地元に残る実家、離れて暮らす高齢の親、住み替えや相続……。地方から東京に出てきた人なら誰もが直面しうる問題に、真正面から向き合ってきたのが、お笑い芸人・平成ノブシコブシの吉村崇さんです。
北海道札幌市に暮らす80代の父親は、現在一人暮らし。かつては大きな一戸建てに住んでいましたが、数年前にマンションへ住み替えたそうです。そこには「親の意思を尊重したい」という吉村さんの葛藤もあったのだとか。家族との距離感、実家への思い、そして自身の住まい観について、率直に語ってもらいました。
記事の目次
「東京で一緒に住まない?」の提案を、父はハッキリ断った
ーー現在、お父様は北海道で一人暮らしをされているそうですね。普段はどんな距離感でコミュニケーションを取っているんですか?
吉村さん(以下、吉村):頻繁ではないですけど、月1くらいの頻度で連絡しています。でも、それも東京に出てからですね。最初の10年ぐらいは「仕送りしてくれ」みたいな連絡ばかりしていましたから。
ーー吉村さんは、高校卒業後すぐに上京してお笑い養成所(吉本総合芸能学院)に入られたんですよね。
吉村:そうです。6歳から父と祖父母と一緒に住んでいて、高校卒業して自分が実家を出た後、父は一人暮らしになりました。北海道で仕事があるときは、なるべく実家に泊まるようにしています。
ーーお父様から連絡が来ることもありますか?
吉村:ニュースを見て、何かと電話してくれますね。父はスマホが得意じゃないので、テレビのニュースの情報がほぼすべてなんですよ。僕にとって何かネガティブになるかもしれない業界のニュースが出たときに「大丈夫か?」とか、「働き過ぎじゃないか?」とか心配の連絡をくれることが多いです。
ーー離れて暮らす親との関係は、疎遠になりがちというか、コミュニケーションに悩む声も多いですが、吉村さんは自然に関係を築かれている印象です。
吉村:ありがたいことに北海道でレギュラーの仕事があるので、定期的に地元に帰れるというのが大きいかもしれないです。 ただ、やっぱり親も老いてきているなと実感します。6年くらい前に「東京で一緒に住む?」とか、「高齢者施設に入る?」みたいな提案をしたんですよ。
でも、父からはっきり言われました。「嫌だ」って。
ーーかなり明確に。
吉村:そうですね。昔からあんまり強く否定するタイプじゃなかったんですけど、そのときだけは結構はっきり言われました。
やっぱり、知っている土地にいたいんでしょうね。それに、父はそもそも一人暮らしが好きで、人と一緒にいる方がストレスになるタイプ。だから、高齢者施設に入るくらいなら、孤独死のリスクがあったとしても、一人でいたいと思っているみたいです。こちらからしたら不安ですけどね。
結局、僕は自分の安心のために同居や施設の提案をしただけで、父の意思を汲み取ってなかったなと反省しました。そこからは「まずは父本人の意思を尊重しなければ」と、考えを改めましたね。
「雪かきがない暮らし」のため決断した、マンションへの住み替え
ーーお父様は現在、吉村さんが生まれ育った一戸建てに住んでいるんですか?
吉村:いえ。もともとは札幌の一戸建てに住んでいたんですけど、今はマンションに住み替えています。これは雪国ならではの問題で、一戸建てだと冬は雪かきが大変なんです。実家があるのは毎朝きっちり雪かきしないと日常生活に支障が出るような地域だから、さすがに80代には厳しいんですよね。転んだり、急に体調を崩したりすることもあります。
だから、「雪かきしなくてもいい家に住もう」と提案したのが、住み替えのきっかけでした。
ーーかなり早い段階で住み替えを決断されたんですね。
吉村:テレビの仕事で、終活とか住み替えの特集をやることが結構あったんですよ。専門家の方に話を聞いて、「こういうパターンもあるんだ」といろんなケースを知ることができました。
父にも「こういうマンション借りようと思うけどどう?」と相談したら、「確かに、もう一軒家は大変だな」と、納得してもらえて。
実家はもともと祖父母も一緒に住んでいたので、2階建てで、部屋数は8〜9部屋くらいありました。庭も含めて管理がとにかく大変で。バリアフリーの概念もない時代に建てた家だから、階段も急でした。たぶん父自身も、実家での暮らしに限界を感じていたんだと思います。
ーーご実家から今のマンションへの引越しは、どれくらいダウンサイズされたんですか?
吉村:たぶん、広さは5分の1以下になってると思います。今は、6畳くらいの部屋が2つとリビングだけ。少し広めの一人暮らし、みたいなサイズ感ですね。
マンションに住み替えた後に父から「本当に助かった」、「一人だったら無理だった」って言われて、意外と快適に過ごしているみたいなので少し安心しました。
雪国だからこそ、冬が来る前に住み替えプロジェクトを終わらせる
ーー大きな家からマンションへの住み替えは、「モノをどうするか」で止まるケースがすごく多いと聞きます。
吉村:うちもそうでした。祖父が明治生まれ、祖母が大正生まれなんで、捨てられない世代なんですよ。モノが本当に多かったです。
ーーその状況で、まずは何から始めたんですか?
