醒ヶ井と和菓子 —亀屋良長と水—
和菓子の亀屋良長にお邪魔しました。
四条堀川の交差点近く、四条醒ヶ井通の北東角にある亀屋良長は、今年で創業221年。
本店の敷地には、醒ヶ井〔さめがい〕があります。
この水は亀屋良長の和菓子づくりに欠かせない地下水ですが、誰でも自由に汲めるように開放されています。
醒ヶ井とは
醒ヶ井通の名は、京の三名井とうたわれた佐女牛井〔さめがい〕に由来しています。佐女牛井とは、平安時代には源氏の六条堀川館内にあった井戸のことです。六条堀川館は、源頼義(988-1075)以来、義朝や義経など代々の源氏が住んだ邸でした。
ちなみに佐女牛〔さめうし〕とは、白い牛のことだそう。
室町時代には佐女牛井の近くに村田珠光が茶室を営んで愛用し、将軍・足利義政も、度々その水を使った茶会を訪れたといいます。
しかしその後は兵乱も重なって井戸を顧みる者も絶えていたところ、天正年間、織田信長の弟で茶人として知られた織田有楽斎が再興し、「醒井」の名を与えて茶の湯に用い、愛したそうです(『坊目誌』)。
また、『坊目誌』によれば、醒ヶ井通の七条から北は同じ天正年間につくられたとのこと。それは豊臣秀吉の京都改造に関わる新道の敷設でした。佐女牛井の旧地のそばをとおる、天正年中につくられた通りの名が、「醒ヶ井通」となったのですね。
ですが、元の佐女牛井は、第二次世界大戦の時に行われた堀川通の拡張によって、井戸枠ごと消滅してしまいました。今は堀川六条と五条の間にある佐女牛井町という町名と、醒ヶ井通にその名が残っています。
ちなみに、滋賀の米原にある中山道の宿場町にも醒ヶ井というところがあります。これは、ヤマトタケルが病を治したと伝わる同地の居醒泉〔いさめがい〕にちなむそうです。
さて、亀屋良長の醒ヶ井について。
元は10メートル弱くらい(上から除くと井戸底が見えるくらい)の浅井戸でしたが、1963年に阪急電車の大宮〜河原町間の地下路線が敷設された際に水が出なくなったといいます。
当時は今のようなシールド工法はなく、四条通りは地表から深く開削されました。この時に周辺の浅い水脈が断たれたものと思われます。
致し方なく亀屋良長では、その後30年ほどのあいだ上水道の水を使って和菓子をつくっていました。しかし、“醒ヶ井の亀屋良長”で通ってきた同店です。それに、「亀屋良安」という和菓子の番頭から当店の初代となって、現在地の四条通りを挟んだ南側に最初の店をつくった文平氏も、よい水が出る醒ヶ井通沿いに店を構えたという経緯がありました。
そこで、今から約30年ほど前、亀屋良長では醒ヶ井の復活を試みました。80メートル掘ると、無菌で、かつ安定した湧出量のあるよい水が出てきました。そこでこれを現代の醒ヶ井とすると共に、同店は再び京都水盆の地下水で菓子をつくれるようになりました。
石柱に刻まれた井戸の名は、祇園建仁寺の塔頭である正伝永源院の住職の筆によるもの。
同院は織田有楽斎が再興し、また自らの拠点とした正伝院と、細川家の菩提寺である永源庵が廃仏毀釈後に統合されて生まれた禅寺で、境内には有楽斎の如庵が復元されています(元の如庵〈国宝〉は廃仏毀釈の混乱の折に手放され、今は愛知県犬山市の有楽苑内にあります)。
和菓子と水
八代目当主の吉村良和さんに、お話を伺いました。
和菓子には、実はたくさんの水が使われています。
和菓子の主原料は、砂糖、豆、米の粉(餅粉、米粉)。
豆や米を洗う、浸す、茹でる(煮汁を変える)、蒸す、などの工程には、全て水が必要です。砂糖を溶かすのも、水。
なるほど、確かに、これらの水が薬品などを使って処理された水道水なのか、その土地の地下水そのままなのかでは、結構な違いが出そうです。
菓子業界には、「和菓子は水を売り、洋菓子は空気を売る」という言葉があるそうです。
できあがった和菓子にもたくさん水が含まれています。そして、水が味を決める部分もある。
一方で洋菓子は、泡立てたり、膨らませたりと、ふわっとした食感が特徴です。そして、卵や牛乳、果汁などで水分を加えていくので、和菓子に比べると水の登場頻度は少ないのです。
そして、洋菓子は“足し算”の味作り、和菓子は“引き算”の味作りだという大きな違いがあるそうです。
