沖縄県名護市辺野古沖で船2隻が転覆し同志社国際高(京都府)2年、武石知華(ともか)さん(17)ら2人が死亡した事故では、2隻が出航した辺野古漁港に設置された防犯カメラに事故前後の詳細な状況が写っていた。産経新聞が入手した映像からは、救助された生徒らが漁港に搬送される緊迫した様子が浮かび上がる。関係者の許可を得て、映像を公開する。
「不屈」「平和丸」相次いで出港
映像には「タイムコード」と呼ばれる撮影時刻が記録されていた。ただ撮影時刻は実際より約6分遅れており、時刻のズレを調整すると、抗議船「不屈」と「平和丸」は3月16日午前9時24分ごろから、相次いで辺野古漁港を出航していた。
辺野古沖では24分後の午前9時48分ごろ、11管の警備艇(ゴムボート)が2隻の姿を確認している。
白波が立っていたため、海上保安官が「波が高くなっているの安全に航行してほしい」と注意を促したが、2隻は辺野古沖にある浅瀬のリーフ(サンゴ礁)の外側に向かったという。2隻は定員ギリギリで船の安定性も損なわれる中、波浪注意報が発表された海を航行していた。
葛藤…招いた「二次海難」
10時10分ごろ、まず不屈が大波を受けて転覆し、約2分後、救助に向かった平和丸も転覆した。
平和丸の船長は事故後、周囲に「助けることを優先するのか。平和丸に乗っている生徒たちを避難させるのか。葛藤があったが、沈没した船の方に向かった」と語ったというが、結果的には、この判断が「二次海難」を招く形となった。
11管の警備艇が転覆現場に到着したのは10時20分。海保関係者は「二次海難の恐れを懸念し、磯波の海域を避けつつ2隻に接近しなければならず、それに10分を要した」と振り返る。
警備艇に乗っていた海上保安官は10時24分から38分までの間に20人を救助。この時点で知華さんはまだ救助されていなかったが、平和丸の船長は浅瀬で、転覆船が流れないよう係留ロープを引いていたという。救助されていない乗船者がいることを把握していなかった可能性が高い。
次々に戻る警備艇、漁港は緊迫
映像には午前10時34分ごろ、救助された生徒を乗せ、漁港に戻ってくる警備艇の姿が写る。この後、54分ごろにかけて7隻の警備艇が次々と到着。警察官や救急隊員が生徒たちに駆け寄る緊迫した様子が写っている。
11管によると、10隻の警備艇で事故に対処。10隻のうち3隻は事故現場周辺に残り、海上保安官が船体に取り残された人がいないか確認作業を進めた。その過程で、10時46分ごろ、平和丸の船体下で知華さんを見つけたという。
警備艇に乗る海上保安官は潜水士ではなく、「息を止めて潜り、(知華さんを)引き出そうとした。最大限の救助活動をしたが、引き出せなかった」(捜査関係者)。
このため、漁港で待機していた地元消防の水難隊員を警備艇に乗せ、現場へ急行。この水難隊員が知華さんを引き出したのは、事故から約1時間経過した11時15分ごろだった。知華さんは着用していた救命胴衣の一部が船に引っ掛かった状態だった。
1人足りないと気付き捜索本格化
関係者によると、救助された生徒の一人は「応急処置を受けたときに、海上保安庁の方に『足りない人がいないか』と聞かれたので生徒で集まって人数確認をした」「乗船者のグループ分けの名簿が見当たらず、人数確認に時間がかかった」「誰かは分からないが、1人足りないことに気付き、その旨を伝えたところ、何隻かの船(警備艇)が出航し、捜索が本格化した」と証言しているという。
一方、捜査関係者によると、海上保安官が確認作業を進めるなかで知華さんを見つけたという。警備艇7隻が生徒らを漁港に搬送した後も、沖合では3隻の警備艇が救助活動にあたっており、「同時並行だった」(捜査関係者)という。
最終的に、11管が平和丸に12人、不屈に9人が乗っていたと確認したのは11時20分過ぎだった。
引率教師2人、安否確認の形跡なし
海上運送法に基づく事業登録をしていなかった抗議船には乗船名簿もなく、人数の把握に時間を要することとなった。事故当時、引率教員が同乗していなかったことも、知華さんの発見の遅れにつながったとみられる。
産経新聞が入手した防犯カメラ映像を確認するかぎり、救助された生徒が次々と搬送される中で、引率の教師2人とみられる人物は、生徒の安否確認などを行った形跡はうかがえない。抗議団体「ヘリ基地反対協議会」によるずさんな運航管理だけでなく、同志社国際高校の安全管理体制も問われている。(大竹直樹)