マツモトキヨシのコンビニ「ベンリー」について
●はじめに
・本記事は、マツモトキヨシがかつて経営していたコンビニ「ベンリー」について書いたものです。
・本記事は、筆者が個人的な関心と責任によって書いたものです。筆者と本記事は、マツモトキヨシや関連企業を含めたいかなる企業や団体とも関係がありません。
●ベンリーの概要 [1/4]
マツモトキヨシが昭和53年10月から展開していたコンビニ。
薬局・薬店にコンビニの利便性(例えば長時間営業)を加えたものであり、薬局・薬店の延長線上のものとして展開した。
夜間帯の医薬品販売の便利さが認められ、利用者の満足度も高かったが、薬剤師の確保と常駐が高い壁になり、昭和60年代以降は大きく発展させられなかった。
そのことや、中食商材の取り扱いに慣れることができなかったことから、平成8年4月に撤退。
コンビニ事業の経験と投資は、薬粧事業強化に役立てた。
要するに、昭和53年から平成8年まで(実は以降も展開していた)マツモトキヨシが展開していた、薬も売るコンビニ。
平成4年には、CVS事業の売上高は会社全体の約5%とされている(「3年間で10~15店出店」)。
マツモトキヨシがベンリーに業態転換する場合もあれば、ベンリーがマツモトキヨシに業態転換する場合もあった。
単に儲かりそうな異業種であるコンビニ事業に手を出したわけではなく、医薬品を売ることで、他のコンビニと差別化を計っていた。
薬局・薬店の延長線上のものと位置づけられているように、平成2年のマツモトキヨシの組織図では、薬粧事業本部の下にCVS事業部が置かれ、その下に商品課と業務課が、業務課の下に店舗が置かれている(『マツモトキヨシ80年史』p517)。
ただし、当初はコンビニエンス事業部は薬粧事業部やスーパー事業部とは独立のものとされていたため(『マツモトキヨシ80年史』p249)、コンビニエンス事業部が薬粧事業部の下に置かれたのは、ある適度時期が経ってからのことだろう。
この時期のコンビニの出店の背景には、法規制や地元商店街などの反発により、商店街などで大型の総合スーパーの出店が難しくなっていたということもある(『マツモトキヨシ80年史』p248)。
「ベンリー栄町店(松戸市)」(p154、平成6年)によれば、医薬品をドラッグストア並の値段で売っているが、マツモトキヨシのバイイングパワーがあるので薄利ではないという。
一方で、「新店で新SIの確立へ実験」(平成8年)では、従来はCVS価格で販売していた医薬品を、江戸川台店ではマツモトキヨシの薬局チェーンと同じ価格帯で売るとしている。
そのため、必ずしもドラッグストアと同等の価格で薬を売っていたわけではないようである。
また、ドラッグストアと異なり特売は行わないが、定番価格を下げる努力を続けてきたという(「100店未満CVSチェーン」)。
一方で、この記事に特売を行うことを検討していると書かれているように、セールを行うこともあった。
平成4年に開店した根戸店では開店セールを行い(「競合激化で差別化策」)、平成5年には、平均5, 6アイテムを二割引きで売ることで、ついで買いや衝動買いを誘い、今後は弁当などの日配品も対象とするとしている(「競合対策で割引き」)。
営業時間は、基本的に24時間営業ではなかった。
原則として7~24時の17時間で14店中4店だけ24時間体制をとっている(「ベンリー(松戸)」p100-101、平成2年)、16店中6店が24時間営業(「ベンリー栄町店(松戸市)」p155、平成6年)という情報がある。
90年代には午前1時まで営業する店舗も登場しており、平成4年に開店した柏根戸店(「競合激化で差別化策」)や、平成5年に移転オープンした北松戸店(「競合対策で割引き」)が挙げられる。
・出店数と出店エリアについて
出店場所は住宅地の大通り沿いが多く、比較的駅に近い店舗でも、駅から数百メートル離れていた。
ただし、増尾駅前店と谷津店は駅の目の前に出店していた。
店舗数は、最終的に計24店舗出店している。
同時に存在した店舗の数は14店前後で推移していたが、平成4年(「100店未満CVSチェーン」)から平成6年までは17店舗あり、この時期の店舗数が最も多い。
短期で閉店した店舗もいくつかあるが、最初の2年間に出店した12店舗のうち、7店は90年代後半まで営業していた。
