最終日の新世界国際劇場(筆者撮影)
2026年3月末、大阪市浪速区・新世界にある老舗の成人映画館「新世界国際劇場」が閉館した。
新世界という特別な場所にある「大阪最古の映画館」ということで、普段は成人映画館など目もくれないメディアが、ここぞとばかり取材に駆けつけ、「新世界のシンボルが消える寂しさを憂う声」や、映画文化の衰退を嘆く記事が量産され、一時は大盛り上がりを見せた。
しかし、新世界国際劇場が「普通」の映画館ではないことから、SNSには劇場に集まる女装男性や同性愛者、性依存症の人々を「変態客」という配慮ゼロの雑なワードで括り、「自分たち映画ファンが変態客を防ぎきれなかったのが残念」と、まるで変態客のせいで閉館したと誤解を与えかねない、そんな心無い投稿も少なくなかった。
廃業直前まで寄り付きもしなかったくせに、話題になった途端、文化だのなんだの偉そうに語りながら、ファン代表のように振る舞う人。私は虫酸が走る。
普段から成人映画館に通う人なら、上記の映画ファンが忌み嫌う「変態客」こそ、雨の日も雪の日も劇場にたむろし、売上に貢献した真のサポーターであることに異論はないはず。
残念ながら、表のメディアが成人映画館に巣食う「変態客」の実態を報じることはまずない。えぐすぎるからだ。しかし彼らを無視して成人映画館を語れないのも、これまた事実。
そこで今回、成人映画館を愛し、かつ「変態客」の末席に座るこの私が、楽待新聞のこの場で針のむしろに座りながら、ぎりぎりの表現でもって、一席語らせていただきたいと思う。
映画館という名の異次元コミュニティ
皆さんは、成人映画館(ピンク映画館)の実態をどの程度ご存じだろうか? 令和の今、入場経験どころか、目にしたこともないという人が大半だと思う。
2016年、私は約1年半の歳月をかけ、北は北海道から南は沖縄まで、(当時の)日本に現存する39カ所の成人映画館をひとつ残らず巡礼した。
きっかけは、あるイベントで訪れた石川県金沢市の「駅前シネマ」という劇場。
すべてここから始まった。金沢の今はなき「駅前シネマ」(筆者撮影)
当時の自分はピンク映画に特別な感情もなく、今さら映画館でポルノを観る人の気持ちがまるで理解できなかった。
この時どうして駅前シネマに入ってしまったのか、理由は思い出せないが、現地の友人に勧められるがまま、昭和レトロな建物にふわりと足を踏み入れた途端、館内220席の半分近くが客で埋まる、その盛況っぷりにまず驚いた。
そのとき上映されていたのは、聞いたこともない女優が主演の90年代ポルノ。
セリフは棒読み。何もかも中途半端。超絶つまらない作品をぼんやりと眺め、来なきゃよかった……と心の中でぼやきつつ、ふとスクリーンから目をそらすと、ここで初めて、他の観客のおかしな動きに気がついた。
上映中にもかかわらず、場内3~4割くらいの客が、立ったり座ったり、あっちを見たりこっちを見たり、館内を忙しく徘徊している。
ちらちら目につく(本来いないはずの)女性客の姿にも違和感を覚え、じっと観察してみれば、彼らは「女装子」と呼ばれる女装男性。
薄暗いなか、ほぼ女性のようなルックスの人もいれば、スカート履いたただのオッサンみたいな人も……。彼らもまた、そわそわと落ち着かず館内を動き回っていた。
胸騒ぎを感じた私もまた、例に倣って席を立ち、暗闇を歩き回ってみた。
最後列、ひときわ暗い空間に集まる大勢の人影に気付き、恐る恐る近づくと、ひとりの女装子を核に数名のオッサンが細胞のようにくっつき、控えめに表現すると「とんでもないこと」をしていた。
それをまた別の野次馬がドーナツ状に取り囲み、見たり見られたりの小宇宙が形成される。
伝統文化と現代アートが同居する上品なまち・金沢に来てみたら、いきなり肥溜めに落ちた……ような衝撃。まさに「映画館でしか味わえない体験」というか、それでもここは「映画館」なので、不埒な行為に参加せず、シートで静かに作品を鑑賞しても構わない。
むしろそっちが正しいのだが、どちらかというと、映画以外のものを見てる人の方が多い気がした。
観るのも自由。歩き回るのも、触れるのも、覗くのも、×××のも自由。
目的も性癖も世代も違う人々が、絶妙な距離感で共存するカオス空間。こんなコミュニティは他にない。どうして今まで気が付けなかったんだ……。その夜は衝撃と悔しさで一睡もできなかった。
全ての道は「国際」へ通ずる
金沢から戻った私は、大急ぎで身支度を整え「ピンク映画館日本一周」に旅立った。
急ぐのには理由がある。私が金沢で目覚めたとき、すでに業界は壊滅寸前の状態だったからだ。
2018年に全国39館を巡り終えてから、今に至る約8年間で閉業した劇場は実に15館。この旅のきっかけをくれた金沢「駅前シネマ」も、2020年春、オーナーの高齢化を理由に閉館した。
つまりは時間との戦いだった。
悲しい事実だが、駅前シネマのように(週末に限るが)ガッツリ客席が埋まる劇場は少数派で、ほとんどの劇場は平日も週末もびっくりするほど客がいない。
