ABC予想世紀の難問
たし算とかけ算の謎に迫る
これほど称賛され、懐疑の目が向けられ、無視されている難問の証明はないだろう。ABC予想とは、一体どんな問題なのか。
2020年、数学の未解決問題「ABC予想」が証明されたというニュースが世界を駆け巡りました。論文の著者は、京都大学数理解析研究所の望月新一教授。
ABC予想の証明をうたう独自の理論「宇宙際(うちゅうさい)タイヒミュラー理論」の正しさが、7年半に及ぶ検証を経て認められ、専門誌に掲載されることが決まりました。しかし、多くの数学者が理論の「穴」の存在を指摘し、正しいのか間違えているのかという議論は決着していません。
「ABC予想は京都では定理だが、それ以外では予想である」という皮肉も言われています。世界中の数学者を巻き込んで、史上まれにみる異常事態に突入しているABC予想。その謎を解く鍵は、たし算とかけ算です。
1.ABC予想とは
「数学の女王」が突きつける
シンプルな難問
古代エジプトでは、ナイル川の氾濫(はんらん)で消えた土地を正確に引き直すために幾何学が生まれ、大麦などの収穫量を記録するために数や算術が発達しました。数や形、空間が、どのようなパターンや規則で成り立っているのか。
生活の知恵だった数学は、普遍的な真理を探る学問として体系づけられていきました。
証明で進化した
「整数論」
1、2、3、4、5……と続く整数を研究する「整数論」は、古代ギリシャで花開きます。
「万物は数である」と考えたピタゴラスは三平方の定理を発見し、「原論」を著したユークリッドは素数が無限に存在することを証明しました。数学の本質は、証明です。
数学者が考えた予想は、厳密な証明を受けて「定理」に昇華すると、永遠に正しさが認められます。
その定理を土台に、新しい証明がされて、また新たな定理が生まれる。この繰り返しで、数学は発展してきました。現在、1年間に発表される数学の定理は20万と言われます。整数論も、厳密な証明に堪えてきた鉄壁の定理の下で進化してきました。
シンプルなのに難解
ただ、その中で正しさが確認されないまま、あまたの数学者の挑戦をはねのけ、生き残ってきた未踏の予想が存在します。
その一つがABC予想です。
それは、整数とは何か?という最も基本で最も深い層に関わる問題です。整数は、一見単純で素朴に見えますが、美しいほどの奥深さと、悪魔のような残酷さを秘めています。ドイツのガウスは整数論を「数学の女王」と呼びました。
数学者の人生を狂わせるほど問題が難解で、解くにはあらゆる数学の知識を僕(しもべ)のように扱わなければいけないからです。2千年以上の歴史を持つ整数論の中で、ABC予想は女王の名にふさわしく、シンプルかつ難解な命題なのです。
+と×の謎
ジョゼフ・
オステルレ氏
デイビッド・
マッサー氏
ABC予想は1985年、ジョゼフ・オステルレとデイビッド・マッサーの2人の数学者によって提案され、「20世紀最高の予想の一つ」と言われるほど注目されました。なぜでしょう。たし算とかけ算の関係性にメスを入れ、数の本質に迫っているからです。小学校で習うたし算とかけ算は簡単と思われがちですが、そこには非常に難しい秘密が隠されています。
超難問もあっという間
数の性質に迫る整数論の中で、ABC予想はそのピラミッドの上位に位置し、「ABC予想が正しければ、この難問はこう解ける」という研究がたくさん存在します。解決まで350年以上かかった有名な「フェルマーの最終定理」も、たった1ページで証明できる威力を発揮します。こうした影響力の大きさから、ABC予想は2千年以上の歴史がある整数論の中で「最も重要な未解決問題」と言われ、その証明は、現代数学の景色を一変するほどのインパクトを持っているのです。
ABC予想がいかに重要な問題か。その説明はここまでです。
続くパートでは、“シンプルなのに難解”と評されるその式の正体に、じっくり迫っていきます。
2.ABC予想
式の中身
たし算とかけ算、
そのパワーを比べる
ABC予想は「たし算とかけ算の答えはどちらが大きいか」という数の大小を比較する問いです。
a+b=cから導かれる式は、その単純さとは裏腹に、エレガントで強いアイデアを主張しています。ABC予想の式の中身を詳しく見ていきましょう。ABC予想は、次のように書かれています。
互いに素(1以外に共通の約数をもたない)な正の整数a、bでa+b=cの時、任意の正の数εに対して、ある正の定数Kが存在し、次の不等式が成り立つ
c< K {rad(abc)}1+ε
c< K {rad(abc)}1+ε
難しいですね。文章の意味も分かりづらいし、K、rad、εというなじみのない記号も出てきます。まずは文章から見ていきましょう。「互いに素」というのは、「1以外に共通の約数を持たない」という意味です。