マツモトキヨシはこの店舗数を少ないと見ていたようで、平成4年には、松戸市を中心とした30km圏での店舗展開と、25~30店体制を達成する3ヶ年計画を出している(「100店未満CVSチェーン」)。
新松戸にあるマツモトキヨシの本社から30km付近の主要な街には、北から時計回りに、つくば、牛久、佐倉、千葉、品川、下北沢、中野、和光、大宮などがある他、この範囲には山手線が完全に入る。
その範囲に出店しようというのだから大したものである。
なお、展開を30km圏に限定することでドミナント化を推進する意図もあったという(「100店未満CVSチェーン」)。
平成4年から平成6年までは1店も撤退せず、最も高い店舗数を維持していたのは、この目標の影響だろう。
しかし、実際に出店していたのは、マツモトキヨシの本社がある松戸市周辺であり、24店舗中17店舗が松戸市と柏市にあった。
また、武里店以外の23店舗はいずれも千葉県にあり、そのうち20店舗(小金原八丁目店と鎌ケ谷店を含む)が常磐線・成田線と東武野田線の沿線にあった。
これは、ローカルに徹するというマツモトキヨシのポリシー(『売り上げ日本一・マツモトキヨシの秘密』p105-107)によるものだろう。
ただし、店舗数の拡大や松戸から30km圏での出店を目標としていたことから、出店範囲が狭いのは本意ではなかったと思われる。
また、松戸市と柏市を中心としていたベンリーと異なり、ドラッグストアのマツモトキヨシの他、スーパーやホームセンターも千葉市方面や、千葉県以外の県、都内に盛んに出店していた。
そのため、30km圏での出店という目標は壮大すぎるわけではなく、マツモトキヨシに近い業態の店舗と考えると、25~30店舗という目標も多すぎるわけではない。
むしろ、他の業態に合わせるものであり、妥当な目標であったといえよう。
・ロゴについて
赤地に、それぞれ白・青・白の3羽の鳥が横に並んでいる(例えば次のサイト。他にも「ベンリー コンビニ」などで検索すると出てくる)。
このロゴは3羽のハトで、昭和54年頃から使われている(『マツモキヨシ80年史』p578)。
なお、このロゴは松本のローマ字mとaaaを形にしたものだという(『マツモトキヨシだけがなぜモテる』p25)。
ドラッグストアやスーパーのマツモトキヨシでも、同じロゴが使われており、ホームセンターのマツモトキヨシでも、白黒だが同じようなロゴが使われていた。
それらが同じまたは類似のロゴを使っていたのは、鳥のロゴによってマツモトキヨシの関係店舗だと示すためだろう。
マツモトキヨシホールディングス(平成19年設立)でも、ベンリーのものとは異なるが、3羽の鳥のロゴが使われている。
これは誠聴・整調・成長を意味する3つのせいちょう(成鳥)を意味している(『マツモトキヨシ80年史』p580)。
『マツモトキヨシ80年史』の1ページには、ハトのロゴと成鳥のロゴが並べて載せられているが、モチーフと数が同じであることも合わせて考えると、両者の関係を示唆している可能性がある。
ただし、マツキヨココカラ&カンパニー(令和3年設立)のサイトによれば、同社のロゴは、鳥ではなく、&のマークをモチーフにしている。
・外観と名前について
店舗の外観は、ロゴと同様に青と白と赤を基調としていた。
ただし、平成8年2月にオープンした江戸川台店では、ファサード看板やポールサインに黄色を加えるなどしている(「新店で新SIの確立へ実験」)。
ベンリーの店舗の写真は多くが赤と青と白の三色だが、黄色が加わっている店舗の写真がたまに見られるのは、その影響だろう。
色使いに黄色が加えられた店舗は青と黄色が隣り合っており、この組み合わせはマツモトキヨシのシンボルカラーと同じである。
コンビニエンス事業に進出することと、店名をベンリーとすることを決定したのは、出店と同じ昭和53年のそれぞれ6月と7月である(『マツモトキヨシ80年史』p637)。
一方で、マツモトキヨシ創業者の松本清氏は昭和48年に逝去しているため、氏はこの名称の決定に関わっていないと考えられる。
・『マツモトキヨシ80年史』の「店舗一覧」の「マツモトキヨシ」の分類(p581-586)に載っているベンリーの一覧
新松戸店(S53/10-S63/10)――松戸市
手賀沼店(S54/4-H8/2、マツモトキヨシへ業態転換)――我孫子市
柏東店(S54/5-H8/3、マツモトキヨシへ業態転換)――柏市
★馬橋西口店(S54/8-H14/1)――千葉県松戸市
明原店1(S54/8-S63/10)――柏市
