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2022年5月の記事

2022年5月31日 (火)

機関車工学:上巻(その36)広狭軌間の戦争時代:バルブギアの改良

【 「バルブ・ギア」の改良 】

 当時「バルブ・ギア」は、「スティーブンソン」会社の採用し居たりし「フォーク・モーション」と称するもの最も広く用いられたり。

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 第 25図に示せるごとく2個の「エキセントリック」は動輪軸に取付けられ、「エキセントリック・ロッド」の末端にはハリ、すなわちツバ口ありて、「バルブ・スピンドル」とつながれる桿の一端にある「ピン」を噛み得るの装置なり。

 「リーバーシング・シャフト」を動かせば、このツバ口の一個は「バルブ・スピンドル」に連続せられて、あるいは前進となり、あるいは後進となる。

 この装置はようやくもって「リバーシング・ギア」の目的を達し得ると言えども、その「カット・オフ」は一定不変にして、且つ常に「フル・ギア」をもって動作するが故に機関の力を加減するに不便なりし。

 1842年「スティーブンソン」会社の工場に「ウィリアム・ウィリアムズ」といえる一青年ありしが、この人初めて前進と後進とにおける「エキセントリック・ロッド」の両端を、弧状の「リンク」にて連結することを案出し、模型職工長「ウィリアム・ホー」氏にそのひな型を製作せんことを求めたり。

 「ホー」氏これにいく分の改良を加え 1843年ついにこれを実地に応用したり。これぞ有名なる「スティーブンソン・リンク・モーション」と称するものにして、爾来広く機関車に採用せられたるのみならず、海陸における全ての蒸気機関に応用せらるるに至りたり。

 「リンク・モーション」は「フォーク・モーション」を改良したるものにして、些細なる発明なるがごとしと言えども実は非常なる発明にして、「カット・オフ」を自在に加減し、機関の力を整調し得ること、高速度の機関に応用し得ること、取扱いの簡易なること、保存の長久なること等はその特点にして、これがため一般蒸気機関に一大革新を促したるのみならず、発明以来今日に至るまで盛んに世に重用せらるるもの、この「リンク・モーション」のごときはほとんど稀なり。

 

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2022年5月30日 (月)

機関車工学:上巻(その35)広狭軌間の戦争時代:長形汽缶

【 長形汽缶 】

 1842年の初めに当り「アール・スティーブンソン」氏は、「チムニー」及び「スモーク・ボックス」の速かに焼損するを憂い、鉛及び錫の切片を鉄器に入れこれを「スモーク・ボックス」内に釣り下げ、その熔解の模様を験し、もって「スモーク・ボックス」内の温度を計りたるに、あたかも華氏の 773度に相当することを知りたり。

 思えらくかかる高熱のガスが無益にここに放捨せらるるは、単に「スモーク・ボックス」及び「チムニー」の焼損を来すのみならず、また大いに汽缶の効率を減損するものなりと。すなわち長形汽缶を応用し、もってこの熱を吸収せしめんと試みたり。

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 第 24図に示せるは、この方式によって製造せられ北「ミッドランド」鉄道に供給せられたるものにして、試験の結果「スモーク・ボックス」内の温度は 442度にして、短形汽缶に比すれば約 300余度の温度を減じ得ることを証したるのみならず、大いに汽缶の効率を増加したるをもって、爾来各国この方法を応用したるものはなはだ多かりし。

 

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2022年5月29日 (日)

機関車工学:上巻(その34)広狭軌間の戦争時代:英国へ輸入せる米国製機関車

【 英国へ輸入せる米国製機関車 】

 1840年に開業せられたる「バーミンガム及びグロスター」鉄道は 37分の1 の勾配線ありしが、技師「キャプテン・ムーアサム」氏は機関車の理論に暗かりし者のごとく英国製機関車は勾配線用に適せざるものとなし、米国フィラデルフィアの「ノリス」会社に注文して8台の機関車を製造せしめたり。

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 その一つは「フィラデルフィア」と称し、第 23図に示せるごとく単一動輪式にして前部に4輪車の「ボギー」を有せり。この機関車は運転の結果良好にして、勾配線において1時間8マイルの速度をもって 53トン4分の1 の列車を牽引したりと言う。

 しかれども動輪単一なるをもって粘着力に乏しく勾配線用に適せざる形式なれば、その後汽車課長「ジェイ・イー・マコンネル」氏は6輪連結「タンク」機関車を設計し、該鉄道の「ブロムズグローブ」工場においてこれを製造したり。その使用上の重量 30トンにして「シリンダー」の直径 18インチ、「ストローク」26インチ、動輪の直径3フィート9インチなりし。

 この機関車は「シリンダー」の容積大なるのみならず、これに伴う粘着力はなはだ大なるをもって、かかる急勾配線用としては実に適当の設計と言うべく、運転の成績また極めて良好なりしをもって長く使用に供せられたり。

 

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2022年5月28日 (土)

機関車工学:上巻(その33)広狭軌間の戦争時代:広軌機関車・大形狭軌機関車・高圧蒸気

【 広軌機関車 】

 第二表に掲げたるは、グレート・ウェスタン会社創業当時における 20両の機関車にして、1838年12月31日同会社の機関車帳簿に記入せられたるものなり。

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【 大形狭軌機関車 】

 1837年「グランド・ジャンクション」鉄道の開始せられるや、技師「ロック」氏は直径6フィートの動輪を有する6輪式機関車を製造し、もって狭軌における大形なる旅客列車用機関車の端緒を開きたり。

 この機関車は「ヘーグ・ファウンドリー」会社の製造に係るものにして、その成績良好なりしのみならず効率もはなはだ大なりしと言う。


【 高圧蒸気 】

 1839年「へーグ・ファウンドリー」会社が「レスター及びスワニントン」鉄道に供したる6輪連結機関車は、「シリンダー」の直径 16インチ、「ストローク」 20インチ、車輪の直径4フィート6インチ、伝熱面積 688平方フィートにして、蒸気の圧力は毎平方インチ 120ポンドに設計せられ 80ポンドないし 90ポンドにて使用せられたり。

 この機関車は成績良好なりしのみならず牽引力大なるをもって、他会社においてもこの設計に従って製造の注文をなしたるもの多かりし。

 

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2022年5月27日 (金)

機関車工学:上巻(その32)広狭軌間の戦争時代:ノーススター・ハリケーン

【 ノース・スター 】

 1837年の初め「ブルネル」氏は、グレート・ウェスタン鉄道開業の準備として 20両の大形なる機関車を諸会社に注文したり。そのうち第一に落成したるは第 22図に示せる、「アール・スティーブンソン」会社の製造に係る「ノース・スター」と称する6輪式機関車にして、「シリンダー」は直径16インチ、「ストローク」18インチ、動輪の直径は7フィートなりし。

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 当時かかる大形なる車輪は未だかって見ざる所にして、広軌にあらざれは到底応用しあたわざるものと信ぜられたり。


【 ハリケーン(10フィートの動輪) 】

 1838年「ティー・イー・ハリソン」氏は、グレート・ウェスタン鉄道用として、なおいっそう高速度の機関車を設計せんと欲し直径 10フィートの動輪を採用することに決したり。

 しかれどもかかる大形なる車輪は汽缶の中心をはなはだしく高上するにあらざれば、車軸を汽缶の下部に置くこと難しきをもって、車体を2個に分割し汽缶と機関とを各単独の「フレーム」に載せ、一種異様の機関車を製造したり。これを「ハリケーン」と名付く。

 この形式は汽缶の重量が動輪上に加わらざるをもって、牽引力に伴う粘着力に乏しく遂に全く失敗に帰したり。

 

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2022年5月26日 (木)

