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【Web再録】きみはかわいい◯◯のペガサス/Novel by TTK

【Web再録】きみはかわいい◯◯のペガサス

60,024 character(s)2 hrs

2023年6月25日に頒布した同人誌のweb再録です。
※再録に伴い同人誌版から改行等の再編を行なっています。

すでに公開しております拙作「君はかわいい○○のペガサス」(novel/17806670)の続編つき再編集本になります。
内容は下記の通り。

【本編】
きみは可愛いオレのペガサス(公開済み上記リンクと同内容)
君はかわいい僕のペガサス
キミはカワイイボクのペガサス
【おまけSS】
ペガサス式ぷにぷに解消作戦
キスカウント・プロブレム
【WEB再録追加SS】
所詮ぼくらは君の虜(進級後)

趣味ましましのやりたい放題ペガサス本だったのですがたくさんの方にペガちゃん可愛いって言っていただけてとっても嬉しかったです感謝。もちもちのペガサスは、いいぞ…

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見ないとわからないそもそもの前提のお話はこちら
君は可愛い◯◯のペガサス

続きは↓



二.君はかわいい僕のペガサス


 あれから――つまり類とペガちゃんのファーストコンタクトが行われてからというもの、司の穏やかな日常には少しばかりの変化が現れていた。


 まずひとつめ、ペガちゃんが以前に比べると非常に活動的になった。

 それまでは司や咲希が誘わなければ散歩に出かけたりしようとすらしなかったし、家でのんびりしているときは巧みにリモコンを駆使してテレビ番組や家で契約しているサブスクを活用し映画を楽しんでいる印象があったのだが(ペガちゃんはエンターテイメントをこよなく愛するペガサスなのである)、最近は司が出かけようとすると必ずお供を名乗り出てくれるようになっていた。
 その申し出、司も初めはただ希望してくれているとはいえ窮屈なバックに長時間忍ばせるのは可哀想だしこれでいいのかと悩んだりもしたのだが、バックに入ることはせず司の周りを飛びまわったり、疲れてきたら肩に留まったりしてわりとバックの外で一緒にいてくれているので今のところうまく行っている。
 家でごろごろしているよりもペガちゃんの運動になるし、結果論ではあるがとてもいい兆候だ。授業中は司の机の上や引き出しでぴすぴす言いながら寝ているペガちゃんを眺められるので、司としてもありがたい変化となっている。非常に可愛い。授業には集中できないが。

 そしてふたつめ、類の調子がだいぶ元に戻ってきた。
 なんでも本人が言うにはそもそもの体調のゆらぎは季節による影響が大きいらしい。それこそ気圧だとか、湿度だとか、そういう外部的要因で一時期だけ不調が襲ってくるということだったので、はじめて類に力を使ってからもうかなりの時間が経っていることもあり順調に快方に向かっているようだ。いつかの青白い顔色がどこへやら、爽やかに『司くんのおかげだよ』だなんて健康的な笑顔で言われることが出来たのはとても喜ばしいことだった。
 類の体調がひと段落したことで、これでしばらく続いていた類のケア係も一旦終了か……なんて司はのんきに考えていたのだが。その申し出をしたところ類としては司がいた方が眠りが深くなるとかなんとか、結局良くなったと言っても力は使わないでいいからとあれやこれやと理由をつけて今までと変わらない頻度で未だに添い寝なり何なりをねだってくるので、最近はそもそもの根本的な解決が必要かもしれないと考えているところだったりする。
 主に栄養を取ることだとか、早く寝るなどの生活習慣の改善だとか。類はそもそもの生活リズムの乱れが司の知る普通よりもひどそうなので、本格的に改善を図るなら相当に気合のいるミッションになりそうな気がしていた。ということでこれは現在検討中である。

 さて、最後にみっつめだが。……紆余曲折を経て、類とペガちゃんの仲が着実に深まっていた。
 ひとつめに上げたが、ペガちゃんは司にぺったりとくっついて色々なところに同行するようになったので、必然的に学校で類といる時間が多いこともありひとりといっぴきが相対する機会は格段に増えていた。類とはかなりの頻度でランチを一緒するし、バイトへの移動時間も一緒にいることがほとんどだ。その甲斐もあってペガちゃんとも初対面の時に比べるとかなり打ち解けてきているように思う。
 例えば、昼休みに類が力を使って欲しいと告げた瞬間にペガちゃんが類の顔に突撃してべったりとはりつきそのまま力技で類を寝かしつけたりだとか、バイトへの移動の時にはペガちゃんの定位置が類の頭の上になったりだとか。司には内容が分からない言い合いにもなっていないような言葉遊びをよく交わしているから、もう仲良しだという認定をしてもいい頃だろう。
 そうそう、ペガちゃんについてだが、類の翻訳能力によってあれから色々わかったことがある。まず司のもつ癒し、というには効果が薄すぎる力だが、実は力の使える限りがあるらしい。だからあまり無作為に使いすぎないほうがいいとのことだった。
 といっても使わなかったらじわじわと回復していくので力が使えなくなってしまうことはないようだが、上限があると分かるとできることも変わってくる。その為裏で進めようとしていたペガちゃんを見ることができる人を増やすという計画は現在ストップ中になっていた。だが類を無理やり寝かし付けることができたように、司の力に似たようなこと、むしろそれ以上のことををペガちゃん自身ができるので(司の力はペガちゃんから貰ったものだから当たり前と言えば当たり前なのだが)、今度改めて時間設けて実験してもいいかもしれないという相談は進めている。
 あと大事なこととしては、ペガちゃんの存在は司の知っているセカイと似て異なるものであるということもわかった。近すぎる存在であるが故にペガちゃんが直接司のセカイに向かうのはあんまり良くないが、根幹の部分では繋がっているとのことだ。
 だから実は司がセカイを初めて訪れたときからそのことを把握していて、事の次第をあたたかく見守ってくれていたのだということも類越しに聞いて感動したりもした。思い返してみると、確かにセカイを訪れはじめてしばらくは家でふんふんと鼻を鳴らして興味津々なペガちゃんにまとわりつかれていた気がする。……む、でもそれは咲希も同じだったから関係ないのかもしれない、生活が変わりたてだったから警戒していたのだろう。
 どちらにせよペガちゃんが司の成長を見守ってくれていたということが大事なのでそれで良しとしておく。
 とまあ、こんな形で今まで知らなかったことが明らかになったり、そもそもの行動のスタイルが大きく変わってきたりしていた。総じてそれは悪い変化では無かったから、司としてもこの状況におおむね満足はしている。
 
 ただ、一方で変わると思われていたのに予想に反して変わらなかったものも、確かに存在していた。


「ふふ、油断したね? ほーら」
「ぴひゃ〜っひゃひゃひゃ」
「まだ逃さないよ。ほら、脇腹が弱いんだったよね」
「ぴぴ〜! ぴゃっ!」

 そんなここ最近のことを思い出しながらぼんやり目の前の光景を眺める。楽しそうに戯れている類とペガちゃんは(前に聞いたらこれはれっきとした攻防なのだと言っていたが)、今日は類の方に軍配が上がりそうだ。類にくすぐられるのにめっぽう弱いペガちゃんだから、この流れになった時は笑い疲れて司に助けを求めに来るのがいつものパターンになっている。たまに自分から噛みついて反撃したりしているけれど今日はその兆候も見られない。
 ううむ、平和な日常の一幕である。のんびりしたそれに思わず力が抜けてしまったせいか、カシャン、体重をかけた屋上のフェンスが小さく音を立てた。

「おや司くん、ぼんやりしてどうしたんだい?」
「ぴゃ?」
「む、すまん。邪魔をした」

 そろそろヘルプの要請が来るだろうと待っていたところだったのだが、今日はちょっと勝敗のつき方が違ったらしい。司がぼんやりしていたからだろう、類が膝の上のペガちゃんをくすぐるのを止めて首を傾げて問いかけてきた。しまった、いつもだとペガちゃんとのやりとりを止めに入りはしないまでもほどほどにしろとか諌めるために何かしらの声をかけているから、それが無かったことを不思議に思ったのかもしれない。
 意図せず類達の戯れを邪魔をしてしまう形になってしまったようだったので、ゆるく首を左右に振って何でもないと取り繕う。けれど一度止まってしまったやりとりをこれ以上続けるつもりはなかったらしく、劣勢だったこともありこれ幸いとするりと類の手を避けたペガちゃんが司の方へとジャンプしてきた。
 まぁ、別にペガちゃん達がいいならいいか。気を取り直して勢いよく飛んできた身体をを受け止めて、邪魔した詫びにもにもにと類に習って揉んでみる。

「ぴぴぴぴぴ〜」
「おやおや、先ほど僕にはあんなにも噛みつこうと必死だったのに。随分態度が違うじゃないか、傷付いてしまうなぁ」
「ぴゃん!」
「あぁなんてことだ、僕は嫌われてしまったみたいだよ。司くん、慰めてほしいな」
「ぴぇ⁉︎」
「こら類、あんまりペガちゃんを揶揄うな」

 まったく、本当に仲が良いことだ。と言っても一応軽く諌めておけばすぐに双方落ち着いたから、どちらもじゃれあいくらいのつもりだったようである。
 その証拠に類を注意した途端にペガちゃんは話すことををぴたりと止めそのまま慰めてくれとでもいうかのように頭を手のひらに擦り付けてきた。切り替えの早さについつい口元を綻ばせながらリクエストの通りに撫でてやったところ、それが気持ちよかったのかすぐにうとうと船を漕ぎ始める。そういえば先ほど食事をすませたところであった。天気もいいし、こうも穏やかであれば確かに眠くなるのも仕方がない。
 別に止める要素も無かったのでそのままにしておくと、ペガちゃんはすぐに膝の上で気持ちよさそうに眠りだした。なんとおだやかな昼下がりだろうか。平和そのものである。

「まったく、警戒心がないペガサスもいたものだね。といっても僕もペガサスの生態に詳しいわけではないのだけれど」

 類がひとりごとのように呟いて、そっとペガちゃんを優しい手つきで撫でている。その表情は優しく綻んでいて、それが少し嬉しかった。なにせ生まれてこの方ずっとそばにいた大事な家族である、自分の好きな人がその家族を好きになってくれるなんて、本当に素敵なことだと思うから。
 
 そう、自分の、好きな人が。

 ――ここが、司の最近の主な悩みであった。実はこの〝好きな人〟の部分、ペガちゃんと類を引き合わせる前から今まで、実は全く進展がないのである。
 寧々に鈍感と言われがちな自覚のある司だって、あの日『お付き合いをしたいと思っている』とか『告白するつもりだった』とか、なんなら頬にキスをしてきたという状況証拠からも類が司のことをどう思っているのかは流石に理解しているつもりだ。ということで司の抱いている淡いこの想いは実ったも同然、あとはこちらも好きだと伝えてハッピーエンドで大団円を迎えるだけだった。
 ……けれど、なぜこうもあと一歩が進みきれていないのだろうか。
 鉄は熱いうちに打て、と言われるように類の気持ちを(ほぼ又聞きの体だったが)聞くことができたその日のうちにその場の勢いでえいやと伝えられていたらよかったのだが、あの日は明かされた新事実──類がペガちゃんと意思疎通を測れるとかのことだ、によって司の家族をスマホ越しに巻き込んでてんやわんやの大騒ぎになり、気がついたら想定以上の時間が経ってしまい、司のタイムリミットもとい家族揃っての夕食の時間が近付いてしまったこともあって特にふたりの仲の進展は何もないまま家へと帰ってしまったのだった。
 といっても司がそれから何もしなかったわけでもない。例えば何度かふたりきりになったタイミングであの日の仕切り直しをしようと試みたりもした……のだが。そもそも司にぺったりになっているペガちゃんがいるので完全にふたりきりになることが無かったし、類に撫でられてペガちゃんが今のようにぐっすり眠ってしまった時はタイミング良く鳴り響いたバイトの連絡で雰囲気が壊れてしまってどうにも立て直すことができず、結局ずるずると何も出来ないまま今に至っている。

(このままで良いかと思ってしまうこともあるけれど)

 正直に言って今の司の生活は非常に充実していた。ショー活動は順調そのものだし、体力気力も充実、毎日こうしてペガちゃんと一緒にいられる時間が増えたことにより癒しの時間もバッチリだ。ふたりの関係性に名前が付かなくとも類はこうして隣にいてくれているし、なんだかんだあの日の類の発言を聞いてこちらが態度を変えていないことからも色々と察してくれているのだろう。遠慮されることのない、というか着実に悪化しつつあるスキンシップがその良い例だ。でも。
 
(このままの状態にしないために、ペガちゃんはついてきてくれているはずだ)

 ペガちゃんが今まで引きこもりがちだった生活スタイルを変えてまでして司についてきてくれるのはきっとペガちゃんなりの応援に違いない。流石にペガちゃんの前で公開告白するようなことはできないけれども、ちゃんと自分で言うのだぞと、中途半端にするなよと鼓舞するためにこうして一緒にいてくれているはずなので、司はそう信じているので、その期待を裏切るわけにはいかないのだ。
 現にペガちゃんが一緒にいてくれるおかげで類と共にいる時間が増えたし(類から声をかけてくることが増えたり、あとペガちゃんが暇な授業中にふらりと類のいる教室を訪れたりするので迎えに行きがてら自然とそういう流れになっている)、これは増えたチャンスを活かせというペガちゃんからのメッセージに違いない。

「び……? むび」

 夢見が悪いのだろう、膝の上で渋い表情をしているその姿を見守りつつトントンと身体を優しく叩いておく。そして決意を新たにした。──ペガちゃんの期待に背かないように自分も努力をするのだと。

「よし! やるぞペガちゃん!」
「すやぴ」
「おやおや、なんだか面白いことになってきたような気がするね」

 膝の上の睡眠を妨げることがないように大きく腕を突き上げ、動きに反して控えめな音量で気合を入れる。
 隣にいるターゲットは、こちらの考えを知ってか知らずか楽しそうに笑っていた。

「そういえば知っているかい司くん、寝ているペガサスくんの口元にこうしてお菓子を近付けるとね」
「んぴょ……もひ……ひ、ぷすー」
「自分で寄ってきて食べるんだよ!」
「……ほどほどにしておけよ」

 本当に呑気なものである。まぁ、今は警戒されるよりこうして油断して貰っていた方が司にとって都合がいいので何も言わずにそのまま放置しておくことにした。とりあえず、まずは家に帰ってペガちゃんと対策会議を行うことから始めよう。
 首を洗って待っていろ、という少々物騒な言葉は口には出さずに、楽しそうにお休み中のペガサスを構う横顔に向かって色んなものがこもった念を送っておくことにした。


 ***


「というわけで、まずはペガちゃんに決意表明をしておこうと思ってな」
「ぴゃぴぴぴぴぴぴぴぴ」
「おお、喜びのあまり震えているのか⁉︎ ペガちゃんには色々と気を使わせてしまってすまない。オレも勇気を出して頑張るからな!」
「ぺぁ……ぴゃぴ〜」

 ところ変わって自室のマットの上、なんとなく改まって正座をした上で告げた言葉をひと通り聞き終えたペガちゃんはいつもと違う挙動を見せていた。震えたりゴロゴロ転がったり大暴れであったが好きにさせておいたら落ち着くだろうとしばらくその姿を眺めていたところ、ぴたりと動きを止めたかと思えば目を潤ませて一目散に司の胸へと飛び込んできた、のでぎゅっと抱き留める。
 こんなになるまで心配をさせていたのか、とちょっと申し訳なくなってしまった。心の中で反省をしておく。

「類とペガちゃんもすっかり仲良しだしな。はじめは紹介するのもペガちゃんが人見知りなのもあってちょっと心配だったんだが、そんな必要もなかったか」
「ぴ⁉︎」

 柔らかなたてがみを撫でながら呟く。もしペガちゃんが類を受け入れられなかったらどうしようかと、今まで一度も考えなかった訳ではない。……まぁ類は興奮するとちょっと見境がなくなるきらいがあるが心底優しい人間だし、小さな生き物には特に優しいことなど普段やセカイでの姿を見て十分すぎるほど知っていたから多分大丈夫だろうと元々思ってはいたのだけれど。
 現にこのひとりといっぴきは顔を合わすたびにちょっとした戯れのような口論はしているが、実はペガちゃんが類に撫でられるのが嫌いじゃないことだったり、司よりも高い位置にある頭の上から見る光景を割と気に入っていることを司はもう知っていた。
 類の方も微笑ましげにペガちゃんを見ていたり、反応を楽しんだりしているのでもうすっかりバッチリ可愛がっている。たまに指を噛まれているのに満面の笑みだったりするし(ちなみにペガちゃんは歯が無いらしく噛まれてもくすぐったいだけで全く痛くはない。食事をどう噛んでいるかは不明だ)。
 とん、とペガちゃんを床に座らせて丸い瞳を覗き込む。先ほど潤んでいたそれだったがもうすっかりいつもの調子に戻っていて、くりくりとこちらを見上げていた。が、すぐにむーっと渋い顔になっていく。何かを考え込んでいるようだ、複雑な表情変化である。思わず三者面談の時のように身が引き締まる思いでぴしりと姿勢を正してしまった。

「……ぴぃ」
「あ、はい」

 とんとん、何かをここに置けとでも言うかのようにペガちゃんがジェスチャーをする。といっても何を要求されているのかはペガサス語の分からない司にははっきりその意図を理解することができないので、まず自分の手をそこ、示されたペガちゃんの前に置いてみた。
 ふるふる、どうも違うようだ。この様子であれば何か別の場所に要求されたものを取りに行く必要があるようなものではないと思うのだけれど。手がかりがないのでその推測が正でも誤でもまずは手近なところから、ということで胸ポケットに入れていたペンを置いてみる。
 ふるふる、これも違う。あと手持ちにあるものといえば――身体をまさぐってみて、尻ポケットに硬質なものがあることに気がついた。スマートフォンである。