★栄町店(S54/9-H11/3)――松戸市
★南柏店(S54/9-H14/4、ファミリーマートへ業態転換)――柏市
五香西口店(S54/9-S60/9)――松戸市
湖北台店(S54/10-S63/6)――我孫子市
北松戸店1(S54/11-H7/11)→★北松戸店2(H5/7-H20/8)――松戸市
★旭町店(S54/11-H8/10)――柏市
六実店(S54/12-S56/8)――松戸市
行徳店(S55/2-S55/6)――市川市
小金店(S55/4-H8/1)――松戸市
★増尾駅前店(S59/7-H10/8)――柏市
柏千代田店(S59/10-H7/11)――柏市
★小金原八丁目店(S60/7-H14/1、ファミリーマートへ業態転換)――松戸市
★桜台店(S44/5-S61/11 , H11/4-H14/3)――柏市
谷津駅前店(S63/8-H7/3)――習志野市
★鎌ケ谷店(S63/10-H16/3、マツモトキヨシから業態転換)――鎌ヶ谷市
★明原店2(H2/3-不明)――柏市
★武里店(H3/5-H12/9)――春日部市
柏根戸店(H4/11-H7/3)――柏市
★江戸川台店(H8/2-H20/6)――流山市
店舗名についた数字は出典元にはなく、区別のために追加した。
括弧内の数字は開店した年と閉店した年。
★は平成8年4月のコンビニ事業撤退以降も、ベンリーとして営業していた店。
店舗の並びは出典通りではなく、開店が早い順になっている。
閉店と開店および店番号の変更は、日付が重複または連続しているものを省略している。
・『マツモトキヨシ80年史』の「店舗一覧」のデータの補完
北松戸店1と北松戸店2は所在地が異なるが、平成5年に移転している(「競合対策で割引き」)。
そのため、北松戸店1と北松戸店2は別の店舗ではなく、平成5年に移転した同一の店舗だろう(店舗数を数える時に紛らわしいので、上の一覧に反映している)。
業態転換ではないが、北松戸店1の跡地には平成6年に調剤薬局北松戸店が出店している(『マツモトキヨシ80年史』p587)。
明原店2は開店の時期が明原店1の閉店と近いため、明原店1が明原店2に移転したようにも見える。
しかし、近くにはマツモトキヨシ明原店もあった。
この店はベンリー明原店2の開店の一週間前に閉店しており、所在地も道路を挟んで隣り合っている。
また、マツモトキヨシ明原店は昭和54年にFCに移行しており(『マツモトキヨシ80年史』p581)、明原店2が旧FCだという情報(『マツモトキヨシ80年史』p585)と一致する。
そのため、明原店2は明原店1が移転したものではなく、マツモトキヨシ明原店が移転した、明原店1とは別の店舗だろう。
また、明原店2は、平成22年2月に閉店との情報が次のサイトにある。
桜台店は、昭和62年に薬粧の店舗から業態転換して出店した(『マツモトキヨシ80年史』p250)。
昭和53年以前にコンビニ事業部はなかったため、『マツモトキヨシ80年史』(p581)にある昭和44年から昭和61年という数字は、薬粧の店舗のものだろう(店舗の出店順を見る時に紛らわしいので、上の一覧に反映している)。
江戸川台店は、平成21年11月5日にマツモトキヨシ江戸川台西店に業態転換して開店している(『コンビニストア名鑑 2011』p346)。
これらの情報を踏まえると、マツモトキヨシから業態転換した店は3店舗、マツモトキヨシへ業態転換した店は北松戸店1を除いて3店舗である。
・店舗数の推移
昭和53年:1店(1:0/1) 昭和54年:12店(11:0/12)
昭和55年:13店(2:1/14) 昭和56年:12店(0:1/14)
昭和57年:12店(0:0/14) 昭和58年:12店(0:0/14)
昭和59年:14店(2:0/16) 昭和60年:14店(1:1/17)
昭和61年:14店(0:0/14) 昭和62年:15店(1:0/18)
昭和63年:14店(2:3/20) 平成元年:14店(0:0/20)
平成2年:15店(1:0/21) 平成3年:16店(1:0/22)
平成4年:17店(1:0/23) 平成5年:17店(0:0/23)
平成6年:17店(0:0/23) 平成7年:14店(0:3/23)
平成8年:11店(1:4/24) 平成9年:11店(0:0)
平成10年:10店(0:1) 平成11年:9店(0:1)
