第21話 金銭欲は三大欲求に含まれますか?
コアちゃんに連れられ、急いで居間に向かう。
居間では鐘々が、どこか眠そうに、こたつ机に顔をつけたまま座り込んでいた。
よかった。倒れたと聞いたが、緊急性はなさそうだ。
――いや、違う。
顔をよく見る。違和感がある。顔色に異常はない。呼吸も正常そうだ――だが、目の光が弱いように感じる。
「倒れたって聞いたけど……大丈夫か? 寝不足か?」
「んー……」
反応はある。
だが、やはり、なにか違和感がある。
「とりあえず、ダンジョンの申請は滞りなく終わらせてきた。あとは受理されるのを待つだけだ」
「そう。おつかれさま」
「で、当面の生活費についてなんだが……一日でどれくらい稼ぐのがラインかわかったか?」
「あー……とりあえず生活できればどうでもいいんじゃない?」
……どきりとした。
嘘だろ?
俺は鐘々に向き直る。
「大丈夫か? 金の話だぞ?」
「いや、お金は……うーん……」
おいおいおいおい。金の亡者が、金の話に反応しないんだが?
とにかく、鐘々が食いつきそうな話題を投げかける。
今日の株相場。貯金額。仕入れ値。転売益のニュース。中古市場。
そして、初心者探索者が持ち込んでも怪しまれない素材の単価――しかし、鐘々の反応はよろしくない。
金に対しての興味を、完全に失っている。
これは……。
「おい、マジでどうした!? 金の話だぞ!? なぁ、おい!」
背中を冷や汗が伝う。
いや、もうどういう状態なのかは、なんとなく理解できた。
理解できたが、どうしてこうなった?
「と、とりあえず、なにか食べるか? それとも眠いのか?」
「お腹も空かないし、眠りたくもないかな……もう、放っておいてほしい……」
金銭欲がなくなっているのは、なんとなくわかる。
だが、三大欲求まで希薄になってないか、これ? お前の金欲、三大欲求に接続されていたのか? 人類の生物学に新しいページを足すな。
俺は無理にでも鐘々を、我が家に一つしかない貴重な布団に寝かせた。
それから居間に戻り、コアちゃんの事情聴取を始める。
「コアちゃん、俺がいない間、なにがあった?」
「鐘々は、駆が出かけている間に、カネになるものリストを作ったあと、端から端までそれらを具現化しておった。ダンジョンの中にそれらは置いてあるから、あとで確認してほしいのじゃ」
結論から言えば、そう、鐘々が倒れた原因。
それは、欲望の過剰消費だった。
今の俺たちが換金できるものの条件は厳しい。
初心者の探索者が持ち込んでも不自然ではないこと。
高価すぎないこと。
役所に目をつけられにくいこと。
安定した収益に繋がること。
そのうえで、生活費のほかに借金の返済も賄えなければならない。
これだけでも、換金できるものの候補はかなり限られる。
だが、ここからさらに、コアちゃんの欲望システムによる生成物クオリティ問題が壁になる。
いくら知識があっても、それを生成できるかは不透明だ。
だから鐘々は、自分でそれを試し、鑑定し、検証した。
作り、見て、触り、値段をつけ、判断し、それを繰り返した。
「布、石、虫の殻、薬草もどき、金属片、光る砂。鐘々は全部並べて、値をつけて、駄目なら崩して、また次を作っておった」
彼女が好きなものは、正確には金ではない。
金を稼ぐことだ。どれが売れるレベルで生成できたか? 作ったものに不自然な点はないか? どれなら怪しまれずに定期的に売ることができるか? どれなら安定して具現化させることができるか?
その検証を、俺が出かけている間に、ずっと続けていたらしい。
コアちゃんは止めた――けれど、鐘々は止まらなかった。
「私は今はこれくらいしかできないからね」
そう言われて、コアちゃんは引き下がったらしい。
半ば冗談で言った今朝の「生活費を恵んでください」という俺の言葉は、彼女の胸にしっかりと刺さっていたのかもしれない。
「俺のヒモ発言が、思ってたよりも負荷になってたのか……」
反省すべきだった。普段のやり取りから忘れがちになるが、彼女は異形であり、差別により居場所を失った者だ。
――居場所を失わないために、必死だったのかもしれない。
「なぁ、コアちゃん。鐘々は治るのか?」
「そうじゃな。少しの間休ませれば大丈夫じゃろう。生き物は生きている限り、その欲が完全に尽きることはない」
その言葉に安心する。
「じゃが、ダンジョンに入るのはやめておいたほうがよいじゃろう。入ればまた欲を消費し、鐘々は自分自身を失うかもしれん」
「どういうことだ? もしかして、三大欲求が薄くなっていることと関係があるのか?」
「鐘々の欲の本質は、カネを稼ぎたいという欲じゃ。じゃが、欲の本質は、その生き物を形作る存在そのものなのじゃ」
コアちゃんは、眠る鐘々を見た。
「欲の本質が削れることは、その生き物の存在そのものが削れることと同義じゃ。存在が希薄になれば、他の欲求も減っていく」
欲の本質は、生き物の存在そのもの。
存在理由。
生きるための理由。
生きるためのガソリンと言い換えてもいいかもしれない。
鐘々はいま、自分自身を失いかけている。
欲を失った者が廃人になる。その理由が、少しだけわかった気がした。
「探索者にも、こういう症状が出るのか? 俺は聞いたことがないんだが」
「そうじゃな……。たぶん、普通は出ぬ」
「たぶん?」
「妾は、もう普通のダンジョンではないからのう」
コアちゃんは、少し困ったように首を傾げた。
「普通のダンジョンなら、欲は霧のように吸われる。ゆっくり、薄く、広くじゃ。じゃが、妾は欲を直接受け取り、形にして返す。形がはっきりするぶん、持っていく量も大きいのじゃ」
「つまり、具現化が具体的になる代わりに、欲望の消費も大きくなるってことか」
「そうじゃな」
「魔物の欲は大丈夫だったのか?」
「魔物たちの欲は、もっと長い時間をかけて食べておった。数年か、十年か、百年か……」
「単位を雑にするな」
「妾は寝て起きたら草が伸びていたり、森が減っていたりしたのでな」
「ダンジョンの時間感覚、信用できねえ」
「その時間の単位を決めたのは人間じゃろう」
「それはそうだが……」
確かなのは、コアちゃんを通すと具現化が具体的になる反面、欲望の消費も大きくなるということだ。
とりあえず今は、鐘々を休ませておくしかなさそうだ。
さて。
鐘々は戦力外。
俺一人では金策が怪しい。
ダンジョンの登録は三週間待ち。
不動産計画は、やる前から頓挫している。
つまり――詰みである。
無職からヒモにクラスチェンジした男は、ヒモ先の財布が倒れるという想定外の事態に直面し、再び無職に返り咲いたのであった。
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