機関車工学:上巻(その31)広狭軌間の戦争時代:広軌鉄道の開始及び戦争の発端

第5章 広狭軌間(gauge)の戦争時代

【 広軌(7フィート)鉄道の開始及び戦争の発端 】

 鉄道の軌間は当時、一般に4フィート8インチ半なりしが、グレート・ウェスタン鉄道の建設せらるるに当たり、該鉄道の技師長たりし「ブルネル」氏は思えらく将来運輸の頻繁を来し、多大の列車を牽引し高速度をもってこれを運転するの必要を生ずるに至らば、従来の軌間は狭小に過ぐるをもって不便少からざるべし。

 今にしてこれを改良するにあらざれば他日ほぞを噛むの悔あるべしと、すなわちこれを7フィートに改め該鉄道に応用せんことを主張し、これを英国議会に申請せしに当時の議会は前後の考えもなく種々の軌間を一般に許可することを議決し、グレート・ウェスタン鉄道は直ちに7フィートの軌間をもってその敷設に着手せり。

 これ軌間問題の起源にして、これより後、歴史上有名なる軌間の戦争を演出するに至りたり。

 元来軌間の問題たるその性質、実に漠然として理論上これを是非する事はなはだ難しく、もちろん従来の軌間とても別に依る所あるにあらずして、馬車鉄道時代の遺物を襲用したるに過ぎざれば、当時この問題を決するものは実地において、機関車の牽引力および速度の成績を見るのほか他に途なかりしもののごとく、爾後グレート・ウェスタン鉄道と他の鉄道とは、いずれもその実験に着手し盛んに相競争するに至りたり。

 

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2022年5月25日 (水)

機関車工学:上巻(その30)旅客及び貨物列車用機関車の発達:機関車一覧表・当時の標準機関車

【 機関車一覧表 】

 第一表は 1829年より 1834年に至る間に、「リバプール及びマンチェスター」鉄道会社において購入したる機関車の形式寸法等を掲げたるものなり。

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【 当時の標準機関車 】

 1836年より 1837年に渡り、「アール・スティーブンソン」会社において「パテンティー」式機関車を多数製造したり。

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 第 21図に示せるはその一例なり。そのうち大なるものは「シリンダー」の直径 14インチ、「ストローク」20インチにして重量 15トンを超ゆるものあり。この大形なるものは通常1時間 20マイル内外の速度をもって、150トンないし 180トンの列車を牽引したり。

 コークスの消費量は1トン1マイルに付き 4分の1 ないし 3分の1 ポンドにして、コークス1ポンドに付き6ポンドないし 7.5ポンドの水を蒸発せりと言う。

 

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2022年5月24日 (火)

機関車工学:上巻(その29)旅客及び貨物列車用機関車の発達:4輪式の利益

【 4輪式の利益 】

 これより先「エドワード・ベリー」氏は所々の鉄道に4輪式機関車を採用し、当時6輪式機関車の広く採用せられたるにも関せず強くこれに反対し、氏が「ロンドン及びバーミンガム」鉄道の汽車課長となりし以来、もっぱら同鉄道に4輪式を使用したり。

 氏がその利益を主張したるは、左の理由によりたるもののごとし。

  1.機関車比較的簡単なるをもって、元価の低廉なること。

  2.機関車小なるをもって、比較的狭隘なる場所を通過し得ること。

  3.車体比較的軽量なるをもって、自体を運転するに要する力を減少すること。

  4.輪軸距短きをもって、曲線または「ポイント」及び「クロッシング」を通過するに危険少なきこと。

  5.車輪及び付属品少なきをもって、摩擦の部分また少なく従って運転上経済なること。

  6.修繕の個所少きこと。

 しかれども実験の結果として重き列車、高速度及び急勾配等に向て、4輪式機関車は6輪式に比し不利益の点少なからざるは、既に争うべからざる事実となりたるをもって、「ベリー」氏が久しく4輪式を使用し来りしにも関せず、同氏がその職を離して以来、該鉄道は遂に6輪式機関車を採用する事となりたり。

 

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2022年5月23日 (月)

機関車工学:上巻(その28)旅客及び貨物列車用機関車の発達:6輪連結式

【 6輪連結式 】

 この時に当り「レスター及びスワニントン」鉄道は石炭運搬上、勾配線用としてなお強力なる機関車の必要を感じ至りしが、「スティーブンソン」氏はここに6輪連結機関車を製造することに決したり。

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 第20図はすなわちこの形式に従い製造せられ、1834年該鉄道に供給せられたるものにして「アトラス」と名付けられる。

 「シリンダー」は直径 16インチ、「ストローク」20インチ、動輪は直径4フィート6インチにして、中央動輪は「パテンティー」式のごとく「フランジ」を有せず、この機関車は当時最重且つ最強なるものにして運輸の結果はなはだ良好なりしをもって、重大なる貨物列車用機関車として広く採用せらるるに至れり。

 

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2022年5月22日 (日)

機関車工学:上巻(その27)旅客及び貨物列車用機関車の発達:従輪の応用

【 従輪の応用 】

 また同年「スティーブンソン」氏が「レスター及びスワニントン」鉄道に供したる2台の「サムソン」式機関車は、はなはだ大形にして「シリンダー」は直径 14インチ、「ストローク」18インチ、動輪は直径4フィート6インチ、動輪軸距4フィート9インチ、「フレーム」の全長 17フィートなりしが、この形式にして大形なるものは車体の前後長く突出し運転中、上下に動揺するを免れざるをもって、氏はこれに従輪を増設して6輪式機関車となすに決したり。

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 第18図に示せるは、すなわち 1833年この形式に従い製造せられたるものにして、これを「ハーキュリーズ」と名付けたり。この機関車には銅製「ファイア・ボックス」及び真鍮製「チューブ」を用いたり。蒸気の圧力は毎平方インチ 60ポンドなりし。

 6輪式機関車は4輪式機関車に比すれば車体の動揺少なきのみならず、運転の具合はなはだ良好なりしをもって、「スティーブンソン」氏はこの方法を旅客列車用機関車、すなわち「プラネット」式にも応用したり。

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 第19図はすなわちこの形式によりて製造せられ、1834年「リバプール及びマンチェスター」鉄道に供給せられたるものにして、「パテンティー」と命名せらる。

 「シリンダー」は直径 12インチ、「ストローク」18インチ、動輪は直径5フィートにして「フランジ」を有せず、4個の小車輪は直径各3フィート6インチとす。この機関車は爾来、旅客列車用機関車の基本の形式として広く作用せられたりしが、各国また盛んにこれを模擬するに至りたり。

 

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2022年5月21日 (土)

機関車工学:上巻(その26)旅客及び貨物列車用機関車の発達:単一動輪式・4輪連結式・米国製機関車

第4章 旅客及び貨物列車用機関車の発達

【 単一動輪式 】

 「リバプール及びマンチェスター」鉄道の開業せられたる当時、列車は旅客及び貨物の混合なりしが、漸次運輸の頻繁を来したるに従い旅客列車は速度のなるべく迅速なるを望み、貨物列車は牽引力のなるべく大ならんことを要するに至り、旅客列車と貨物列車とを区別するの必要を生じたるは自然の趨勢にして、機関車もまたこれに伴い旅客列車用機関車と、貨物列車用機関車とを区別せざるべからざるに至れり。

 すなわち「プラネット」の形式は単一動輪式をなるをもって、牽引力に利用せらるべき動輪と軌条との摩擦、すなわち粘着力は比較的小にして重大なる列車を牽引するに適せずと言えども、動輪の直径大にして速度軽快なるをもって旅客列車用機関車として専用せらるる事となりたり。


