40歳過ぎて大学へ入った話(3)【エッセイ】
「40歳を過ぎて大学へ入った話【エッセイ】」の第3弾です。前回までの記事はこちらでまた良かったら読んでみてください。
前回はまだ大学へ入って1回生の途中までとかでしたね。文芸サークルに入って今もnoteに書いているような詩などを部員同士批評し合って、居場所が年齢差あっても出来つつあるとか何とかでしたか。で、この文芸部以外にもいくつかサークルに参加したりで、結構積極的に人との関わりを人見知りにもかかわらず作っていこうと努力していってたんやなあって今振り返るとそう思ったりします。そのいくつかやった中で今でも一番楽しかったと思えるのが「ソフトボール部」でした。僕自身元々中学時代は野球部で「もう一回学校とか入ったんやから、野球とかやってみたいな」って思いがあり、大学合格が決まった翌日から大学のサークルのSNSとかを調べて「野球部とか、軟式、ソフトボールとかある。でもこの年齢で工学部理系とかやったらあんまりガチな野球はキツイから、軟式かソフトボールがいいかなあ」って考えてとりあえずソフトボール部に連絡とって体験とかのこと聞いたのですが、2021年とかでいきなり入学式の1週間後からコロナパンデミックの影響でオンライン授業とかで対面活動が制限され、しばらく活動休止とかになり、コロナが少し収まってきていた夏の7月にようやく対面授業やクラブ活動が徐々に解禁され、僕もようやく7月半ばにソフトボール部の見学、いやもうそこで入部まで決めてしまっていましたね。やっぱり野球は好きだったから、ソフトボール部の練習とか見て年齢も忘れて中学時代に戻ったみたいな「野球、ソフトボールをする喜び」に支配されておりました。大学のクラスメイトとかはやはり勉強での付き合いとかでそこまで心踊るとかはなかったですし、人見知りや年齢差、そして前回書いたかどうか忘れましたが、もう一度書くかもですが、元々「理学部物理学科」が本命で共通テストの点数が合格判定にやや足りなかったから考えてもいなかった工学部土木系の学科に入学、でも入ってみたら「全然興味ない」のオンパレード、いやまだ1回生前期は基礎科目や英語、フランス語、数学、物理、化学など「理学系」とか「語学系」が多かったからそこまで「嫌やなあ」っていうのはなかった感じでしたが、まあでもだんだん進んでいくにつれて「これがやりたい訳じゃない」感が増していって苦しみや負荷が増大していったのは事実です。なので勉強ではほとんど楽しみを見いだせなかった僕は(まだこの時はましやったかなあ)、こういうスポーツで身体を動かすことによる分かりやすさの中で少しずつ居場所めいたものを見つけていくことがこの「ソフトボール部」で出来て行ったりしました。まあ一応体育会系であり、これを書くと偏見みたいに思われるかもですが、国公立大学でもあったからみんな真面目でいい人多かったですね、中学時代にあった理不尽なパワハラとか時代も違っていたからかもですが、皆無で、凄くみんな居心地良い雰囲気づくりが上手で、年齢差はあっても毎回真面目に出ていたらだんだん居場所や人間関係は出来て、ソフトボールを通じて年齢差あっても、人見知りであっても結構楽しく過ごせることが出来たと思います。ただ何の因果か知りませんが、7月に入部してすぐの練習で何か張り切っていたのでしょうね、バッティング練習のネットの周りに落ちていたボールを拾うときにネットに右手小指が引っかかって、何と骨折してしまって、その時は突き指程度に思っておりましたが、何日経っても腫れが引かず整形外科でレントゲン撮って診てもらったら骨折、全治1か月以上の診断でいきなり休部するハメになったのは残念でした。まあでも40歳過ぎての2021年の夏も猛暑日連続とかの暑さの中での、屋外のソフトボールとかほぼ確実に熱中症になっていたと思うので、それはそれで休めて助かったとも思います。で8月下旬、いや9月下旬とかにようやく復帰し初めて、中学時代だから、約30年ぶりに本格的に野球、今回はソフトボールをやって気付いたことがひとつ……。20歳くらいの感覚でボール投げようとしても、何と四十肩か何かの影響で肩が痛くて、その3分の1も投げれないということになってしまっていて、そこは明確に歳を意識せざるを得ませんでした笑。まあでも他の、僕は中学時代外野のレフトを守ってフライボールとか受けたりしていましたが、ホント、30年ぶりに外野フライ追いかけて取るとか、めっちゃ久しぶりで、取れた時はやっぱり楽しかったですね。入ってよかったと思いました。他にもバッティング練習とか素振りとか、中学時代は守備はイマイチやけど、打撃には自信があり、そこもある程度やれたりしたから、これは新チームまでのこればワンチャン、レギュラー争いまで加われるかも、とかちょっとやる気スイッチがオンになったりして、久しぶりの何かあの熱い感覚が蘇って来るみたいで良かったです。人見知りな性格でも身体動かして、好きな野球、ソフトボールしているとそれを通してだんだん話せたりするし、年齢差あってもなんとかその中で話せそうな子捕まえて話したり、いろいろ新鮮で、あの残暑が残る9月白球を追いかけ見上げる青空はまるで30年前にタイムスリップしたかのように、久しぶりに「生きている実感」が得られたご褒美のように美しかったですね。
