抱擁におけるストレス緩和作用について
最終決戦後からしばらくたった後のお話。両片思いみたいな。 どちらかっていうと虎日寄り…な二人。日車は高専お抱え呪術師もやりつつ弁護士も兼業。 虎杖はモジュロの設定も付加されています。
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「ひーぐるんっ」
見つけた濃紺スーツの背中めがけて、悠仁は遠慮なく飛びついた。
「ひぐるんは止めてくれ…虎杖。それからどいてくれ」
へへっ、と笑い悠仁は地面に降りた。
日車はやれやれと着崩れを直しつつ「久しぶりだな」と声をかける。
あれからお互い呪術師として忙しない日々を送っており、顔を合わせるのは半年ぶりだ。
初夏の繁忙期をすぎたとはいえ、術師は常に人手不足。こうして高専の敷地内で鉢合わせすることは稀である。
だからこのチャンスを逃すまいと悠仁は「なーなー、日車」と子犬のようにまとわりつく。
それを目撃した周囲の人間から「あの虎杖悠仁があの日車寛見に親しげに絡んでいる」、と驚きと羨望の視線を向けられようが意に介さず、悠仁は天真爛漫な声で誘う。
「一緒に昼飯食わん?」
「いや…」
「最近、近所に美味いうどん屋できたんだよ。知ってる?」
いいや、と日車が返事をする。
落ちくぼんだ目元は元気そうとはとても言えず、むしろ以前より一層昏い光を宿しているように見える。
その目が誘いを断る理由を探している間に、半ば強引に悠仁は日車を引っ張っていった。
*
すだちを乗せた冷やしうどんを前に箸の動きが鈍い日車に対し、悠仁はカレー南蛮を勢いよくすすっていた。
汚れるぞ、と言いかけてさすがに子供扱いしすぎだろうかと日車は横目で見ながら黙考するが、やはり多少は気遣うべきだとつい声に出してしまう。
「汚れるぞ」
「ん。もぐ……いやー腹減ってたからつい。あ、ごめんそっちに跳ねてた?」
「跳ねそうではあった」
「ごめんごめん。日車はあんま食欲ない?」
「あぁ…夏バテかもな」
そっか、と悠仁は再び箸を動かす。
最初の数秒は静かな食べ方になっていたが、しばらくするとやはり遠慮のないすすり方に戻ったので日車は思わず笑みを漏らす。
「ふ」
「んん?」
「いや…君の食べっぷりは見ていて気持ちがいいな」
「んー!ありがふぉう?」
食べながら喋るな、とは思っても言わなかった。目の前のうどんに視線を戻す。
少しだけ、空腹感が戻ってきていた。
―――
虎杖悠仁の人たらしな性格上、親しい人間は数多く存在する。
だが日車に対しては、どちらかと言えば悠仁の方から特別よく懐いていた。
そこに至るまでの経緯は宿儺との決戦前に遡る。
虎杖と日車を含む呪術師達が約一ヶ月間、寝食を共にし修行に明け暮れた日々。
各々が覚悟と理由を持って臨んでいた。文字通り命をかけて。
日車はその中でも特異な存在だった。死滅回游に巻き込まれた一般人。
いくら天才的才能と稀有な能力を所持しているとはいえ、場違いですらあった。
そんな異端である彼の「一般人」としての目線から発せられた当然の意見が、悠仁の心を動かすきっかけだった。
「俺は上層部が君に死刑判決を下したことに憤りを感じている」
抑揚のない声音で、日車は宙へとその言葉を放った。
入れ替え稽古の休憩中のことだ。
ぽつんと石段に座る日車を見つけ、「いつも一人だな」と思った悠仁が声をかけたのだった。
悠仁は目を丸くし日車を見つめる。
「なんで日車が怒るの?」
「心身を喪失していた15歳に対し死刑を言い渡す事がこの世界では妥当な判断とされているのが許せないからだ」
「喪失って…まぁ、それはそうなんだけど…」
うーん、と悠仁は目を閉じて渋い顔になる。
「でもさぁ、前も言ったけどやっぱり…」
「わかっている。その上で、『仕方ない』と思わせる呪術界はどうかしていると言わざるを得ない」
「そっ…か」