【 4輪連結式 】

 1831年「スティーブンソン」氏は、「サムソン」及び「ゴリアテ」と称する2台の貨物列車用機関車を製造したり。

 貨物列車は重量比較的大なるものなれば、機関車の牽引力もまた大ならざる可らざるはもちろん、動輪の粘着重量もまたこれに伴ふて増加せざる可らざるものとす。

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 故にこの機関車は第 16図に示せるごとく動輪を2対となし、これを連結して4輪連結式となしたり。


【 米国製機関車 】

 1832年米国フィラデルフィアの「ボールドウィン」氏はじめて機関車を製造し、「フィラデルフィア・ジャーマンタウン及びノリスタウン」鉄道会社に供給せり。これを米国における機関車製造の始めとす。

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 この機関車は「アイアンサイド」と称し、第 17図に示せるごとく「プラネット」式を模造したるものなり。

 

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2022年5月20日 (金)

機関車工学:上巻(その25)レインヒルにおける機関車の競争試験:プラネット・試験の結果

【 プラネット 】

 1830年9月15日「マンチェスター及びリバプール」鉄道の開業せられたりし後間もなく、「スティーブンソン」氏はさらに優等なる機関車を同鉄道に給したり。これを「プラネット」と称す。

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 この機関車は最も著しき改良を加えたるものにして、第 15図に示せるがごとく「シリンダー」は「スモーク・ボックス」の下部、「フレーム」の内側に水平に取付けられたり。故に動輪は後部に置かれ「クランク」付き車軸によって運転せらる。その重要なる寸法及び重量は図に記載するがごとし。

 当時この機関車は英国において基本の形式として採用せられたるのみならず、欧州各国またこれを模造するに至りたり。


【 試験の結果 】

 「レインヒル」競争は単に機関車の試験をなしたるのみにあらずして、その結果は斯道のために重大なる問題を解決するにありしをもって、「ロケット」の勝利はすなわち将来鉄道の運搬上、据置機関または馬車の到底機関車に及ぶべからざることを証明したるものにして、若しこの試験をしてことごとく失敗に帰せしめんか、「マンチェスター及びリバプール」鉄道は機関車の応用を廃絶し他に運搬の方法を求め、ついに前途を誤るに至りたりしやもまた知るべからず。加えこれ「レインヒル」試験の結果は、広く機関車の効能を世に紹介し大いに斯道の発達を促したるものとす。

 けだし欧州各国はじめて鉄道なるものに着目したるはすなわちこの競争以後にして、試みに各国における鉄道の起源を挙ぐれば左のごとし。

  フランス  1833年
  ベルギー  1833年
  ドイツ   1835年
  オランダ  1840年

 

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2022年5月19日 (木)

機関車工学:上巻(その24)レインヒルにおける機関車の競争試験:ロケットの勝利

【  「ロケット」の勝利  】

 「ロケット」は第1番の試験に出場し、1時間最大速度 29マイル、平均速度 14マイルの割合をもって所要の里程を無事運転し終わり、且つその他所要の条件を全て完了したるをもってその勝利を認定せられ、名誉の賞金は「スティーブンソン」氏に渡され、且つ引き続き製作せられたる機関車7両の注文は同氏の手に帰したり。

 「サン・パリール」は、1時間最大速度 22マイル半、平均速度 14マイルの割合をもって 27マイルを走行したりしが、「シリンダー」1個破損し「フィード・ポンプ」また破損し為めに、所要の運転を遂ぐるあたわずついに失敗に帰したり。

 「ノベルティ」は、1時間平均 14マイル4分の3の速度をもって所定の区間を2往復したりしが、汽缶に故障を生じまた全く失敗に終わりたり。

 有名なる「ロケット」は今なお南「ケンジントン」博物館に保存せられ、その外形は不体裁たるを免れざるも、その構造は機関車として所要の機能を具備せざるはなし。

 その多管式汽缶を用いたること、「クロス・ヘッド」及び「クランク・ピン」を「コネクティング・ロッド」にて直接連接したること、及び「ブラスト・パイプ」を備ふることは近世機関車の元祖と称すべし。「ジョージ・スティーブンソン」氏は実に機関車の発明者なり。

 

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2022年5月18日 (水)

機関車工学:上巻(その23)レインヒルにおける機関車の競争試験:競争機関車

【 競争機関車 】

 この競争募集に応じたる機関車は5台ありしが、うち2台は提出したる条件に適合せざるをもって排斥せられ、試験に出場したるは左の3台なりし。

 1.「ロケット」 

   「ニューカッスル」の「ロバート・スティーブンソン」氏の製造

 2.「ノベルティ」

   ロンドンの「ブレイスウェイト及びエリクソン」氏の製造

 3.「サン・パリール」

   「ダーリントン」の「ティモシー・ハックワース」氏の製造

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 「ロケット」は第 12図に示せるごとく4輪車にして単一動輪式なり。汽缶は多管式にして直径3インチの銅管 25本を有す。これを世界における多管式汽缶の嚆矢とす。多管式とは伝熱面積を増加せんがため、多数の細管を汽缶内に入れ、これに火焔を通じて蒸気の発生を迅速ならしむる方法なり。その重要なる寸法及び重量等は図に記載せるがごとし。

 試験の際、牽引したる車両の重量は 9.5トンなりし故に、これに機関車及び「テンダー」の重量 7.45トンを加え、列車の総重量は約 17トンなり。

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 「サン・パリール」は第 13図に示せるごとく4輪連結式にして、「シリンダー」は垂直に汽缶の両側に取付けらる。汽缶は「リターン・フリュー」式とす。その重要なる寸法及び重量等は図に記載せるがごとし。

 試験の際、牽引したる車両の重量は約 11トンなりし故に、これに機関車及び「テンダー」の重量8トン余を加え、列車の総重量は 19トン余なり。

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 「ノベルティ」は第14図に示せるごとく、同じく4輪車にして機関車が自ら燃料と水とを運搬するものとす。これを「タンク・エンジン」と言う。2個の「シリンダー」は「フレーム」の両側に取付けられ、汽缶は垂直式とす。この機関車は「ブラスト・パイプ」用いず、フイゴを備え機関の力を利用してこれを運転し、もって空気を「ファイア・ボックス」内に吹き入るる様装置しあり。その重要なる寸法及び重量等は図に記載せるがごとし。

 試験の際、牽引したる車両の重量は 6.85トンなりし故に、これに機関車の重量 3.85トンを加え列車の総重量は 10.7トンなり。

 

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2022年5月17日 (火)

機関車工学:上巻(その22)レインヒルにおける機関車の競争試験:競争試験の必要・試験の条件

第3章 「レインヒル」における機関車の競争試験

【 競争試験の必要 】

 「ストックトン及びダーリントン」鉄道の開始せられし以来、鉄道の便益ようやく世に知られたりと言えども、機関車は当時なお、はなはだ幼稚にして運搬上充分なる満足を与えざりしもののごとく。

 1829年「マンチェスター及びリバプール」鉄道会社のまさに開始せられんとするや、或は馬車を主張する者あり。或は据付機関を利用し、索によって車両を牽引せんことを説く者ありて、機関車の運命も未だ確固たるものにあらざりし。

 該会社もまたこの問題を解決するに苦しみたりしが、ついに 500ポンドの懸賞をもって優等なる機関車を募り競争試験をなし、その成績を見てしかる後これを解決することに決したり。


【 試験の条件 】

 この懸賞試験のため、社長より提出したる条件の要点は左のごとし。

 1.機関車は黒煙を発せざること。

 2.機関車の全重量は6トン(水の重量を合算す)なるときは、1時間10マイルの速度をもって重量 20トンの列車を牽引すること。ただし機関車の重量軽ければ、これに比例して列車の重量を減ずることを得べし。