平成12年:8店(0:1) 平成13年:8店(0:0)
平成14年:4店(0:4) 平成15年:4店(0:0)
平成16年:3店(0:1) 平成17年:3店(0:0)
平成18年:3店(0:0) 平成19年:3店(0:0)
平成20年:1店(0:2) 平成21年:1店(0:0)
平成22年:0店(0:1)
『マツモトキヨシ80年史』の「店舗一覧」を元に数えた。
()内の数字は開店数と閉店数、合計出店数(合計出店数は平成9年以降は増加しないので省略)。
・市町村と最寄り駅ごとの店舗数
松戸市:8店舗 柏市:9店舗
我孫子市:2店舗 市川市:1店舗
鎌ヶ谷市:1店舗 習志野市:1店舗
春日部市:1店舗 流山市:1店舗
新松戸駅:1店舗 南柏駅:1店舗
北松戸駅:2店舗 柏駅:6店舗
馬橋駅:1店舗 我孫子駅:1店舗
湖北駅:1店舗 五香駅:1店舗
六実駅:1店舗 行徳駅:1店舗
北小金駅:1店舗 増尾駅:1店舗
常盤平駅:1店舗 鎌ケ谷駅:1店舗
谷津駅:1店舗 一ノ割駅:1店舗
北柏駅:1店舗 江戸川台駅:1店舗
『マツモトキヨシ80年史』の「店舗一覧」を元に数えた。
最寄り駅は距離で分類したため、交通の便や、近い駅が複数あるなどの理由で、実際に使われている駅とは異なる場合がある。
該当する可能性があるのは、小金原八丁目店(常盤平駅・新八柱駅・北小金駅・新松戸駅)、鎌ケ谷店(鎌ケ谷駅・初富駅・鎌ケ谷駅)、武里店(一ノ割駅・武里駅)。
24店舗のうち、14店舗(直通する成田線の湖北駅や、小金原八丁目店を北小金駅扱いで入れると16店舗)が常磐線の駅が最寄りで、これが最も多い。
また、次点で10店舗が東武野田線の駅が最寄りである(常磐線と重複する柏駅の6店舗も含む)。
路線単位では、この2路線の沿線が中心的な出店地域になっていたといえよう。
コンビニ事業撤退後も、柏駅付近の店は6店舗中3店舗が、北松戸駅付近の店は2店全てが営業しており、1店舗だけ出店した駅も合わせると、18駅中9駅でベンリーが営業していた。
全体としては、24店舗中12店舗がコンビニ事業撤退後も営業しており、コンビニ事業撤退前にマツモトキヨシに転換した2店舗を合わせると14店舗となる。
フランチャイズのモスバーガーが事業撤退後にいずれも残っていた(後述)こともあり、立地選びは悪くなかったといえよう。
誤差ではあるが、柏市の方が松戸市より店舗数が多く、柏駅周辺には6店舗出しているものの、松戸駅周辺には店舗を出していない。
本社が松戸市にあることから、武蔵野線や新京成線の沿線にもっと出店していてもよさそうだが、実際には常磐線と東武野田線という、いずれも柏駅を通る路線の沿線に多く出店している。
松本清が松戸の政治家として名前を残した一方で、ベンリーは(マツモトキヨシも?)柏を商売の中心としていたようである。
●コンビニ事業からの撤退について [2/4]
平成8年にマツモトキヨシはコンビニ事業から撤退したが、マツモトキヨシはコンビニ事業に未練があったわけではないようである。
ドラッグ部門をコンビニ化すればいいという理由(『マツモトキヨシ101の戦略』p127)や、儲からない事業からはすぐに撤退するという方針(『マツモトキヨシ101の戦略』p147-149)によって、いさぎよく撤退している。
ただし、出店数が伸び悩んでいるにも関わらず、昭和63年には撤収しない方針を定めており(「ベンリー(松戸)」p99)、コンビニ事業撤退後もベンリーとして残っていた店舗があった。
また、00年代にはフランチャイズでファミリーマートも経営していたようである(後述)。
コンビニ事業が撤退した90年代後半頃には、マツモトキヨシの成功を扱った本がいくつか出ている(※1)。
これらの本は主にドラッグストアとしてのマツモトキヨシを扱ったものであり、ベンリーについては、マツモトキヨシの事業の一つや成功しなかった事業として、簡単に触れるにとどまっている。
しかし、『マツモトキヨシ80年史』では、ベンリーについて独自の項目を設け、撤退したことを除いて肯定的に触れている。
※1
例えば、次のような本があった。
松本かづな(1998)『私がマツモトキヨシです。』,サンマーク出版.
三浦あかね(1998)『売上日本一・マツモトキヨシの秘密』,エール出版社.
松本かづな(1999)『マツモトキヨシ101の戦略』,ネスコ.
三浦あかね(1999)『マツモトキヨシだけがなぜモテる』,エール出版社.