「もしかしてスマホか?」
「ぴ!」

 確認するように問いかけつつもそっとペガちゃんの前にスマホを置いてみると、そうだそうだと前足を上下にばたばたさせていた。どうやら本当にスマホをご所望だったようだ。ペガちゃんはテクノロジーを駆使することに何なら司よりも長けたペガサスなので、スマホの操作方法は把握していると思う。だが今までこうしてスマホを貸してくれと要求されたことは無かったため、何に使うのかまではさっぱり分からずつい頭の上にハテナを浮かべてしまった。
 が、司が理解するまで待ってもらえるはずもなく。早く早くと急かされるがままとりあえずスマホのロックを解除してやったところで、すぐさま画面に向かったペガちゃんを見守ることにした。どうせ後々何がしたかったかは分かるはずだ。タップくらいは出来るだろうから、先ほども話していた内容からも類に電話をしろとかそう言うことだろうか……そんなありきたりな予想を立てながら指示を待つ。そして次の瞬間、声も出せずにただ驚きで目を丸くした。
 なんとペガちゃんが、その小さな前足を駆使して巧みにスマホを操作し始めたのである。しかも拙い仕草などでは一切無く、躊躇いもなくすいすいと画面を操っていて、タップもフリックもお手のもの。確かにテクノロジーに強いとは言ったがまさかここまでだとは思わなかった。
 巧みに、といえどサイズ感はだいぶ合っていないものである。一生懸命自分とほぼ変わらないサイズのスマホと格闘する姿には見守る司も感動するしかなく、思わず視界が潤んでしまいそのまま見守っていられなくなって、熱くなる目頭を押さえて頭を振った。

「ぴぴゃ!」

 まさかこんなタイミングでペガちゃんの成長を感じることができるなんて。今すぐこの事実をリビングにいるであろう他の家族に共有したかったのだが、動き出そうとしたところですかさず呼び声がかかる。
 そうだ、ペガちゃんは何かを司に伝えようとしていたのではなかったか。
 急かされるがままに急いであげた目線の先に飛び込んできたのは、何かやり遂げたようにふんすと鼻息荒くこちらをみているペガちゃん。と、開かれたメモアプリのページだった。そこには何かが書かれている。
 
『るい よびだし ふたりきり して』

 ――明らかに意志を持った文字列だった。そして、司にはこんな単語を書き記した覚えはない。となると、これを残したのは現時点でひとり、いやいっぴきしかいないだろう。あまりに予想し得ない展開に呆然とその文字を書き記したと思われる相手をみると、先ほど見た時よりもさらに誇らしげにくるくるとスマホの横を飛び回っていた。見事なターンである。その自信満々な様子にスマホに言葉を残したのが誰であるかかなど、もう疑いようがない。

「て、て」
「ぴ?」
「天才だーーーーーっ‼︎‼︎」
「ぴわーーーー‼︎⁉︎」

 ご機嫌に飛び回る段階を超えてもはやダンスを踊っていた小さな身体をむんずと捕まえて、高い高いするかのように天井へと掲げた。その時についついここ最近でも一番の声量が出てしまったものだから、もしもここにネネロボがいたらあの冷静なトーンでどのくらいの騒音だったかのツッコミを入れられたことだろう。ついでにポーズが映画にもなった有名な某ミュージカルの主人公誕生シーンに酷似していることにも触れてくれたかもしれないが、ただ残念ながらここは司の自室であるし、今は司の興奮を止められる人物は誰もいなかった。

「父さん、母さん、咲希ーーーッ! ペガちゃんが、ペガちゃんがすごいんだ!」
「もう、お兄ちゃんどうしたの? 下まですっごい響いてたよ〜」
「すまん! でもペガちゃんが天才なんだ!」
「ぴ、ぴ〜」

 勢いよく立ち上がって吹き抜けから身を乗り出してリビングの家族へと声をかける。家に響き渡った声に加えてこの様子、まだ飲み込めていない咲希は不思議そうな様子だったがその反応では今の司の興奮を留めるには足りず、このビッグニュースをはやく共有するべく手にペガちゃんを鷲掴んだまま急いで部屋を飛び出して階段を転がるように駆け下りたのだった。


 ちなみにその日の天馬家はお祭り騒ぎだったことをここに追記しておく。だってみんなペガちゃんのことが大好きなのだ、ペガサスがスマホで文字入力をしたことに対してツッコミを入れられるどころかみんなで大喜びし、止まるところを見失ったせいで勢いをどんどん増して盛り上がってしまった。
 でも、口々に褒められてペガちゃんも嬉しそうだったし、なんだかんだ言ってその日は司を含む家族みんなにとって記念すべき素晴らしい日になったと思う。……ただ、当初の司とペガちゃんが話していた内容を頭の中からすっとばしてしまったこと以外は。


 ***


「ぴ!」
「いや……すまん。申し訳ない」

 ところ変わっていつもの屋上。に正座をして、でも今度は過去の記憶とは少し違った様相でペガちゃんと向き合っていた。バツの悪さにちょっと目線を逸らしてみるが、ぷんぷんと絵本のような擬音が聞こえてきそうな様子で司の膝を叩くペガちゃんは随分おかんむりのようでちょっとやそっとでは機嫌を直してくれなさそうである。
 まぁそれもそのはず、あの日スマホを使ってにはなるが初めてペガちゃんと言語でのコミュニケーションを取れたことが嬉しくて家族を巻き込んでの大騒ぎをした後、すっかり伝えてもらった内容のことを忘れて数日普段通りの生活を送ってしまっていたのだから。ペガちゃんも自分が伝えたことを忘れていつもどおり過ごしていたからわりとおあいこでもあるのだが、ここはそんな野暮なことは言わずに殊勝な態度で謝っておくこととする。

「でももうすぐ類もやってくると思うし、要望の通りふたりきりになれると思うぞ。これで良いんだよな?」

 今日はフェニックスワンダーランドがアトラクション点検のための休園日ということで、放課後はフリーな日なのだ。おあつらえ向きのちょっと呼び出すには絶好のタイミング、類にはあらかじめ放課後に少し時間を貰えないかというメッセージを送っていた。返事はオーケー。ただし委員会の活動があるらしいのでそれが終わったらすぐ屋上にやってきてくれる手筈になっている。
 ということで類を呼び出してふたりきりにする、というペガちゃんに伝えられたお願いは都合よくとんとん拍子で叶えることができていた。今は何度目かになるペガちゃんのお叱りを受けながら類がやってくるのを待っているところだ。そこまで時間がかかる予定ではないという話だったから、もう直に連絡が来ることだろう(一応終わったら連絡を入れてもらう約束になっている)。

「しかし、まだ何をするのか教えてはくれないのか?」
「ぴゃ〜」

 ふい、とそっぽを向くペガちゃんは譲ってくれる気はなさそうだ。司の問いを無視して正座した膝の上によじよじ登ってきているので、これ以上機嫌を損ねないためにも好きにさせておくことにした。あれから何度も家族の前でのデモンストレーションも含めてスマホで意思疎通を取ることができたので、司にこの呼び出しの意図をあらかじめ伝える手段が無い訳ではない。けれど、それでもなぜ類を呼び出したいのか、という問いについてはペガちゃんは一貫してだんまりの姿勢を取り続けていた。
 一応、司が類に告白したいと思っていることについて改めてペガちゃんに話をしようとしたらすぐに遮るようにスマホを叩くようになっているから、この行動が多分ペガちゃんから司へのアンサーに繋がっているのだと解釈している。……だからこそペガちゃんの意思を優先させようとしてはいるのだけれど。
 ふわふわと揺れるピンクを基調としたパステルのたてがみを手持ち無沙汰を慰めるように撫でる。もしかしたら司が類に告白するためのお膳立てをしようとしてくれているのかもしれないな、なんて流石に司に都合の良すぎることを考えてたところで。

 ピコン。

 スマホが音を立ててメッセージの到着を知らせた。呼ばれるまますぐに画面を確認すると、どうやら待ち人からのメッセージで間違いなさそうである。
 内容としては今委員会が終わったから教室に寄ってから屋上に向かうね、という何の変哲もないものだった。もう数分もしないうちに類はやってくるはずだ、待望のそれをちゃんと共有するためにもスマホの画面をペガちゃんに見せようとしたところで、先ほどまでは司の膝の上で横になったり暇をつぶしていたはずのペガちゃんがいつのまにかふよふよ司の目の前に浮かんでいることに気がついた。

「ペガちゃん? 類はもう来るはずだが」

 呼びかけて首を傾げる。スマホを見にきたのだろか。しかしそれにしては画面を向けてもペガちゃんは微動だにしなかった。
 いつもとは違う、とは言い切れないものの反応の薄いペガちゃんの態度に違和感を覚える。そういえばスマホで指定されたのはふたりきり、ということだったが、あれは司と類のふたりということなのだろうか、それともペガちゃんと類だけ残すということだろうか。もしかしたら類が来る前にそれを伝えようとしているのかもしれないし、先に確認しておこうと思って顔を上げた瞬間。
 言葉を口に出す前に、もすりとした独特の感触の後、目の前が突然真っ暗になった。

「え⁉︎」

 ほのかにあたたかいしちょっと甘い焼き菓子みたいな匂いがする。でもあげた戸惑いの声に返事はなかった。
 覚えのある感触やその状態になる直前の環境からも、今司の顔がペガちゃんに覆われているのだろう、ということは容易く察することができた。わりと類の顔にはこうして張り付いている姿を見かけていたが、司が同じようにされるのはそう無い……というより初めてだ。急に目の前が暗くなって驚いたものの別に不快感があるものでもないし、無理やり引き剥がすようなものでもないからどうしたものかと空中で手をまごつかせてしまう。
 先ほどからというものいったいペガちゃんはどういうつもりなのだろうか。でももうすぐ類も屋上にやってくるし、流石に呼び出したこちらが迎えないのも変な話なので、ペガちゃんの気まぐれによるただの戯れだというのならば後で存分に付き合うから今は退いて欲しいのだけれど。
 ……なんて、そんな風に油断をしていたのが悪かったのかもしれない。

「ぴーーー‼︎」

 気合を入れるときの声のような、意味のない雄叫びのような。あまり聞きなれないペガちゃんの大きな声だった。そしてその声を合図に真っ暗だった視界が開放され、同時に今度は自発的に目を閉じてしまうくらいに眩しすぎる光にあたりが埋め尽くされる。暗い場所から突然明るい太陽の元に出た時のようにぎゅっと目を瞑って反射的に防御体制を取った。けれど。
 ……一秒、二秒。それよりももっと長い時間が経ってからも、何か衝撃に襲われることもなければ、もう一度同じような光を感じることもなかった。

(大丈夫、か? というか、ペガちゃんは?)

 一旦ではあるが謎の現象は終わったと判断して身体の緊張を解く。そろそろと瞼を開いてみたところで、先ほ
どまで見ていた屋上と全く変わらない光景が広がっていた。ただ、一点違う箇所があるとしたら顔に張り付いていたはずのペガちゃんが見つからないことだろうか。軽く首を振って周りを見回してみても、どうにもその姿を見つけることが出来ない。

(いない?)

 普段あれだけ司にべったりなペガちゃんである、このタイミングで急に姿を消すのはどう考えてもおかしいだろう。それに先ほどの行動についても謎が多すぎるし、そもそもあの眩い光は一体何だったのだろうか。……そうだ。あの光。どう考えても自然発生的なものではないと感覚的にわかるものだったけれど、何故かあそこまで派手では無いにしろ同じような光をどこかで見たことがあるような気もした。
 ううむ、首を捻って記憶の扉を開こうとしても今はその答えが見つかるようなことはなかった。もう少しで分かりそうなのだが答えまでは辿り着けない、喉に小骨が刺さっているような感覚だ。
 ただ、今はそれを考えるよりもペガちゃんを探さなければ。はっと思考を切り替える。もう直に類もやってきてしまうだろうし、そうなるとペガちゃんがわざわざ類を呼び出した理由を知らない司はどうしたら良いかわからなくなってしまう。もしかしたらいつも潜んでいるカバンの中に避難したのかもしれないし、とりあえず手元にある物を確認しようとして。

(む?)

 違和感に、気がついた。
 普通に座っていた場所の隣に置いていただけのカバンが何故か遠い。手を伸ばしたつもりなのに一切触れられる気配はなく、おかしいとおもって身を屈めたら何故か視界がくるんと一回転した。でも身体に衝撃は一切ない。まるで空中で一回転をしたみたいな感覚で、そうそう、あと回った時の視界の端に黄色にオレンジのグラデーションがかったもふもふが見えて、あともっちりとした白い毛並みのお腹も随分なズームで見えて。

「――ぴ?」

 思わずこぼれた驚きの言葉は、随分と聞き覚えのあるトーンで、でもちょっといつもより低い鳴き声になって司の耳に届いた。

「ぴぴぴ! ぴ、ぴぉーーー⁉︎⁉︎」

 まさかそんな、嘘だろ。ありったけの力で叫んだつもりだったのに、それは可愛らしいポップないななきにしかならない。でもその声ではっきりと自覚することが出来た、いや、自覚してしまったのだった。


 ――司が今、ペガサスになっているのだということを。


 手を顔の前に持ってきたつもりで目に映ったのがもちもちした前足だったのだから確定だろう。目を瞑ってしまう前と見えている景色に差がなかったこともあり気付くのが遅れてしまったのだが、どうやらこれは司が今無意識に背中の翼を動かして宙に浮いていたからのようだ。
 ……でも、その事実を認識した途端に上手い飛び方がわからなくなって、みるみるうちに高度が下がっていってしまう。しまった、このままでは床に落ちてしまう。急いで必死に背中に力をいれて羽根を動かそうと試みてみるのだが、そもそも普段生活に翼は無いものなのでちゃんと羽ばたけているのかどうかなどわかるはずもなく、結局のろのろと落下するには多すぎる時間をかけた挙句の果てに屋上の床にぺしょんと着地してしまった。
 となると今度は四本足、なんとか立ち上がることが出来たものの前に進むのも後ろに下がるのも勝手がわからない。きっとこの場に司以外がいたのならその姿は生まれたての子馬のようにぷるぷると震えて見えただろうが、幸か不幸かこの場にはそんな指摘をする相手はいなかった

(ま、まさか自分がペガサスになってしまうとは)

 ペガサスを自称することはあれど物理的にペガサスになることは想定していない生活をしてきた。イメトレの不足を嘆いてみてもどうにもなるはずがなく、二足歩行ならどうだと後ろ足に力を入れて立とうとしたらおしりの重みでころりと後ろにこけてしまう。いわゆるヘソ天状態だ。すごい。類の実験道具を身につけた時よりさらに動くのが難しい。普段自由気ままに司に張り付いたり周りを飛び回っていたペガちゃんは、実は相当な運動神経を持っていたのかもしれなかった。
 ……そう、ペガちゃん、ペガちゃんだ。そこまで思考を動かしたところではたと思い至る。ペガサスになってしまった衝撃でつい探すことを止めてしまっていたが、この現象の前の行動からも、司の現在の姿からも、全ての原因としてありえるのはかのペガサスしかいないだろう。そこの因果関係が己の中で結べてしまえば先ほど感じた光への既視感の正体もするっと思い出すことができた。そうだ、ペガちゃんから不思議な力を譲り受けた時も同じような光を目にした覚えがある。

「ぴぴー! (ペガちゃーん!)」

 声を張り上げて名前を呼んでみるが、返事はどこからも聞こえなかった。いつもだったらすぐに返事をして司のところまで飛んできてくれるのに、今は屋上にただ寂しく小さなペガサスの声が響くだけだ。

(……マズいぞ、どうしたものか)

 じたばたと手足を動かしてみるが、どうにも起き上がれそうにない。すっかり地面に転げてしまったので翼を動かそうにも羽ばたく余地はないし、だいたい司には飛び方がわからないのでもし羽ばたけたとしても八方塞がりの状況を解決できたとは思えなかった。詰みである。
 無駄に体力を使うことを避けるため手足の力を抜くと、司のどうにもならない現状とは裏腹に雲一つなく晴れ渡った空を見上げた。といってももう放課後だ、すぐに日は落ち始めて夕方、そして夜がやって来るだろう。想像もしたくないが、もし誰にもこのまま気付かれず、なおかつペガちゃんも戻って来なかったら……司はこのまま、大の字になったまま一晩をすごさなければいけない可能性すらある。
 そんなことはごめんだった。最悪のケースを想定した上でなんとか打開策を見つけなければいけない。

「ぴーーーー!」

 気合を入れるために特に意味もない雄叫びをあげて身体を猛烈に左右に動かす。これでうまく転がることができたら少なくともひっくり返ったお手上げ状態から脱せるはず、という決死の行動だったのだが、羽がうまいこと身体を固定してしまっているせいで想定通りにころりと転がることはできなかった。というかそもそも身体がもちもちすぎてうまいことクッションの役割を果たしてしまい移動を阻害している。
 癒し系ペガサスボディの思わぬ妨害に頭を抱えたくなってしまった。が、捨てる神あれば拾う神あり、どうやら救いの手は遅れてやってくるらしい。

「……あれ、司くん?」

 ガチャリ、扉が開く音と共に、この現状を打開してくれるはずの力強い助っ人の声が聞こえてきた。

(そうだ、類!)

