49年ぶりの甲子園へ復活の兆し!千葉の古豪公立校に元プロ監督が就任、フィジカル&データ重視の“大改革”
7月4日に開幕する第108回全国高等学校野球選手権千葉大会。毎年激しい戦いが繰り広げられる“戦国千葉”で名門復活として期待されるのが千葉商である。 夏7回、センバツ1回の出場を誇り、今年は49年ぶりの甲子園出場を狙う。今春の県大会では3回戦に進出し、19年ぶりのシードが決まった。かつて千葉を盛り上げてきた伝統校はいかにして、復活の狼煙をあげたのか。 【トーナメント表】夏の千葉大会の組み合わせ
指揮官は最後の甲子園出場となったエース!なぜ母校で監督になったのか
「今年は千葉商にとって勝負の年ですよ」 千葉の高校野球関係者の間では、そんな声が早くから聞かれていた。名門の復活を託されたのは、同校を率いる野崎 進監督。野崎監督は、千葉商が最後の甲子園出場を果たした1977年夏の甲子園出場を支えた当時のエースである。卓越した制球力を誇る右投手であったが、実は「両投げ両打ち」という極めて異色のプレーヤーでもあった。 「中学時代はテニス部だったので、左右どちらでも打てたんです。自分が中学生の時に、同じ千葉県の銚子商(1974年)や習志野(1975年)が夏の甲子園で次々と全国制覇を果たしました。その姿を見て『自分も野球をやってみたい』という思いが強くなり、千葉商への進学を決めたのです」 その言葉通り、千葉商では投打の中心として大活躍を収め、チームを甲子園へと導いた。 初戦敗退だったが、投打ともに高いセンスを発揮し、プロのスカウトから注目された野崎監督はドラフト外でヤクルトスワローズへ投手として入団する。現代でいえば、育成枠でのプロ入りに近い形だった。しかし、プロのレベルの高さ、そして故障に苦しみ、わずか1年で現役引退となった。 「それでも球団は再起を期待してくれて、打撃投手として残してくれましたが、3年目で退団を決断しました。当時のヤクルトは退団する選手への再就職の斡旋など、セカンドキャリアのサポートが非常に手厚い球団でした。ただ、私は地元の市原に戻って家業を継ぐつもりでいたため、球団の厚意を辞退して実家へ戻ったのです」 故郷へ戻った野崎監督は、両親が自営していたスーパーマーケットに勤務し、第2の人生を歩み始めた。しかし、野崎監督が30代を迎えた1990年代以降、地方にも大型チェーンのスーパーが続々と進出し、全国展開を加速させていく時代が到来する。時代の荒波を受け、両親の判断で店舗を閉鎖。当時37歳だった野崎監督は、建築資材を扱う営業マンとして新たな一歩を踏み出すこととなった。 ここまで野球の指導とは一切関わりない人生を送っていたが、2013年、学生野球資格回復制度で、元プロ野球選手が指導できる条件が緩和され、高校監督の教諭歴規定が撤廃されたため、野崎監督は初年度で資格回復となり、仕事の合間に母校の千葉商で指導をしていた。 そんなとき10年以上、同校の指揮を執っていた杉脇 義久監督の異動が決まり、なかなか後継者が見つからず、野崎監督が誕生することになった。 「公立校は異動がつきものですが、後輩である杉脇監督は11年も千葉商の監督も務めていました。なかなか監督を務められるような人が来なくて、前任の杉脇監督、校長先生、野球部のОB会長、私が集まって話をすることになり、『野崎さん、生徒たちの面倒を見てもらえないか』とお願いをされ、受諾しました。それまでは週末など見られる日に指導していたんですけど、しっかりと見たほうがいいと思って、営業マンは退職して、監督に就任したんです」