この他、企業としてのマツモトキヨシに焦点を当てたものではないが、樹林ゆう子『マツモトキヨシ伝 すぐやる課をつくった男』(小学館,1996.)や、松本かづな『マツモトキヨシの世直しソリューション!』(中経出版,2000.)が出ている。
・コンビニ事業からの撤退後のベンリー
前述の90年代後半頃に出された本では、コンビニ事業からの撤退によって、コンビニの店舗もなくなったと取れる記述も、店舗は存在すると取れる記述もあり、店舗の扱いについては判然としない。
また、『マツモトキヨシ80年史』(p295)には、「事業撤退によりベンリーとして営業していた12店舗を薬粧事業に吸収した。」とあり、ベンリーをドラッグストアに転換したとも、異なる事業に吸収しつつ店舗は残したとも取れる。
いずれにせよ店舗は残っており、コンビニ事業から撤退した後のベンリーは、薬粧部門が運営しつつ、「ベンリー」の名前とコンビニとしての性格を残したものと思われる。
同様の事例として、平成30年3月にホームセンター事業から撤退した(『ドラッグストア名鑑 2022』p146)後の練馬春日町店が挙げられる。
この店は元々ホームセンターマツモトキヨシだったが、Googleマップのレビューによると、ドラッグストアへの業態転換後も、規模を縮小しつつホームセンターと同様の商品を売っているようである。
『ドラッグストア名鑑 2007』にベンリーとして載っている店のうち、明原店と江戸川台店はFC(フランチャイズ)だが、北松戸店はそうではない(恐らく直営店)。
そのため、マツモトキヨシがコンビニ事業から撤退した後も、FCの店舗のみがベンリーとして残り、独自に営業していたというわけではない。
平成16年に、ベンリー北松戸店を紹介する記事が書かれており、この記事の写真では、かつては「ベンリー」の看板がついていた出入り口の上に、「マツモトキヨシ」の看板がついている。
平成21年の柏市の『ゼンリン住宅地図』(114)では、明原店が「1Fマツモトキヨシベンリー明原店」として記載されている。
そのため、コンビニ部門の撤退後のベンリーは、「マツモトキヨシ ベンリー」の名前で営業していた可能性がある。
●ベンリーが商業的に成功しなかった理由 [3/4]
・薬剤師の確保と薬の販売について
ベンリーが成功しなかった理由として、『マツモトキヨシだけがなぜモテる』(p23)は、長時間営業に対応する薬剤師の確保が難しかったことと、思ったほど薬が売れなかったことを挙げている。
『マツモトキヨシ80年史』(p295)は、薬剤師の確保の問題に加えて、中食商材の取り扱いに慣れることができなかったことを挙げている。
また、『売上日本一・マツモトキヨシの秘密』(p149)は、コンビニ事業からの撤退の理由として、コンビニ業界の競合が激しくなったことを挙げている。
最後のものは外在的な理由だが、その背景にコンビニ事業がなくなってもドラッグストアをやればいいということがあったろうから、コンビニ以外に本領があったマツモトキヨシ特有の撤退理由といえるだろう。
薬があまり売れなかったのは確かなようで、「ベンリー栄町店(松戸市)」(p154)では、あくまで栄町店の事例だが、売場を広く取っている割に、医薬品の売り上げの比率が低いことが指摘されている。
また、当時の記事を見る限り、薬の売り上げは10%~15%程度だったようだが、平成4年には売り上げ構成比を20%に高め売り上げを高めることを目標としている(「100店未満CVSチェーン」)。
薬剤師の確保の問題は慢性的に存在していたようである。
出店直後の昭和54年の「日本で伸びるコンビニエンスストア」や、撤退直前の平成8年の「新店で新SIの確立へ実験」などで、薬剤師がおらず薬を売っていない時間帯があることが指摘されている。
コンビニで薬剤師を働かせることについても、「ベンリー栄町店(松戸市)」(p153)で、薬剤師の給料がパートより高いことや、薬剤師に薬の販売以外のコンビニの仕事ができるのかという問題が指摘されている。
薬剤師の確保や人件費の問題については、他の記事でもたびたび指摘されている。
・品揃えについて1
当時の記事を見ると、ベンリーの売場面積はだいたい40~50坪程度だったようである。
この面積が他のコンビニと同じくらいだったとすれば、薬を置く分だけ他の商品を置けなくなり、品揃えで遅れを取っていた可能性がある。
しかし、品揃えに不足はないと評価や(「ベンリー栄町店(松戸市)」p153)、標準CVSより品揃えの多い約4000アイテムを売っているという情報がある(「100店未満CVSチェーン」)。
また、柏東店は、54坪の売り場面積を広すぎると見て、44坪に縮小しているため(「CVS本格展開」)、売場の広さが足りなかったということもなさそうである。
薬はドラッグストアの約半分の品揃えだが、これは150店の販売データのフル活用によって実現している(「100店未満CVSチェーン」)ため、品揃えの問題はあまりなかったと考えられる。
むしろ、すでに述べたように、薬は売れなくて困ったという。