 怒涛の展開に追われてすっかり忘れてしまっていたが、今日はそもそもペガちゃんの希望で類を呼び出していたのだった。先ほどの連絡通り用事を終わらせて司に会いにきてくれたのだろう、ナイスなタイミングでの登場にほっと胸を撫で下ろす。これで一晩仰向け夜明かしコースは免れることが出来たはずだ。

「ぴー! ぴぴー!(類、こっちだ!)」

 必死になって類へと呼びかける。現在の司は屋上の入り口から右手側のフェンスの近くでひっくり返っている状態だが、元々そこまで広いスペースではないし、姿は確認できていなくとも声に気付いてくれさえすれば類も呼び出し主である司のことを探してくれるはずだ。少しでも目につくことができるよう頑張って手足をバタバタと忙しなく動かしていると、トントンと軽い足音が聞こえた後、自分の身体を丸ごと覆ってしまうくらい大きな影が射して、それと同時に腹の横あたりに温かなぬくもりを感じた。
 一気に身体が浮き上がる感覚。ジェットコースターとは違って予兆のないそれに思わず目を閉じてしまうが、覚えのある温かさのおかげで不思議と怖いとは思わなかった。

「おやおや、これは驚いた。大丈夫かい?」

 柔らかな声が耳に届く。ゆっくり開いた瞼の先にあったのは、薄く弧を描きながらも真っ直ぐにこちらを見つめるレモンイエローの瞳だった。

「ぴ! (類!)」

 存外近い距離に内心びっくりしながらも、危機的状況を脱することが出来た喜びで手足をばたばた動かす。しっぽが勝手に揺れてしまっているのが分かった。類はただ笑んでいる。
 根本的解決には至ってはいないものの、これで少しは状況も前進したはずだ。司だけではこれからどうしたものか正直検討もついていなかったので、類に相談することができるならばきっと元に戻る方法も見つけられるだろう。今日は家族にも遅くなる連絡はしていないし、贅沢を言って良いのならば夕飯の時間までに家に帰りたいものなのだが。類に出会って安心したせいかそんな悠長な要望も出てきてしまう。

「ぴぴぴーぴ、ぴーぴぴ(何故かこんな姿になってしまったんだが、お前が来てくれてよかった)」
「……ん?」
「ぴぴゃ、ぴぴぴぴ(急に姿が変わってしまったんだ。ペガちゃんが関わってると思うんだが姿が見当たらなくて)」

 とにかくまずは経緯を説明せねばと必死に口を動かしてみる。明らかに音として出ていくのは意図している伝えたい内容よりも少なくなっていて、今まで類とペガちゃんのやりとりを見ていた時に感じていた明らかに少ない言葉数で何故長文の解答が返されるのかという素朴な疑問がこんなところで解決した。
 ……いや、まぁそれはいいのだ。ただ、そうやって司が必死に説明を進めている間じっと司を見つめていた類の目は、話せば話すほどどこか不思議そうというか、何かを探るようなものになっていた。

「ええと、頑張って話してくれているところすまないね。僕では君が何を言っているのかが理解できないみたい
だ」

 その理由を何故だろう、と考えた瞬間に、類からの申し訳なさそうなひと言で疑問は解消された。ガーン。すっかり言葉が通じるものだと思い込んで話をしていただけにショックで雷に打たれたような心地になる。でも確かに司とペガちゃんは言葉を交わすことが出来ていないし、意思交換が出来る事がそもそも特別なことなのだっ
た。類だから大丈夫だと無意識に思い込んでしまっていたが、流石にそこまでは上手くいってくれないらしい。

「君は、あのペガサスくんのお友達かな? よく見たらたてがみの色も違うみたいだ。ふむ」
「ぴ……」
「おっと、勝手に抱き上げるのは失礼だったかな。ごめんね」

 そんな心情が態度にも表れてしまっていたのかもしれない。しゃがみ込んだ状態で司の身体を掲げるようにしていた類だったが、そっと床へと司を下ろすと自身はその隣にゆっくりと腰を下ろした。
 多分、類から見たら初対面になる司に気を使ってくれたのだろうとわかる行動だったが、残念ながらペガサスになって数分程度の司はまだ四足歩行をすることができない。何とか立った状態を保つためにぴたりと動きを止めたものの、一歩でも動いたならばきっとまた転んでしまうであろう緊張状態に意図せず陥ってしまった。むぅ。変に力を入れているせいでぷるぷる震える足が情けない。

「しかし司くんはどこへ行ったんだろうね。君は知っているかい?」
「ぴ」
「もしかして僕と君を会わせたかったのかもしれないけれど、であれば司くんは絶対に手ずから紹介してくれるだろうし」

 そうだ、その発想はいいぞ。こうやって褒めることで類の思考をある程度導くことができればいいものだが、生憎今は言葉が通じないしなにより司はこの慣れない身体のバランスを保つために必死である。八方塞がりだ、もうこうなってしまうとどうしたらいいのか分からない。
 でも。

「ぴ、ぴ……ぶぺ」
「え⁉︎ 大丈夫⁉︎」

 いつまでもこうしたままではいられない。司がこの場にいないことで類も不安にしてしまうだろうし、まだ司に何が出来るかもわかっていないけれどとにかく動き出さなければ。
 そう気合を入れて踏み出した右前足の重要な一歩だったけれど、やっぱりまだ慣れないからかつるりと滑ってべしゃりと床へ突っ伏してしまう。その姿があまりに頼りなかったのだろう、焦ったように類がそっと突っ伏した司の頼りない体を持ち上げると、膝の上に乗せ優しく身体を撫でてくれた。
 今まで何度も目にしたことがある司よりも少し骨張って大きい手は、なるほどセカイのぬいぐるみたちも口々に言っていたように撫でる手つきが驚くほど滑らかだ。言い表せないくらい心地よいそれについついうっとりと目を細めてこのまま身を任せていたくなってしまったけれど、いやいや駄目だと自分を鼓舞する意味を込めて顔をブルブルと勢いよく振る。そうして煩悩を退けた後に司なりにきりっと真剣な表情を作って類を見上げた。

「ぴゃ! (すまん、大丈夫だ)」
「……あれ、君。ううん、まさかな」
「ぴー、ぴぴっぴ(心配をかけたな。でもオレはやるぞ)」

 といってもやるべきことはまだ何も決まっていないのだけれど。だって今はなんの解決の糸口も見つかっていないのだし。
 それこそ、今司に出来るのはこのペガサス状態で何ができるかを模索することだけだった。それが何の意味があるか、何に繋がるのかなど問われたとしても答えられるはずもない。……けれど、できることをひとつひとつ増やすことが事態の解決に少しでも役立つ可能性があるとするならば、司は全力でそれを遂行するだけだ。
 それに意味があるのかわからないとは言ったけれどこのペガサスボディに慣れたらペガちゃんを探すのに役立つ能力に目覚めるかもしれない可能性はゼロではないし、類と意思疎通も図れるようになるかもしれない。まぁその前に司が立派なペガサスとして大成してしまう可能性も同じくゼロではないのだけれど。
 ええい、余計なことを考えるのはやめだ。今はがむしゃらになるしかない。
 撫でてくれていた類の手に縋るようにしながら何とか身体を起こすと、そのまま手から腕へとよじ登ってみる。途中アシストを受けながらも腹のあたりまでたどり着いたところで、分からないなりに背中に力を入れてみた。
 ふん、ふん。どうなっているのかは見えないけれど徐々に身体に爽やかな風が当たっていくのを感じることが出来てきたので、羽根の動かし方はこれでいいらしい。

「ふふ、なるほどね」

 そんな風に必死になって羽根を動かそうと足掻く司に縋られていた類はというと、はじめは少々面食らっていたようだが途中からなぜか気もそぞろにきょろきょろとあたりを見回すようになっていた。が、しばらく経ってからぴたりと一点を見つめて動きを止める。そして誰に聞かせるわけでもない調子でぽつりと呟いた後、気を取り直したように協力的になると司の脇腹に手を回してちょうど類の胸の辺りまで掲げてくれた。
 先ほどと同じ体制だ。しかもその時は気が付かなかったが、この体制は周りに阻害されるものがないし縋っていた時のように変に身体に力が入らないらしい。類の手助けに後押しされるように、次第に羽根の動きがスムーズになっていく。

「飛びたいんだろう? ほら、もうちょっと。頑張って」
「むぴ、ぴ(む、難しいが、こんな感じか)」
「そうそう。ふむ、良さそうだね。……さあ、いこうか」

 そーれ。

 気安すぎるかけ声と共にいきなり高度を上げられる、というよりも空に向かってふわりと投げ出された。勿論同時に手のひらのホールディングも外されている。直前に目撃した楽しそうにこちらを観察する類に感じた既視感は、きっと何時もの、司を演出装置で大空へ飛ばそうと画策しているときに見せるものと同じだった。
 突然すぎる裏切りである。このままではまた床に落ちてしまう、そう身構えるのが普通なのだろう。でも司はというと。その類に空に放り投げられたという事実に気付いた瞬間、そして見覚えのある表情を目にした瞬間に必死になっていることが急にバカらしく思えてきてしまって、身体に入っていた力が抜けて――床に落ちた衝撃を感じることはなく、ただ、気が付いたらその場に留まっていた。
 すぐには事態を理解することは出来なかったけれど、キョロキョロあたりを見回して、視線を戻した先、今度は同じくらいの高さで類と目が合う。
 ……それでようやく実感を伴うことができた。

「ぴ……ぴぴー!(と、飛べたぞ!)」
「あぁ、おめでとう。君は本当にすごいね」
「ぴふん! ぴぴーぴ、ぴぴっ(ふふん、そうだろうそうだろう! おお、飛ぶことが出来るようになったら普通に動けるようになった)」

 動かし方のコツを理解してしまえば類のお手製パワードスーツの方がよっぽど難しかったというものだ。空中に浮かばされるのも自発的なものではないが片手で足りない程度に経験してすっかり慣れてしまっていることもあり、あと実際にはこの浮くという動作は謎の力によって羽ばたきとはほぼ関係ないところで成し得ているらしいことに気付いたこともあり、飛べたことで芋づる式にすぐにすいすいと自由に動けるようになった。
 驚異的な進歩のように思えるがよくよく考えるとおそらくこの姿になったと思われるタイミングでは既に司は宙に浮いていたわけだしさもありなんというところである。なんなら四足歩行の方が難しいと感じたくらいだ。

「ぴぃ!(類、ありがとう!)」

 まぁ、どちらにしろ類のおかげもあって飛べるようになったことは間違いない。見守りつつもちょっとだけ手助けしてくれたことに元気よくお礼を伝えると、その言葉の意味は伝わっていないはずなのに類は一度目を大きく見開いた後にゆっくりと細めた。言葉に出さずとも嬉しそうなその表情になんだか更にこちらも嬉しくなってしまって、ついつい張り切ってサービスましましに類の周りを飛び回ってみる。
 しばらく思いっきり空中の旅を楽しんでいると流石に疲れてきたかもしれないと思ったタイミングでそっと手が伸ばされてきた。むむ、全て類にはお見通しらしいが、今だけはペガサスなので許されるだろうと素直に甘えるように差し出された手の甲にすりりと身体を寄せる。
 ちょいちょいと長い指で頭を撫でられるのが気持ち良い。なんだかどんどんペガサスとして適応してきている気さえする。

「飛ぶのは気持ちいいかい? なんだかとっても楽しそうだ」
「ぴー、ぴぴ(わりと慣れてしまうといい気分だぞ)」
「そうなんだね。……でもいつまでもこのままなのは、僕がちょっとよろしくないかな」
「ぴ⁉︎」

 そんな風にちょっと浮かれたせいで油断しきっていたのが良くなかったのかもしれない。油断したことで痛い目をさっきみたところだったのに。
 突然伸びてきた手にがっしりと本日三回目の脇腹確保を決め込まれ、びっくりして手足がピーンと伸びてしまった。が、犯人は司が落ち着くまで待ってくれるはずもなく容赦なくずいっと類の顔が眼前にまで近づいてくる。
 驚きのあまり間抜けなポーズでぴきりと固まってしまうが、類はそんな司の様子を見てもその手を離す素振りすら見せず、先ほどまでのやわらかで楽しそうな表情をどこにやってしまったのか、射抜くように真剣な顔でじっと見つめてくる。
 じわりと湿度の高い息が額にかかった。こんなに類と近付いたのは、そう、あの日あの時、類の家に初めてペガちゃんを連れていった日以来だ。

「……君はこんな時にも真っ直ぐに迷いなく前を見据えて進むことが出来るんだということを、改めて感じさせてもらったよ。そして、諦めることなく、ただ嘆くだけでもなく、ちゃんと今自分にやれることからはじめることができるということもね。そういうところが僕には眩しくて、ついつい君から目が離せなくなるんだ」

 そっと背中に回された指にゆるゆると羽根の付け根のあたりを優しくさすられると、何だかくすぐったくて変な感覚がする。でも雲ひとつない夜に見上げる月のようにやわく黄色く弧を描いた瞳にしっかり捉えられてしまっているから身動きすら取れない。

「だから僕も君の頑張りにふさわしくないといけないな。こうやって君をひとりじめできるのは結構な誘惑だけれど、試練を乗り越えてこそ得られるものもあるだろうし、きっとそれくらい乗り越えてみせろっていう挑戦状なんだと思うしね」
「……ぴ? (何を言っているんだ?)」
「ふふ、まだピンと来ていないかな。まぁこれはきっとシンデレラで言うガラスの靴、白雪姫でいう毒林檎というところの役割なんだよ。随分メルヘンだけれども、君らしいといえば君らしいのかもしれない。こういうの、意外と嫌いじゃないだろう?」

 こういう謎かけのような台詞回しについては元より真意を察することが得意ではないので思わず首を傾げてしまうが、司が全く理解できておらずとも類は随分機嫌がよさそうだった。
 ぐっと引き寄せられて元より近かった距離がさらに詰められる。たまに類は怒るペガちゃんを捕まえてその魅惑のボディに頬擦りしていた記憶があるから、もしやオレにもそうするつもりなのかと衝撃に身構えるためぎゅっと目を閉じたところで。

「さて、御伽噺ならば王子のキスで呪いが解けるものだけれど。果たして僕は王子として認められるのか、呪いではなく祝福にキスが有効なのか。考えても仕方がないし、せっかくだから実戦で確かめるとしよう」

 そんな、ひとりごとみたいなつぶやきが聞こえてきて。


「あぁ、そういえば言い忘れていた。――君が好きだよ、かわいい僕のペガサスくん」 


 ちゅ。

 どろん。


「ぬわっ!」
「おっと」
 
 予想外の展開と衝撃が司を襲ったのであった。
 
「おやおや、実験は成功のようだね。おかえり、司くん」
「……は? いや、今、オレ」

 痛みはない、きっとうまいこと類が受け止めてくれたからだろう。いや問題はそこではなく、声が出ている。それもちゃんと聞き覚えのある不思議な言語に変換されていないものだ。というか気付いてみると身体が先ほどまではすっかりその存在を感じていなかった重力を突然思い出したようでひどく重く感じる。
 あと、目の前にいる類の縮尺が記憶にあるものと同じになっていた。ふと視界の端に先ほどまでは無くなっていた手のひらを捉えたので、現実逃避にも似た心持ちでその手のひらを観察しながら一度、二度とイメージの通りに握ったり開いたりを繰り返してみる。寸分違いなく手のひらは動いていた。一応確認してももっちりした前足は見あたらない。

 これは――戻った?

