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長い長い心中・七草の秘密/Novel by 鯵真

長い長い心中・七草の秘密

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高誕と銀高の日に書いた小品の再掲です。今年のうちに。

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長い長い心中



 銀時は、暗い川縁をひとり歩いていた。空には星が輝いている。足元に生えている雑草は露に濡れていた。
 ここはどこだろうと思う。ここに至るまでの記憶が抜け落ちている。しかし不安は不思議となくて、以前にもこの場所に来たことがあるという確信めいたものがあった。足を止める必要はないと、銀時の中の何かが囁く。
 澄んだ川面に星が光っていた。川の深さは、見た目からは全く予想がつかない。興味をひかれ、少し乗り出して映り込む自身の姿を見る。
 黒い服の上に、流水模様の入った白い着流し。利き腕だけを出した片肌脱ぎのような格好。随分と懐かしい服装だ。銀時は驚いた。服装だけでなく、自身の顔がすっかり若返っていたからだ。まるで二十代の頃のような若々しさだ。
 思わず立ち止まって、銀時は自分の顔をさらに近くに覗きこんだ。川面はさざ波ひとつなく、鏡のようだった。背後から星が瞬いている。まるでこの世のものではないみたいだと考えて、「ああ、そうか」とようやく全てを思い出した。
 今日は、八月十日だった。

 一度思い出してしまえば、水面に映るものにはそれ以上興味を失って、さっさと川縁の道を歩き始める。早く、早くと足が急く。濡れた背の高い草が、銀時の手の甲を撫でた。
 どのくらい進めば「そこ」に着くのか正確にはわからない。しかし、程なくして視線の先に小さな東屋が見えてくる。屋根の下の腰掛けには男がひとり座っていた。隣を空けて、優雅に紫煙を燻らせている。女物の着物の隙間からは、組んだ脚が伸びている。その爪先に、くたびれた草履が心許なく引っかかっていた。
 銀時が近づくと、男──高杉がこちらを向いた。

「よォ、来たな」
「ああ」

 短い挨拶を済ませると、銀時は高杉の隣に腰を下ろす。顔を上げて、星空を眺めた。
 まったく七夕でもあるまいし──と銀時は思う。一年に一度だけ高杉に会える日。しかし、自分たちの間を分かつのは天の川ではなく、三途の川だ。雰囲気も何もあったものではない。高杉曰く、正確にはここは地獄ではないらしい。文字通り、あの世とこの世の間ということだ。
「なぁ、なんで毎年この日なわけ?」
「テメーは本当に、毎年同じ質問ばかりだな」
 そうだっけ、と返事をする。とぼけているわけではなく、本当に覚えが曖昧なのだ。あちらに戻れば、ここでの出来事はすっかり忘れてしまう。次に来るのは、またきっかり一年後。たとえ何十回と会っていても、為される会話の内容は似たり寄ったりだった。
「だって、盆にはちょっと早いだろ」
 そもそも盆の頃に帰ってくるのは、死者の方のはずだ。わざわざこうやって生きている銀時から赴くのも変な話だった。
「さァな。ただ地獄って場所は、存外サービス精神旺盛らしい」
「ハァ? なんだよ、それ」
 高杉は鼻で笑っただけで、煙管を咥える。この男は、確かに地獄で随分のびのびと過ごしているようだ。
「まぁ、別にいいけど。俺がくたばったらちゃんと教えろよ」
「……ああ、いいぜ。お前がくたばったらな」
 くっくっと特徴的な笑いを漏らす横顔を見つめる。包帯をしていない左目には前髪がかかっている。黒い髪には、さっき見た水面のように小さな光の粒が瞬いていた。
 高杉は煙管をしまうと、どこからか取り出した行李を膝の上に置いた。これも毎年お決まりの行事だ。
 蓋を開けると中には、ありとあらゆるガラクタが入っている。ガラクタと言うよりは、ほとんどゴミだった。アイスの棒とか、飴の包み紙とか。ジャスタウェイの壊れた目覚まし時計が入っているのは、何度見ても苦笑してしまう。
「それで……今年は何をくれるんだ?」
 年に一度の逢瀬には、いくつか決まりがあった。何でもいいから、現世のものをひとつだけなら置いていけるのだ。ただ問題は、持ってくるものを選べないことだった。あちらに戻れば、全て忘れてしまうので仕方がない。だから毎年、ちょうど偶然こちらに持ち込んだものを銀時は渡していた。たとえどんなゴミでも、こいつは喜んだ。銀時も、高杉が喜ぶならそれで良いと思った。