吉村:まず僕が「自分のモノは全部捨てる」と言ったんです。小学生から使っていた勉強机とか、昔のベッドとか、父からしたら残したい気持ちもあったと思うんですよ。でも、まず自分のモノを捨てる宣言をしたら、父も「じゃあこれも捨てるか」って、だんだんと捨てるモードに入っていった感じでした。
ーー最初に「捨てる」流れを吉村さんご自身が作ったんですね。
吉村:僕自身が「あれは思い出があるから残して」「これはどうしようか」って迷っていたら、きっと片付けも進まなかったと思います。
今になって、「残しておけば価値があったかもな」と思うモノもありますよ。ビックリマンシールのレア物とか(笑)。でも、それを全部査定してたら終わらない。だから、すぐに割り切りました。
ーー大量のモノを捨てるのは大変です。処分業者さんに依頼したんですか?
吉村:はい、業者に依頼しましたね。家族だけでやってたら、8割の荷物が残ったと思います。費用は結構かかりましたよ。100万円弱くらいだったと思います。でも、業者さんに一気にやってもらったから、2カ月で引越せました。結果的には良かったです。
ーー2カ月で完了したのは、かなり早い方だと思います。モノの処分につまずいたり、お父様と揉めたりすることはなかったんでしょうか。
吉村:まったくなかったです。なぜなら「費用は全部僕が出す」って最初に伝えたからですね。モノの処分における主導権が持てたし、父親も捨てる判断がしやすかったと思います。
あとは、雪国ならではですが、「雪かきが大変な冬がやって来る前に終わらせよう」と目標を立てることで短期間で終わらせることができました。決断をずらすと越冬しなきゃならないので。
「父の看取りについて後悔をしたくない」実家問題の根底にある思い
ーー現在、一戸建ての方のご実家はどうされているんですか?
吉村:まだ売却はせず、多少リフォームして、格安で貸しています。でも、これは“不動産運用”というよりも、「維持をするため」ですね。人が住まなくなると傷んでいくから。
ーー売却はしなかったんですね。
吉村:実は、土地の権利関係がちょっと複雑で。所有者が複数いるんですけど、その一人である従兄弟と今、連絡が取れなくなっていて……。勝手に売却できないから、もともと住んでいた一戸建ても完全に整理できていない状態なんですよ。
あと、それ以上に僕自身もまだ「売ります」って割り切れていないと思うんです。
ーーそれは、やっぱり生まれ育った家に思い入れがあるからでしょうか?
吉村:ありますね。祖父母ががんばって買った家なんですよ。大きい家じゃないけど、あの家には家族の歴史がある。だから、「僕の判断で終わらせていいのかな」って思うと、まだ実家じまいの答えは出てないです。
お墓の問題もあります。祖父母が眠っている墓が、昔から移転要請されている墓地なんですけど、まだそのままになっていて。墓も家も、僕の代でいろいろ決めなきゃいけないなとは思っています。
ーー実家というよりも、亡くなった祖父母を含むご家族みなさんへの思いが感じられます。
吉村:母がいなくなってからは祖母が母親代わりみたいになって、育ててもらったんです。でも実家を出るときに言い争いになって「俺はばあちゃんが嫌いだから東京に行くんだよ!」と捨て台詞を吐いてしまいました。その1カ月後に祖母が亡くなったんです。ずっと悔いが残っています。
ーー10代の多感な時期は、親に反発しがちですよね。
吉村:それを母親代わりだった祖母に向けてしまった。40歳を過ぎた今でもその出来事が夢に出てくるんです。記憶を封じ込めようとしても、その扉が頻繁に開くんですよ。その後悔を、父に対して絶対にしたくないから、ちゃんと向き合おう、言葉にしようと思っているところはありますね。
離れて暮らす親を支えるなら、分散型サポートがちょうどいい
ーー終活の話題は、親子だと「なかなか切り出しづらい」という声も聞きます。
吉村:遠慮してしまう気持ちはわかりますよ。「そんな話しちゃいけないんじゃないか」とか。でも、僕は結構早めに聞きました。回りくどい言い方をやめて、「死んだらどうする?」って。かなり強い言葉ですけど、そこは避けちゃいけないなと思ったんですよね。
ーーお父様とは、昔から何でも話せる関係だったんですか?