そのため、品揃えの少なさは、ベンリーが成功しなかった原因ではないようである。
・品揃えについて2
一方で、酒やタバコを売っていなかったことはマイナスになった可能性がある。
ベンリーでは酒を売っていなかったようで、ベンリー南柏店では酒やタバコを売っていない(平成2年の「ベンリー(松戸)」p102)、ベンリーの酒あり店はゼロ(平成6年の「ベンリー栄町店(松戸市)」p154)という情報がある。
タバコは全ての店で売っていなかったかは不明だが、南柏店の他、栄町店の売場レイアウト(平成6年の「ベンリー栄町店(松戸市)」p153)や、桜台店の売場レイアウト(『マツモトキヨシ80年史』p250。「コンビニエンスストア新聞」昭和63年1月15日からの孫引き)にタバコは記載されていない。
コンビニが酒やタバコを扱うことは、売り上げの大きな増加に繋がり、逆に扱わないと売り上げが大きく減少するようである。
阿部幸男氏によれば、酒・タバコは目的買い商品の最たるものであるとともに、衝動買いを誘発する商品でもあり、夜間、若い男性客が多く購入する傾向があるため、これらぬきのCVSは角落ち、四目ぐらいの差がありそうだという(『単独店コンビニエンス成功戦略』p26-27)。
また、川辺信雄氏によれば、酒類の集客効果は大きく、売上げも平均して二割上がるといわれており、セブン-イレブンが一日一店あたりの売上高でトップを保っているのは、酒扱い店舗の比率が他の企業より高いことも要因といわれているという(『新版 セブン-イレブンの経営史』p186-187)。
ベンリーの撤退には、単に薬を売るタイプのコンビニが成功しなかっただけではなく、酒を売るタイプのコンビニが生き残ったという側面もあるだろう。
ベンリーの場合、酒やタバコを扱わないことで、酒やタバコ以外のものも含めた目的買いと衝動買いの分の利益がなくなっていただろう。
ベンリーの特徴であった薬はそれほど売れなかったようなので、酒やタバコの代わりになるほど、薬が目的買いや衝動買いを促す役割を果たしたわけでもなさそうである。
なお、当時のマツモトキヨシやベンリーが酒やタバコを売らない方針だったという情報は確認できていない。
そのため、ベンリーで酒やタバコを売らなかったのは、薬を置くことで他の商品を置くスペースが減ったことや、販売免許がないことが理由だろう(酒の販売免許が自由化されたのは平成15年)(※2)。
コンビニ店舗のリソースとなる酒店が他の企業に取られたということもあるだろうが、これは単に他の企業の店舗の方が魅力的だったのかも知れないが、ベンリー特有の問題もあった。
70年代に開店したばかりのセブン-イレブンは、酒を売らない店の売り上げが不調だったのに対し、酒を売る店が売り上げを急上昇させたため、酒販店の獲得に舵を切っている(『コンビニチェーン進化史』p45-47)。
酒店がコンビニに業態転換すれば、たいていの場合その酒店のオーナーがコンビニのオーナーに移行する。
しかし、ベンリーの場合、オーナーが薬剤師免許を持っていなければ別に薬剤師を雇わなければならず(「100店未満CVSチェーン」)、このことは酒店がベンリーに転換する妨げになったと思われる。
ただし、当時の記事でも、薬局部門の存在が出店規模の拡大を妨げる要因とされてはいるが、あくまで問題なのは薬剤師の確保と人件費であり、既存店舗を取り込む障壁とはされていない。
また、ベンリーがマツモトキヨシ以外の既存店舗を転換して出店した例も確認できていない(別のコンビニが閉店したところに出店した例はある)。
これは、薬剤師免許がなければ薬を売れないためと思われるが、そもそも既存店舗を取り込む方針を取っていなかった可能性もある。
しかし、それはそれで他のコンビニとの競争に優位にならなかった要因ではあるだろう。
なお、薬局部門のない店舗があったとする平成4年の記事があるが(「100店未満CVSチェーン」)、どの店舗が該当するのかは不明。
平成2年の記事では、チェーン規模拡大策として検討するとされているので(「CVS本格展開」)、実際には行われなかった可能性がある。
※2
酒類販売免許の規制緩和は平成10年から段階的に行われてきたが、マツモトキヨシのコンビニ事業撤退後のことであるため、ベンリーには有利にならなかっただろう。
酒類販売免許の規制緩和の過程は、次のサイトの情報を参照している。
・その他
基本的に24時間営業ではなかったことも、当時の大手コンビニと異なっている。
しかし、立地やオーナーの希望によって24時間営業を薦めるかどうかを決めていたことや(「ベンリー(松戸)」p101)、駅から離れた住宅地への出店が多かったこともあり、24時間営業ではない店が深夜に営業しても、あまりお客は来なかっただろう。
そのため、24時間営業でなかったことが大きくマイナスになったわけではなさそうである。
この他、当時のCVS事業部次長の斎藤登美夫氏は、販売のシステム化やファストフードの取り組みなどを現況の問題点として挙げており(「ベンリー(松戸)」p99-100)、これらも成功しなかった要因の可能性がある。