日車が「すまない」と呟く。
「なぁーんで謝んの」
「偉そうなことを言ってしまった。俺は部外者であり、そして罪人なのに」
重く吐き出された言葉に悠仁は首を振って答える。
「日車の言ってることも正しいと思う。……俺、そんな風に言ってもらえたの初めてだよ」
「そうなのか?」
うん、と悠仁は目を伏せて微笑む。
そう、初めてだ。真っ向から「おかしい」と怒りを露わにしてくれた人は。
「そっか」と思った。
これが「普通」なんだ、と。
自身を含め他の呪術師達が「納得できなかろうが、そういうものだ」と受け入れていたものへの否定。
何か胸の内があたたかくなって悠仁は日車を見つめる。
相変わらず視線が交わることはない。
とくん、と明かりの灯ったように鳴る鼓動。
初めてだった。
先生や先輩とは異なる、頼れる「しっかりした大人」を見つけたのは。
それから悠仁はより積極的に日車に話しかけるようになった。
ぎこちないながらも、日車も会話に応じてくれるようになった。それが嬉しかった。
君といるとますます自分を嫌いになりそうだ、と言われた過去を考えれば大きすぎる進歩だ。
置かれている状況からしても和気あいあいとは到底いかないが、それでも悠仁は他の人間には見せない甘えた面を日車にだけ晒すようになっていった。
「日車と話してるとさ、なんか安心すんだよね」
「安心?」
もはや定位置となった石段に二人は腰かけている。
悠仁は自分よりも少しだけ高い肩に、とん、と軽く頭を預けた。
「うん。頼れるし、なんでも知ってるし。もう俺より呪術のことも詳しいんじゃない?」
「どうだろうな…実戦経験は君の方が多いだろう」
ぐ、と日車の眉間に皺が寄る。
悠仁の「実戦経験」を想像して、少年が戦いに身をおかねばならない状況に静かに憤っているのだと、言葉は無くとも察せられた。
自分のことでこんな風に怒ってくれる大人が隣にいるという事実に、胸がくすぐったくなる。
「日車、ありがとう」
「…………何が゙だ」
「んー。俺のこと、気にかけてくれて。嬉しいなって」
「……そうか」
悠仁は改めて思う。
この人に死んでほしくないな、と。
誰に対しても思っている「生きていてほしい」という願いを、この男には特別強く抱いてしまう。
なぜか?
おそらく―― 相手が死にたがっているからだ。
命の使いどころを探して、そして尽きてしまえばいいと。
――似ている。
己に対し死ぬべきだと思っている点が。
なのに、お互いに対しては死ぬなと願っている。
どちらも互いの身勝手さを無意識に感じ取っていた。
そうしてしばらく無言のまま、二人で寄り添っていた。
―――
うどん屋での昼食後。
それじゃあ、と解散しようとした日車に悠仁は「日車の事務所行っていい?」と提案した。
現在日車は高専お抱えの呪術師である傍ら、弁護士としても籍を置いている。
日車が望んだわけではない。都合よく使われているだけだ。
構えた事務所も一般人からの相談は受け付けておらず、そもそも存在すら公には秘匿されている。
「何か困っているのか」
「いや?遊びに行きたいってだけ」
「そんなに暇じゃないだろう、俺も君も」
「だめ?」
真っ直ぐに見つめられて、日車は急いで目を逸らす。
「…用もないのに来るな」
「じゃあ、相談したい」
「何のだ」
「こう…俺のこの体のこととか…今後のこととか…」
「専門外だ。他を当たれ」
「え~~。俺は日車と話したいんだけど…」
――結局、日車が折れた。
二人きりの事務所で、悠仁はあれは何だこれは何だと質問して回った。
勝手に日車の事務椅子に座り「なんか偉くなったみたいな気分だな!」とはしゃいで日車を呆れさせたりした。
「相談はどうした?遊んでいるだけに見えるが」
「30分5000円だろ?慎重にならないと。何を話すか今考え中」
すると日車は意地悪く口の端を吊り上げる。
「値上がりした。今は30分一万円だ」