当然、建物や設備を維持する余裕も失われ、限りなく廃墟に近い劇場も珍しくない。
そんななか、突然変異のような存在だったのが、今回廃業することになった「新世界国際劇場」(通称:国際)であった。
レトロな丸窓がおしゃれな新世界国際劇場(筆者撮影)
「駅前シネマ」もかなりお盛んな劇場ではあったが、国際はさらにそこから三段、四段レベルが高い。それが証拠に、地方の劇場に集う女装子が「国際」の名を口にするとき、決まって「すごい」「怖い」という修飾語がセットになる。
ネットで調べても「ブレーキの壊れた変態だらけ」とか「生きて帰れる保証はない」とか、出てくるのは恐ろしい情報ばかり。
ひと回り歳上のインディオみたいな女装子が「国際こわい!」と本気で怖がる様を見て、どんだけヤバイところなんだ──と武者震いしたのを、今も鮮明に覚えている。
冥府魔道の地下劇場
1903年、国家を挙げての巨大イベント「内国勧業博覧会」によって、田畑の広がる荒れ地だった今の新今宮、天王寺一帯が大開拓された。
520万人が訪れた博覧会から10年後、広大な跡地に、パリのエッフェル塔を模した初代通天閣と、アメリカ風の巨大遊園地「ルナパーク」が完成。
かくして大阪の新名所「新世界」が誕生し、一帯には西洋風の街路が整備された。
「国際」のネオン看板(筆者撮影)
そして1930年。通天閣の東に芝居小屋「南陽演舞場」がオープン。
アール・デコ調の重厚な建物は、RC(鉄筋コンクリート)構造の先駆者・増田清氏によるもの。この演舞場が戦後、映画館に衣替えして、現在の「新世界国際劇場」に繋がる。
映画館に変わったのは1950年だが、建物が出来た1930年から数えれば96年。もちろん新世界最古の建物。なんなら現在の大阪城天守閣より古い。
重厚レトロな建物正面には、令和になっても昭和テイストの手書き看板が何枚も貼り出され、初見の人は誰もがその異様な内容に衝撃を受ける。
「星ひとつ続出! クレイジー低評価劇場!」
「暴力! 殺戮! そして感動の傑作! 興奮で発狂!」
「稀代のエロ映画! ただ狂え!」
正気を疑うキレキレの看板。そしてそれを平気でかけてしまう狂気の映画館。
狂った看板(筆者撮影)
看板だけではない。入れ替えなしの洋画3本立てが1000円(成人映画は800円)という衝撃の入場プライス。しかもオールナイト。その気になれば宿泊も可(実際、寝てるだけの人も多い)。腹が減ったら外出もOKという、日本で1番自由な劇場だった。
見ての通り、突っ込んでるときりがない(筆者撮影)
上記の営業形態が定着した1970年代は、新世界に隣接する西成の簡易宿泊街・あいりん地区が最も活気に溢れた黄金期。
その日の労働を終え、狭いねぐらに戻った労働者たちが、手にした日銭で手軽に遊べる解放区が新世界であり、国際劇場だった。
古き良き時代から半世紀。あの日、劇場を愛した荒くれ男たちも、髪は抜け、腰は曲がり、足はもつれ。それでも彼らはやって来る。建物前に乗り捨てられた何台ものシルバーカーがその証拠だ。
劇場は上下2館に分かれ、上階はちょっぴりレトロな洋画、地下はピンク映画をかけている。
上階には映画好きな「普通の」客も来るが、いわゆる「ハッテン」目的の人が半数以上。地下に至っては……「この世の地獄」だ。
黒光りした階段を降り切ると、トイレから流れ出る強烈なアンモニア臭が鼻をつき、嗅覚が麻痺する。
辛うじて形状を保つ200席ほどの古びた客席には、十数名の「観客」が散らばり、爆睡する者、オッサンを口説くオッサン、突然隣に腰掛け、太ももを撫でてくる骸骨そっくりの後期高齢者などさまざま。
混雑してるのに、シートはガラガラなのがここの特徴(筆者撮影)
もう何年も前から「新築」の広告(筆者撮影)
そんな男たちの間を、鋭いまなざしで徘徊する「猛禽類」もいる。彼らは超アグレッシブというか、ポジティブすぎるというか、女装でも髭面のオッサンでも、黙っているとグイグイ迫ってくる。
仮にここで互いのニーズが合致すれば何かが始まり、始まった途端、匂いを嗅ぎつけた人たちも加わって、小さな地獄が誕生する。
むろん、すべての成人映画館が「地獄」なわけではない。ほとんどの劇場では「拒否されたら大人しく引き下がる」という暗黙のルールが守られているが、あいにくここは例外中の例外。
認知機能が衰え、意思疎通のできない人が一定数おり、あるとき暗闇から現れた頬のこけた老人に「君、かわいいねえ」と人生初の口説き文句とともに、いきなり尻を触られたことがあった。
拒否しても老人のブレーキは完全に壊れており、こっちが逃げてもしつこく追ってくる。
シルバーカーで地下まで降りてきたのか…… (筆者撮影)
これ、字面だとまんまホラーだが、彼らが筋骨隆々だった昭和の国際劇場ならともかく、現実の彼らは吹けば飛ぶような老人。スローモーションのような動きで追われてもヤバイと感じるのは最初だけ。
こうした事情が飲み込めると、それまで怖かった成人映画館が一気に「おもしろスポット」に早変わりする。
今日はなにやってもええわ!
