少女は自分を鼓舞するように、ノートに「まけません」とつづっていた
少女は自分を鼓舞するように、ノートに「まけません」とつづっていた

勾留後の体重は27.7キロ

 少女はもう限界だったのだろう。逮捕後、ほとんど食事がとれず弱っていたところに勾留延長のショックが襲った。2度目の勾留延長となった7月3日、2度嘔吐して留置場内で倒れ、病院へ救急搬送された。だが、輸液の処置がされただけで、再度、少女は留置場に戻された。

「運ばれたと聞いて病院へ行きましたが、明石署員から『会えません』と拒絶されました。『入院を』と言ってもとりあってもらえない。本当に心配で胸が張り裂けそうでした」(母親)

 救急搬送されたことを聞いた弁護団が勾留執行停止を申し立てたところ、7月4日に少女は突然、処分保留で釈放された。逮捕から18日間の勾留だった。「共犯」とされたスタッフも7月7日に釈放され、その後、2人とも不起訴となった。弁護団は不起訴の理由開示を申し立てた。「嫌疑なし」の不起訴だったら少女の気持ちもやわらぐという思いがあったが、神戸地検は応じなかったという。

「警察から出てくると、これが娘かと思えないほどやせ細って、ガリガリでした。予期せぬ逮捕のうえ、ありもしない罪を認めろと警察から強要され続け、食事がとれなかったそうです。娘を抱きしめると『ずっとお母さんと一緒にいる』と泣いていました。家に戻った後も『また捕まる』『警察怖い』と夜になるとうなされ、極度の不安状態が続きました。なんとか食べても、吐き気がとまらない。内臓が食べ物を吸収できずトイレに駆け込む状態でした」(母親)

 釈放後に少女の体重を測ると、27.7キロしかなかった。逮捕前は37.5キロだったので、勾留によって10キロも体重が減っていた。病院に行くと身体拘束によるストレスにより食事がとれなくなり、病的に痩せた「羸瘦(るいそう)著明」、「PTSD」(心的外傷性ストレス)などと診断された。

「娘は手にナッツを細かく砕いたものを持ち、時間を見つけては口にいれてなんとか体力を回復させようとしていた。その一方で、利用者のお世話もしていた。だが、体力は回復せず、施設の一角にベッドを置いてそこに横になりながら、頑張っていました」(母親)

 一時は体力も回復に向かったが昨年11月になると再び悪化。12月13日になると呼びかけても反応がなくなり、救急搬送されたが翌14日に亡くなった。死因は「低栄養状態(推定)」とされた。

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