『九州一の美女』はなぜ夫・大友宗麟に捨てられ「大悪女」にされたのか?奈多夫人の悲劇
よく「3Sを話題にするな」などと言われますが、昔から政治・宗教・スポーツの3Sは一歩間違えば争いの火種となるため、敬遠されてきました。
特に宗教は神と向き合い死生観を問う性質から、たとえ親子や夫婦であってものっぴきならない状況に陥ってしまいがちです。
戦国時代にあっても、宗教的な理由から人間関係が破綻してしまうことが少なくありませんでした。
今回は九州は豊後国(大分県)の戦国大名・大友義鎮(よししげ、後の宗麟)と結婚した奈多夫人(なだふじん)の悲劇を紹介したいと思います。
果たして彼女はどんな人物で、どんな生涯をたどったのでしょうか。
九州一の美女と謳われる
奈多夫人は生年不詳、奈多鑑基(あきもと)と田北親員(たきたちかかず)の娘の間に誕生しました。
父の奈多鑑基は、八幡奈多宮(大分県杵築市)の大宮司を務める神職の家系でした。
奈多夫人は九州一の美女だったと『陰徳太平記』は伝えています。
そんな彼女ははじめ、大友家臣の服部右京亮(はっとり うきょうのすけ)と結婚し、一人娘(志賀親度室)を授かりました。
しかし天文19~20年(1550~1551年)ごろから夫の主君である大友義鎮と関係を持ち、義鎮の娘であるジェスタ(洗礼名。実名不詳)を出産します。
その後、天文22年(1553年)に夫が謀叛の疑いで成敗され、遺された奈多夫人は義鎮と再婚しました。
こうして見ると「妻が不倫相手に夫を始末させ、晴れて再婚した」もしくは「義鎮が家臣の美人妻を略奪するために、あえて謀叛の濡れ衣を着せた」ようにも感じられます。
実際のところ、男女のことは現代でも複雑でよくわかりませんし、服部右京亮の処断が奈多夫人との関係によるものだったかまでは、史料からは分かりません。
夫の浮気とキリスト信仰に悩む
ともあれ九州一の美女を妻に迎えた義鎮は、奈多夫人を寵愛し、二人の間にはジェスタを含めた三男四女が生まれました。
・長男:大友義統(よしむね。永禄元・1558年生)
・次男:大友親家(ちかいえ。永禄4・1561年生)
・三男:大友親盛(ちかもり。永禄10・1567年)
・長女:ジェスタ(一条兼定室のち清田鎮忠室)
・次女:テクラ(久我三休室)
・三女:実名不詳(奈多鎮基室)
・四女:実名不詳(臼杵統尚室)
しかし義鎮は家臣に諫言されるほどの女好きで、側室を7人ほども抱えており、奈多夫人は夫の浮気を鎮めるため、国中から僧侶や山伏を招いて祈祷させたそうです。
また、義鎮がキリスト教に強い関心を寄せ、やがて大友家中にも信仰が広がるようになり、神社の娘であった奈多夫人は強い危機感を持ちました。
娘の婚約者である田原親虎(たわら ちかとら)に棄教を迫ったり、親虎をかばった次男の親家(キリシタン)を勘当したり、かなり激しく対立したようです。
キリスト教に傾倒する夫の義鎮に対しても、批判的に接したことは言うまでもないでしょう。
大悪女イゼベルの末路
かくして宗教的理由から夫婦や母子関係に亀裂が入り、心労が重なったことから、奈多夫人は病床に臥せてしまいます。
宣教師たちは、日ごろから彼女を「大悪女イゼベル※」「悪魔の協力者」などと誹謗中傷しており、天罰が下ったのだと非難したそうです。
(※)旧約聖書に登場するイスラエル王アハブの妃。異教信仰を広め、預言者エリヤと対立した悪女とされ、叛乱の中で命を落とした。
そして天正6年(1578年)、ついに義鎮は奈多夫人と離縁してしまいます。
キリスト教では離婚を禁じていましたが、宣教師たちも「大悪女」「悪魔の協力者」であれば離婚もやむなしと、これを認めたそうです。ご都合主義と言われても仕方のない対応です。
離縁されたとはいえ、現当主の生母を野垂れ死にさせるわけにもいかないため、奈多夫人は臼杵城(大分県臼杵市)に押し込められます。
宣教師たちからすれば、胸のすく思いだったのかもしれません。
このまま一生飼い殺しの境遇に絶望した奈多夫人は自害を図ったそうですが、あまりに監視が厳しかったため、ついに実行はできませんでした。
そして最期までキリスト教への改宗を拒んだまま、天正15年(1587年)2月15日に疫病のため世を去ったということです。果たして、実際の死因はどうだったのでしょうか。
終わりに
今回は大友義鎮の継室・奈多夫人についてその生涯をたどってきました。
浮気に悩まされたりキリスト教の脅威に抵抗したり、挙げ句離縁されたりと、お世辞にも幸せな晩年だったとは言えないようです。
なお元夫の義鎮は、奈多夫人が世を去った3か月後の天正15年(1587年)5月23日に世を去りました。果たしてあの世で再会した二人は、和解することができたのでしょうか。
※参考文献:
・鹿毛敏夫『大友義鎮 国君、以道愛人、施仁発政』ミネルヴァ書房、2021年1月
・橋場日月『戦国美麗姫図鑑』PHP研究所、2009年6月
文 / 角田晶生(つのだ あきお)校正 / 草の実堂編集部