 3.汽缶における蒸気の圧力は 50ポンド以下なること。

 4.安全弁2個を備え、毎平方インチ 60ポンドの圧力に達して蒸気を噴出するよう装置すること。そのうち1個は機関手の手の達せざる位置にあること。

 5.毎平方インチ 45ポンド以上の圧力を表示する水銀験圧計を備えること。

 6.機関車は6輪車にして弾機を有すること。ただし重量4トン半なるときは4輪車となすも妨げなし。

 7.軌条より「チムニー」の頂点に達する高さは 15フィート以下たること。

 8.機関車は 1829年10月1日以前に「リバプール」において受渡さること。

 9.機関車の価格は 550ポンド以下たること。

 機関車の受け渡しはその後 10月6日に延期せられたり。しかして試験の場所は「リバプール」より9マイルを隔つる「レインヒル」鉄橋付近の平坦線1マイル半の区間を選定し、これを 20回往復し合わせて 60マイル、すなわち「リバプール」より「マンチェスター」に至る全線 30マイルの往復に等しき距離を走行する事となしたり。しかして列車は往路において牽引せられ、帰路において推進せらるるものとす。

 

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2022年5月16日 (月)

機関車工学:上巻(その21)粘着力の利用及び機関車の実用:米国における最初の機関車

【 米国における最初の機関車 】

 1828年の初に当り米国の「デラウェア及びハドソン」運河会社は、「ストックトン及びダーリントン」鉄道の成功せるを聞き、軌条及び機関車購入のため社員を英国に派遣し、「フォスター・ラストリック」会社に3台、「スティーブンソン」会社に1台の機関車を注文したり。

 しかして「スティーブンソン」会社の製造したるものは「ランカシャー・ウィッチ」と同形にして、これを「アメリカ」と命名し 1829年1月ニューヨーク市に上陸せり。また「フォスター・ラストリック」会社において製造せられたるものを、「スタウァー・ブリッジ・ライオン」と命名し、同年8月8日米国において初めて試運転を行えり。

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 第11図に示せるは、同会社が「シャット・エンド」鉄道に給したる同形の機関車にして、2個の垂直式「シリンダー」を有す。直径7インチ、「ストローク」3フィートとす。車輪は外部において連結せられ、「クランク」は「ビーム」の方式によって廻転せらる。

 この機関車は「リバーシング・ギア」を有したるをもって有名なり。「エイジノリア」は運転の具合良好にして 30年間の久しき無事使用せられ、今なおロンドン市南「ケンジントン」博物館に陳列せらるる有名なる記念品なり。    

 

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2022年5月15日 (日)

機関車工学:上巻(その20)粘着力の利用及び機関車の実用:6輪連結機関車及び傾斜シリンダー

【 6輪連結機関車及び傾斜「シリンダー」 】

 1826年「スティーブンソン」会社が該鉄道に供給したる機関車は、第8図に示せるごとく6輪連結式にして、これを「エクスペリメント」と称す。「シリンダー」は斜めに汽缶の両側に取り付けられ、汽缶には2個の大なる焔管を備う。

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 また同年「ウィルソン」会社は「シリンダー」4個を有する機関車を製造し該鉄道用に供したり。その構造は4輪車にして車輪一対に対して「シリンダー」2個を備え、各対単独に廻転するものにして、その目的は「カップリング・ロッド」の使用を省くにありしが、機関複雑にして運転不具合なりしをもって、その翌年同鉄道の汽車課長「ティモシー・ハックワース」氏によって、2個の「シリンダー」を有する6輪連結式に改造せられたり。これを「ロイヤル・ジョージ」と命名せり。

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 この機関車は第9図に示せるごとく「シリンダー」は垂直式なれども、その方向転倒せり。汽缶は「リターン・フリュー」を有す。この機関車は平坦線において石炭車 32両(重量 130トン)を牽引し、1時間5マイルの速度をもって運転し、その成績良好なりしと言う。

 1828年「スティーブンソン」会社は「ボルトン及びリー」鉄道に4輪連結機関車を供給したり。これを「ランカシャー・ウィッチ」」と命名す。この機関車は最初土砂運搬用に供せられたりしも、後ち普通列車の運転に使用せられ十数年間無事運転を遂げたり。

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 その構造は第10図に示せるごとく、汽缶は2個の焔管を有し「シリンダー」は傾斜せり。

 

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2022年5月14日 (土)

機関車工学:上巻(その19)粘着力の利用及び機関車の実用:公共鉄道の始め・ロコモーション

【 公共鉄道の始め 】

 前述のごとく機関車の応用は日に月に進歩発達し、その需要もまた従って増加し来りたるも、主に個人の用に供せたるに止まり、未だ公共事業として旅客貨物を運搬するに至らざりしが、1825年9月27日初めて 38マイルより成れる「ストックトン及びダーリントン」鉄道会社の開業を見るに至れり。これを世界における公共鉄道の始めとす。

 この鉄道もまた「ジョージ・スティーブンソン」氏を技士となし、機関車は「スティーブンソン」会社において製造し「ロコモーション」と命名せり。

 開業の当日「スティーブンソン」氏は自らこの機関車を運転し、信号手をして騎馬にて先導せしめ、総重量約 90トンの列車を牽引し、1時間 10マイルないし 12マイルの速度にて進行せりと言う。


【 ロコモーション 】

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 その構造は第7図に示せるごとく4輪連結式にして、汽缶は1個の大なる焔管を有す。2個の「シリンダー」は垂直に取付けられ、半ば汽缶に嵌入し各1個の「ブラスト・パイプ」を備う。

 「コネクティング・ロッド」は直接「クランク」に接続し、前後車輪は「カップリング・ロッド」によって外部において連結せられたり。しかして前後「クランク」は相互直角をなし、もって死点における「クランク」の運動を互いに相補助せしむ。「テンダー」は4輪車にして、水 240「ガロン」、石炭 4分の3 トンを搭載し、得べし蒸気の常用圧力は毎平方インチ 25ポンドなり。

 この機関車は運転の成績良好にして 1825年より 1841年まで使用せられ、その後は所々の博覧会に出品せられ有名なる記念品として今なお「ダーリントン」停車場に保存せらる。

 

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2022年5月13日 (金)

機関車工学:上巻(その18)粘着力の利用及び機関車の実用:スティーブンソン氏の機関車

【 「スティーブンソン」氏の機関車 】

 1814年「キリングワース」鉱山の技師なる、彼の有名なる「ジョージ・スティーブンソン」氏もまた機関車を製造し、これを該鉱山の馬車鉄道に応用したり。その第1機関車を「ブルーチャー」と命名せり。

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 この機関車は第5図に示せるごとく、4輪車にして車輪は直径3フィート、汽缶は直径2フィート 10インチ、長さ8フィートにして直径 20インチの焔管を有す。2個の「シリンダー」は直径8インチ「ストローク」24インチにして、その半身汽缶に嵌入す。

 「ピストン・ロッド」の上端は長き横桿の中央に取り付けられ、横桿の両端は「コネクティング・ロッド」によりて「クランク」に連結せらる。しかして「クランク」付車軸に取り付けある2個の小歯車は、機関車の車軸に取り付けある2個の大歯車に噛み合うものとす。

 また該小歯車の中間に1個の小歯車を置きたるは両車の廻転を均一にして、もって「クランク」をして互いに直角たるを失わざらしむるの目的とす。

 この機関車は弾機を有せず且つ歯車の摩滅はなはだしきをもって、氏の第2機関車には歯車を廃し「コネクティング・ロッド」を直接車輪上の「クランク・ピン」に接続し、車軸には内部において2個の「クランク」を付し、「カップリング・ロッド」によってこれを連結したり。

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 しかれども「クランク」付き車軸は常に破損の傾向あるをもって、氏の第3機関車には「クランク」付き車軸及び「カップリング・ロッド」を廃し、第6図に示せるごとく帯鎖をもって車輪を連結する事となしたり。また蒸気力にて車体を支持し、その弾力を利用して車体の激動を殺減したり。これを蒸気弾機と称す。

