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ぶちお 7月1日8時49分
北叟の笑いさん
いい引用ですね。タイミングバッチリ。その通りですね。
私は「一部の神経質な人たち」とは少し違って、もう少し三島に近いです。三島が「わざわざそれを愛するといふのが、わざとらしくてきらひである」理由は、以下の通りだと私は思っています。
本来、「愛国心」という感情は、個人がそれぞれ内面で抱く感情であって、決して他人から、ましてや政治屋なんぞから強要されたり押し付けられたりするものではない、誰からも侵されることのない表にわざわざ表明するものでもない、
表明させられるものでもない「内心の自由」です。決して犯すべからずの範疇です。だから、それを言葉にした瞬間にわざとらしいのだ、と思います。
私は、「何となく虫が好かず、さういう言葉には、できることならソッポを向いてゐたい」訳でもない保守精神の持ち主です。が、「愛国心」という言葉を、政治屋たちが口にするとき、或いはその意図が透けて見える言動には、吐き気を催し、逆毛が立つほどの嫌悪感を抱く。
おまえら政治屋ごときに、とやかく言われるいわれはないわ!と強く感じています。
政治家ならば、岩屋さんの姿勢があるべき姿です。 -
北叟の笑い 6月30日20時51分
三島由紀夫の「愛国心」という文章を引用します。
実は私は「愛国心」といふ言葉があまり好きではない。何となく、「愛妻家」といふ言葉に似た、背中のゾッとするやうな感じをおぼえる。この、好かない、といふ意味は、一部の神経質な人たちが愛国心といふ言葉から感じる政治的アレルギーの症状とは、また少しちがつてゐる。ただ何となく虫が好かず、さういう言葉には、できることならソッポを向いてゐたいのである。(中略)愛国心の「愛」の字が私はきらひである。自分がのがれやうもなく国の内部にゐて、国の一員であるにもかかはらず、その国といふものを向う側に対象に置いて、わざわざそれを愛するといふのが、わざとらしくてきらひである。(後略) (初出:朝日新聞1968年1月8日『三島由紀夫全集』による)
私は「一部の神経質な人たち」の一人かと思いますが、
三島の意図は十分にわかります。
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Саша 6月30日19時49分
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