 たった数十秒のことなのに事態の整理が追いつかないので、脳だけに集中するためぴたりと動きを止めたままその分思考回路をフル回転をさせてみる。先ほど聞こえたちゅ、という音。これはまごうことなきリップ音とかいうやつだろう。そして司は、ペガサスの口……ではないが鼻の頭に落とされた柔らかな感触をはっきりと覚えていた。
 そして自分が何をされたのか理解する前に聞こえてきたどろんとかいう普通に生活していたら聞くことのない珍妙な音。どこから発生したのか分からないピンク色のふわふわした煙と共に、いきなりちょっと高い位置から、それこそ寝ている時にベッドから落ちたくらいの衝撃がして、気がついたら類を下敷きにしていた。
 つまり整理すると、類にキスをされて、それで人間に戻った、ようである。

「そ」
「うん?」
「そんな、馬鹿な話が、あるかーーーーッ‼︎」

 事態を認識して、理解しきれなくてそんな思いが口から悲鳴のような叫び声になって飛び出ていった。 
 キスで物事が解決するだなんてそんなハッピーエンド、正直司としては嫌いではないというかむしろ好きなものではある……が、とはいえ自身が体験することになるとは思わないだろう。そういえば先ほど類も似たようなことを言っていた。じゃあお前は先に分かっていたのか。説明しろ行動する前に。
 セカイの存在はじめ常識なんて物事では計り知れないものがあるということはもう十分知っているつもりだったけれど、流石に予想外がすぎる。怒涛の展開に今日はずっとついていけていない頭を抱え込んで下敷きにしていた類の胸にそのまま突っ伏すと、宥めるように後頭部を柔らかく撫でられた。その手つきはペガサスだったときに撫でてもらったものとまったく同じで、変わらなさにちょっとだけ肩の力が抜ける。

「事実は小説よりも奇なり、ということだね。司くんといると本当に毎日飽きがこないよ」
「……こればっかりはオレが望んだものではないんだぞ」
「ふふ、僕だって知っているさ」

 撫でられながらいつも通りの口調の類と軽口を叩いていくうちに、類に引き摺られるようにいつもの調子が戻ってくる。投げかける言葉にちゃんと意思疎通の取れた答えが返ってくるのはいいものだ、なんてこの短い変身期間に学んだことを人ごとのように噛み締めてから小さく息を吐いた。
 実際にペガサスになっていた時間としては二十分くらいのものだが、正直この一連の事件を完璧に理解できるかは時間が経ったとしても難しそうだ。でも結果として元に戻れたことだけは確かである。終わりよければ全て良し、覚悟をしていたこの場で一夜を過ごすなんてこともしなくてよくなったし、手段はどうであれ司を元に戻してくれた類には改めて感謝をしなければ。こういう時の切り替えの速さは司の数ある長所のひとつでもある。
 というか、いつまでもこうして類の上に乗っかったままでいるのも良くない。経緯の説明とお礼を言うためにもまずは姿勢を正さなければ、と身体を起こすため類の胸に手をついてぐっと力を入れたのだが、先ほどまで穏やかに司の後頭部を撫でていた手のひらが素早く背中に回ってきて起きあがろうとする力よりもさらに強く引き寄せたから、思惑は外れて類の胸へと逆戻りすることになってしまった。
 しかもそのままぎゅうっと強く抱きしめられる。ドクドクと、寝かしつける時に聞いたことのある心音よりも随分早くなったそれが耳に届いてきて、ぺったりとふたりの間の隙間がゼロになってしまっていることを理解した。なんなら頭頂部に何かが擦り寄る感覚すらある、これは類の頬だろうか。

「お、おい。いったん離してくれないか」
「うーん。離してあげてもいいんだけど、無かったことにされてもナナメ上の勘違いをされても困るから、もうちょっと待ってくれるかな」

 柔らかな言葉尻に反して司を捕らえる腕は頑なだ。息を吸った瞬間に自分のものではない香りが鼻腔に飛び込んできたせいでたちまち心臓がうるさくなって、顔に熱が集まっていくのを感じた。ちゅ、ダメ押しのように頭頂部からまたリップ音が聞こえる。やめろやめろ、せっかく落ち着いてきたところだと言うのに。

「に、にしてもなぜオレがペガサスになっているとわかったんだ?」

 動揺に揺らいだ声のまま、誤魔化しでしかないとは分かっていながらも浮かんできた疑問をそのまま口に出した。苦し紛れのものかもしれないが一方でそれが今一番気になっていることであるのは間違いない。言葉も通じない中で、面影もほとんどない(と思っている)姿だった司をこんなにも早く見抜けたのは純粋に驚きでしか無かったのだ。

「そうだねぇ、流石に一目見た瞬間に、とは僕もいかなかったけれど。真っ直ぐにこっちを見てくれる瞳と、あんな状況でもめげずになにか出来ることをしようとひたむきに頑張る姿を見ていたらもしかして、と思ってね。あとは君に呼び出されたという状況含めた環境的要素からの推測かな」
「……意外と冷静に分析しているんだな。目の前に知らないペガサスが出てきたらもっと動揺するのではないか?」
「君のおかげでもうすでに別ペガサスと知り合いだったからね。それに目の前で起きている現象こそが全てなのだから、そこを疑ってしまっては先には進めないということだよ。さて司くん」

 もう逃げようとしていないことがわかったのだろう、司を拘束する腕を少しだけ緩めて宥めるように背中をポンポンと叩きながら、表情は見えないけれど絶対に楽しそうにしているとわかる声色で類が言葉を続ける。
 随分和やかな空気だった。なのに不穏な気配を感じてしまうのは何故なのだろう。

「先ほど僕は君に告白をしたつもりなんだけれど、お返事はもらえるのかな」

 ほらみろ、やっぱりだ。
 急かす言葉に導かれるようにして先ほどの類の告白を頭の中で反芻すると、それだけで脳が焼き切れそうになってしまう。そうかもしれない、だなんて主成分が期待で構成された予想を抱いてはいたけれど、実際に面と向かって言われてしまうとここまで破壊力があるとは思わなかった。心音がトップビートを奏でていく。
 ショーが始まる前のような緊張だ、でもこのまま言われっぱなしになるわけにはいかない。だって本当は司から類に先に言うつもりで計画を立てていたのだから。

「……元より、言うまで逃すつもりは無いだろうが」
「いやいやそんなこと、無くはないよ?」
「ほらみろ。はぁ、まったく」

 肩をすくめて、それをまた落とす。本当ならばこの余裕ぶった態度に一泡食わせてやりたいくらいのところなのだけれど、ずっとぴったりくっついているおかげで目の前の演技派の心音は司に筒抜けなのである。――だから、それに免じて無駄な意地を張るのは止めにすることにした。
 幾分か抱きしめる力が弱まったおかげで少しだけできた隙間を駆使して顔を上げると、真剣にこちらを見つめる月と間近で視線がかち合う。
 こうしているとそのうち吸い込まれてしまいそうだ。だから。

「ひとつ言い忘れたことがあるんだが」
「おや、なんだろうね」
「オレがペガサスになってもいつも通りでいられたのは、類が居てくれるからきっと大丈夫だと無意識に感じていたからかもしれない。だから……ありがとうな、類」

 その引力に逆らうことは止めにして、目を閉じて引きよせられるがままに唇を預けた。ちょっとかさつくそれを感じたと共にすばやく後ろに身をひけば、ちゅ、本日三回目のリップ音。それと同時にドクンと跳ねたのは司の心臓だったかもしれないし、手を置いたままの類の胸だったのか、熱に浮かされたままの頭では答えは分からなかった。

「オレも、好きだぞ」

 でも、やっと伝えられた言葉は紛れもない本心で。伝えられた嬉しさから自然と頬が緩んだのだが、喜びを噛み締めきる前にまた背中に回された腕にグッと力が込められて、気がついたら先ほど離れたばかりの柔らかな唇が司のそれに噛み付いてきていた。
 何度も熱い唇を押し付けられると、勝手に身体の力も抜けてしまってもうどうにでもなれと目を瞑ることしかできない。それに、まだ気恥ずかしくはあるが決して嫌では無いのである。……そんな風にふわふわと浮かれていたせいで司もちょっと調子に乗ってしまって、背中に回されていた二本の腕の拘束が二本から一本に減らされたこともありある程度動かせる余裕のできた腕を、まるでドラマのワンシーンのように類の背中へと回した。
 瞬間、ぐるんと視界が反転する。あまりの手際の良さに衝撃も痛みも何も感じることは無かったけれど、流石に類を見上げる体制、つまりは押し倒されているような形になってしまったことと、バッチリかちあった先にある瞳が妙にすわってしまっていることからも嫌な危険予報アラートが頭の中で鳴り響いた。
 というか、認識したところでもう既に類の顔が間近にまで迫ってきてたから危険予知程度ではもう遅かったかもしれない。もはや反射に近い咄嗟の判断で類の首元に顔を埋めたことによってなんとか一時の猶予は得られたかもしれないが、さわさわと髪を混ぜてくる手の感覚からもまだ諦めていないことは明白だった。
 というか何をするつもりなんだこれ以上。

「も、もうダメだぞ! 学校だろうが!」
「えぇ〜、放課後だから誰も来ないよ。せっかく珍しくふたりきりなんだから、あとちょっと、もうちょっとだけ。駄目かな?」
「ぐっ……ダメだ! これ以上はオレもオレの心臓も耐えられる気がせん! というか、段階を踏むのが早すぎるだろ!」
「だって今まで散々焦らされてたし、これでも我慢してるくらいなんだけどな。司くん、限界を超えてみようよ。君ならできる」
「こらこらこら、擦り寄ってくるな、変なところを触るな!」

 無理やり顔をあげさせるようなことはする気はないようなのでそこは一安心だが、芝居がかった口調ですりすりと執拗にすり寄ってきたり腹の横を不意に撫でたり、ちょっかいのかけ方にあまりに遠慮がなさすぎる。しかも諦める気もあまり……というか一切無さそうだから、司のこうした抵抗もいつまでキープできることか。
 なんだかんだ類に甘えられることに弱い自覚はあるので早々に絆されてしまいそうな気配を感じつつ、だが今はそれよりもやるべきことがあるのだからとなんとか意志を強く持ち直すことにした。
 そう。こうなった原因のこともいい加減考えなければなるまい。それは、あの光と共に姿を消した――。

「ぴぃ〜」
「うっ」

 どす、とやや鈍めの音が聞こえてきて類が小さく呻く。突然ではあるがそれと共に先ほどまでの猛攻がストップしたから、これ幸いと少しだけ緩んだ腕から這い出る形で抜け出した。といってもこの距離である、止めようとすればいくらでも司を止められただろうが結果としてはほぼ抵抗されなかったから類もこれ以上は諦めたらしい。
 というか背中の上にいる存在を落とさないためにうつ伏せの姿勢を保ち続けていたので抵抗できなかった、ということかもしれないが。

「……ペガちゃん」
「ぴゃあ」

 そこでは見知ったペガサスが、ぺしょりと覇気なく突っ伏していた。

「何処にいたんだ? というか、今日のこれは全部ペガちゃんがやったこと、なんだよな」
「司くん、先にペガサスくんを退けてもらっていいかい」
「まぁ待て」

 きちんと話をするために姿勢を起こし正座をしてペガちゃんに向き直る。どういうつもりだったかは分からないけれど、そもそもとして屋上に類を呼び出すことを指示したのもペガちゃんだ。そして、そろそろ類が来るだろうというタイミングで司の姿を変えさせたのも……そんなことが出来るだなんて聞いたこともなかったが、出来るとすればペガちゃんしかいない。
 幸いにも今ならばペガちゃんの発した言葉を翻訳することができる類もいることだし、どういうつもりだったのかはちゃんと聞いておきたかった。
 もしそれが不甲斐ない司の背中を押すためだったとしても。そこまでさせてしまうほどに心配をかけたのだから今後は同じ過ちを繰り返さないようにするために、きちんと今は向き合うべきだと。そう、思ったのだが。

「ぴ……」

 ぐらり、白い身体が傾いて。
 そのまま力なく倒れていく姿に驚いて思わず手を伸ばせば、手のひらに力なく柔らかな身体がそのままぽすりと落ちてきた。急いで両手で包み込むように持ち上げてやると、せめて司の顔を見上げようとしているのか、微かに首を動かそうとしているのがわかる。全ての仕草に覇気が、気力が無かった。

「司くん」
「る、類。ペガちゃんの様子が」

 その異様な様子に気がついたのだろう、身体を起こした類がそっと隣にやってくると司と同じようにしてペガちゃんを覗き込む。いつもならば元気に類に話しかけるのに、今はそれすらも億劫そうでペガちゃんは類が近付いてきてもちらりとその姿を一瞥しただけだった。
 こんな、こんなペガちゃんの姿を見たことなど過去に一度もなかった。先ほどまでちゃんと話をしようとしていたことなど何処かにすっぽ抜けてしまって、何をしたらいいかも分からず力無いペガちゃんをただ眺めていることしかできない。

「ぴゃ……」
 
 そんな司の姿を見て、にこり、ペガちゃんはゆっくりと安心させるように笑うと、静かに目を閉じたのだった。
 
「ペガちゃん⁉︎ ペガちゃ、……え」
「司くん、どうしたんだい⁉︎」
「類……」



「ペガちゃんが、寝た」



「は?」
「すやぴ」






三.キミはカワイイぼくのペガサス


 あの日、諸々の騒動を経てペガちゃんはそれはもう健やかに深い眠りについた。

 揺らしてもつついても反応がないくらいぐっすりと夢の中に沈んでしまったその姿に、司と類の見解としては多分慣れないことをして疲れてしまった、いわゆる充電切れの状態になってしまったのだろうという結論になり──それまでのこともなんとなく有耶無耶になったまま時間も遅くなっていたのでもう家に帰るか、とその日は解散になった。
 ただ少し今までと変わったことがあるとすれば類と司の関係性が変わって恋人同士という新しい名前がついたこともあって、せっかくだから一緒にいたいし、だなんて言ってその日は類がこれ以上は流石に申し訳ないと思うギリギリのところまで司のことを送ってくれたことだろうか。咲希の持っていた少女漫画の中で見たことがあるような展開は少々気恥ずかしかったが、でも決して悪い気はしなかったのは確かだ。道端で恋人らしいことをするようなことはもちろん無いけれど司のことを見つめる類の目がことのほか優しかったから、何度も叫び出しそうになったりもした。
 そう。その日は司もちょっとばかり浮かれてしまったのだ。だから、おかしいな、と思い始めたのはしばらく経った後、翌日の朝になる。

 ペガちゃんは、次の日の朝になっても、昼を通り越して夜になっても、深い眠りから覚めることはなかった。

 天馬家で一番と言っていいほど食い意地が張っているペガちゃんである、いつもは食事の時間になると家族の誰よりも早くテーブルでスタンバっているし、一日三食と日々のおやつを欠かすことはない。
 なのにペガちゃんが眠りについた日は、声をかけても身体を揺すっても、なんなら食卓まで運んで出来立てのご飯の香りを嗅がせてもふぴふぴと鼻を鳴らすだけで目を覚ますことはなかった。夜ご飯だけならまだしも朝、昼、二度目の夜、と同じ状況を目の当たりにすると家族一同流石にこれはおかしいと危機感を覚えたのだが、といっても見た目も様子もただひたすらに眠り続けているだけである。

「何をしてあげたらいいのか分からなくてな。こうして見守りつつ、世話をしているわけだ」
「……なるほどね」

 そうこうしているうちに、いつのまにかペガちゃんが眠りについてからもう一週間が経過していた。
 今日は家族が家にいない時間が長くなるため、咲希作のペガちゃんの寝床用ポーチ(中にはクッションが敷き詰められている。ペガちゃんが司についてくるようになり始めた時に咲希が作ってくれたものだ)に相変わらず気持ちよさそうに眠り続けているペガちゃんを入れて学校まで連れてきていた。
 両親の都合が合う場合は家で様子を見てもらっているのだけれど、それも流石に毎日とはいかない。基本的にどんな時間でも家族の誰かが必ずペガちゃんの側について撫でたり声をかけたりしているのだが、その努力とは裏腹に依然として効果は見られていなかった。撫でられるたびに嬉しそうに羽をパタパタ動かしたりたまに呼びかけには寝言で返事をしたりするので、それだけで司としては少しだけ安心することができてはいるけれどもやっぱり根本の解決には至っていないのが現状だ。
 くったり持ち上げられるがままに身を任せるペガちゃんを寝床から膝へ移すと、躊躇いがちに類の手が伸びてくる。類には顔を合わせる度に状況を共有してはいたけれど、こうして眠っているペガちゃんを見せるのはペガちゃんが長い眠りに入った日以来だ。かなり気にしてくれていたこともあって今もふにふにと眠っているペガちゃんのぽよぽよのお腹を指でつついているがその表情は険しい。ちなみにつつかれているほうも司が同じことをした時は反応しなかったのに何故か誰がつついているのか分かるようで嫌そうにじたばた抵抗していた。
 こうしているとペガちゃんが眠りにつく前の日常光景とはそう変わらないのだけれど。

「ふむ、様子としてはやっぱりおかしい所はないかな。ペガサスくんは普通に食事をしていたよね? ずっと絶食状態にあるなら心配だな、彼が生命維持に食事を必要とするかは分からないけれど」
「あー、そこは一応大丈夫だ」
「ということは彼にとって食事は娯楽程度のものなのかな。セカイのぬいぐるみくんたちもそうだよね」
「多分同じではあるんだろうな。だがペガちゃんの場合は……」

 口で説明するよりも見せたほうが早いだろう。ちょうどおやつとして用意していたクッキーがあったので、カバンの側面からそれを取り出して封を開けるとひと口サイズに割ってかけらを眠ったままのペガちゃんの口元へと持っていった。すぐに甘い匂いが届いたのだろう、ふんふんと鼻を鳴らしてクッキーを見つけると、意識はないはずだが口だけを動かしてそれを器用に食べていく様子を見守る。喉に詰まらせたらいけないのでペットボトルの蓋に紅茶をいれて二、三回飲ませたら、けふ、と満足げな息を吐くまで見届けておしまいだ。

「……司くん」
「言いたいことはわかる。でもこれが出来ると教えてくれたのは類だぞ」
「いや、まぁそうなんだけれどね。流石に甘やかしすぎなんじゃないかい? お腹が空いたら起きてくるかもしれないじゃないか」
「それももちろん考えたんだがな。起きないのにお腹をきゅうきゅうならしているペガちゃんを見るのは、母さんも咲希も耐えられなかったみたいで……」
「あぁ……」

 君は本当に食いしんぼうなんだねぇ、と呟きながら類が先ほどよりも膨らんでしまったペガちゃんのお腹をぽんぽん軽く撫でると、わかっているのかいないのか嫌そうに身を捩っている。ふ、その様子を見ていると無意識に空気が口の端から溢れていった。
 こんな調子のペガちゃんだが、一応一週間前に比べると寝言を言っている回数が増えたり寝相なのかごろごろ転がる回数も増えているので、深い眠りから浅い眠りへ、徐々に起きるための準備をはじめているのではないかと司は勝手に思っている。
 それは、そうであってくれ、というただの願いかもしれない。でも。

(ぴぃ!)