そして1回生後期も始まってからも授業終わりにソフトボールの練習や3回生が最後の大会とかで大阪の南の端のグラウンドまで大会に車に乗って応援とかに行ったり、負けたことで先輩(と言っても僕より20歳以上も年下)が挨拶するのを後輩の一員として聴いたり、「ああ、大学生してるわ」っていう、まあ周りはどう思っていたかは分からないですけど、こういう体験とか引きこもっていた時とかは想像も出来ない「諦めていた」体験とかだったので、そこに身を置きながらもまるで他人事のように、映画のように「あ、俺今ここでこんな体験している」っていう遠い視点からのパースペクティブで眺めていた、そんな不思議な感覚もあったり、なかったりでした。で、このままずっとこのソフトボール部で頑張っていける……と思っていましたが、土曜日は別のキャンパスへ朝8時集合で車で出かけて、昼過ぎまでまだ残暑の残る中練習、日曜日も大会の応援とか、若い人に混じっての日帰りのテーマパーク一日遊んだり、そして後期に入ったことで入学した土木系の学科の勉強が、これまた今までほとんど触ったことのないPC系の難易度高めの授業、プログラミング演習とか3Dのブレンダーというソフトを使っての映像制作を最後はまさかのプログラミング言語Pythonを使って描くとか、京大卒の30代の若手研究家の鬼のような早口での難易度高めの専門用語連発の授業を「解読」しながら課題進めるとか、それも金曜日午後3時から連発、これは本当に「無理ゲー」でしたね、大学行って初めてパソコン触った人間には。さらに土木系の苦手な人多めな「構造力学」という大学受験で物理で入った猛者たちも結構単位落とす科とか、急に難易度上がった感じの科目が多くなって(まあだんだん専門的になってくるのは当たり前っちゃ当たり前なんですが)、ほぼ休みのないソフトボール部の練習と両立して、それも書いてなあったですが、大学入って始めた塾のアルバイトもまだまだ高校生とかと話すのが苦手とか、教えることでてんやわんやな慣れないストレスもあり、1回生の10月はホントに1日も休みなく過ごして、勢いの中何とかこなしておりましたが、11月入ってまあ誕生日で43歳とかですか、なったり、そしてその前日のソフトボール部の別のキャンパスでの練習の最後に「明日僕の誕生日です」とか言ったら、何と同じ年の大学助教授とかもソフトボール部の顧問みたいな感じで初めて会って「へえ、僕と同じ年で一般入試も越えて入って来られたんですか、凄いですね。これからも頑張ってください。よろしくお願いします」ってめっちゃいい人で「会えてよかった」感満載の人でしたが、何とついに僕はそこで「ブチッ」って切れてしまったのですね。そう……、43歳の身体や精神が休みなく新しい環境に適応しようとして頑張り続けた結果、当たり前ですが、相当無理をしていて疲労が抜けず、蓄積していて、本当に「燃え尽き症候群」みたいになって「もういいや」となってしまい、キャプテンに「すいません、僕もうこれで辞めます。短い間でしたが本当に楽しかったです。出来たら続けたかったですが、大学の授業が想像以上にハードで両立は不可能だと、このままやっていたらほとんどの単位を落としそうなので、すいませんが、今日付けでソフトボール部を退部させてください」とLINEで伝えました。キャプテンもあと何人かいた女子マネージャーの一人からも全体LINEで挨拶した後で、他の中の良かった部員からも心のこもったメッセージもらって、「もうこの人らとソフトボール出来へんのや……」と思ったら、それまでの短いけど濃厚な約1か月を思い出して、本当にいい人ばかりでソフトボールも肩は弱めな感じでしたが、楽しかったから、何かこみ上げるものを抑えきれない、そんな感じがありましたね。飲み会での死にかけた出来事とか、ジェットコースター、何十年ぶりに乗ったことか、日帰り旅行の車の中、今の大学生が好きそうな曲かけてみんなで歌ったりとか、まとまりのよいチームの練習とか、ネアカな体育会系のあの雰囲気が、土木系の勉強で重くしかならない感じの授業と対象的で楽しくて、大学でまだほとんど居場所がなかった僕の唯一無二の居場所になりかけていた矢先の「バーンアウト」はやっぱり年齢的にどうしようもなかったかな……、のちの学科主任の先生に大学生活のあれこれでいろいろ悩んでいた時に「ソフトボール部は辞めるべきではなかったと思います」と言われた時、「ああ、あそこでもう少し年齢も考慮してもらって週に何回か休みながら無理のないペースで続けさせてもらえていたら、言ったらそうもしてくれただろうに」と激しく後悔したのは言うまでもなかったですが、そこからもう一度戻ろうにも、元凶でもあった土木系の専門度はレベルアップしており、もはやこれ以上の負担には耐えれなくなっていて、難しかったですね。
今回はここまでとしたいと思います。第4回目はまた来年の3月、頑張って努力が実れば卒業出来ているはずなので、あと卒業研究残すだけ、いやまだ応用数学、フーリエ変換とか残っていますが、2単位、それを無事にこなせていれば、この続き以降をまとめとして一気に書いてみたいと思います。まだまだ一波乱も二波乱もあり、いやちゃんと卒業出来ているかも怪しいですが、弱気にならずいろいろ頑張ったことを書けたら……と思います。ではまた次回に会いましょう。


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