「げえっ!?」
「冗談だ」
「んもー」
くつくつと喉を鳴らす日車。
ゆるむ口元を手で隠すよう抑えてから、そういえばこんな風に笑うのは久しぶりだ、と気が付く。
柔らかく笑みを残したまま、日車は何か飲むかと脇にあったコーヒーメーカーのスイッチを入れる。
ポーションではなく豆から挽く、それなりに高級なやつだ。時間もかかるが。
豆が挽かれていく振動音を聞きながら相談とやらを待つ。
気が抜けたせいか、忘れていた肉体の疲れが食後ということも相まってゆるりと脳に気だるさをまとわせる。
それでも座ったりはしないで、日車は抽出される液体を見つめる。
悠仁はおしゃべりを止めたらしく、静けさが室内を覆っていた。
こぽこぽと、少しずつ落ちる黒い雫がゆっくりガラス容器を満たしていく。
香りを含んだ湯気が漂い空気に溶ける。
まだか?と椅子の方に視線を向けようとして――
「ひぐるま」
いつの間に来ていたのか、後ろからするりと二本の腕が日車の腰元に回され交差した。ぎくり、と自分でも驚くほど身が強張る。
「虎杖?」
「ん?」
「なぜ君は俺に抱き着いているんだ?」
「ハグって、ストレスを減らすらしいよ」
「それは聞いたことがあるが…」
「日車、すっげぇ疲れた顔してるから」
「…離れてくれないか」
「もーちょい」
「…虎杖、」
悠仁は離れるどころか腕の力を強めた。
…あたたかい。
日車はその心地よさに融解していく心を自覚し、ゆえに抗った。
「虎杖、離してくれ」
「なんで?」
ほだされそうになるから―― などとは言えない。
「おかしいだろう。その…君のような子供が俺みたいな男に…端的に言うと不健全だ」
もっとまともな理由で跳ねのけるはずが、なんだか言い訳のようになった。
「確かに俺は呪いで老けなくなったけど。子供ってほどじゃないよ」
呪いに浸され、老化が限りなく緩慢になった肉体。
しかし精神は何度も命のやり取りを経たことで、同世代と比べても遥かに達観した視座を得ている。
言動こそあどけないが、虎杖悠仁は見た目よりずっと大人だ。
それでも。やはり日車からすれば悠仁は庇護の対象であるべきだった。
守られる存在であって、守ってもらう側ではないと。
だが……鬼神の如き強さを持つ彼に対しそういった考えを持つことはもはや不適当なのだろうか。
相応しい「言い訳」を探しあぐねていると、悠仁の方から一歩踏み込んできた。
「――日車は俺のこと嫌い?」
「そ…んなことはない」
「だよな。嫌ならこの腕を振りほどけばいいんだから」
そう。日車は先ほどから口で抵抗を示しているだけだ。
相手の腕から伝わる温もりを自分から手放すことができないでいる。
ずるい大人だった。
だから、悠仁がもっと体重をかけて密着を強めてもやはり動けないでいる。
「日車」
「……」
「ひぐるま」
「……離してくれ」
ん、とようやく悠仁は日車を解放した。
体にかかっていた圧力が消え、途端に失われていく温もりがたまらなく惜しい。
日車は悠仁から見えないのをいいことに微か下唇を噛む。
「どう?ストレス軽減になった?」
日車はひとつ息を吐いてから悠仁に向き直った。表情はいつも通りに戻して。
「むしろ余計に酷くなった」
「えぇ!?」
動揺してうろたえる様子がおかしく、こらえきれず口の端が持ち上がる。
「冗談だ。ストレスが軽減したかはわからないが、だが…今の気分は悪くないな」
「ほんと?」
「ああ」
んじゃあさ!と悠仁は閃きに電球でも浮かんでいそうな笑みを浮かべ人差し指を立てた。
「これから時々ハグしに来るよ」
「…は?」
「日車の夏バテが治るまで」
「ハグでは治らないぞ」
「いーからいーから」
「話を聞け」
「じゃ、また時間できたら寄るわ!」
「おい…」
そうして悠仁はあっという間に事務所を出て行った。
取り残された日車はぽかんとした表情のまま出口を見つめる。
――相談は?