 不思議で可愛い司のペガサスは、そんな身勝手なお願いでもきっと全力で叶えてくれるだろうと信じているのだ。

「と、いうわけで。話は戻るんだが、今日の練習にはペガちゃんも一緒に来てもらうことにした。幸いにも時間があるから、練習前に一緒にフェニランを回って来てみようと思う。なにか懐かしいものを感じたら反応するかもしれないからな」
「確かに今日は練習開始も遅めだからね。それにしても、ペガサスくんはフェニランにきた来たことがあったのかい?」
「あぁ。最近だとオレ達のショーを見にきてくれていたな。あとオレが小さかった頃も何度か家族で出かけたこともあるし、あの場所の記憶はあると思うんだ」

 ぱん、と音を立てて手を叩くことで司がしんみりしそうな気持ちを切り替えると、類は心得ているとでも言うかのようにあっさりと頷いた。今日はステージ清掃のためいつもより練習の開始が一時間ほど後ろ倒しになっているという都合のいい事情があったので、昨日のうちにこの計画を思いついた司はあらかじめワンダーランズ×ショウタイムのメンバーにフェニランを回ってから練習に合流する話をしていたのだ。

「ねぇ、司くん。メッセージでは言いそびれちゃってたんだけれど、それって僕も一緒に行ってもいいかな?」
「ん? 勿論類なら大丈夫だが、多分特に楽しいこともないと思うぞ。この状態ではアトラクションには乗れないだろうからな。散歩がメインになる」
「いいんだ。僕だって当事者なんだし、ペガサスくんを起こす手伝いが何かできるかもしれないからね。それに、ペガサスくんの元気な姿がないと僕も落ち着かないんだよ」
「そうか……。すまんな、ありがとう」

 心強い言葉に思わず笑みが溢れた。ちらりと視線を下げたところで気持ちよさそうに眠りこけているペガちゃんにそっと手を伸ばしその柔らかな身体を撫でると、あたたかな生きている温度が手のひらに伝わってきて何だか無性に泣いてしまいそうになる。
 こんなにもみんながペガちゃんのことを待っているんだ、だからそろそろ起きてくれ。
 だなんて心の中で囁きかけると、それを知ってか知らずか未だ夢の中を漂うペガサスは応えるようにすりりとその手に擦り寄ってきてくれたのだった。


 ***


 そうして迎えた放課後。

「まずは……何かフェニーくんのグッズでも買うか。咲希にフェニーくんぬいぐるみをおもちゃがわりにもらって楽しそうに遊んでいたし」
「ふむ、じゃあこれなんていいんじゃないかな」

 売店でペガちゃんの好きそうなものを探してみたり。


「むー。フェニーまんでもだめだ。起きる様子はない」
「でも欲しそうにはしているけどね。なんならどんどん近付いていってるけど、ひと口あげてみる?」

 食べ物で釣ろうとしてみたり。


「どわー‼︎ こ、こんにゃくでもいきなりだと流石にビックリするな⁉︎」
「ふふ、司くんの大声の方に皆さん驚いているようだけどね。お化け屋敷といえど本日最大音量なんじゃないかな? それでも起きないペガサスくんもなかなかだ」

 これなら大丈夫かということでお化け屋敷に入ってみたり。


 きっかけはきっかけではあったが、久しぶりにフェニックスワンダーランドをお客さんとして回ることは司にとっても新鮮な刺激だった。友人を案内をしたり空いた時間にワンダーランズ×ショウタイムのみんなで園内を回ったりすることが今まで全く無かったわけではないけれど、その時にはいなかったペガちゃんと共にメリーゴーランドやトランポリンドーム、おさかなコースターと代表的なアトラクションを回ってみるとそれまで忘れていた昔懐かしい記憶を呼び戻すことも多々あった。
 途中でショーの常連らしい子どもに声をかけられることもあり、なんだかんだこの遊園地には本当にお世話になってきたのだなと改めて実感する。ちゃっかり激しく揺れるものではないアトラクションに入ってみたりもしたので、ペガちゃんも何が目的かと途中からは夢の中で呆れてしまっていたかもしれない。でも合間合間に類と話しつつでもあったから、まだ司達が出会っていない頃、類が勝手にゲリラショーをしていた頃の話を聞くこともできて短いながらもかなり有意義な時間が過ごせたと思う。
 でも、どれだけ思い出の場所を回っても、何度も語りかけても、ペガちゃんは一向にカバンの中の小さな寝床に横たわったまま目を覚まさなかった。
 
「なんだかあっという間だったな。こうして園内を散歩しているだけでも、思い出すことは山ほどある」
「そうだね。まさかあんなにも色々な人に声をかけられるとは思わなかったけれど。せっかくだし時間が合えばフェニックスステージにも挨拶に行きたかったものだね」
「ふむ、それはペガちゃんが目を覚ました時の方がいいかもしれんな。オレの影響だろうがショーが大好きだから」
「それはきっと飛び上がって喜ぶことだろうね。一緒に今やってる公演を見るのも良さそうだ、ペガサスくんのショーについての感想は僕も興味があるし」

 膝の上でころりと横になったままのペガちゃんをそっと撫でる。もう身体に慣れ親しんだ動作だが、返ってくる反応だけ記憶と違っていた。
 昔、それこそフェニランに初めてやってきたくらいの頃。まだ司も小さくて、相対的にペガちゃんは今よりも大きくて、そのふかふかの身体をぎゅっと抱きしめながらかけ足でアトラクションを回ったのだっけ。年齢が年齢だったのでまだ遊べるアトラクションも数少なかったけれど、咲希と手を繋いで、反対の手でペガちゃんを抱きしめて、見守る両親がいてくれて。それだけでもう十分すぎるくらいに楽しかったのだということを今更ながら思い出していた。
 そういえば今こうして類と向かい合って座っている観覧車も、ペガちゃんと一緒に乗ったのが初めてだった気がする。自由自在に飛べるくせにここまで高いところにいるのは流石に慣れていなかったのか、頂上に近付くにつれ震えを激しくさせていたペガちゃんを抱きしめてオレがついているから大丈夫だ、だなんて根拠もない慰めをしたのだったっけ。
 思い出ばかりが、重なっている。

「……ペガちゃんとは、それこそ生まれた時からずっと一緒にいてな。多分家族の中でもオレが一番長く時間を共にしてきているんだ。でも、今回オレはペガちゃんのことを何にも知らないのだと気付かされてしまった」
「……司くん」
「ペガちゃんが何処から来たのかもそうだし、何故一緒にいてくれるのかも知らない。今更になってもっとちゃんと話していたらこういうときに診てくれる医者が世界の何処かにいるんじゃないかとか、ペガちゃんの生まれたところならなんとかなるんじゃないかとか、根拠のないことばかりを考えてしまう。側にいてくれるのが当たり前になりすぎて、油断していたのかもしれないな」

 後悔をすることは好きではない。そんなことをする暇があるならばくよくよする前にまず行動したほうが次に繋がる道を見つけることが出来るのだと信じているから。
 でも、流石に今回ばかりはそうともいかず、反省にも似た後悔がじわじわと毒のように身体を蝕んできていた。こんな気持ちは少しだけ覚えがある。自分には何も出来ず、ただ歯痒い思いばかりをする気持ち。その時隣で支えてくれた存在が今は膝の上で静かに横たわっているのを目の当たりにすると無意識のうちに奥歯を噛み締めすぎたのかぎりりと強い音が響いて、でも今はそれを止める術すらも忘れてしまっていた。
 けれど。

「あまり、自分を追い詰めるものではないよ」

 いつのまにか止まってしまっていたペガちゃんを撫でる手に、司よりも少し骨張った手が重なる。いつもだったら司の方が体温は高いはずなのに今だけは身体に変な力が入りすぎていたせいか重ねられた類の手の方が温かくて、それを認識した瞬間自分でも驚いてしまうくらいすっと肩の力が抜けていくのを感じた。

「るい」
「君はもう十分すぎるくらいにその歯痒さを知っているだろうけど、絶対にペガサスくんは司くんにそんな思いをさせたいわけではないはずだよ。そのことは、僕なんかよりも司くんのほうがよっぽど知っていることじゃないか」

 向かい合って観覧車に座っていたはずなのに、司が思考に絡み取られている間にいつのまにか隣に移動してきていたらしい。体温を分け与えるようにぴったりとくっつくとそのままぐっと体重をかけて寄りかかってくるから、流石に司よりも体格の良い類を支えるのはちょっと重くて、でもそれが類なりの励ましだと分かっているから怒る気にもなれなかった。
 駄目押しだと言わんばかりに肩の辺りに類の頭が乗せられる。嗅いだことのあるシャンプーの香りが、司のささくれ立っていた心すらも柔らかく宥めていった。

「……おい、流石に外だぞ」
「観覧車の中だからノーカンだよ、誰も見てないさ。そんなことより外を見てごらん、もう頂上を過ぎてしまったようだよ」

 導かれるがままに視線を窓の外に向けると青く美しい空が広がっていて、それと共に見慣れた街を見下ろすことができた。ここに来てもう一時間以上経過したと思っていたのだが、だいぶ日が長くなっている影響もありまだ暗くなり始めるまでには余裕があるらしい。その景色を眺めていると、もしペガちゃんが起きていたのならばこの空と遠くなった地上を見てどんな反応をするんだろう、もしかしたらまだ高すぎるところは怖いのかもしれない、はたまたもう克服していて窓の外に広がる美しい景色に釘付けになるかもしれない、なんて今は答えが分かるはずもないことをつい考えてしまって、でも浮かんできた予想に自然と顔が綻んでいく。
 ……なんだか類のおかげで司も随分落ち着けたようだ。先ほどまでの嫌な感覚はもうどこかに行ってしまっていて、でもなにをするでもなくそのままぼんやり外を眺めたままでいると不意に類が隣から手を伸ばして司の膝の上にいたペガちゃんを持ち上げた。当然ながら未だ眠りについたままのペガちゃんは、くったりと類の手に身を任せている。

「図らずも僕はペガサスくんと意思疎通が出来るようになったけれど、ペガサスくんは口を開けばいつも司くんのことばかりでね。不埒なことをするなーとか、困らせるなーとか。本当に司くんが大好きなんだなっていつも思っていたんだ。まぁそこは僕も負けていないけど」
「そ、そんなところでペガちゃんに対抗するな」
「ふふ、でも全部本当でひとつも冗談じゃないよ。ペガサスくんは君のことが大好きで、だから自ら望んで君とずっと一緒にいるんだ。今までもだし、多分これからもそのつもりだろうね」

 ひと通り様子を確認したからだろうか、そのまま類がペガちゃんを自分の膝の上に置いた。途端にペガちゃんはむ、と渋い顔をしたのだが、類はツノをツンツンつつきながらそれすらも楽しそうに笑っている。

「多分、今回はそれが空回っちゃったんだと思うよ。ずっと一緒にいるために僕のことを見極めようとしたけど、頑張りすぎてやりすぎちゃった、って感じなのかな」
「……どういうことだ?」
「文字通りさ。本当ならもうしばらくそっとしておいてあげても良いかもしれないけれど、起きないからって司くんに甘やかされてデレデレだらだらしているのも良くないし、何より司くんが心配してしょんぼりしてしまうのなんて最悪だ。あと、僕もペガサスくんには言いたいことがあるんだ。せっかく司くんと恋人同士になれたのに、君がすやすや眠りこけているから司くんはそっちにつきっきりで付き合いたての楽しみが全然満喫できない、だとかね?」

 そういうと類がさっとペガちゃんから手を離して、降参する時のようなポーズのまま司の方へにっこり得体の知れない笑みを向けてきた。
 お前は何を言ってるんだとかなんとかいつもならツッコミを入れるところなのだが、司としてはその前に紡がれた言葉を理解するのに必死である。それに、自分でも謎なのだけれど何か知ったような、意味深な口振りの類がもしかしたらこの状況をなんとかしてくれるんではないかという気がしてしまって。言いたい放題言われているのにも関わらず、その口も行動も止める気が、止められる気がしなかった。

「ちょっと乱暴になるけれど、もう十分休んだだろう? さぁ、お目覚めの時間だよ」

 だから、わきわきと不穏な動きで指を動かす類をただ眺めていた。一秒、二秒。司が止める気が無いのを確認した後、類はその蠢く指をペガちゃんの脇腹に添えると。

「いつもよりも五割り増しでサービスだ。ほ〜らこちょこちょこちょ〜」

 鮮やかとしか言えない手つきでくすぐり始めた。

「むぴ⁉︎ ぴゃ、ぴゃ」
「あ、こら。司くん、逃げないように抑えて」
「は、オレがか⁉︎ ええと、ペガちゃんすまん!」
「ぴ、ぴひゃ、ぴ」

 採れたての魚のようにびちびちと勢いよく跳ねるペガちゃんを指示されるがまま捕まえる。そういえば類とペガちゃんの間ではこうしてくすぐってはたまにかぷかぷ噛まれるというのが一種のコミュニケーションになっていたのだったっけ。なんだかんだふたりとも楽しそうだしギブアップの時には司にヘルプが飛んできていたので普段は行き過ぎるまでは暖かく見守っていたのだが、今までの類はあれでもだいぶ手がげんをしていたようだ。
 素早く巧みに動く長い指は撫でるように掠めるようにペガちゃんのお腹の辺りを動き回っていて、眠っているはずのペガちゃんも堪えきれないと一生懸命じたばたしている。見ていると司すらもくすぐったくなってくるほどの指さばきだ。思わず目を逸らす。

「ふむ、しぶといね。では封印していた羽根の付け根も解放しちゃおうかな」
「ぴう、ぷ、ぷ」

 一方類はというと、ペガちゃんに絶えず語りかけてはいるが言葉尻は跳ねていて明らかに楽しんでいることが伝わってきた。ペガちゃんも寝ながらせめてもの抵抗にと頑張って身を捩っているものの、司に前足を拘束された状態で繰り出されるその程度の抵抗では類のくすぐりという猛攻が和らぐはずなどなく、今度はひっくり返してさらに新しい部位をくすぐられ始める。
 容赦の無さすぎる攻撃、しかも休憩は無しだ。聞こえてくる寝言、もとい悲鳴がどんどん(笑いすぎで)息も切れ切れになってきて、多分起こすためなのだとわかってはいるが流石に司もペガちゃんが可哀想になってきた、ところで。

「ぷ、ぴ、ぺ」
「ほ〜らほらほら」
「ぴぴ……ぴひゃ〜〜〜‼︎‼︎」

 しゅぽん、と勢いよく。
 耐えかねたらしいペガちゃんが、類の膝の上から発射、もとい勢いよく逃げ出した。


「ぴ〜ぴぴ! ぴひ、ぴひゃん! ぷぴー!」
「おやおや、とっても遅いお目覚めだね。何をするって言われても、ぼくは善意で寝ぼすけさんのお手伝いをしただけだよ? おはよう、ペガサスくん」
「ぴぴぴ! ぴゃ!」
「司くんに散々甘やかされて気持ちよ〜く二度寝してた君に文句を言われるのはお門違いだね」

 ぱたぱたぷんぷんと、擬音が文字になって見えそうなくらいコミカルにピンク色のペガサスが観覧車内を怒りに任せて縦横無尽に飛び回る。
 類はさらっとそれを受け流していたけれど、司にとってはそんなにあっさり受け入れられるようなものではなくて。というか、元気にいつもどおりを取り戻したその姿を目の当たりにして。

「ぺ、ぺ、ペガちゃーーーん!」
「ぴぉ⁉︎」

 むんずと捕まえて思わず抱きしめてしまうくらいには、感極まってしまった。目の奥が熱くなって勝手に視界が歪んでいく。良かった良かったとひたすらに感動の男泣きをしてしまったおかげで、類に怒っていたペガちゃんも次第に冷静さを取り戻してきたらしい。気がつくと類に文句を言うことも止めて心配そうにぺろぺろと司の涙を拭ってくれていた。

「身体に不調はないかい? 気分が悪いとかは」
「ぴぴぴーぴ、ぴっ」
「ふむふむ、好調なら何よりだ。司くん、ペガサスくんはとっても元気だって言っているよ」
「ぐっ……よがっだ、ペガちゃ……」
「ぴぃ〜」
「ふふ、ほら、ハンカチを鞄から失礼したよ。ちゃんと拭かないとペガサスくんがしっとりしてしまうよ? 感極まっているのもいいけれど、もうすぐ観覧車も地上に戻ってしまうし。詳しい話は後にして、今はとりあえず移動できそうかな?」
「んぐっ、だいじょうぶだ……」

 全くもって情けない。でも、そんな恥ずかしさよりも今はペガちゃんが戻ってきてくれた嬉しさの方が優っているから、短い前足で宥めるようにぽんぽんと司を叩いてくれる(多分撫でているつもりだ)柔らかな身体をひと撫でふた撫でして、手渡された自分のハンカチで気を取り直すためにも顔を拭った。
 ついでにフルフルと顔を振ると、つられてペガちゃんも同じように顔を振る。振り終わってきょとんとこちらを見上げてくる愛らしい瞳と目があった瞬間、もう先ほどまで考え悩んでいたことが完璧にどうでもよくなってしまって、ふは、と勝手に笑顔になってしまった。

「色々と言いたいことはあるだろうから、それは一旦ワンダーステージに移動してから聞くことにしようか。練習時間も迫ってきているし、ね」

 先ほどまで司の涙が流れていた頬を手の甲ですっとなぞると、類もふわりと優しく笑う。ふい、導くように外に向けられた視線をそのまま追えば、なるほどもうだいぶ近くなってしまった遊園地のアトラクションたちが目に飛び込んできた。観覧車に乗る時に案内してくれたキャストは顔見知りだし、こんな明らかに泣いた後の顔を見せてしまうと変な勘ぐりを呼んでしまうかもしれない。ちゃっかりしている類はそのやり取りの間にも元いた司の前の席まで移動しているから、司もこのゴンドラに乗り込んだ時と変わらぬ自分に戻らなければ。
 すっと目を瞑って深呼吸。しばらくの後に聞こえてきたガコンという到着の用意をする音にあわせて瞼を開いてゆるく腰を上げる。ひと呼吸置いた後、一気に開かれた扉と共におかえりなさい、とかけられた声に行ってらっしゃいを言われた時と同じ温度でありがとうと返した。
 きっとこの場にいる人は誰もが類と司がなんの変哲もない優雅な空の旅を終えて、何事も無く戻ってきていたと思っているのだろう。いや、むしろ誰も、側から見たらただ遊園地を楽しむ観客であるだけのふたりのことなど気にしていなかったかもしれない。
 でもそれでいいのだ。だって司の周りをふわふわと飛んで遊ぶペガサスがこうして戻ってきてくれたことは、類と司しか知らない秘密なのだから。