たとえば8と12は、どちらも2で割り切れるので、互いに素ではありません。7と12は、同じ約数は1だけなので、「互いに素」です。次に「任意の正の数ε(イプシロン)に対して、ある正の定数Kが存在して」という部分です。これは、「εという0より大きい数をなにか指定すれば、どんなa、bを選んだとしても、不等式を必ず成り立たせるKという0より大きい数が必ず存在する」ということです。このεとKを加えることで、右辺が左辺より絶対に大きくなるようにしています。後ほど詳しく説明します。
必ず成立
数を小さくする
「ラディカル」
次に、数式に登場するrad(abc)の説明です。
整数はa、b、cがあり、a+b=cの関係性があります。rad(abc)は、a、b、cという三つをかけ算して得られた数(abc)を素因数分解し、得られた素数をすべて1回ずつかけた値です。
「ラディカル」と呼ばれる操作です。具体的な数で考えていみましょう。
a=1、b=8の場合、c=1+8=9です。
abc=1×8×9=1×23×32なので、abcを素因数分解して得られる素数は、2と3です。
rad(abc)は、それらを1回ずつかけた値なのでrad(abc)=rad(1×23×32)=2×3=6
となります。
では、上の計算をトラックを使って考えてみましょう。
ボールの数=かける回数
素数※
c
b
a
※ 1は本来、素数ではありませんが、説明をわかりやすくするため、あえて登場させています
a=1、b=23、c=32です。
aは、1の荷台にボールを1つ乗せます。 同様にbは2の荷台にボールを3つ、
cは3の荷台にボールを2つ乗せます。
この状態が、aとbとcをかけ算した数(abc)の結果を示しています。
それでは、rad処理をしてみましょう。
ボールが2個以上入っている荷台からは、
ボールを奪って1個にします。
素数がすべて1個ずつになりました。
これが(abc)を素因数分解し、素数をすべて1個ずつにした状態です。
これらをかけた値が、rad(abc)ですので、rad(abc)=1×2×3=6となります。
ご注意: 1は本来、素数ではありませんが、説明をわかりやすくするため、あえて登場させています
次に、ABC予想の不等式を分かりやすくするため、rad(abc)をdに置き換えて、単純な形から見ていきましょう。取り除いた記号は、また最後に戻していきます。
1rad(abc)をdに置き換える
2さらにKとεを取り除く
まれにこうなる(有限個)
cはたし算の答えであり、dはかけ算の答えです。Kとεを取り除いて軽くしたことで、「右辺が必ず大きくなる」という主張から、「左辺が大きくなることもまれにある」という主張に変わりました。つまり、「たし算cがかけ算dより大きくなることはまれ、珍しい」という主張です。式で表すと「c>dとなる例は珍しい」となります。不等号が、元の式の逆になりました。とはいえ、ABC予想が主張していることの本質は変わっていないので安心してください。では、実際にaとbの数をいろいろ変えて計算してみましょう。
ca+b
と
drad(a×b×c)
ca+b
と
drad(a×b×c)
の大小をくらべてみましょう
aとbが100以下の場合にどうなるか、プルダウンから選択して計算できます。
「a,bは互いに素」という条件なので、一方を選択すると、もう一方の選択肢は自動的に絞られています
計算してみると分かりますが、c>dとなる例は、予想の通り非常に珍しい。ほとんどが、c<dとなります。c>dとなるのは確かに珍しいのですが、実はこの例外は無数にあります 。あれ、話が違うと思われましたね。ABC予想は、「たし算cがかけ算dより大きくなることは珍しい」という主張のはずだと。これは、ABC予想の式にあるεを無視して、「c>dは珍しい」と単純化したためです。
なんとかしてc>dとなる個数を無数ではなく有限個にとどめて、式を扱いやすくしたい。
そこでεが登場します。c>dとなる例が無数にあるなら、右辺を大きくすれば、個数は少なくなりそうです。
1+εは1よりも大きい数ですから、d<d1+εは明らかです。右辺をd1+εとすれば、c>d1+εとなる例は、数えられるほどに少なくなりそうな気がしませんか。
εを加えると、c>d1+ε
となる例は有限個になる
εは「非常に小さい数」という意味です。右辺dの指数が1をほんの少しでも超えれば、c>d1+εとなる例は数えられるほどになるというわけです。さらに、Kを戻すと必ず右辺を大きくすることができます。
Kを加えると、c>K•d1+ε
となる例は存在しない
ABC予想式を、もう一度載せます。
互いに素(1以外に共通の約数をもたない)な正の整数a、bでa+b=cの時、任意の正の数εに対して、ある正の定数Kが存在し、次の不等式が成り立つ
c< K {rad(abc)}1+ε
ABC予想の式の説明はこれで終わりです。次のパートでは、「整数論における最大の未解決問題」と言われるABC予想の「真の意味」を説明します。
ABC予想の「真の意味」。それは、たし算をした結果を素因数分解してみると分かります。215+315を素因数分解すると、どうなるのか――。後半では、アニメーションを使って明らかにしていきます。