 氏の機関車はその成績良好なりしをもって、他の馬車鉄道にも採用せられ、特に「ヘットン」鉱山主は氏を聘して古き馬車鉄道を改築し、1822年5台の機関車を備えて「ヘットン」鉄道を開業したり。

 

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2022年5月12日 (木)

機関車工学:上巻(その17)粘着力の利用及び機関車の実用:粘着力の試験

第2章 粘着力の利用及び機関車の実用

【 粘着力の試験 】

 「ニューカッスル」付近の「ワイラム」鉱山の所有主なる「ブラケット」氏は、「ブレンキンソップ」氏が石炭運搬のため機関車を応用し、馬車に比して経費の節減せらるるを証したるを聞き、その所有の鉱山にもこれが応用を試みんと欲し、部下の「ウィリアム・へドレー」氏に命じてその計画書に従事せしめたり。思えらく「ブレンキンソップ」氏の方式に従い歯状軌条を敷設せんには、「ワイラム」線は全く改築せざるべからずために多額の費用を要すべし。

 もし「トレビシック」氏の方式たる円滑なる車輪と平滑なる軌条とにして、果たして所要の牽引力を得るとを得ば、これを採用するに如くはなしと。よってまずこの方式に付き詳細なる試験をなすとに決し、4輪車を作りこれに鉄塊を積み、もって一定の重量を動輪に与え、これを機関車と仮定したり。

 しかして車軸に歯車の装置を施し、手力にてこれを廻転し、軌条上に荷車を牽引せしめたり。初めまず少数の荷車を牽引せしめ、ようようこれを増加し、ついに動輪をして空転するに至らしむ。

 この試験は牽引力が車輪と軌条との摩擦力、すなわち粘着力に対していかなる関係を保つかを知るにありしが、試験の成績によれば、平滑なる軌条上における円滑なる動輪の粘着力は、意外に良く動輪の空転を防ぎて所用の貨車を牽引するに足り、「トレビシック」氏の原理の実用的なるとを証し得たるをもって、「ブラケット」氏は直ちに「へドレー」氏に命じ該4輪車に汽缶を載せしめ、手力に代わるに蒸気力をもってし、ここに1個の機関車を構成し、1813年2月「ワイラム」線において試運転をなしその設計の誤りなきを公表したり。

 しかるにこの汽缶は蒸気の発生不充分なりしをもって、氏は初めて「トレビシック」氏発明の「ブラスト・パイプ」の必要なることを知り、また直ちに「ヘドレー」氏に命じて新汽缶の製造に着手せしめたり。

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 第4図に示せるは、すなわち斯く改造せられたる機関車にして、汽缶の直径4フィート1インチ、長さ9フィート。汽缶は「トレビシック」氏の機関車と同じく「リターン・フリュー」(復帰焔管)を用う。すなわち焔は汽缶の後部より前部に至り曲がりて、さらに前部に復帰するものとす。故に「グレート(grate)」及び「チムニー」は汽缶の同一端に在り。

 汽缶の両側に直径8インチの「シリンダー」2個を備う。「ピストン・ロッド」は一の長き鉄桿の一端に取付けられ、桿の中央は「コネクティング・ロッド」によって「クランク」に連結せらる。しかして歯車によって速度を倍加し、もって動輪を廻転せしむるの構造なり。

 排出蒸気は2本の「ブラスト・パイプ」によって「チムニー」に導かる。運転中「ブラスト・パイプ」より噴出する蒸気の音響「ブッフ」と響くをもって、この機関車を「パッフィング・ビリー」と称す。けだし「ブッフ」太郎の意義なり。

 次に製造せられたる第2の機関車は、これと全く同形にして両者いずれも好結果を奏し、馬車に比して経費の節減せらるること少なからざるを証したり。

 しかれども「ワイラム」線は元来馬車のために敷設したるものなれば、線路はなはだ薄弱にして絶えず破損し、これに対する修繕の費用はなはだ多額に達し、且つ永久に堪えるの見込みなきをもって、これを防止するの策として車輪一対に負担する重量を減ぜんがため、4輪車を改めて8輪車となし、またその輪軸距長きに失するときは曲線を通過すること難きをもって「フレーム」を2個に分割し、あたかも機関車を2個の「ボギー」に載せたるがごとき構造を案出し一時姑息の改良を加えたり。

 しかれども以後十数年を経て、ついに「ワイラム」線の改築せらるると同時に、この機関車は再び四輪車に回復せられたり。この有名なる「ブッフ」太郎は 1862年まで「ワイラム」線に在りて、その後はロンドン市南「ケンジントン」博物館に移されたり。

 

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2022年5月11日 (水)

機関車工学:上巻(その16)機関車の起源:軌道の発達

【 軌道の発達 】

 軌道の構造も機関車共に漸次変遷せり始め、馬車時代において石炭を運搬するに木製軌条を用い、勾配の部分にはその上部を幅2インチ厚さ半インチの鉄板にて被覆せり。この鉄板はその端末において時々剥離して、起上する事あるをもって蛇頭と通称せられ、しばしば車底を破り不意の損害を来たせし事あり。

 1776年頃より L 形鋳鉄軌条の用いらるるに至り、やや鉄道の形式を備えたり。しかれどもこの軌条上には土砂の堆積多くして車輪の運転上困難少なからざりしが、1789年「ジェソップ」氏は I 形の軌条と「フランジ」付車輪とを応用し、もってこの困難を救い始めて鉄道なるものの基礎を形成したり。

 1820年に至り「ジェソップ」式鋳鉄軌条は錬鉄製の長き軌条に改良せられる。これを魚腹軌条と称す。けだしこの軌条の高さは全長を通じて同一ならずして、枕木に接する部分は低く中央部は厚く、側面より見ればあたかも魚腹に類するをもってなり。「ストックトン及びダーリントン」鉄道に使用せらたるものはこの魚腹軌条にして、1「ヤード」の重量 28ポンドのものなりし(第6図参照)。

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 魚腹軌条はその製作困難なるにより、その後は エ 形にして底部平扁なるもの一時広く用いらる。これを「ヴィニョールズ」軌条と称す。続いて双頭軌条及び牛頭(bull head)軌条等出でてこれに代わりたり。今日英国にて採用せらるる軌条は牛頭式にして、日本、欧州大陸及び米国等に採用せらるるものは「ヴィニョールズ」式なり。

 

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2022年5月10日 (火)

機関車工学:上巻(その15)機関車の起源:歯状軌条

【 歯状軌条 】

 1811年の初めに当たり「リーズ」付近の「ミッドルトン」炭山の所有者なる「ジョン・ブレンキンソップ」氏は、石炭運搬のため従来の馬車を廃し、機関車をもってこれに代えんと欲したるも、平滑なる車輪と軌条との摩擦力は、はなはだ薄弱にして車輪の空転する事あるべく、ことに勾配線において多量の荷物を牽引するは到底不可能の事と思考し、歯車と歯状軌条との抵抗をもって摩擦力に代えるの方法を案出し、これが専売権を得たり。

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 第3図はこの方法によりて製造せられたる機関車にして「ブレンキンソップ」と命名せり。汽缶は直径4フィート、長さ 10フィート。「シリンダー」は2個ありて汽缶の頂上に置かれ、その大よそ 3分の2 は汽缶内に嵌入せらる。

 「クランク」は相互に直角をなし、4個の車輪は平滑なる軌条上にありて車体を支持す。2個の小歯車は「クランク」によりて廻転せられ、その運動を中央の歯車に伝達し、中央の歯車はその運動をこれと同一の車軸にある大歯車、すなわち働歯車に伝え、もって平滑軌条の片側にある歯状軌条に噛み合うものとす。