「ぴぴ〜!」

 いや、ふたりといっぴきしか知らない秘密、の間違いだったか。
 なんて口に出せるわけもない頭の中だけでのひとりごとは、楽しげないななきと共に騒がしく煌びやかな遊園地の音色に溶けていくのだった。


 ***


「で、ワンダーステージまで移動してきたわけだが。何から聞けば良いのか……まず類、お前は何かペガちゃんについて知っていたのか?」

 観覧車からまっすぐ移動してきたのは類の提案した通りのワンダーステージのバックヤード。今日は公演もなく、あるのはこの後の司たちの練習だけ。当然ながら誰もいないそこに辿り着いた途端にくるりと振り返って、移動しながらぐるぐる考えていたことを待ちきれずに投げかければ、もう予想済みだったのだろう類が肩をすくめてあらかじめ台本でも作っていたのかと思ってしまうくらいすらすらと話をしだした。

「そうだね。といっても先に言っておくけれど、司くんを不安にさせたままただ何もせずにことの次第を見守っていた……とかではないから。僕もたまたま、多分こうじゃないかっていう答えに辿り着いただけだなんだ。しかもそれも今日のことだし」
「今日?」
「うーん、何から話そうかな。……ふむ、見てもらった方が早いかも知れないね。じゃあまずはペガサスくんを改めてよく見てみようか」
「ぴょわっ」

 パタパタとお気楽な様子で周りを飛んでいたペガちゃんをいきなりむんずと捕まえた類は、逃れようとあぷあぷもがいているその様子をスルーしてずいっと司の前にペガちゃんを掲げた。至近距離で司と目があったせいかそこでペガちゃんもぴたりと動きを止めてくれたから、言われるがままにその姿を観察してみる。
 ピンクと紫と黄色のグラデーションがかったたてがみ、ふむ、いつもどおりだ。くりくりのまあるい目、いつもどおりだ。ツヤツヤの角、これもいつもどおりだ。
 パーツごとにちゃんと見直してみるが、どれだけ見ても記憶にあるものとそう変化があるようには思えなかった。でも類がこうしてわざわざ言ってきていることには何か意味があるはずだし、少し視点を変えて考えてみよう……と無意識に一歩距離を取った瞬間にはたと気付く。

「もしかして……ペガちゃん、大きくなっているのか?」
「ぴぴ〜?」
「ご名答」

 こてりと首を傾げたから本ペガサスには自覚はないのかもしれない。でも今までは類の手のひらより少し大きいくらいのサイズ感だったのだけれど、今改めてまじまじと観察してみるとひとまわり、いやふたまわりくらい大きくなっている気がする。抱えている時もそんなに重さを感じることなどなかったから気がついていなかったが、こう類に捕獲された状態を見てみるとなるほど確かにペガちゃんが以前よりも確実に育っていた。しかし。

「今までずっと一緒にいた中でも、ペガちゃんは変わらずあのサイズだったはずだが……」
「なるほど、であれば先入観で君達家族が気付かなかったのも当然だろう。それに一気に成長したと言うよりはじわじわと大きくなったはずだからね。僕は今日一週間ぶりにペガサスくんを見たから、そのおかげで違和感に気付けたのかもしれない」

 確かに類の言う通り、司達家族は毎日欠かすことなくペガちゃんと顔を合わせている。加えて今回はずっと寝ている状態だったため、心配が先に来てしまいそこまで気にする余裕もなかったから結果として全員が気付けていなかった、ということだろうか。言われてみれば納得できる内容ではあるけれど、しかしそれだけではまだ足りない。

「……ペガちゃんが大きくなっていたことはわかった。だがそれとこれの何の関係があるんだ? お前が何故いろいろ把握しているのかも分からんし」
「ふふ、それについてはペガサスくんの成長に気付いた後の僕の行動によるもの、という他ないね。では司くんに次の問題だ。君は忘れてしまっているかもしれないけれど、世にも不思議な存在であるペガサスくんと似て非なるものが君の近くにはまだいるんじゃないのかい?」

 周りくどい言葉にいまだこてんと首を傾げたままのペガちゃんと同じ方向に首を傾げる。でも問いの答えは考えればすぐに見つかった。そう。

「――セカイか!」
「はい、二問目も正解。昼休みに相談してもらった時にペガサスくんの異変に気が付いた僕は、その後すぐにセカイのみんなに相談しに行ったというわけさ。みんなには色々と教えてもらったよ。ペガサスくんの一番近いところにいる司くんや、ペガサスくん自身の思いが成長するとその見た目や能力に何か影響があることがある、だとか、急激な変化の時はそれに対応するためにお休み状態になることもある、だとかね。やっぱりセカイのみんなとは直接関係がないようだったけれど、何処から聞いたのかぬいぐるみくん達が把握していたりもしたしまだまだ分からないことが多いものだよ。一説によるとセカイに落ちている絵本に描かれていたとか」
「そういうことか……。む? ということはお前、午後の授業は」
「細かいことを気にするのは大局の前では良くないことさ」
「おい」

 確かに、直接対峙したわけでもないのにペガちゃんはセカイの存在を把握していた部分などもあったから逆もあり得るだろう。餅は餅屋で、不思議な存在は不思議な存在でと言うわけだ。答えは日常生活の中に紛れていたようだが、これは家族の中でも司のみが行き着ける答えであっただけにここ一週間無駄に手をこまねいていたことが悔やまれてならない。

「……そんなに渋い顔をするものじゃないよ。元々ペガサスくんは休みを取る必要があったんだから、君がもし先に気付いていたとしてもこのくらいの時間はかかっていたはずだ」
「ぴぴぴ〜っぴ、ぴゃ」
「ペガサスくんもいっぱい寝れて元気いっぱいになったよって言ってるしね。ただし小腹は空いたそうだよ。それはどうなのかと思うけどね?」

 食っちゃ寝で更にぽよぽよになったんじゃないのかい、なんて言って先ほどから類がつかんだ姿勢のままだったペガちゃんのお腹をついでのように揉みしだく。当然ながら怒ったペガちゃんに指にかぷかぷ噛みつかれているが痛くはないのだろうか。甘噛みだろうしいいか。

「……はぁ。なんだかとんでもなく気が抜けてきた。しかしペガちゃんが元気になったのは事実だし、これ以上色々考えても訳がわからなくなりそうだし、それだけで十分なのかも知れないな」
「ぴょぴ」
「うん、僕もそれで良いんじゃないかと思うよ。何はともあれ結果が全てだし、なにより当のペガサスくんがあんまりわかってなさそうだしね」
「そうだな。ペガちゃん、あんまり無茶をするのは良くないぞ。咲希や父さん母さんにもさっき連絡しておいたから、帰ったらちょっとお説教だ」
「ぴぺ⁉︎」

 がーん、とでも聞こえてきそうな反応をするペガちゃんの頭を指でぐりぐりと撫でて、やっとそこで全てが解決したのだと実感できて安堵と共に深くひと息吐いた。原因がわからない中であんなにも反省していたけれど、蓋を開けてみればペガちゃんもよくわかっていなかった、だなんて。まったく気の抜ける結果である、でも司達の仲ならばそれでもいいのかもしれない。

 ――まぁ、それでも今後はもっとペガちゃんと話す時間を増やそうとは思うけれど。起こってしまったことで後悔するのは避けたいものだからな。

「そういえば、オレがペガサスになった件は何だったんだ? ペガちゃんにあんなことが出来るとは思わなかったぞ」
「ぴぴぴーぴぴ、ぴっぴ」
「最近急に出来る気がしてきてやってみたら出来たみたいだよ。やっつけ仕事だったんだねぇ」
「ぴぴーっぴぴ、ぷひゃ」
「司くんがいろんな人と関わるようになったから、ペガサスくんにも新しい刺激があって、それが成長につながったのかもしれない……だって」
「や、やっぱりわりと曖昧なんだな。でもペガちゃんも最近はスマホを使えるようになったし、……そうか。当たり前だけれどオレ達と同じように、ペガちゃんも前に進んでいるんだな。すごいぞ!」
「ぴー!」

 すっと手を伸ばせば、わかっているとでも言うかのようにそのまま類にペガちゃんを手渡される。あたたかくて柔らかいその身体を抱き上げて勢いそのまますりりと頬擦りをしたならば無邪気なペガサスも同じように擦り寄ってきてくれた。可愛い。調子に乗って同じ動作を繰り返すと、あちらも嬉しいのか楽しそうにご機嫌な声をあげている。

「そういえば喜んでいるところ申し訳ないけれど。そんな成長したペガサスくんによる試練を乗り越えたから、僕は認められたと言っていいんだよね? まぁちょっと屋根の上に隠れようとして隠れきれていない君の姿を見つけてしまったという特大のヒントもあったけれど、司くんを僕の愛の力で元に戻すことが出来たんだし」
「あ、愛⁉︎」

 そんな風に戯れてちょっとだけほったらかしになっていたのが気に食わなかったのか、司の腰辺りにするりとその長い腕を巻き付けて類もペガちゃんがいないサイドに擦り寄ってきた。といっても顔は笑っているし、拗ねていると言うよりかはからかい半分、構ってくれアピール半分といったところだろう。お付き合いを始めてからバタバタしてそういう接触がなかったこともあり多少ドギマギしてしまったけれど、今回の功労者が類であることは間違いないので今だけは好きにさせておいた。
 それに、いつもの調子ならすぐにペガちゃんが注意をしに行くし、と思っての判断もあったのだが……。

「びー……」

 予想に反して物凄く不満そうではあったけれど、なんなら不満そうな声も出てしまっていたけれど。ペガちゃんはその場を動くことはなかった。
 これには類も予想外だったのか目を丸くしている。が、すぐに事態を把握したのだろう、みるみるうちにその顔に見覚えのある悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「司くん、お許しが出たようだよ。やったね、ここで記念のキスでもしておくかい?」
「ぴぎぇ⁉︎ ぴ、ぴぴぴ〜‼︎」
「せんわ! ペガちゃんをからかって遊ぶな!」

 するりと司の肩を抱いて、見せつけるようにぐっと顔を近づけてくる。から動くのをやめていたペガちゃんもそこですぽんと司の手を抜け出し類の顔へと突撃していった。もすり、勢いよく張り付いてもうすっかりお決まりになった妨害をしているが、当の妨害を受けている側である類は嬉しそうだ。
 そしてそれは一生懸命なペガちゃんには申し訳ないけれど、そんなやり取りを眺めている司も同じで。

「ぴぴぴぴ〜!」
「ふふふ、やっぱりこうじゃなくてはねぇ」
「……まぁ、そうかもな」

 ふたりののん気な反応に異変を感じ取ったのかペガちゃんがぴたりと動きを止めたから、そっと優しくその身体を持ち上げる。されるがままでくるりとひっくり返されたちょっと大きくなったらしいペガちゃんは司の顔をまじまじと見ると、嬉しそうに目を細めた後、本日一番の声で元気よく鳴いたのだった。

「ぴぃ!」



「むむ、隊長! 隊員発見であります!」
「おわーーーっ‼︎‼︎ え、えむ⁉︎」
「おやおやもうそんな時間だったんだね。お疲れ様、えむくん。もしかして寧々と一緒に来たのかな?」
「うん‼︎」
(しまった、ペガちゃんを隠さなくては)
(まぁまぁ落ち着いて。ふたりにはペガサスくんの姿は見えないのだから焦った方が怪しくなるよ。ふむ、頃合いを見てゆっくり移動しようか)
「ちょっとえむ、走るの早すぎ……。って、司。その子、なに?」
「ほんとだ! 可愛いペガサスさんだね〜!」

「「え?」」







 ぼくが彼に出会ったのは、もう随分前のことだ。

 それは確か、気まぐれに当てもない散歩をしていた時だったと思う。本当に偶然立ち寄ったとある家の中、ふわふわのブランケットに包まれてすやすやと穏やかな眠りについているまだ小さな赤ん坊を目に入れた瞬間に雷に打たれるような心地がしたのだ。そしてキラキラ輝いて見えるほどに可愛らしいその子に出会うために自分はここにいるのだと、何も根拠がないのに確信をもったから。
 
 その時から、ずっとひとりぼっちだったペガサスは、ひとりぼっちじゃなくなった。
 
 家族の一員としてみんなと過ごす時間は新鮮で、本当に幸せだった。咲希ちゃんが苦しんでいる時に自分では力が足りなくて助けることができなかった時は悲しかったけれど、司くんが願ってくれたおかげで得ることができた力で少しだけ家族の助けになることができたし、今では咲希ちゃんが学校に出かける前にいってらっしゃいのお見送りすることも出来るようになった。司くんもずっと憧れていた夢を追いかけることが出来るようになって、ぼくは毎日飛び上がってしまうくらい嬉しくなっている。家族のみんなに出会うまで長い長い時間を気まぐれに過ごしてきたけれど、彼に出会ってからの時間は毎日のひとつひとつが煌めいていて、自分にとってとても大事なものだ。
 でも一方で、それがずっとは続かないのは理解していた。念願のショーが出来るようになった司くんは家にいるよりも外にいることの方が多くなって、咲希ちゃんもバイトにバンドに大忙しだ。ふたりが活動的になったことによってお父さんとお母さんもつられるように家を留守にすることが多くなったし、次第に家でお留守番をすることも増えて。
 少しばかり寂しかったけれど、みんなが本当にやりたいことを出来るようになって、それで嬉しそうにしているのをみるのがぼくは大好きだったから、それでもよかった。誰かにずっとついているようなことはきっとできないから、彼らが幅を広げたその先に、自分の代わりに彼らを愛して守ってくれる人が現れてくれることを願っていた。
 まぁ、実際にその相手が現れるとやっぱり複雑な気持ちになって結局その願いは撤回してしまったのだけれど。

「ペガちゃん!」

 彼、司くんが初めて出会った時と変わらないキラキラを纏ってぼくを呼ぶ。その胸に飛び込むと、やっぱり自分はとっても嬉しくて何でもできるような気持ちになるのだ。できれば、これから先もずっと側で彼の煌めきを守っていきたいと思う。

「ぴっぴっぴ〜」
「おやおや、ご機嫌だね」

 まぁ、全ては難しいこともわかっているから、それを誰かと手分けしてになるのも最近ではしょうがないと思えてきたし。
 ぼくの一番は司くんが笑ってくれることだから、すべてはぼくの世界で一番愛しいカワイイカワイイペガサスのために。今日も今日とて幸せな一日を紡いでいくことにするのだった。


 君の輝かしい未来に、どうか幸多からんことを。


        

番外編その一 ペガサス式ぷにぷに解消作戦


「もぴもぴもぴ」
「おっと、こぼれてるぞ。美味しいか?」
「ぴー!」
「そうかそうか、後で冬弥にもう一度お礼を言わなくてはいかんな」

 練習開始前の更衣室で、司が着替えて準備をするまで暇になるペガちゃんは今日学校で貰ってきたマドレーヌを嬉しそうにほっぺたいっぱいに詰め込んで食べていた。貰い物なんですが余らせていたのでよかったらペガサスさんに、と休み時間にちょうど出くわした冬弥がわざわざ教室から持ってきてくれたものだ。なんでも会えた時のために用意してくれていたらしい。
 当然ながら甘いものに目がないペガちゃんは大喜びで、袋に詰められて四つほど入っていたマドレーヌをお昼にも食べて、今も食べて、なんならまだ封の開いていないものを食べながら熱心に見つめている。このままだと家に帰るまでに貰った分は底をついてしまいそうだ。まぁ今日もたくさん飛び回っていたし、あとひとつくらいまでならばおやつとして許容範囲にしていいか。
 だが、そんな考えはすぐに吹き飛ぶことになる。

「――おや、ペガサスくん。もしかして太った?」

 類から放たれた突然の衝撃発言に、部屋の空気がびしりと固まった、気がした。


 紆余曲折を経てちょっとばかり身体が大きくなったペガちゃんだったが、時間が経ってみていろいろ分かってきたところによると物理的な成長に加えて不思議な力も相応に成長したようだった。
 類を介して聞いたところによると司をペガサスに変えたようなとんでもない大技は本当にしんどい(あれのせいで眠くなったのもあったらしい)のでもうやりたくないとのことだが、それ以外にも自分の意志でぺかぺか光ることが出来るようになったり、前より高いところ、それこそリビングから司の部屋までは階段を介さないと直接飛べなかったのが最近では飛べるようになったり……そんな小さな変化は片手では足りないくらいに色々とある。
 だが、その中でも何と言っても大きな変化といえば、類のような特殊な条件が無くともペガちゃんの姿が見ることができる人が増えたことだろう。
 どうやら姿を見ることができる人はペガちゃんの気分で決められるらしく、今のところ確認した範囲ではえむや寧々、冬弥、そして咲希の幼馴染であるバンドメンバーが該当している。見えるようになるための基準は完璧にペガちゃんの匙加減だが、司や咲希の話に出てきて大丈夫そうだと思えた人の前で姿を表すようにしているようだった(現に学校で出会った彰人は見えていないようだった。冬弥が残念がっていたのでいつか見えるようになるといいのだが)。
 ちなみにみんながペガちゃんと初対面になった時の反応はそもそもペガちゃんの存在を知っている人と知らない人に別れていたため事前情報の有無でまちまちだったが、総じて好意的に受け入れて貰えている。
 これはひとえにペガちゃんの可愛さの力だろう。特に元々ペガちゃんの存在を知っていた組は出会えたことが本当に嬉しかったようでたまに司達が止めなければいけないくらいに可愛がってくれている。冬弥は先ほどのマドレーヌだけではなく頻繁に食べ物やゲームセンターで取ってきたおもちゃの差し入れを持ってきてくれるし、最近ペガちゃんは咲希にくっついてそちらの学校に行くことも増えているのだがそこでも一歌にお腹がぽんぽこりんになるほど焼きそばパンを食べさせてもらったりしているらしい。えむや寧々も練習のたびに何かお菓子を持ってきてくれているし、ちょっとしたアイドル状態だ。
 どうもペガちゃんとしても新しく構ってくれる人が増えたのはとても嬉しいことだったようで、前までは誘ったとしてもなかなか家から出ようとしなかったのに今では登校の時は必ずと言っていいほど咲希か司についてくるようになった。段違いに毎日楽しそうにしているし、ペガちゃんの可愛さを大切な仲間達に知ってもらえたことは司としても嬉しかったこともあって本ペガサスのしたいようにさせていたのだけれど。

