【ひろゆき襲撃事件】迷惑系は資本主義の奴隷
ニコニコ超会議において、トークショーに登壇中の西村ひろゆきがKICKという配信サイトで活動する底辺生主(同サイトを永久BANされているとの情報もあり)に異物を投げ付けられるという事件が発生した。
投げられた異物がビニール袋に入ったTシャツであることからも分かるように、ひろゆき個人に危害を加える目的で行われた投擲というよりも、一種の炎上商法にひろゆきが巻き込まれたと考える方が自然だろう。
投擲の実行犯であるアダチーという人物とトークショー中に乱入することを教唆するかつきという人物の会話が動画として残っているので確認してほしい。どちらも一般的に見て有名な人物ではないが、プラカードを持って売名するアダチーの姿が映っていることから、ニコニコ超会議というインターネットの悪ノリから生まれたイベントが、その場所を拠り所とする社会不適合者に利用されたという構図であるのは間違いないだろう。またニコニコ動画及びニコニコ超会議の立ち上げに携わっているひろゆきが、売名に利用されることは、まさに飼い犬に手を嚙まれるようなものである。
私はカオスな場所を社会の片隅に維持するということは重要だと考える。清水を好む魚がいる一方で溝川にしか住むことができない淡水魚もいる。また、当事者のひろゆきも事件を大事にすることを望んでおらず、自身のXにて「ドッチボールで最後まで残るタイプでした」と事件をギャグに昇華する姿勢を見せている。
SNS各種プラットフォーマーたちは、このような自身の売名を捨て身の行動で行う人物に対して、ホワイト化(ステルスBAN)、もしくはプラットフォームからの完全排除(永久BAN)という方法で対処している。しかし、ニコニコ動画というサービスは彼ら彼女らを極限まで受け入れ続けることで、プラットフォーマーと迷惑系配信者のWINーWINの関係を築いてきた。
純粋不謹慎
私は、このような短期的で思想性の薄い迷惑系パーソナリティに対して『純粋不謹慎』という造語を与えた。これの対義語となるのが『思想不謹慎』で、トランプ政権のパーティーで銃を乱射したコールアレンや、演説中にトランプ暗殺を試みたトーマス・マシュー・クルックス、また安倍晋三を射殺した山上徹也、彼らのような人物群である。従来の政治犯との差異は、行動軸が極めて個人的であること。中核派のような極左暴力革命派閥やオウム真理教のようなカルト宗教には、大義として掲げる集団的な大目標がある。しかし、思想不謹慎には、大黒柱となるような確固たる行動理念はなく、実存的不安や怨嗟を陰謀論的に標的や政治結社、もしくは特定の属性(富裕層、外国人など)に結び付けて、復讐を遂行することに特徴がある。
思想不謹慎は、欲望の充足によってある程度は鎮静化できるが、それはマクロの視点から見れば対症療法でしかない。今回の実行犯アダチーの充足を例に考えてみる。彼の歪んだ認知では『彼の闘争は平等を勝ち取るための運動』であるという。ひろゆきは確かに、選ばれた側の人間であるが、寄付や援助活動を定期的に実行しており、強者の義務は果たしている存在と言えるのではないだろうか。彼がひろゆきと同じ立場になるまで戦いを続けるというのであれば、戦争は永久に続くことになるであろう。なぜなら、資本主義において誰かが富裕階級に上昇するとき、相対的に誰かが準富裕階級に格下げされる。万人が潤沢な資産を持つ社会など共産主義の幻想に過ぎないのだから、アダチーの地位向上は第二第三のアダチーを生み、今度は彼自身が他者から狙われる存在となるだろう。そこで強者の義務を果たしているという事実は免罪符にならない。なぜなら、強者は強者という理由だけで恨まれる義務があるという、彼自身が適用したルールに従う必要があるのだから。
みんなが平等の世界に生まれたかったけど
— アダチー (@gTGSqVqdJd0G8U8) April 27, 2026
そうじゃない世界に生まれても
生きてる限りは
平等になる事を諦めない
そんなに恵まれてるなら、少しぐらい迷惑かけたって良いはずだ
俺と痛み分けにしよう
世界を変えるのではなく、社会を変える
我々が生活を送る共同体の在り方として『世界』と『社会』が存在する。
『世界』とは生物学的な空間としての人間集合のことである。世界には法律や秩序は存在せず、基本的に行使できる暴力の優劣で物事が決定される空間である。万人の万人に対する闘争状態が世界である。強いものが強いという神が作った自然の理を変えることは出来ない。一方で社会は与えられた空間ではなく、我々が創造した空間である。ニコニコ動画というサービスは、地上波テレビというスターが活躍するエンターテインメントから、素人の日常をコンテンツ化するという新常識をニッチとして切り出した。社会は分割が可能であり、アダチー自身もその恩恵を多分に受けている。
ひろゆきや加藤純一といった、かつてのアングラ芸人は今では、既得権益化されたメディアで飯を食っている。YouTubeは既にオールドメディアであり、そこでの成功は数字集めの先に存在していない。スポンサーの意向で、広告収益が簡単に停止されるようなプラットフォームで、型破りなコンテンツなど生まれるはずがない。事実、最近は拒食や過食を助長するとして、フィットネス系や大食い系インフルエンサーの収益が停止されるという措置が散見される。多様性というのは資本主義の中には存在せず、お金を追い求めないことからしか、面白いコンテンツは生まれない。ゆえに、純粋不謹慎が無敵の人となって金銭的利益や異性からの羨望などの世俗的な価値を資本主義の土壌で奪い合うことに参加した時点で、彼ら彼女らは、数多の資本主義の負け組の酸っぱい葡萄的行動を金太郎飴のようになぞっているにすぎないのである。
まとめ
私は、今回の事件でアダチーという人物を初めて知った。XのプロフィールにASD/反出生主義/パイプカット済みという文言が並んでいる。これらの属性は以前に自殺した私の友人『Fランぼっちモザイク』に酷似している。彼はプラットフォームのハックを得意として、YouTubeのチャンネル登録者10万人を誇っていたが、就職とともに社会への適合を諦め自殺した。アダチーはまだ戦ってはいるが、何れは自殺するだろう。私には彼らを救うことは出来ないし、モザイクを救うこともできなかった。社会という分割可能な単位を諦めず追及することでしか、彼らのような人間は助からない。その事実に気が付くことを祈るばかりである。


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