 この機関車は試運転の結果良好にして、平坦線において90トン、20分の1 勾配線において 15トンの荷物を牽引する事を得たるのみならず、営業上大いに経費の節減せらるるを証したるをもって、その後同一の形式に従い数両の機関車を製造したりしが、いずれも多年使用に供せられたりと言ふ。これを商業上成功したる鉄道の始めとす。

 

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2022年5月 9日 (月)

機関車工学:上巻(その14)機関車の起源:機関車の父

【 機関車の父 】

 この原理に従って、1803年に製造せられたる彼の第2の機関車は、第2図に示せるがごとく4個の車輪を有し、直径各4フィート6インチ、汽缶は長さ6フィートにして復帰焔管(return flue)を備う。「シリンダー」は直径8インチにして「ストローク」は4フィート6インチ以上なりし。


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 図のごとく「コネクティング・ロッド」は「クランク」に連結せられ、歯車によって動力を車輪に伝達する構造なり。この機関車は「シリンダー」1個を有するのみなるをもって「フライ・ホイール」を付し、もって「クランク」の死点における運動を補助せしむ。

 1804年2月24日はじめて試運転をなし、「ペニーダーレン」より「マーサー・ティドビル」に至る9マイルの鋳鉄製軌条上を走行し、鋳鉄10トン客70人を搭載せる車両を牽引し、無事運転を遂了し大いに当局者を満足せしめたりという。

 しかれども当時文明の程度幼稚にして、鉄道の営業は時期尚早く、商業上未だもって馬車鉄道を凌駕する事あたわず。氏もまたその後、これが改良に従事せず、かえってこれを他人に委せり。

 「トレビシック」氏は、かかる有益なる原理を発明したるのみならず、蒸気鉄道を創立し、且つこれを実用に供したるをもって、世人彼を称して機関車の父と言ふ。

 

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2022年5月 8日 (日)

機関車工学:上巻(その13)機関車の起源:蒸気鉄道の始め・第1の機関車

【 蒸気鉄道の始め 】

 「トレビシック」氏はこのごとく蒸汽車を完成せりと言えども、普通の道路においてはその費用、到底償わざるを見て、これを当時諸方に敷設せる馬車鉄道に応用せんとし、さらに工夫を凝らし 1804年ついに機関車を創成し、これを南「ウェールズ」における「マーサー・ティドビル」鉄道に応用せり。これを蒸気鉄道の始めとす。


【 第1の機関車 】

 「トレビシック」氏は当時「ワット」氏が据付機関に付いて熱心研究したる、凝結式機関の方式によらずして高圧式を採用せり。高圧式とは「シリンダー」にて使用したる不用蒸気を、直ちに大気中に放出せしむるものにして、同氏はこの不用蒸気を1個の長き管によって「シリンダー」より「チムニー」に導き、管を上部に曲げ、蒸気の勢いを利用してガスを吸い出し、もって「ファイア・ボックス」に空気を誘引するの方法を案出し、大いに石炭の燃焼を改良し蒸気の発生を迅速ならしむることを得たり。

 この不用の蒸気を「チムニー」に放出する気管を「ブラスト・パイプ」と称す。同氏はまた円滑なる車輪と平滑なる軌条との摩擦は、良く機関車が列車を牽引するに堪えることを発見したる等、斯道のため大いに有益なる原理の発明をなしたり。

 

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2022年5月 7日 (土)

機関車工学:上巻(その12)機関車の起源:蒸気車

第1章 機関車の起源

【 蒸汽車 】

 機関車の起源は、普通の荷車に蒸気力を応用して、普通の道路を運転したる車にして、西暦 1769年フランス人「ニコラ・ジョゼフ・キュニョー」氏が案出したる、蒸汽車と称するものをもって始めとす。

 この蒸汽車は、直径13インチなる2個の単働垂直「シリンダー」を備え、「ピストン」をして下方にのみ動かしめ、4回の「ストローク」に対して働輪を1回転せしむるの装置を有す。

 汽缶は銅板にて製せられ形状鍋に類せり。その容積はなはだ小にして、試験の結果しばらく 15分間の運転を支えるに過ぎざりしも、1時間2マイル4分の1の速度にて走行するを得たるをもって、フランス政府はこの新奇なる蒸気力の応用をもって軍事上有用の具となし、大いにその考案を賛し氏に賞金を贈りたり。しかれどもその後該車はパリ市街走行中、不幸にして転覆せしをもってそのまま武庫に廃せられ、また改良を加えられざりしと言う。

 英国にては彼の有名なる「ジェームズ・ワット」氏(1736年~1819年)が 1784年、また普通荷車に蒸気の応用を試験したるをもって始めとす。しかれども当時氏は凝結式蒸気機関の改良に熱中し、他を顧みるの暇なかりしもののごとく、ついに蒸汽車の試験を完了するに至らざりし。

 また「ウイリアム・マードック」氏を始め当時の技術家中、同じ試験に従事したる者少なからざりしも概ね雛形の製作に止まり、これを実用に供したるものなし。

 「リチャード・トレビシック」氏(1771年~1833年)は、高圧蒸気機関の改良に付き熱心なる研究をなし、当時「ワット」氏に対し大いなる競争者たりと認めたる人なりしが、1800年頃より普通の道路に使用すべき蒸汽車の研究を始め、1802年、氏の第1の蒸汽車は客を乗せてロンドン市中を走行するに至れり。

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 第1図に示せるはこの蒸汽車にして、前部に小さき導輪を有し、後部に大なる働輪を有す。「シリンダー」は車体の後部に水平に置かれ、「ピストン」の運動は「コネクティング・ロッド」、「クランク」及び歯車装置によって働輪に伝わるものとす。これすなわち蒸汽車を実用に供したる始めにして、今日の機関車および自動車の根源と称すべし。

 

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2022年5月 6日 (金)

機関車工学:上巻(その11)機関車の沿革

第1編 機関車の沿革

 機関車の沿革は欧米各国その趣きを異にすといえども、最も他に先立って機関車を利用しその発達を促したるものは英国を推さざるを得ず。故に本編は主として英国機関車の沿革を叙し、これをもって一般の趨勢を察するの資に供したり。

 ただし西暦 1900年(明治 33年)以後の分に対しては編をあらため広く各国の例を引き、近世機関車として最近の発達を論ずる事とせり。

 機関車の生まれて以来ここに百有余年その沿革の状況を察し、発達の原因を研究するは機関車なるものの性質を了解するに最も便利にして、且つ向後の改良に対して裨益するところ少なからざるべし。

 

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2022年5月 5日 (木)

機関車工学:上巻(その10)緒 論:機関車乗務員

【 機関車乗務員 】

 機関車が、各その国の習慣運輸の状態等によりてその特質を有するに伴い、これを運転する機関手ならびに火夫を養成する方法もまた各国その趣きを異にするを見る。

 英国においては乗務員たる者は、まず掃除夫より身を起さざるべからず。火夫となり機関手となる者、各相当の技術試験を要すといえども、元来実地取扱い上の熟練を貴びて学理を軽視するの傾向あり。故に乗務員は概ね運転巧妙なりと言えども、変通の能に乏しく常に旧慣を遵奉し新奇改良の事項を悦ばず、ただそれ簡にして安全なるは彼等の歓迎する所なり。

 大陸においては概ね機関車修繕の素養を貴び、工場にありてその心得ある者を選抜し相当学術試験の上、直ちに火夫に採用し、機関車掃除は全くこれを他職に委せり。しかして機関手火夫をして努めて小修繕の仕事に慣れしめ、些少の修繕は常に彼等に一任す。これ石炭節約を主眼とする、種々複雑なる機関車を使用せしむるに便利なる方法にして、また運輸途中、応急修理を敏捷に行はしむるは、これを軍事輸送上必要なる条件とすればなり。