「たしかに……気が付かなかったがお腹がたるんたるんになっている気がする。というかつまめるな」
「ぴっ、ぴぴっ」
「まだそこまで急激な変化ではないけれど。というかペガサスくんが太ると言うことに驚いているよ」
「オレもだ。しかし今まで家にのんびり引きこもっていた時にも特に体型変化はなかったはずなのだが……これも成長の影響ということか?」
「それは無いんじゃないかなぁ。ある意味成長といえば成長ではあるかもしれないけれどそれとこれとは別物だと思うね」

 類と並んで真剣にペガちゃんを観察していると、いつもだったらすぐに司の元まで飛びついてくるというのに流石に気まずいのかペガちゃんはその場で蹲ったまま羽根で顔を隠した。というかこの反応、どうやら自覚は薄々だがあったらしい。肩に乗っている時も不思議な力でペガちゃん本来の重さを感じるのはなかなか難しいこともあり司も気づくのが遅れてしまったのは非常に反省すべき点である。つい最近、もっとちゃんとコミュニケーションを取らなくてはいけないと心に誓ったところだったのになんという体たらくだろうか。

「しかし、原因はなんだ……?」

 顎に手を当てて呟く。これ以上事態を進行させないためにはそもそもの原因の把握が最も重要になるので心当たりを辿るようにここ数日について思い返してみるが、以前のように一日中ペガちゃんと一緒にいるわけでは無くなってきているので全てを把握できているとは言えないこともありどうも心もとない。
 少なくとも家での食事量は朝晩変わっておらず、あるとしたら昼だがそちらも用意してきたお弁当や司の食事を分けるくらいならばそう影響があるとも思えないし……。
 そこまで考えたところで、更衣室のドアがコンコンと叩かれた。

「司くーん! あのねあのね、練習の前にちょっとだけペガちゃんにお菓子をプレゼントしてもいいかな? パチパチぎゅわぎゅわーのお菓子を昨日寧々ちゃんと見つけたの!」
「着替え中にごめん、でもステージの方だったら誰か来るかもしれないから……」

 聞こえてきたのはそわそわとどこか落ち着かない様子の女子ふたりの声。ゆっくりとペガちゃんの方へと視線を移すと、蹲るのは止めにしたらしくすっくと見事に四本足で立っていた。その隣には先ほど食べたばかりのマドレーヌの包装が転がっている。
 ……身体の三分の一くらいあるサイズのお菓子を食べたばかりなのに、えむ達の声を聞いたペガちゃんはさっきまで見せていた隠れるほどの気まずさは何処へやら、食べる気満々で鼻をふんふん鳴らし羽根をぱたぱた動かしていた。

「……これか」
「だろうねぇ」

 愛くるしすぎるのも考えものなのかもしれない、とはこの時初めて思ったことだった。


 ***


「ということで、今日のランチはこれだ」
「ぴぴー⁉︎」

 小さめのおにぎりがひとつと、以前はフルーツ用に使っていたデザートケースをずいっと出せば、内容を確認したペガちゃんはびっくりして五センチほど飛び上がった。これでも身体のサイズから比べればだいぶ多いと思うのだが、いつもは司のランチのふたまわり少ないくらいのものを食べていたので結構なサイズ変化ではある。
 ちなみに朝もひかえめにしておいたのだがその時も同じ反応をしていたので、今日の夜も同じ反応を目にすることになりそうだ。

「ちょ、ちょっと厳しすぎないかい?」
「……昨日咲希にも確認したんだ。ペガちゃんはどうも咲希の学校、特にバンド練習についていった時は帰りにラーメンを食べたりスナック菓子を食べたり、なんなら毎回アップルパイを貰っていたらしい。しかもその後には何食わぬ顔で家でご飯をいつも通り食べていた。そういうとき咲希は夕食はいらないと自分の分だけ先に連絡していたから気が付かなかったようだ。勝手に食事抜きにするのは悪いからという気遣いだったらしいが。それ以外にも普通に教室でお菓子を食べていたようだしな、オレ達の知らないところでもっと好きにやっていたかもしれん」
「それは……だいぶ食いしん坊だね」
「あぁ、ペガちゃんにオレ達がべったりくっついているわけではないから迂闊だった。まさかここまでだとは。オレは前回のことで反省したが、ペガちゃんの健康に問題があっても誰に診て貰えばいいのかすらわからないこの状況。これから先の未来でも変わらずペガちゃんに健康でいてもらうためにも、早急にぽよぽよぷよぷよから脱却して貰う! これは強制だ!」
「ぴぎゃーん!」
「ちなみに昨日ペガちゃんが寝てから家族みんなにこの決定は伝えておいたし協力すると言ってもらっているから泣きついても無駄だぞ」

 何がペガちゃんの健康に繋がっているのかは正直分からないものの、そもそもご飯はそこまで食べなくてもいい(これは類に聞き出してもらったことだが)らしいのだからやっぱり今の状況が身体に良いものであるとは言えないだろう。
 ペガサス的な適量は正直わからないが、ある程度見極めていくしかない……というかペガちゃんがこうして外に出てくる前は普通にキープできていたので、あれが適量なのだろうと推測するとまず封じるべきはみんなから貰うおやつである。それさえなければ以前よりも活動しているし少しだけ食事を制限すればすぐに元に戻るはずだ。

「ペガちゃん」

 しおしおと下を向いているペガちゃんにそっと手を伸ばし、優しく撫でながら先ほどお弁当を取るときに一緒にとって手の中に隠しておいた秘密兵器をささっと纏わせる。運動会で着るゼッケンのような紐と布でできたそれは、昨日の夜みんなが寝静まった後に司がこっそりと手縫いで作ったもの、に今日の休み時間の仕上げを経て完成したものだ。
 家族会議もそうだが、一番早くそれこそ小学生でも眠らないくらいの時間にペガちゃんが眠りについてくれたおかげで採寸もバッチリの(ちなみにペガちゃんは警戒心が遠い昔にどこかへいってしまっているらしく寝てる間に何をしても起きない)オーダーメイドの特注品である。背中側の布は存在が羽根の邪魔にならないように調整もしておいた。生地も良いものを選んだので着心地は悪くないはずだ。。
 そんな司に出来る限りの気を使ってペガちゃんが快適であるようにと作られたそれ。メインの布部分には、その存在の意義である文字が誰でも気付くようにでかでかと書かれていた。


 『ダイエット中。お菓子をあげないでください』


「ぴっ、ぴぴぽぴー⁉︎」
「あ、元に戻るまでこれは外しちゃダメだぞ。ランチが足りなかったら誰かにお菓子を強請るつもりだっただろうが、それは禁止だ。昨日えむにも寧々にも冬弥にもお願いしておいたし、咲希からもみんなに言ってもらっているからな」
「ぴぺーーー⁉︎」

 やっぱり隠れて貰いに行くつもりだったのだろう、企みが早々に実行不可になりヘナヘナと床にへたり込んだペガちゃんは少し可哀想にも思えるがここは心を鬼にするほかない。この状態になるまでにもそこまで時間がかかっていないし、今ならまだ同程度の時間をかければすぐ戻れるはずなのだからここで甘やかすのはペガちゃんのためにもならないのだ。
 でも、絶食は身体に良くないからそれはNG、栄養バランスをしっかり整えた上で運動をするのがベスト。ということで今日はしっかり計算をして(母さんが)作ったランチを食べてもらおうと、蓋のつけられたままだったデザートケースをぱかりと開く。中にはダイエットではお決まりの鶏肉とブロッコリー、あとは卵焼きを詰め込んでいた。この他におにぎりと司が多めに持ってきた野菜たっぷり味噌汁もあるし、総量としては減ったように見えるがボリュームは結構あるはず……、といってもいつもよりも遥かにストイックなメニューにペガちゃんは絶望したようにわなわな震えている。

「こ、これは……司くん、やりすぎじゃない? 野菜が多すぎる。ペガサスくん、よかったら僕のクリームパンちょっと食べていいよ」
「ぴ⁉︎ ぴゃー‼︎」

 野菜が目に入ったからだろう、類がちょっと青くなった顔を背けながら伝えた言葉にペガちゃんは救世主を見つけたとでも言うかのようにに飛び上がって縋り付こうとする。類とペガちゃんの普段も仲は悪くないけれど、一方でことあるごとに戯れ代わりに言い合いをしあっているくらいの距離感だっただろうが。まったくどちらともに現金なものだ。
 まぁ仲が良いのは良いことだが、かといっててもちろんそんな抵抗が許されるはずもない。ということで類の後ろに回ろうとしたペガちゃんをたどり着く前にガッチリキャッチして元の弁当箱の前に強制的に戻した。

「類」

 そして一言、甘やかそうとした犯人の名前を呼ぶ。

「……ペガサスくん、ごめん。僕は力になれない」
「ぴっ、ぴぴぴぴぴぴ〜‼︎‼︎」
「よし。じゃあお腹もすいたからな。早速ランチにするぞ」

 こうして、ペガちゃんのダイエットもといぷにぷに解消作戦が決行されることとなった。


 ***


 そこからの日々は(ペガちゃんにとって)過酷を極めた(らしい)。


「くきゅぴ〜」
「もうお腹が空いたのか? やっぱり急激に減らしすぎたのかもしれないな……。仕方ない。ほら、プロテインだ」
「司くん、筋肉作りはしなくていいと思う」

「ペガちゃんさんがダイエットと聞きまして……これ、よかったらなんですけど」
「む? ゼリーか?」
「ぴぴー⁉︎」
「野菜ゼリーらしいです。栄養も豊富らしいんですが」
「ぴぴぴ……」

「ペガサスくんが家でも運動ができるように鳥型ロボを改造したよ」
「運動も大事だからな。がんばれペガちゃん!」
『飛ブ速度、オチテイマス。マダマダトベル、モウサンセット」
「ぴぎゃぎゃーーーー!」


 周囲の協力も貰いつつ、毎日しおしおになりながらも頑張っていたペガちゃん。そして三週間という短く長い時間が経過した後、その努力の甲斐あって。

「ぴっぴぴぎゃぴーん!」
「おお、随分スッキリしたな!」
「何なら引き締まったせいか前よりもスリムかもしれないね」

 すいすいと司の周りを飛び回るペガちゃんは身体が軽くなったおかげなのか心なしか飛ぶスピードが上がっている気がする。こんなことも出来るぞと見せつけるようにぐるぐる回って司の肩に着地したペガちゃんはとっても得意げで、なんだかんだこの期間ちゃんと頑張ったことを知っている司は請われるがままよしよしとその背中を撫でておいた。

「これでおやつも解禁かな?」
「そうだな。といっても前みたいに手当たり次第に食べるのはダメだぞ。あと貰ったらちゃーんとお礼をいうこと!」
「ぴ!」
「良かったね。そうだ、ラムネ食べるかい」
「ぴっぴ〜!」

 お菓子の名前が出た途端にご機嫌で類のところまで飛んでいくのを見守って、ほっと肩を下ろす。頑張って厳しくしていたが、司としてもお腹を空かせているペガちゃんに厳しくするのはなかなか辛いものがあったのだ。そしてそれは司だけではなかったようで、練習の時のえむや寧々は出来るだけ身体にいいものならとわざわざ調べていろんな食材を買ってきてくれたりしたし、咲希も母さんもカロリーが低くていっぱい食べれる食事を研究したりしていたし……挙げるならキリがないくらいだ。
 目の前の類も早くダイエットから解放してあげたいからとか言ってほぼ毎日くらいのペースでいろいろな機械を発明・改良しては持ってきてくれていた。なんだかんだ大変ではあったが、ペガちゃんはそれくらいみんなに愛されるペガサスなんだということを改めてこの期間に目の当たりにできた気がする。
 すっとスマホを手に取ると、先ほどペガちゃんのダイエットが完了したと皆に連絡したために様々な人からひっきりなしにメッセージが飛んできていた。今日はケーキを買って行っていいか、明日はプリンを持っていく、帰りにアイスを買って帰るから内緒にしておいて。
 挙げられた品はバラバラだがどれもペガちゃんの大好きな甘いもの達で、もう予定として送られてきている品物だけでも結構なカロリーがありそうだ。

「ぴっぴぴ〜」
「美味しい? そうか、良かったね。あぁ、そろそろかと思ってクッキーも買ってきていたんだよ。食べるだろう?」
「ぴぴゃ!」

 類も例に漏れずニコニコと餌付けしている。でもその楽しそうな姿をみると止めるのは憚られてしまって、行き場のない溜め息が口から漏れていった。まったくみんな、ペガちゃんに甘すぎだ。でも。

「……これは、第二回を決行する日は近いかもしれんな」

 まぁ、今まで色々頑張ったし。今日くらいははチートデーということにしてもいいということにしよう。……リバウンドしたら、その時は第二回を決行するということで。
 そうやって自分に言い訳をすると、後ろ手に隠しておいたマフィンを口元にクッキーをつけてご機嫌で羽根をぱたぱたしているペガちゃんの前にそっと置く。甘い匂いに気がついて嬉しさで飛び上がるペガちゃんを見ていると、どうにも自然と頬が綻んだ。
 
 そう。結局はみんな、ペガちゃんが可愛くて仕方がないのである。

「せめて類の作ってくれた機械での運動は継続しような」
「ぴぴぇ⁉︎」
「おや、じゃあまた新作を作れるよう頑張ってみるね」



番外編その二 キスカウント・プロブレム


「……は?」

 ドスのきいた声が後方から聞こえてきたので、一体何があったのかと反射的に後ろを振り返る。その先にいた類は、いつも余裕あるその顔を珍しくしかめてこちらを凝視していた。


 あのドタバタした騒動を経て、司と類がお付き合いを始めてからもうひと月が経とうとしている。
 付き合いたて(まだ一ヶ月なのだから引き続き付き合いたてにカウントされる期間かもしれないが)は例のペガちゃんのいざこざがあったのでなかなかそれらしい機会が取れなかったのだが、そもそもお互いにお付き合いをする経験は初めてかつ元来の性格がショーバカだったためにそれ以降もなかなか恋人らしいと胸を張って言えるような時間は取れていなかった。
 そもそも触れ合うとしても学校で不埒なことをするのは良くないと司があらかじめNGを出しているし、ステージのバックヤードではお互いすっかりショーに頭が切り替わっているのだからそんな時間を取る余裕はない。
 一応今までのように寝かしつけてくれと甘えてくる類を構うことはあれど、その頻度もそこまで多くはないのでこれもう今までと変わらなくないか? と不意に思ってしまうくらいには何の変哲もない日々を過ごしていた。まぁ司としてはそれでも何気ない時間に類と一緒に居られるだけで嬉しかったし、物足りない気がしないでもないがゆっくり進んでいければいいかと思っていたのだが――どうやら類はそうでは無かったらしい。

「付き合いたての恋人同士としては、今の状態はよろしくないと思う」

 ある日いつものようにランチを一緒に食べていたところ突然据わった目で力説されてしまって、まぁ司としてももう少し恋人らしくイチャイチャしたくないかといえばしたいに決まっているし――こちらだって健全な男子高校生なのである――その後の類の提案を気が付けば受け入れてしまっていた。その日はペガちゃんが咲希についていっていたのでふたりを止める役割がいなかったからなおさらだったのかもしれない。
 ちなみに類からされた提案の内容はというと『お互いが空いている時には出来るだけ一緒に過ごせる時間を作る』というものだった。改まって伝えられた割に司にも受け入れやすいハードルの低いものだったのは類の策略でもあるだろう。現に何の抵抗もなくするりと頷いてしまったのだし。
 ……さて、という経緯があり、すこし時間は開いたものの今日はその約束を果たすために類の部屋に遊びにくることになっている日だった。ちなみに一日フリーというわけではなく午後から練習がある日なのだが、午前中に家を出て類の部屋で過ごした後、昼でも食べてから練習に行こうとあらかじめ話して決めている。
 一日だったら気を使ってしまうしハードルもちょっとばかり高いから初手としてはちょうど良いラインだろう。おかげで類の部屋に遊びにくるのはペガちゃんのことを初めて紹介したあの日以来だったのだが、わりと緊張もせず和やかな時間を過ごせていた。
 まぁそれは多分……今日も今日とてペガちゃんがついてきているせいもあるかもしれないが。
 そう、前日までは特になんの反応もなかったので油断していたのだけれど、出掛けに今日の予定を告げた途端に自分もついて行くという主張なのかペガちゃんが肩に乗ってがんと離れなくなってしまったのだ。司も司で類との時間にペガちゃんが一緒にいることが多いというかほとんどになっているのでまぁいいかと特に気にせずそのまま連れてきてしまったのだが、部屋に招き入れてもらってふたりっきりになった途端に今度は類が司の背中にぺったりとくっつくように隙間なく抱きついてから類はよろしくなかったのかもしれない。ちなみにペガちゃんは対抗するかのように司の頬に擦り寄ってきたり類の手をてしてし叩いたりと甘えん坊を加速させている。
 抱きつかれた瞬間は心臓が口から飛び出そうだったけれど、人目がある場所やペガちゃんの見ている前では破廉恥なことはしない、と元々類に伝えていたこともあり類もぎゅっとしてくるくらいで止まってくれていた。おかげさまで落ち着くにつれドキドキするというよりももはや和んでしまうくらいの領域に達しかけていたのだが、それは司だけだったらしくいつまでも類が離れないことに焦れたのかペガちゃんがキスをおねだりしてきて。
 いつものことだとそれに応えたところで、冒頭の声に繋がる。