吉村:いや、全然そんなことなかったです。昔はいわゆる“堅物な父親”でしたし、僕は照れもあるし、そんなに深い話はしませんでした。
でも、あるとき、僕から「最近いつセックスした?」って聞いたことがあったんですよ(笑)。
ーーかなりストレートですね(笑)
吉村:極端ですけど、その話を振ってから一気に距離が縮まった感覚があったんですよね。「お前、何バカなことを言ってるんだよ!」と笑いが生まれて、そこから生活習慣とか、交友関係とか、色々話してくれるようになりました。
親って、ずっと「親」として見ちゃうじゃないですか。でも、そういう話をすると「ああ、この人も普通に恋愛をして、いろんな欲もあって、一人の人間なんだな」って感覚になる。それからは父親というより、10歳上くらいの先輩と話しているような感覚に近くなったんですよ。
ーー10歳上くらいの先輩なら、一般の職場でもイメージしやすいかもしれません。
吉村:そうですよね。人生をちょっと先に経験してる人、みたいな感覚です。だから、老後や家のこと、「死んだらどうする?」みたいな話まで、自然にできるようになりました。
いきなり終活の話から入るより、くだらない会話とか、照れくさい話題を思い切って一度越えてしまえば、親子って意外と何でも話せるようになるのかもしれないです。
ーーなるほど。「死んだらどうする?」に対するお父様の反応はどうでしたか?
吉村:「好きなようにしてくれ」でした。でも、一戸建てからマンションに住み替えたことが、大きかったと思うんです。家がコンパクトになって、暮らしも変わって。そこから自然に、「墓どうする?」とか、「家どうする?」みたいな話ができるようになったので、一気に時が動き始めたような感じがありました。住み替えは単に家を替えるだけじゃなくて、人生の整理を始めるきっかけにもなるんだなと思いました。
ーー離れて暮らす親を支えるうえで、大事にしていることはありますか?
吉村:祖母に対する後悔とか、芸人として食えない時期に助けてもらった父への恩があります。だからこそ「愛をいただいたから、ちゃんと愛を返さないといけない」って思い過ぎてしまうんですよね。
でも大事なのは、全部を自分一人で抱えようとしないこと。僕の場合、北海道の放送局に勤めている友達と、仕事でも一緒になることがあるから、その友達に「何かあったら連絡して」とか、「これ届けてほしい」と頼んでいます。「今度飯おごるから、ちょっと親父のこと気にかけといて」くらいの感じでお願いして、分散型にした方がいい。
芸人はすぐ飛んでいける仕事じゃないから、周りを頼る前提で考えた方が、結果的に長く続けられるんだと思います。
「高い家賃の家に住め」の芸人イズムはもう捨てた 吉村崇の住まい観
ーー吉村さんといえば「芸人なら高い家賃に住んで向上心を持とう」といったお話をされていたイメージがあります。その思想を受け継いでいる若手芸人さんもいらっしゃいますが、吉村さんはご結婚をされて、年齢も重ねることで、ご自身の住まいに対する価値観は変わりましたか?
吉村:変わってきましたね。若い頃は、無理してでもいい家に住んで「売れなきゃやばい」と自分を追い込む。環境を先に上げて、自分をそこに合わせていく、みたいな考え方でした。実際、僕らの世代ってそういう芸人も多かったんです。
今はちょっと変わりましたね。もちろん、攻める時期も必要だと思うんです。でも、年齢を重ねて、親のことや家族のこと、いろんな責任が増えてくると、安心して帰れる場所があることの方が大事だなと。家の心地よさが仕事のパフォーマンスに直結すると思うようになりました。今は、自分を追い込むための家というより、回復できる家の方が大事ですね。
ーー以前より、かなり現実的な住まい観になったんですね。吉村さんは韓国で公演するなど、グローバルな視点で活動されています。このまま東京を拠点にして、地元に戻るという選択肢はなさそうですか?
吉村:少し前なら「札幌に戻ることは絶対にない」と思っていました。でも、今は「なくもないな」と思っている自分がいます。理由はうまく説明できないんですけど、親のこともあるし、時代的にも「ここに住み続ける」って決めきらなくてもいいんじゃないかなとは思っています。
ーーマイホームを持つより、これからの生き方に合わせて変えていきたい、というお考えですか?
吉村:僕自身、今は賃貸なんですけど、それって「逃げる」という選択肢を持てるからでもあるんです。隣人トラブルもそうですし、今の時代、何が起きるか全くわからないじゃないですか。いろいろ予測して計画を立てたとしても、俺らの予想なんて、大体外れるんですよ。
だったら、「ここじゃないな」と思ったときに動ける身軽さが、すごく大事だなと思います。昔は「持ち家こそ成功」みたいな感覚もありましたけど、今はその人の仕事とか家族構成とか、生き方によって全然違う。父の住み替えを見ていても、そのときに合った住まいを選び続ける方が、自分にとっては自然だなと感じています。
吉村崇さん
1980年7月9日北海道札幌市生まれ。2000年に徳井健太と平成ノブシコブシを結成。
<構成 川崎絵美 / 撮影 武石早代 / 編集 小沢あや(ピース株式会社)>