 米国においては、機関手火夫に要求する事項、他国とややその趣きを異にし、運転上常に電報命令をもって彼らを指揮すること多く、乗務員たるものは規則命令を良く了解するの頭脳を有すべく、機に臨み変に応ずるの才なかるべからず。殊に頻繁なる運転は事故の処置に分秒を争い、その巨大なる機関車は操縦困難にして、みだりに応急修理に着手するよりも、むしろ善後の策を判断するを必要とする場合少なからず。

 加えこれ米国における機関車の進歩は、乗務員に学理の応用を要求する事はなはだ多し。故に乗務員は必ずしも掃除夫より来るを必要とせず、学術試験によりて直ちに火夫に採用するをもって初めとし、厳重なる方法の下に一年ごとに技術試験を行うを例とし、実地の熟練よりもむしろ学理の素養を貴ぶの傾向あり。故に火夫は概ね通信学校に入りて通信教授を受け平素技術の自習に怠りなし。 

 機関車の発達と共に乗務員の養成ますます必要なるは、各国の等しく認める所にして、技術の素養なき者は近世機関車の運転を安全に司掌することはあたわざるべし。

 今や本邦における普通教育は大いに進歩して、他国を凌駕するの趨勢を示せり。しかれども本邦における一般の工業、未だ欧米に及ばざるものはなはだ多く、あたりの事情は器械的見聞に欠けるところ少なしとせず。幼少より常に器械の応用に親しゃし、常識をもってその作用を判断するの能力に富むは西洋人の長所にして、彼我の事情大いに異なる所あり。乗務員養成上また顧みざるべからず。

 

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2022年5月 4日 (水)

機関車工学:上巻(その9)緒 論:大陸式機関車

【 大陸式機関車 】

 欧州大陸の各国は総じて古き歴史を有するをもって、公道の連絡、河川運河の利用相当に発達し、鉄道をして貨物の輸送を独占するを許さず。また土地広大なりといえども数多の独立国を形成し、農工業一地方に偏せず、運輸頻繁なりといえども、その程度米国のごとく大ならず。

 故に機関車の形式構造等は英国に類する所はなはだ多し。しかれども線路一般に良好ならざるをもって、また米国の長を加味したる点少なからず。機関車の設計は一般に理論を主とし、研究の深遠なる数理の緻密なるはフランス・ドイツの特長にして、その鉄道界に貢献する所けだし少なしとせず。

 ドイツ、オーストリア、ベルギー、イタリアのごときは、皆な官有鉄道にして競争線を有せざるをもって、列車速度の発達はやや英米に譲るところあり。けだし速度を適切なる程度に保持するは経済上最も有利な方法にして、いわゆる経済的速度なるものは大陸において最も重要視せられるがごとし。フランスは内外旅客の往復頻繁にして、収入またこれによるもの多きをもって大陸中速度の発達最も著し。

 大陸における石炭は、概ね英米よりも高価にして英国より輸入を仰ぐもの多く、煉炭の使用至る所に普及し、これを専用するものあり。または煉炭と石炭とを混用するものあり。

 石炭の価格はフランスにおいては我が国と伯仲し、プロイセンはやや廉に、オーストリア、スイス、イタリア等にては本邦よりも高価なり故に、石炭節約は大陸機関車の要素にして、フランスのごときは今なお機関車乗務員に向かって石炭賞与法をもってその節約を奨励しつつあり、プロイセンは今これを実行せずと言えども乗務員の技量大に熟達し、石炭の節約は遺憾なく実行せられるを見る。

 複式機関車のごとき、過熱蒸気機関車ごとき、盛んにこれを応用し孜々としてその改良を計りつつあるは、英米の一歩を譲るところなり。けだしフランスは理論をもって創成し、ドイツは研究応用をもって成効す。新奇なる考案は多くまずフランスにおいて紹介せられ、ドイツにおいて実地に完成せらる。しかしてアメリカ人盛んにこれを利用する者、比々皆しかり。イギリスは超然自家の経験をもって誇る。面白き現象と言うべし。

 

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2022年5月 3日 (火)

機関車工学:上巻(その8)緒 論:米国式機関車

【 米国式機関車 】

 米国における鉄道は殖民を主とし、まず鉄道を設けてその土地を開発するに務めたるものにして、一定の資本をもって出来得る限り長距離の線路を得んとせり。故に勾配を避けず曲線を厭わず、軌条はいわゆる「ヴィニョールズ」形(日本におけると同様の形)を用いて、直ちに枕木に釘止めとなし、「バラスト」のごときは不完全と称せんよりもむしろ皆無の有様に存したり。

 始めは単線にて延長し、停車場にも擁壁を設けず、保安設備のごときも簡単を主とし、列車の運転も客貨の状況に応じて伸縮し、客あれば停車場に止まり客なければこれを通過し、給水する所必ずしも停車場ならず。載炭する所必ずしも機関庫所在駅においてせず、万事定規に依らずして、いわゆる自在書の筆法をもって鉄道を敷設せり。

 このごとくして線路を延長し移民を導き、土地を耕し深林を開き鉱石を掘り、新都会を建て新工業を産す。しかして鉄道の収益ようやく確実なるに及び、はじめて線路を改修し複線を敷き諸設備を整うの手段を講ず。これ米人の鉄道敷設の方針にして、その精神は全鉄道を通じて一貫す。

 建設費の節約が彼らの第1の条件たる以上は、機関車の設計運転の方法手段は、その不完全なる道路に適応せしめざるべからず。「ボギー」導輪の創成、弾機平均桿の応用等、皆この要求より出づ。しかも農工業発展の迅速なる輸送に輸送を重ねるも泉源尽くる事なく、貨車の往復交換数千マイルにわたりて繁忙を極め、機関車に誅求するところ底止するを知らず、旅客の往復もまた頻繁にして長距離の急行列車を有すること世界に冠たり。

 一方には強大なる貨物列車用機関車を要求し、他方には高速度の旅客列車用機関車を熱望す。今日1トンを増し明日1軸を加えるは、彼等の機関車進歩の状態にして他国にその類を見ず。

 石炭の価格は1トンに付き安きは2円高くとも6円を出づるもの稀なり。その節約を計るがごときは彼等機関車に対する第3位もしくは第4位の条件にして、機関車に多量の仕事を課するもって経済上第1の目的とせり。

 英人は機関車を活物視せるに反し、米人は絶対にこれを器械視せり。不必要の個所は研磨せず清掃せず、昼夜極力使用し尽して後これを廃物とし、さらに新式のものを選ばんとす。英人は機関車の生命は50年とし、米人は20年と仮定す。老成国と新進国と万事その方針を異にするは怪むに足らずといえども、近来イギリスは保守の弊を悟り、アメリカは猪進の害を認めたるもののごとし。

 米国鉄道は建設の当初より分業主義を採り、各自己の工場にて機関車を製造せざるを慣例とす。故に各機関車製造会社は、その発展著しく有数の技術家を招へいして研究に余念なく、常に新工夫を凝らしその成績を調査し、斯道の発達上貢献するところ少なからず。

 また米国には各地方に鉄道協会あり。また全国団結したる汽車工師会ありて、各鉄道会社または機関車製造会社の主要なる位置にある者、しばしば相会合して忌憚なく意見を発表し実験の経過を述べ、あるいは特に委員を選びて必要の事項を調査研究せしめ、良好なる設計は互いに相採用するの美風あり。故に国広く鉄道多しといえども、機関車の形式構造等一致する所はなはだ多し。

 

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2022年5月 2日 (月)