 銀時は自身の両手を見た。何も持っていない。ここに来る前、自分は何をしていたんだっけと頭を捻る。
 何かないかと袖を振るう。すると、左の袖の中に軽い質量を感じる。この際、何でも良いからと手をつっこんだ。
 目の前に取り出したのは、一枚の櫛だった。
 高杉が目を丸くする。銀時も予想していなかった物の出現に驚く。丸い赤塗りの櫛は、銀時の手にすっぽり収まるくらい小さかった。峰の部分には綺麗な装飾が入っている。どう見ても女物の櫛だった。
「へぇ……てめェも、んな歳になってやっと櫛のひとつでも渡す女ができたか」
「いや、違う。これはその、違うから」
「何が違ェんだよ」
 まるで長年連れ添った相手から、浮気を咎められる男のように。銀時はしどろもどろになった。高杉が急に無表情になるから余計に慌てる。
「これは……あれだよ。ちょうど小物屋を覗いてたら目に付いて。ほらここ、ここの模様がお前の着物の柄とよく似てるだろ。それでちょっと気になって見てただけなんだって! うん、だからまぁ……これは」
 お前にやるよ。そう言って高杉の眼前に櫛を差し出す。咄嗟に言い訳のような口ぶりになってしまったが、内容に嘘はなかった。結果的に、意図せず万引きしたかたちになったが、どうするかは戻ってから考えれば良い。
 高杉は胡散臭いものを見る目で銀時の話を聞いていたが、やがて手を伸ばして櫛を受け取った。両手で持って、何も言わずにじっと見つめる。櫛を贈る意味を、銀時だって知らぬわけではない。自嘲的な笑みが高杉から溢れた。
「……笑えるな。苦楽をともにして、死ぬまで添い遂げようと贈るものを、よりにもよって死人に渡すたァな」
「じゃあそこは、死んだ後も末長くよろしくってことで」
 高杉は返事をせずに、尚も手の中の櫛を見つめ続けていた。どうせすぐに忘れてしまうのに、その横顔を目に焼き付けながら銀時は尋ねる。
「嬉しい?」
「……ああ」
 こちらを向いた高杉がふわりと微笑んだ。鈍く光る髪に手を伸ばす。顔を近づけて唇を重ねた。しかし、銀時の指は髪をすり抜けて、中空を掻いた。唇にはひんやりとした風が吹いただけだった。高杉は少し哀しそうに目を細める。
「テメーも随分しぶてェみたいだからな。俺ァ、気長に待つぜ」
 ここで、毎年待っている。いつかその日が来るまで。お前の髪に直に触れ、その櫛で梳かしてやるのを。固く手を握り、不器用に唇を合わせるのを。もう何十年も前から、ずっと待っている。

 高杉はもう一度櫛を見ると、それを大事そうに行李の中にしまった。それからそっと蓋をする。
「時間だ。銀時」
「ああ、またな」
 銀時は立ち上がると、先ほど来た川縁の道を戻る。後ろを振り返りはしない。色々と決まりがあるのだ。
 今この胸にある歓びも、哀しみもすぐに過ぎ去る。長い人生を送っていれば、高杉のことを忘れている瞬間だってある。時間の経過とはそういうものだ。それでも、毎年ここに戻ってこれるなら銀時は安心して残りの生を過ごそう。
 本当は櫛だって、なんだって良かった。毎年、銀時は自分の一部を高杉に託す。いつかそっくりその身を渡すまで、少しずつ少しずつ、高杉に預けていく。それは本当に気の長い約束だった。たとえどんなに時間がかかっても、遂にその日がやって来るのを、銀時はずっと待っている。

Comments

  • りす
    August 28, 2023
  • ahiru.class
    August 18, 2023
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