亀屋良長では洋菓子のパティシエとコラボレーションした商品もつくられているので、これらの違いは実感としてのお言葉と思いました。
和菓子作りには水質そのものも重要です。
吉村さんは、あるとき息子さんの自由研究で、軟水から超硬水までのバリエーションの水で小豆を炊いてみたところ、ヨーロッパの硬水では何時間焚いても小豆が柔らかくならなかったそうです。
ヨーロッパのミネラルウォーターには硬水が多いですよね。石灰質であるなど、地質の違いが理由です。
日本列島の中でも違いがあります。
例えば、江戸-東京では、どら焼きや最中、きんつばなど、餡を何かに挟んだり、加工した食べ方が多く見られます。そして、京都と比べると、江戸-東京の水はやや硬水。
いっぽう京都の水では小豆はより柔らかく炊け、それが小豆の味を生かした繊細な菓子につながっているといいます。
そうお話を聞いていると、土地土地でどんな菓子が発達するかも、水質や、またその大元となる地質が決めているところがあることが感じられ、とても納得しました。
なお、今も茶会用の生菓子は、イメージやテーマを伝えられてつくるオーダーメイドが多いとか。
なぜ醒ヶ井を開放しているのか
家業にとって大切で貴重な地下水を、なぜ一般開放されているのでしょうか。その理由をお尋ねしてみました。
吉村さん曰く、菓子作りも生業も、自然の恵みを与えられてやっているもの。それによって、生かされているというものです。そういう感謝を分かち合いたい、と思ってそうされておられるのだそうです。
亀屋良長にはこういう家訓があるそうです。
『澄懐』
懐を、澄ます。
それは、いつ懐を見られてもよい状態、ということです。
商売として、多すぎない適切な利潤。そしてその利潤も、還元し、循環させる。
水も、絶えず流れていることが大事です。それが水をいつも澄ませている。お金も似たようなものだとおっしゃいます。
吉村さんは、これは亀屋良長だけではなく、京都の商いで古くから安定して続いているところに共通するモットーではないかとも言われました。
利益追求・拡大型のお商売は、京のまちでは今でもあまりよく思われない。そういう特殊なまちが、京都でもあります。自己利益の追求より、道の追求を美とする土地柄だと思う、と。
へら菊をつくる
最後に、和菓子づくりを体験しました。
秋口のいま、菊をモチーフにした「へら菊」という練り切りをつくりました。
へら菊の「へら」は、練り切りに花弁の線を入れていく三角べらのこと。
吉村さんが流水にちなんでこの場で作ってくださった干菓子を添えて、頂きます。
菊をモチーフにする生菓子には、「まさり草」、「よわい草」などの呼び名もあるそう。まさり草は勝草、よわい草は齢草。菓子の命名には、同じモチーフでも意匠の違いや店主の好み、その時々の気分も関係するそう。「へら菊」は、使う道具にちなむシンプルな名前ですね。
普段は味わえない、できたての干菓子も頂きました。
干菓子は硬いイメージがありますが、型から外したばかりの干菓子は、動かすとすぐに形が崩れてしまうほどの繊細さ。ほろほろと、はかない口溶けです。
そして干菓子にも、「しとり」という呼び名で水を使います。
崩れやすいため、普段は乾いてからでないと動かしません。
型職人には“なり時”だそうです。
亀屋良長での和菓子づくりは、こちらから申し込むことができます。
京都盆地にはたくさんの地下水が湛えられていますが、商いをされているところで、自家の水を開放されているお店はさほどありません。
以前は馬場染工業の「柳の井」を体験しましたが、亀屋良長の醒ヶ井も、かつての名井の名を引き継ごうという気概と、その水に生かされているんだという水への感謝が共通しておられるように感じました。
ここで、松田研から一言。
醒ヶ井の水量を調整するバルブが、最近壊されてしまいました。
恐らく、短時間でたくさん水を汲もうという人が乱暴に扱ったのだと思います。
醒ヶ井の水はこれまで、汲む人が水量も自由に調整できましたが、ごく最近そんな事故があり、バルブには触れないようにせざるを得なくなっています。
みなのために開かれている、貴重な地下水です。大切に、汲んで頂きたいと思います。
それでは、また。


コメント