1980年後半の一時期、プール
キューはリチャード・ブラック
のブシュカを使っていた。
バラブシュカのインスパイアモ
デルであり、作り込みはまるっ
きりバラブシュカそのものだっ
た。
日本の国内販売価格は80年代
末期で57万円。高かった。
大卒初任給は男性が14万8,200
円、女性が14万2,700円の時代。
(日本は差別社会であったので、
同じ大卒でも性別により賃金に
差があるのが当然とされた時代。
同じ学力、同じ能力であったな
らば、こんな不当な差別は無い。
だが、それが大手を振ってまか
り通っていた)
その時代に年齢的な平均給与の
4倍の金額のキューというのは、
給料3ヵ月分の婚約指輪よりも
高いよな(笑
1ドルが144円の時代だった。
だが、しかぁ~し。
その時期にアメリカ国内でのリ
チャードブラックの同モデルの
製作販売価格は1,800ドルだった。
144円換算で259,200円。
いかに日本国内の輸入業者がボ
ロ儲けしていたか、ということ
だ。時はバブル経済上昇期。土
地転がしで昨日まで600万だっ
た物件が6000万円になるという
異常な国内経済で湧き始めた頃
だ。

リチャード・ブラックのキュー
はとんでもなくトビずれが大き
かった。どういうのか、トビが
多くとも腰があって芯がしっか
りしているTADとは違い(同時期、
TADのステインストレートも使
っていた)、例えるならばベナン
ベナンで球筋が定まらない当時
のメウチのような球質を出すキ
ューで、入れに非常に苦労した。
引きよりも押しのキュー。
抜群のデザインと加工技術だっ
たが、ハギはバラブシュカやザ
ンボッティとは根本的に異なり、
あの精緻に見える本ハギは実は
TADと同じくインレイハギだっ
た。なので厳密にはハギではな
くデザインインレイだ。
ただし、インレイであっても別
木材を本体彫りに深く埋め込む
ので強度はハギと同じく増す。

だが、リチャード・ブラックは
TADの材が角材から30年寝かし
シーズニングを経た材を使って
いるのに対し、そこまで手間暇
かけていなかったのではなかろ
うか。
一見最上質に見える材のキュー
でもかなりベナンベナンだった。
これは知人の他の個体を撞かせ
てもらってもそうだった。
外見上は特級品で仕上げも細工
も上々だが、全米選手で殆どが
リチャード・ブラックのキュー

を選んで使っている人がいなか
ったのは、外見上の完成度と実
用能力に乖離が見られたからな
のではなかろうかと思っている。

80年代後半のキューではショー
ンもよくトビずれが激しく入れ
の難しいキューとされていたが、
ランデラインのRシリーズまでは
そんな事はなく、透き通るよう
なまるでジョスのようなクリア
な打球音と共に、芯と腰がしっ
かりしたキューだった。SPシリ
ーズあたりからそれが崩れてき
たが。

1986年、米国ののちに巨大ゴ
ルフメーカーのキャロウェイの
副社長になったリチャード・ヘ
ルムステッターが日本のアダム
製のキューに注目して、投資し
てアダムジャパンを興して、そ
れまで日本製なのに米国でしか
販売していなかったアダムキュ
ーを国内販売するようになった。
当時アダムのキューはマスプロ
ながら職人製作物で、商品名も
アダムカスタムと呼ばれていた。
加工技術はアメリカン個人ビル
ダー程精緻ではなく雑な面もあ
ったが、よく出来たキューを作
っていた。
だが、その日本が世界に誇るア
ダムでさえも、プールキューに
関してはまだ発展途上で、アメ
リカン個人ビルダーカスタムの
キューで撞いた直後にアダムの
キューで撞くと、まるでただの
棒で玉を突くような感じだった。
要するに「玉離れ」が遅いのだ。
キャロムではそれは有効に作用
するが、ポケットの場合には手

玉がピューンと弾かれたように
進むキューが「玉離れが良い」
とされて撞球技術の駆使には最
適とされていた。TADなどは典
型的に玉離れの良いキューだっ
た。
後年その玉離れの良い現象の事
は「パワー」とかいう謎の言語
で説明されるようになった。
反発力というのならばまだ解る
が、木の棒であるキューにパワ
ーなどは存在しない。エンジン
じゃないのだから。
玉をグッと掴んでからピョーン
と弾いて行く反力の度合いの事
を多分「パワー」と呼んでいる
のだろうが、誰が言い出したの
か、論理性を著しく欠落させた
「私念」的な不見識な表現だ。
キューにパワーなどは存在しな
い。体感から得た反発力による
手玉離れの早さの事をパワーな
どという不明瞭不正確な単語で
表現するのは、語彙の貧弱さと
表現能力の乏しさを露呈させる
だけだ。
だが、載せられ大好きな日本人
はこぞってパワーパワーと言う
ようになった。
そりゃ、販売戦略で落とし込む
ハイテクシャフトや高額新商品
も爆売れするよな。ユーザーが
不見識で仕掛け人に載せられや
すい体質なのだから。

リチャード・ブラックのブシュ
カは私は短期間の使用期間で終
わった。
自分の撞き方と合わなかったか
らだ。
1980年代末期から1990年代初期
にかけて、意外なところでかな
りよかったのは韓国製のキュー
と新進気鋭、アメリカ資本が投
資を始めて延びだした台湾製の
キューだった。
台湾製はとんでもない廉価だっ
たがしっかりとして実用性も高
かった。
韓国製もかなり実用性が高く、
日本のメーカーのアダーチなど
は韓国にOEM製造委託をしてい
た。実に使えるキューで、腰も
あり、玉離れも早かった。
1980年代末期に日本で爆発的な
「プールバー」ブームが起きた
時、多くの店のハウスキューは
台湾もしくは韓国製だった。
十二分にハウスキューで高度な
プレーもできた。
私などはグランドマッセで手玉
単独ジャンプで玉一つ飛び越え
とかを韓国キューでやったりし
ていた。まだジャンプキューな
どはこの世に存在せず、手玉の
単独ジャンプは空想活劇漫画の
ように云われていた時代だった。

韓国キューでのマッセジャンプ
は簡単だった、キューを立てて
空中でループレストを作って固
定して、狙い定めて勢いよくゴ
ンと手玉の斜め上を撞けば手玉
は単独でポンとジャンプした。
よく出来たキューだったが、特
徴としてはバットのハンドル部
分が異様に太い。
TADなどは極めて細いハンドル
部のキューの代表だ。
人間の感覚は不思議なもので、
太さが1ミリ違ったら牛乳瓶と
ヤクルトくらいの違いを感じる。

リチャード・ブラックのキュー
は個人的には嫌いではない。
その仕上げたるや芸術品のよう
に美しいからだ。丁寧に作って
いる、物を大切にする人という
のが伝わる。
後年のポール・モッティのよう
に造り込みが繊細で精緻だ。
豪胆なテキサス男なのに非常に
芸の細かい製作をする。撞き味
は私のスタイルとは合わなかっ
たが、良い作品を作る人だと思
う。彼のキューはスミソニアン
博物館にも並ぶ名工作とされて
いる。
現在、米国内でブシュカモデル
の販売価格は3,700ドルだ。
本日の米ドル相場が1ドル161.34
円(円が安いね~)。
日本円にすると596,958円。
カスタムキューとしては安い部
類の適正価格だろう。