今年2月、この世界の絶対王者として君臨していた新世界国際劇場が、突然「閉業する」と発表し、界隈が震撼した。
遺跡レベルの建物が限界に近づき、維持管理に莫大な費用がかかる。加えて映写機など設備更新の問題もあり、現支配人が廃業を決めたという。
お客はそこそこ入っていたと思うが、新世界という一等地で長年値上げもせずオールナイト営業を続け、金のかかる手描き看板を毎週のように新調。冷静に考えたら全く割の合わないビジネス。ついに来るべき時が来たのだ。
東京在住の私にとって大阪は遠い場所。行くべきか、行かざるべきか。行くしかないだろ! と車を飛ばして8時間。小雨がちらつく営業最終日の午後、私は新世界に立っていた。
「これにて閉館!」
「それではみなさんさよなら」
その日、名物の手描き看板は特別バージョンに付け替えられていた。
看板職人の自画像に別れの挨拶という、国際にしてはマイルドな構成だったが、真骨頂は建物右端に掲げられた地下劇場の大看板だった。
「エロ映画、今までさんざんヤリ尽くし、後に残るは虚しき骸」
リアルな骸骨の脇に、吐き捨てるような辞世の句。最後まで普通じゃねえな……と感心しながらチケットを買う。
度肝を抜かれた骸骨看板(筆者撮影)
この日、国際地下は600円の出血サービス。オールナイトはなく、22時半には完全閉館する。
件の地獄階段から降り立つと、ヤニ色をした群衆のなか、いつになく大勢の女装子が目に入った。
平時は若くて40代。棺桶に片足突っ込んだご年配の方が多いが、閉館のニュースが話題になったからか、国際では滅多に見ない、20代、30代の若い女装子が集まっていた。
世代やカテゴリは違えど、みんな、思い思いに残り少ない大切な時間を楽しんでいる。そんな、祝祭めいた光景だった。
「ありがとう」の書き込みも。ここだから許される(筆者撮影)
加えてこの日は、普段まず見ない本物の女性客も目撃した。
ある女性は、登山用ジャケットのフードを深々被り、マスクに色付きメガネ。そんな行き過ぎた変装でコソコソ写真を撮りまくり、10分ほどで逃げるように消えた。
またある女性は、長身の男2人を護衛に従え、引きつった顔で階段を降りてきたものの、館内の地獄絵図を前にしばらく固まっていた。
行為中の女装子を至近距離からガン見した挙げ句、「あんたッ! こんなとこひとりで居るとヤラれちゃうわよ!」と、女装子に怒鳴られている女性もいた。
そんななか、床に散乱する得体のしれないゴミを、なんと素手で拾い集めていた清掃のオッチャンが、呆れたようにひと言。
「もう終わりやから、今日はなにやってもええわ!」
そんなオッチャンのすぐ脇を、黒覆面で顔を覆った女(たぶん……)がドスドスと豪快な足音を立てて通り過ぎ、ジジイが数名、後に続く。
館内に貼られていた「ハッテン卒業証書」(筆者撮影)
まだまだ先があるのだが、さすがの私もお腹いっぱい。きりがないのでこのへんにしておこう。今日見た光景は死ぬまで忘れない。ありがとう国際! アデュー!
罵られようとも、ただ見守り続ける
閉館秒読みの21時過ぎ。瀕死のエアコンがついに限界を超え、館内は汗ばむほどの湿度だった。
我慢できず外に出ると、劇場前には長い行列が伸び、女装子もおっさんも、幽霊みたいな老人も、みんながニコニコと記念写真を撮っていた。
閉館秒読み。人が集まってきた(筆者撮影)
普段、劇場外では他人のふりをする人々が、おどけたポーズを取りながら、種族を超えてシャッターを押し合う。解放区の終焉に相応しい、晴れがましいフィナーレ。
こうして、関西のソドムと呼ばれた新世界国際劇場は、神の火に焼かれ滅びる前に自らその幕を閉じた。
劇場を取り囲む人々を眺め、余韻に浸りながらも、オアシスを追われた人たちがどこに向かうのか、行き先を案じずにはいられなかった。