要するに、ベンリーが商業的に成功しなかった理由は、夜間に薬を購入する需要はあったが、採算が取れるほどではなく、他のコンビニより優位になるほどでもなかったことにある。
また、酒やタバコを売っていなかったことのような、薬の販売とは直接関わらないことも原因となった可能性がある。
・ドラッグストアとの比較
ベンリーが薬局・薬店の延長線上のものであることや、薬があまり売れなかったことから、コンビニではなくドラッグストアとの比較も必要と考えられる。
しかし、こちらはデータがあまり手に入っていない。
マツモトキヨシの副社長(当時)である松本南海雄氏は、コンビニは薬に割ける売り場が限られていることや、医薬品の販売量もさほどのものにならないこと、コンビニは価格を安くできないことを挙げ、ドラッグストアがコンビニと直接競争する部分は少ないとしている(『マツモトキヨシだけがなぜモテる』p22-24)。
これはあくまでマツモトキヨシを含めたドラッグストアとコンビニの比較だが、ベンリーにも当てはまるところがあったのではないだろうか。
薬剤師を長時間滞在させるのにコストが多くかかることは、コンビニではないドラッグストアに遅れを取った理由の一つと考えられる。
また、ドラッグストアではないが、平成5年には、6月度の既存店ベース売上げ高率が前年割れした理由として、ディスカウントストアの低価格販売の影響が挙げられている(「競合対策で割引き」)。
マツモトキヨシとのバッティングもあったため、そちらを競争相手として見た比較も必要だろう。
例えば、ベンリー南柏店は、平成元年にスーパーのマツモトキヨシ東口店が隣にオープンしたため、その年度の売上高がマイナスになっている(「ベンリー(松戸)」p102)。
ドミナント戦略の弊害といえそうだが、ドラッグストアの出店地区にベンリーを出店する方針には、配送効率を高めるという理由もあったため(「100店未満CVSチェーン」)、この方針は単にバッティングのみをもたらしたわけではない。
●モスバーガーやファミリーマートとの関係 [4/4]
・モスバーガーについて1
昭和62年に、コンビニとの集客の相乗効果を見込んでモスバーガーをフランチャイズ出店した。
外食産業のやり方に慣れることができなかったことや、コンビニと同じ客層を取り込む見込みが外れたことなどから、平成4年に撤退した。
モスバーガーは、新松戸店(S62/2/28-)、小金店(S63/3/5-)、南柏店(H元/6/16-)の三店を出店しており、H4/9/30に一斉に閉店している(『マツモトキヨシ80年史』p294-295, 585)。
この他、平成2年には、柏東店がモスバーガーを出店するために改装している(「CVS本格展開」)。
しかし、平成3年に発行された柏市の『ゼンリン住宅地図』(130, 131)には「コンビニエンスベンリー柏東口店」とあるが、モスバーガーの記載はない。
『マツモトキヨシ80年史』にも柏東店の情報はないため、実際には出店されなかったようである。
なお、マツモトキヨシやベンリーと同様に、これらのモスバーガーにも店番号が振られている。
ただし、あくまでフランチャイズ契約であり、モスバーガー(株式会社モスフードサービス)自体はマツモトキヨシのグループ企業ではない。
南柏店は平成15年の『ゼンリン住宅地図』(151)までモスバーガーとベンリーが記載されている(恐らく平成14年のデータ)。
ベンリーが先に撤退した店舗でも、新松戸店は平成9年までモスバーガーが残っており(平成9年の『ゼンリン住宅地図』28)、小金店は平成16年まで残っている(平成16年の『ゼンリン住宅地図』22)。
そのため、店舗としては必ずしも儲からなかったわけではないと考えられる。
・モスバーガーについて2
平成2年にはファストフード部門が他チェーンと比較して弱いことが課題とされているが(「ベンリー(松戸)」p100)、モスバーガーの出店には、それを補完する機能も期待されていたのかも知れない。
ただし、ここでいうファストフードは、弁当やアイスのようなすぐに食べられるものを意味する(コンビニ経営の文脈で使われる場合は、大抵そうである)。
そのため、ここでのファストフードという語は、必ずしもモスバーガーが販売する商品とイコールではなく、モスバーガーはファストフードの一部という位置づけになるだろう。
従来のコンビニのメインの顧客層は学生や2, 30代の独身男性であったが、80年代初頭には、ミニストップがコンビニとファストフードのコンボストアとして展開し、子供連れの主婦にも客層を拡大している(『コンビニチェーン進化史』p65)。
ベンリー+モスバーガーを一つの店として見るなら、この形態はミニストップに近いため、同様にお客を集めやすくなるように思われる。
しかし、平成2年にモスバーガーを併設するために改装した柏東店は、売り上げを20%上げたものの、当時のコンビニエンス事業部部長の斎藤登美夫氏は、ハンバーガーショップを併設しても相乗効果はあまり期待できず、売場の効率活用とプラス収入が併設の効果だと述べている(「CVS本格展開」)。
