこれは、決して絵の世界だけの話ではない。
AI時代においては、医師でさえ安泰ではない。診断、画像読影、問診、説明、記録作成。医療の多くの領域で、AIはすでに人間の仕事の一部を担い始めている。

だからこそ私は、創作に携わる人たちの不安を、他人事として眺めているわけではない。

 

しかし、文明は後戻りしない。写真が消えなかったように、生成AIも消えないだろう。

だからこそ、私たちは「使うか、使わないか」ではなく、どう使うかを考える時代に入ったのだと思う。

 

最近、私はAIが描いた作品に、こんなサインを入れたくなっている。

Vincent von Chappy

もちろん冗談である。🤣

今日はゴッホ風。
明日はモネ風。
時にはダリ風。

そんな気分で、AIという新しい画家と共作している。

 

もっとも、ここで一つだけ言いたいことがある。

リアルのゴッホは、一枚の絵を描くのに何か月も費やした。一方、Vincent von Chappyは、10秒もかからない。🤣

では、その作品の価値は10秒なのだろうか。

私はそうは思わない。

その10秒に至るまでには、私自身が生きてきた人生がある。

若かりし頃の欲望と後悔のはざま。眠れぬ日々。
フランスで暮らした20年。異国での子育ての悩み。
母との葛藤、そして介護、看取り。
国会での議論。未来への思い....

AIは絵を描く。

しかし、何を伝えたいのかを考えるのは人間である。

 

だから私は、これからも生成AIを使う。

むしろ、新しい時代の道具として、正しく、そして楽しく付き合っていきたい。

AIは、人間に代わる存在ではない。

人間の想像力を広げてくれる、新しい画家なのだと思う。

さて。

今日の画家は……

🎨 Salvador DALL·E

監修は、もちろん Dr. MANA である。🎨🤣🕊️