油を塗った体に電気コードで「むち打ち刑」、息子たちの前で堂々と不倫、隠し子も…マイケル・ジャクソンを世に出した父による“おそろしい虐待”
「マイケルを殴ったことはない。鞭打っただけだ」。 「キング・オブ・ポップ」を描いた伝記映画『マイケル』の裏の主役こそ、アカデミー賞候補の名優が演じる父ジョー・ジャクソン。「世界一有名な大家族」の輝かしいスターダムの裏には、おそろしい暴力があったのだ。 【画像】虐待、不倫、隠し子…息子を苦しめた父と少年時代のマイケル・ジャクソン
後に「ジャクソン5」となる息子たちへの過酷な指導
ジョー・ジャクソンは、本名ジョセフとして、人種隔離法が残る1928年アメリカ南部で生まれた。アマチュアボクサーだったこともあったが、妻キャサリンとの結婚後には、インディアナ州ゲーリーに移ってバンドをやりながら製鉄会社のクレーン運転士として働く。 9人の子どもに恵まれた夫婦は、やがて息子たちの音楽の才能に気づく。これにチャンスを見出したジョーは、貧しいながらも音楽大会やストリップ劇場へ連れて行って歌わせた。これが、のちのジャクソン5となる兄弟グループだ。 ジョーの指導はあまりに過酷だった。息子たちは友だちと遊ぶことすら禁止され、下校後5時間もの猛特訓の日々。監督役のジョーを「パパ」と呼ぶことすら許されなかった。 褒められることはめったになく、暴力が日常茶飯事だった。練習や公演で少しでもミスをしたら鞭打ちの刑。服を脱がせて油を塗った身体を電気コードで打ったり、幼い息子たちに「体罰用の木の枝」を折らせたりすることもあったという。 5歳にしてステージを任された五男のマイケルも例外ではなかった。むしろ、ジョーの虐待によく反抗したため、よく標的になっていた。 同時に、兄たちは天才のマイケルと比較されつづけて自尊心がひどく損なわれてしまったと言われている。
マイケルの大成に虐待加害者の父が与えた影響は?
貧困からはいあがらんとするジョーの悲願は、マイケルが小学生のうちに叶った。メジャーデビューを果たしたジャクソン5がヒットを連発していき、黒人少年のグループでありながら世界的な成功をおさめたのだ。 当初こそ「幸せな大家族」のイメージで人気を博したジャクソン家だが、子どもたちが成長して独立していくとジョーの虐待も公にされていった。 もちろん現代では許されない所業だったが、時代や環境の事情もあった。まず、1960年代のアメリカでは、体罰を問題視する概念が今ほど共有されていなかった。黒人の場合、少しでも問題児と見なされれば警察や社会から厳しい扱いを受けるリスクも高い。そして、ジャクソン家が住んでいたゲーリーは、ギャングやドラッグが跋扈する危険地帯。家長のジョーとしては、子どもたちを厳しく育てて非行から遠ざけたい想いもあったのだ。 ジョーは、教育方針を批判されても持論を貫いた。「子どもたちに厳しくしてよかったよ。みんな礼儀正しく、プロ意識の高い子に育った。だから世界中から愛されたんだ」。とは言っても、自分は遠征中に息子たちの前で堂々と不倫し、隠し子までつくっていたのだが。 「キング・オブ・ポップ」自身、完璧主義と規律を叩き込んだ父なくして大成しなかった、と認めたこともある。 繊細な人柄だったというマイケルは、ハリウッドのほかのキッズスターと比べれば「マシな境遇」だったことまで自覚していた。いわく、強欲な親たちとちがって、ジョーは子どもたちが稼いだお金を搾取したりせず、不動産などの資産も確保していた。