X投稿を控えていた諸事情は、これでした。発症から復職までを6回の連載でお伝えします。
記者本人の病気を記事にすることに意味があるのか、手抜きではないのか、という考えもありえます。何より、自分自身がこの原稿を書くにあたりそう思ったので、記事化にあたって考えたことを少し、説明します。
記者は一義的には、黒子として、自分を見せずに、第三者を取材して書くべき存在だと思います。ただ、第三者が経験したものだけでなく、記者自身が見た事物を伝えることもルポなどに見られるように必要な仕事であり、実際にこれまでもなされてきました。
病気は、多くの人が体験します。ただ、その病気の内容や症状によっては、皆が経験するものとは限りません。脳梗塞は日本でかつて死因の1位だったこともある病気ですが、その中で、小脳梗塞は比較的まれです。
療養中、闘病記をいろいろ読みましたが、大脳の脳梗塞のものはたくさんありましたが、小脳梗塞のものはほとんど見つけることが出来ませんでした。その点でも、小脳梗塞になった患者の体験を書くことには意味があると考えました。
なお、闘病記自体を無駄だとする考え方もあるかと思います。他方で、闘病記に意味を見いだす人もいます。
闘病記は医学的根拠が不明確という批判もあります。これについては、主治医などに取材をして書くことで、医学的根拠を持たせられます。こうした点も、記者が書く意味があるのでは無いかと考えました。
また、実際に、自分が入院して、患者の内面や感覚を言葉にすることが求められていると感じました。とくにリハビリの現場では、患者の体の感覚を知ることへのニーズがあると感じました。患者の感覚を聞くことによって、どのようなリハビリが必要なのか、効果が出ているのか、ほかにどのようなアプローチがあるのかを考えるよすがにするのだろうと思います。
しかし、この言語化はとてもむずかしいものです。わたしも苦心して説明しました。「なるほど!よくわかりました」と理解してもらえたこともあれば、「ちょっと想像できません」と伝わらなかったこともありました。
そうした中で、お世辞もあったかもしれませんが、「たとえがわかりやすく、病気の理解の参考になる」と理学療法士の方に言っていただけました。
理学療法士、作業療法士のみなさんと接する中でうみだした説明を、多くの方と共有することで、いまの、将来の、あるいは過去の患者さんの感覚を知ってもらうきっかけになるのではないか。ひいては、少しでも、よりよいリハビリテーションにつながることに貢献できるのではと思いました。
あるいは、患者さん自身が、自分の感覚を説明するときに、わたしの表現を参考にすることもできます。
それに症状の内側からみた説明は、第三者への取材ではできないことです。
もう一つ、似たことになりますが、発症の瞬間を医師に説明したときに、「そこまで鮮明に覚えている患者さんは少ない」と聞きました。しばしば症状として、めまい、吐き気や物が二重に見える、などと書かれていますが、それがどのような状況なのか。少しでも具体的にイメージできれば、医療者にも患者にも利益になるのではないかと思いました。
と、いろいろ考えはしましたが、果たして、そのように書けたのかどうか。そのような役に立てるのかどうか。
ぜひご一読いただければ。引き続き、連載をよろしくお願いします。
なお、このサムネイルは、わたしが選んだのではありません。あしからず。
溶けていく視界、記者は会社で倒れた MRI後に告げられた小脳梗塞:朝日新聞 asahi.com/articles/ASV6M…