機関車工学:上巻(その7)緒 論:英国式機関車

【 英国式機関車 】

 英国人は実着を主として、常に永久の策を講じ進んで新奇を競わんよりも、むしろ退いて誤りなからん事を本領とせり。一般に公徳心と自重心とに富み、各その職責を重んじその仕事をゆるがせにせず、この精神はその機関車にも遺憾なく発揮せられ、設計製作の丁寧なる運転の安全なる、他国に多くその比を見ず。外観また優美にして研磨清掃ほとんど至らざる所なし。

 米国人これを評して、もし英国機関車をしてその形を小ならしめば、もって婦人の時計鎖に飾らんと言えるもの、あながち失言にあらざるべし。善良なる機関車を製造するは、彼の国風のしからしむる所にして、英国機関車製造会社が常に公言して、我は一等機関車の他は製造するを好まず。もしそれこれを好まざる者あらば去りて他に求めよと主張する者、真にその赤心より出でたる言ならんか。

 英国の鉄道は、特に機関車の運転に適応するを主として建設せられるを慣例とせり。けだし機関車まず創成せられて、はじめて鉄道の敷設を見るに至りたるは彼の歴史の証するところにして、古来重きを機関車に置きたるものこれが素因をなしたるものなり。

 故に曲線少なく、土床堅牢にして、保線善美を極む。且つ軌条は英国特有のいわゆる「ブル・ヘッド」形を用い、木クサビと「チェア」とを介して丁寧に枕木に安置せしむ。機関車の弾機、比較的強固なるも、「ボギー」の応用比較的不備なるも、運転の平滑なる他に多くその類を見ざるゆえんのもの、線路の完全なるに負う所はなはだ多し。

 客貨速達を貴ぶといえども、地勢一般に平坦にして距離短く、交通頻繁なりといえども運輸の標準比較的大ならず。加えこれ石炭豊富にして価格また廉なり。要するに全て事情は、機関車の設計上に要求刺激するところ多からず。故に単に工学上の見地よりこれを評すれば、英国機関車はいわゆる進歩したる型典にはあらず。

 英国主要の鉄道会社は、各その所要機関車の大部を自己所属の工場において製作し、これを他に依頼するものはなはだ少数なるをもって、機関車製造会社はいずれも外国機関車、ことに英国植民地の機関車を製造するもの多し。故にその設計意見等は英国機関車の発達上貢献する所はなはだ少なし。

 これに反して各鉄道会社は、いずれも自ら設計し自ら製造し競って研究し、ほとんど余うん無きもののごとし。しかれども一般に経験を重んじ、学理の応用に乏しく、且つこれが主権者たる者多くは自信力に富み、自己の意見を固守し高く持して相譲らざるの風あり。一種の美風きくすべきものありと言えども、往々その範囲を脱し、どうもすれば世論と相背馳することありて、いわゆる短を採り長を捨てるの明を欠くの威なき能わず。

 しかして汽車主権者が各その意見を異にするの結果は、吾人をして同国における斯道の世論傾向を洞察するに難からしむ。近き例を求めれば、ロンドン北西鉄道においては有名なる汽車課長「ウェッブ」氏在世中、1882年より 1900年にわたりて盛んに3個「シリンダー」複式機関車をその「クルー」工場において製作し、その数 200余両に達せりといえども、1902年「ウェッブ」氏去り「ウェール」氏その後を継ぐに及び、数年ならずしてこれらを廃物に委し、もしくは単式に改造したり。また大東鉄道においては「ワーズデル」氏在職中は、多数の2個「シリンダー」複式機関車を採用したりしが、「ホールデン」氏に至りてすなわちこれを単式に改造し、「ワーズデル」氏がさらに北東鉄道に転任して、また多数の複式機関車を製造したりしが、その弟「ワーズデル」氏替わりて汽車課長となるや、幾ならずしてこの形式は遂に同鉄道にその跡を断つに至りたり。

 先代の人の非なるか現在の人の是なるか、未だにわかに判断する事あたわずといえども、一朝、人を代わるに及び工学上の問題、すなわち反復するゆえんのもの、あながち工学上の世論が急に一変したるものにあらずして、個人の意見により事を専決したるもの、その大なる理由たらずんばあらず。「ドラモンド」氏の水管式汽缶、今ロンドン南西鉄道に異彩を放つといえども、その運命未だぼくすべからず。



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2022年5月 1日 (日)

機関車工学:上巻(その6)緒 論:機関車の特性

機関車工学

  工学博士 森 彦三
  工学士  松野千勝  共著

■ 緒 論

【 機関車の特性 】

 機関車は、汽缶ならびに一切の必要品を携帯し、数個の車輪に跨り自己の力によりて軌条上を走行する、一種の蒸気機関なり。

 汽缶の動作は普通の蒸気機関に類すと言えども、その設計製作及び運転の方法は、全く他と趣きを異にし、これを研究する事ますます深きに従い、その底のいよいよ遠きを覚う今、もし 500馬力もしく1千馬力の原動力を発生する据付汽缶は、いかに多数の汽缶と、いかに複雑なる付属品と、いかに高大なる煙突と、いかに広大なる建物とを要するやを顧み、3フィート6インチの狭軌鉄道における1個の機関車がよく 500馬力を発生し、4フィート8インチの基本鉄道における1個の機関車がよく1千馬力を発生し、矮小なる体内に多大の動力を包蔵するを知らば思い半に過ぐるものあらん。

 しかも機関車は不完全なる基礎の上に並べたる2本の軌条を頼りて、昼となく夜となく走行し、山に登り谷に下りて常規を逸せず、あるいは徐行して1インチの進退を争い、あるいは疾走して1時間によく 60マイルの距離に達す。

 狭隘なる場所に一切の兵器と一切の兵糧とを貯え出でて、数百マイルの外に使し、風雨寒暑をいとわず常に分秒を過たずして発着し、時々刻々変化する抵抗を受けて事とせず、逆に立て順に守るもの、その境遇において据付機関と同日の論にあらず。その構造一見簡単なるがごときはむしろ器機精巧の極みにして、無数の真理をその内に含有するによる。これが研究に従事する者、多大の趣味をもってこれを迎えて可なり。

 世の進運と共に運輸の状態は年々歳々膨張して、ほとんど底止する所を譲らず。機関車の牽引力もまたこれに伴ってますます発達し、これが設計に従事する者、日もまた足らざるの威あり。

 しかれども鉄道の軌間はもちろん、隧道橋梁その他永久的工事は、容易に変更する事あたわざるをもって、機関車の高幅及び重量はこれらに制限せられ、吾人は常にこの窮屈なる範囲内に牽引力の増加を図らざるべからず故に、無限にこれを増加することは到底望むべからざるものなりといえども、工学上の進歩は日に月に諸般の改良を促がしつつありて、ある程度まではこれを遂行し得るもののごとく、基本鉄道における機関車にして、その重量 250トンを超えるもの、米国において既にその例を示し、3フィート6インチの狭軌鉄道において 125トンに達するもの、南アフリカにておいて使用せられるに至れり。

 世人の吾人に期待するところは日にますます重く、月にますます多し。吾人は狭軌鉄道の内に生活し、欧米各国よりもいっそう困難なる事情の下に戦かわざるを得ず、これが改良に従事する者、その任重く且つ大なりと言うべし。

 現在世界における機関車の種類は、自ずから三大別をなす。英国式、米国式及び大陸式これなり。しかして各々その式に従い発達しつつありと言えども、年と共に世界共通の設計ますます接近し来るの傾向を呈せり。ただその国情なるものは各国特有のもの少なからずして、全然相一致することは容易にこれを望むべからず。

 我が国においては以上三種のものを混用し、その得失の論まちまちにわたれるをもって、いささか彼国における事情を陳述し、もって研究の資に供せんとす。

 

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