誰もいない空間。
日車は久しぶりに静寂の虚しさを感じた。
――それから悠仁は本当に、合間を見つけて日車に会いに来るようになった。
少し雑談をして、ハグをして、終わったら帰る。
もう来るなと何度言っても無駄だった。
「君のような最高戦力がこう何度も時間を無駄にして俺の所に通うのは全くもって合理性に欠ける」
「日車こそ最高戦力のうちの一人じゃん。ってことは、日車が元気ないと皆も困るだろ。なら俺の行動にも意味がある」
酷い論法に頭を抱える。
だが内心では喜びに浮足立っている。
精神面でも、この療法で回復していることは明らかだった。
不起訴になってから、術師として言われるがまま働く日々。
別にこの身がいくら都合よく使われようが構わない、とどこか自暴自棄になっていた部分があったのは否めない。
だって自分は生き残ってしまったのだから。
だが今は、ふとした時に悠仁の声や仕草を思い出すようになって、その度に心の昏さが少しだけ軽くなる。
救われてしまう。否応なしに。
つまり、来るなと諭しても効果が無いのは相手が本気で口にしている訳ではないとバレているからなのだ。
「はい、今日の分」
ぎゅう、と前から抱き着かれ日車は身をすくめた。
何度されても慣れない。
何度でも緊張して心臓が跳ねる。
されるがまま突っ立って、無言の数秒を過ごす。そうして悠仁が満足したら日車から離れる……いつもなら。
「ねー日車」
「…なんだ」
「俺のストレスも減らしてよ」
「何?」
理解できず聞き返す。何かストレスの溜まる問題でも起こったのだろうか。
だが返事は予想外のものだった。
「――俺のこともハグしてよ」
「…!?」
「俺ばっかりでずるくね?」
「いや…これは君が勝手に…」
勝手に、なんなのだ。その続きは口にできなかった。
勝手にストレス軽減の名目でハグをし続けている―― それを本気で拒否しない俺は何なんだ?
自分の身勝手さにまた自分を軽蔑し、黙っている間に悠仁はぐりぐりと人懐っこく額をこすり付けてきた。
「ひーぐーるーまー」
「おい…」
「早く」
急かされて、思わず腕が上がり抱擁の姿勢になる。
だがその先に進めない。
悠仁の体から数センチ間を空けた状態で日車は固まってしまった。
「日車?」
顔を上げた悠仁から目を逸らす。
「日車がハグしてくれるまで、俺離さないよ」
それは困る。このなんとも奇妙な体勢でいつまでもいるわけにはいかない。
だがいいのか?いやいいはずがない。
葛藤。
膠着。
逡巡。
カチ、カチ、とアナログ時計の針の音が聞こえる。
ああ、と日車は思う。
この少年は本当に俺を離してはくれないのだ。
ならばこの場だけでも、一時だけでも。
…ほだされてしまっても。
ふわ、とぎこちなく悠仁を抱きしめる腕。
悠仁は一瞬目を見開き、嬉しさにますます力を込めて返した。
「ちょっと苦しいぞ…」
「ごめん。へへっ」
「全く…」
君にはかなわないな、と漏れる呟き。
心がどんどん融解していく。させられていく。
こんなのは間違っている。
罰せられるべき人間なのに。
こんなに心地いいのは相応しくない。
なのに、手放せない。離れがたい。
いつまでもこうしていたい。
「ハグってさ、気持ちいいよね」
「…そうだな」
欲が出る。
抱きしめ返すという一線を越えてしまったから、歯止めがきかなくなる。
「…すまない」
そう言って、日車は腕に力を込めた。服が皺になるのも構わず悠仁をかき抱く。
鼻腔に互いの匂いが流れ込んでくる。
体温が溶け合っていく。
「…なんで謝んの」
こんなことは許されないからだ、と内心で答える。
陽だまりのような温もりが心地よければよいほど泣きたくなってくる。
――君の体温を感じれば感じるほど、己が罪人だという事実が突き刺さる。
悠仁のふわふわとした髪を手で梳きながら思う。
手放したくないと。
ずっとこうしていれたらどんなにいいだろう。
…苦しい。
だが今、口にすべきはそんな吐露ではないはずだ。
「虎杖、ありがとう」
「……うん」
お互い、大事に思っている。
わかっていて、日車は応えられない。応えてはいけないと思っている。
ずるい大人を貫く。
自分の人生に対し「自分の幸せ」を除外している二人。
そのくせ、相手には幸せになってほしいと願っている罪人同士の二人。
お互いを捕まえたまま離さないでいることしかできない。
だが、せめて。
いつか君の目を見られるように。
そのくらいの努力は、許されるだろうか。