高市早苗は「法律を書いていた」と言った
その2 35年間で変わり続けた肩書き
一つの経歴が、35年間で何度も書き換えられてきた。
1989年、高市早苗氏の最初の著書『アズ・ア・タックスペイヤー』が出版された。表紙の著者名には「元米連邦議会立法調査官 高市早苗」と記された。裏表紙の略歴には「1988年1月より1989年3月までアメリカ連邦議会立法調査官として働く」とある。本文中には「日本人では初の米連邦議会のコングレッショナル・フェロー(立法調査官)として、パットの事務所で働いていました」と説明されている。
1992年、ファッション誌『CLASSY.』のインタビューでも、同じ肩書きが使われた。「米連邦議会立法調査官として1年半勤務」と紹介されている。
1993年の初当選以降も、選挙チラシや選挙公報で「米連邦議会立法調査官」という肩書きが使用され続けた。
2016年、総務大臣在任中に経歴詐称疑惑が初めて大きく取り上げられた。ネット媒体IWJが「初当選した93年以来使用していない」という高市氏側の説明に偽りがあることを、当時の選挙チラシや選挙公報を根拠に指摘した。
2025年9月、自民党総裁選の政策会見で、記者から経歴詐称疑惑を問われた。高市氏はこう答えた。
「私の名誉にかかわります。米国連邦議会のコングレッショナル・フェローであったことは事実でございます。文書もございます」
「立法調査官」という言葉は使わなかった。
現在の首相官邸の公式プロフィールには、こう記載されている。
「米国連邦議会Congressional Fellow(金融、ビジネス)」
「立法調査官」の表記は、どこにもない。
1989年の著書の表紙から、2025年の公式プロフィールまで。
「元米連邦議会立法調査官」から「米国連邦議会Congressional Fellow」へ。
この変遷を、どう理解すればいいのか。
最初は誇張だったが、後に正確な表記に修正した、という見方もできる。あるいは、最初から実態を知りながら、有権者に伝わりやすい肩書きを選び続け、批判が強まるたびに表記を後退させてきた、という見方もできる。
どちらが正しいかを、この記事は断定しない。
しかし一つだけ、動かない事実がある。
35年間、表記は一貫していなかった。
そして、その変遷のタイミングは、いつも疑惑が指摘された直後だった。
次回、その肩書きの実態、つまり高市氏がシュローダー議員の事務所でどのような身分で働いていたのかを検証する。
【補足】
この記事の公開後、Xで以前から拡散している一枚の画像が、改めて注目を集めた。
1993年の衆院選とみられる選挙公報の画像だ。「奈良県 全県区(定数5)」「高市早苗 32 無 新」と記され、経歴欄には「評論家」「TVキャスター」と並んで「立法調査」「米議...」という文字が見える。
この画像の出典は特定できていない。誰が最初に投稿したのか、原本がどこにあるのかは、現時点ではわからない。
しかし、記載内容は公式記録と一致する。高市氏は1993年(平成5年)、第40回衆議院議員総選挙に奈良県全県区(定数5)から無所属で出馬し、得票数トップで初当選した。年齢、選挙区、定数、無所属、新人という、画像に記された情報はすべて、この公式記録と合致する。
もしこの画像が本物の選挙公報であるなら、「立法調査」という表記は、1989年の著書出版とほぼ同時期、つまり政治家としての出発点である最初の選挙から、すでに使われていたことになる。
出発点から、すでにこの表記だった。
そうであるならば、後に「造語」と事務所が認めることになるこの肩書きは、政治家としての経歴そのものの、最初の一行に組み込まれていたということになる。
この画像の真偽については、引き続き検証が必要だ。国立国会図書館などの公式アーカイブでの確認ができれば、この記事を更新する。