実際には、柏東店の隣にモスバーガーは出店しなかったようであるため、売り上げが上がった理由は、売場の効率化にあり、モスバーガーにあるわけではない。
・ファミリーマートについて
ベンリー南柏店の跡地にはファミリーマート南柏東口店(H14-H19)が、小金原八丁目店の跡地にはファミリーマート小金原八丁目店(H14-H19)が出店している(『マツモトキヨシ80年史』p591, 595)。
また、ベンリーやマツモトキヨシの跡地ではないが、ファミリーマート上本郷店(H15-H21)も出店している(『マツモトキヨシ80年史』p596)。
これらの店は『マツモトキヨシ80年史』の「店舗一覧」に記載され、店番号も振られているため、モスバーガーと同様にフランチャイズ出店だったと思われる。
また、恐らく改装のために閉店から開店まで一ヶ月または数ヶ月の期間があいているものの、『マツモトキヨシ80年史』は、ベンリーとファミリーマート(南柏店と小金原八丁目店)を連続したものとして扱っている。
コンビニ経営をする意志はこの時点でもあったといえよう。
平成21年には、コンビニの利便性を取り入れてドラッグストアの利便性を高めるために、ローソンと業務提携しているが(『マツモトキヨシ80年史』p358, 409)、ファミリーマートのフランチャイズはこの布石であった可能性がある。
しかし、フランチャイズとはいえマツモトキヨシが経営していたファミリーマートに対し、ローソンとの関係はあくまで業務提携となっている。
かつてのベンリーのようにマツモトキヨシHD単独でドラッグストア+コンビニエンスストアの業態開発を行わず、コンビニエンスストア大手と組んだのは、ベンリーの撤退から時間が経過しており、その方が効率的がよいためだという(『マツモトキヨシ80年史』p409)。
●参考資料
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阿部幸男(1986)『単独店コンビニエンス成功戦略 ローカルチェーンへの道』,ビジネス社.
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無記名(1990)「CVS本格展開 マツモトキヨシ 10月スタートへ」,『日本食糧新聞』1990年8月3日(3),日本食糧新聞社.(縮刷版)
無記名(1990)『ゼンリン住宅地図 千葉県柏市』,ゼンリン.
無記名(1991)『ゼンリン住宅地図 千葉県柏市』,ゼンリン.
無記名(1992)「3年間で10~15店出店 マツモトキヨシ・ベンリー 積極的にFC展開も」,『日本食糧新聞』1992年12月4日(4),日本食糧新聞社.(縮刷版)
無記名(1992)「100店未満CVSチェーン生き残りへ勝負5 ベンリー」,『日本食糧新聞』1992年12月16日(5),日本食糧新聞社.(縮刷版)
無記名(1993)「競合対策で割引き ベンリー ついで買い誘う」,『日本食糧新聞』1993年7月12日(4),日本食糧新聞社.(縮刷版)
阿部幸男(1994)「SM『マツモトキヨシ』が展開するドラッグ併設型最新パターン ベンリー栄町店(松戸市)」,『食品商業』第23巻第6号,商業界.
エム・アール・シー/調査・編集(1995)『ゼンリン住宅地図 千葉県松戸市北部』,ゼンリン.
無記名(1996)「新店で新SIの確立へ実験 マツモトキヨシのCVS『ベンリー』 薬局の持つ強み、明確化へ」,『日本食糧新聞』1996年2月26日(5),日本食糧新聞社.(縮刷版)
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川辺信雄(2003, 1994)『新版 セブン-イレブンの経営史』,有斐閣.
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マツキヨのコンビニ「ベンリー」はとっても便利 (2004年9月15日) - エキサイトニュース (2024/02/17/17:07 最終閲覧)
https://www.excite.co.jp/news/article/00091095042993/
私たちについて | マツキヨココカラ&カンパニー (2024/02/17/17:52 最終閲覧)
https://www.matsukiyococokara.com/pages/about/
得々経営情報 (2024/3/1/6:37 最終閲覧)
https://www.tabisland.ne.jp/news/news2.nsf/ByDateEnter/729589FBCC7A05C749256DB3002E0C79
豊四季台周辺ブログ: ベンリー明原店閉店 (2024/3/1/7:17 最終閲覧)
https://toyoshikidai.blogspot.com/2010/02/blog-post_7837.html


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