「……どうした?」
「どうしたもこうしたも無いよね。え、今のなに?」
「何って、キスだが。たまにペガちゃんが甘えたいときにおねだりしてくるんだよな」
「は?」

 背中からの圧が異様に強い。司としては特にいつも通りのつもりだったので何が何やらわからず急に機嫌が悪くなった類に首を傾げるしか出来なくなっていると、キスした後に司の顔の前をご機嫌でふよふよ漂っていたペガちゃんが類の顔目掛けて突撃した。もすり。近かっただけに司の耳辺りにもちもちしたペガちゃんの身体が触れる。気持ちいいから別にいいのだけれども。

「ぴぴぴ、ぴひゃ〜」
「は⁉︎ しょっちゅうしてる⁉︎」
「ぴひひ」
「小さい頃から⁉︎」

 顔にペガサスを張り付けたまま喧嘩をするなと世界中でもここだけでしか使えないツッコミをいれたいが、なにやら盛り上がっている様子だったので水を差すのも気が引けてやりとりをそのままにしておくことにした。ただこのままだと言い争いの飛び火が来そうな予感がしたのでペガちゃんの突撃のおかげですこし緩まった腹に回されていた腕をそっと解いて距離を取っておく。類はというと司を追うつもりまではなかったようで、手が自由になったからかようやく顔の飾りになりかけていたペガちゃんを引き剥がしていた。といっても子どもみたいなレベルの言い合いは先ほどから続けたままだ。今日は珍しくちょっとばかりペガちゃんが優勢のようだが。

「ぴぴ〜ぴぴぴ、ぴぴぴん」
「……え、本当かい」
「ぴは、ぴひーひぴぴ」

 内容は分からないもののまた何かペガちゃんの発言が類の琴線に触れたらしく、急に部屋の温度が少し下がった気がした。む、何だか嫌な予感がする。直感に任せてまたさらに距離を取ろうとしたのだが、その行動はがしりといつもより強めの力で握られた左腕によって阻止された。そこまでは許されないらしい。
 逸らしていた目線を恐る恐る類へ向ける。にっこり、握られた腕の強さからは想像のつかないような笑みを浮かべている姿は不自然すぎてちょっと怖い。対抗するためだろうかまた司の元へと飛んでこようとしたペガちゃんも嫌な予感がしたのか途中でストップして引き気味だ。

「司くん、ちょっと教えてほしいんだけれどね」
「……なんだ?」

 ずい、と類がその笑顔のまま近付いてくる。不穏な様子にいつでも逃げれるよう出来るかぎり距離を取ろうと捕まえられた腕以外はもう少し後ろに下がろうとしたが、それは残念腰掛けたままのソファの肘掛けに阻まれた。

「今、司くんのファーストキスがペガサスくんだという自慢をされたんだ。まぁ君達の関係については今更だしね、ほっぺたくらいは前にも見かけていたし親愛の意味でやっていたんだろうと理解はしているんだけれど。でも知らなかったのは、さっきみたいにおねだりされるたびにキスしているってことなんだ。これってペガサスくんの言う通り本当ということでいいのかな?」
「は? ま、まぁそうかもしれんが」
「へぇ〜? そうなんだ、ペガサスくんだったらお願いされたらフリーなんだ……正真正銘の恋人であるはずの僕はお付き合いを始めた日以来素気無く却下されているというのに」
「ばっ、それはお前が外とかペガちゃんの前でも問答無用で言ってくるからだろうが!」

 言い返すとにこにこ顔を一転拗ねた風なものに変えながら更に追い詰めてくる。これは多分司がそちらの表情の方が弱いというか甘くなってしまうのが既に類にバレてしまっているからなのだろう、そこからも窺える絶対に逃さないぞという強固な意志に本格的にヤバさを感じた。
 しかもこの部屋には(類の部屋だから当然だが)ペガちゃんを除くと類とふたりきりだし、もしこれ以上攻め込まれたら人が来るかもしれないという拒否ワードも使うことができない。

(特に考えていなかったが、ペガちゃんがついてきてくれて良かったかもしれん)

 司とて類といわゆるそういうことをするのが嫌なわけではないのだが、今日はふたりでのんびり話でもして、やってもちょっと仮眠のために寝かしつけてやるくらいのレベルを想定していたのだ。
 それに改まってキスしたいとか言われるとなんだかこう身構えてしまうし、初回がドタバタだったから今度はシチュエーションもちゃんとセットしてからにしたいし、何よりそのためにしっかり心構えをしておきたいし。言い訳だと言われたら否定できないものではあるがなんだかんだこれまでもこと恋愛に関しては類に押されっぱなしになっている自覚もあるので、次こそ司のあっと驚く最高のシナリオで彩ったドキドキを類に届けるためにもここは類のおねだりに負けるわけにはいかなかった。
 なので。

「ぴぴ〜ん」

 傍観者に回っていた、というよりは未だに得意げに司の周りをくるくる回遊していたペガちゃんを捕まえて類との狭まった間へ壁のように掲げる。事前にバレては面白みが薄れるので声には出さずに後々デートプランを考えてリベンジするからちょっと待っていてくれ、と心の中では必死に謝っていたのだが、その効果があったのかなかったのか。どちらかは不明だが幸いにも司の腕を握っていた力は徐々に弱まっていき最後には解放された。
 司としてはその間に類が一言も発さなかったのがちょっと気がかりではあったけれど、先ほどのままだったらやっぱり拗ねているのかもしれない。あまり突っぱねすぎるのも司が嫌がっているみたいで本意ではないし、そこまで時間は無いけれどせめて昼寝くらいは付き合ってやりたいものだが……だなんて甘いことを考え始めたところで、すっとペガちゃんが司の手から没収された。
 流れるように自然で、なおかつ抵抗させる隙を与えない計算された動きである。司も、それこそペガちゃんすらも咄嗟に反応できずにいると、類はその胸にペガちゃんを抱えた後にまたにっこりと先ほどの……いや先ほどよりもさらに嫌な予感がする笑みを浮かべた。

「そうだよね。ペガサスくんが見ている前ではそういうのはダメだって言われたこと、僕はちゃんと覚えているよ」
「そ、そうか。すまないな。あの、そういうことはオレが必ず」
「だからペガサスくんが見てなければいい訳だ」

 ん? 今話が通じたと思った瞬間不穏な言葉が聞こえた気がする。思わず凝視した先の類の表情は笑ったままで、司には到底その真意を読み取ることができなかった。が。

「ぴぴぴ、ぴぴ〜!」
「この手はあまり使いたく無かったんだけど」

 ワンテンポもツーテンポもおくれてようやく類に抱かれていることを理解したらしいペガちゃんがじたばたと抵抗すると、類は意味深な言葉を呟いた。一体何をするつもりだ、といっても類がペガちゃんを類なりにしっかり可愛がっていることは司ももう十分すぎるほど知っているので、もしかして八つ当たりがわりにでもまたペガちゃんを飽きるまでくすぐり倒すのではないかと(ペガちゃんはたまったものではないが司にとっては)平和な予想に少し身体を身構えたのだが……。

「よしよし」

 類はその予想に反して柔く優しくペガちゃんを撫で始めた。滑らかに、一定のペースで。まるで子を慈しむようなそれを司も呆気に取られて見守ってしまったのだが、すぐに異変に気がつく。
 
 ――あれほど暴れていたペガちゃんが、今はじたばたしていない。まさか。


「一丁あがり、とでも言えばいいかな」
「すやぴ」
「ぺ、ペガちゃん⁉︎」

 撫でられてからまだ三十秒も経過していないだろう。なのに類の腕に横たわるペガちゃんは、これ以上なく気持ちよさそうにぐっすり眠りこけていた。いや、早すぎるだろう。普段からも司と共にベッドの上に設置されたペガちゃん専用寝台に入ってすぐに寝息が聞こえてきていた気がするけれど、それでもここまで早い入眠では無かったはずだ。ぴすぴすと鼻息を鳴らす姿は軽い眠りではなく熟睡している時のそれで、早すぎる展開に脳がついていかない。
 ──しかし、司の理解が追いつくまで類が待ってくれるはずもなかった。
 あわあわとことの次第を見守っている間にも類は天井からふわりと降りてきた鳥型ロボ、のお腹につけられたクッションの敷かれたスペース(絶対ペガちゃん用だ)にすっかり力の抜けたペガちゃんを仕舞い込んでしまった。司が声を出して止める前にロボはまたゆっくりと天井に登っていく。あぁもう、バッチリ見えないところに行ってしまった。こちらからも、あちらからも。

「ペガサスくんについていろいろ実験もとい統計をとってみたんだけれど、こうやって一定のリズムで撫でるという特殊な方法で寝かしつけられると少なくとも一時間は何をしても起きないんだよねぇ。知っていたかい?」
「……知らなかった」
「そう? じゃあ安心してくれていいよ、信頼できるデータが揃う程度には実験済みだから。ということで」

 ロボットの動きにつられたせいかぼんやり口を開けて天井を見上げていた司を突然の衝撃が襲う。といっても犯人などこの場にいるひとり以外存在するはずも無いのだが、勢いよく押し倒されてしまっては今度は見上げずとも勝手に天井が目に飛び込んできた。
 ――まぁ、司の視界において天井よりも遥かに多い面積を占めているのは、もう慣れ親しんだ顔、それも随分ご機嫌なもの、なのだが。

「どっ……⁉︎ どんな体勢だこれは!」
「うん? でも君の望む通り今はこの部屋にふたりきり、ペガサスくんはぐっすり夢の中。何も問題はないだろう?」

 ぐっと顔が近付けられてきて、もはや吐息が直接かかってしまうくらい近くに類の顔がある。ゆらゆらとゆらめく狙いを定めたレモンイエローの瞳に捉えられてしまうともう動けなくなってしまって、あと類の言う通りこの場にはもう司の駄目だと指定した要素は無くて。
 ……こんなの、拒否できるはずもなかった。返事の代わりにそっと目を閉じたところで、待ってましたとでも言わんばかりに柔らかい感触が唇に降ってくる。
 一度、二度。形を確かめるように押しつけられるそれに背中がぞくぞくと泡立つ。キスがこんなに気持ちいいものだとは類に触れられるまで知らなかった。それこそペガちゃんにねだられるがまま繰り返すキスは子どもの戯れのようなもので、それもそれでいい物に間違いはないのだが、種類が天と地ほど異なっている。
 ちゅ、何度目かのリップ音の後に熱が遠ざかる。導かれるようにゆっくり瞼を開ければ、緩く弧を描く三日月と久方ぶりに至近距離で対面することとなった。

「僕はペガサスくんのように子どもの頃から司くんと一緒だったわけではないからね。オールカテゴリーでの司くんのファーストキスが僕でなくても、ヒューマンカテゴリーで僕がファーストキスならばなんとか千歩譲って我慢はできるんだ」
「……それでも千歩いるのか」
「いるよ。それこそペガサスくん相手じゃ無かったらもっといるかもしれない。でもまぁそれも、これから先の司くんと一番多く長くキスできるのは僕だって言うならのギリギリの妥協なんだからさ。もしもペガサスくんにねだられるたびに君がキスを大盤振る舞いするというのなら、せめて平等に権利を与えてもらわなきゃ、ね?」

 あまりに子どもっぽい駄々だ。でもその背後にはあんまり可愛くない嫉妬とちょっと可愛い拗ねがあるのが分かっているから、いろんな感情がごちゃ混ぜになってしまってふ、と口の端から息が漏れた。
 でもそれが気に入らなかったらしくむうと類が口を歪めると、都合の悪いことにさらに面白くなってきてしまって。でも笑ってしまったことによってこれ以上このもうひとりの甘えん坊の機嫌を損ねることになってしまってはいけないから、首を伸ばして類の頬や瞼に宥めるようにキスをした。
 ちゅ、ちゅ。しかしこれ、実はペガちゃんへのものと同扱いのキスなのだが、果たして類にはバレてしまっただろうか?

「……ずるいなぁ」

 おっと。今回は司の勝ち、類にはバレなかったようだ。
 もっとしてくれとせがむように背中に手が回ってきて、ふたりの間の隙間が無くなってしまうくらいまでぎゅっと抱きしめられる。なんだ、可愛いやつめ。口にすればきっと酷い目に遭うだろうことは流石に司にもわかっているから、今は眠るペガサスに対抗するかのようにぐりぐりと首筋に額を擦り付けてくる大きくて可愛い恋人に、応えるようにまたキスを落とした。

 ちなみにこの時は言わないことにしたがペガちゃんとは物心つくくらいの時からの日課としておはようのキスとおやすみのキスをしているので、実は類とのキスの回数が一番になるのはかなり難しいことなのである。なんなら今までの積み上げがもう途方もない回数になっているので。

 でもそれが類にバレた時、また拗ねて強硬手段に出られることになるのは……今は、知らない未来の話なのであった。
 
 
 
 
  

番外編その三 所詮ぼくらは君の虜


 世の中には、奇跡というものが意外と多く転がっている。
 
 それはもちろん類にとっても例外的ではなく、例えばこんな広い世界の中から志を共にする仲間と巡り逢えたことであるとか、まっすぐに輝く青年に射抜かれた心をそのまま拾ってもらえたことであることとか、その青年には不思議なペガサスがお付きとしてついていたりだとか。思えば、まだまだ先の長い人生であるといえどすでに数えきれないほどの奇跡を享受してきた。

「ぴゃ〜ん」
(しーっ! ペガちゃん、授業中だぞ!)

 そして、この光景も奇跡のうちのひとつ。

 顰めている声ではあるが少し離れた類まで聞こえてくる程度の声量である、何も知らないクラスメイトたちからしてみればまた天馬が何かやっていると肩をすくめられているのだろうことは想像に難くない。ただ、全てを理解している側の類はその微笑ましい光景と、その光景を享受できるこの奇跡に感謝する他なかった。
 別々のクラスで生活していた類と司が、進級をきっかけに同じ教室へと詰め込まれることになってはや数ヶ月。自分でも浮かれている自覚はあるくらいには毎日を満喫させていただいてる類は(最近は爆発させるなではなく一日一回までにしろとだいぶ譲歩した懇願が担任からなされたのがそのいい証拠だろう)、授業に関していえば昨年に比べてかなりまともに受けるようになっていた。それこそ、中学時代の出席日数ギリギリだった類が今の類をみると驚いてしまうくらいには――この世の通念では学生たるもの授業に出席することが当たり前なことは置いておいて――非常に真面目な生徒といえるだろう。
 まぁ、授業の内容を聞いているかと問われてしまったら笑って誤魔化すしか無くなってしまうのだが。

(今日も元気だねぇ)

 黄色いまあるい頭の周りを飛び回るいきものに思わず口角が上がってしまうのは仕方がないことだろう。類の出席率上昇の要因たちは、今日も今日とてこの瞳を楽しませてくれているのだ。
 真ん中の列、後ろから二番目。
 そこそこ良いロケーションのこちらの席からは、向かって左、ふたつ前の席に姿勢良く座るその背を見つめ放題になっていた。ビシッと背筋を伸ばして真剣に板書をしているかと思えば、眠気に負けて首をガクッと落としたり、内容が理解できなくて頭を抱えたり。退屈な授業の中でもなお類を惹きつけてやまないその後ろ姿に、スパイスとして自由に飛び回るペガサスがいっぴき。こんなに面白くて癒される光景がなんと50分間も見放題であるなんて、逃す手はないだろう。席替えによって席がそこそこ離れてしまったときは少し残念だったけれど、こんなに最高の座席を案内されるだなんて今年の類の運勢は過去最高であるに違いない。

「ぴぃっ」

 そんなささやかな幸せを噛み締めながらいつも通りに彼らを観察していると、暇だと訴えかけるような鳴き声が聞こえてきた。
 時計に目を向けてみると授業も終わりが近づいてきている、が、あと十分以上は拘束されたままだ。となるとあの鳴き声の主は午前中の授業を大人しく寝たり聞いたりして待っていたけれど、いいかげんそれにも飽きたから主張をしているということか。
 そこまで類が予想をしたところで、タイミングよくわがままで甘えん坊なペガサスが周りからほとんど見られていないことをいいことに保護者の肩にしがみつきぴょこりと顔をのぞかせた。

(おや、寝かしつけられなかったのか)

 類の教えたことによりこのペガサスに対して弱点特攻の寝かしつけテクニックを彼は会得していたはずなのだけれど。
 少し意外に思って司の方を見ると、どうやらもう諦めたらしく先ほどまでと同じく板書の姿勢に写っていた。ふむ、昼休みまでもう少しだからどうせこの教室では類以外に姿を見ることができる人間がいないこともあり好きにさせることにしたようだ。
 ちなみに司は見えていないから大丈夫だとたかをくくっているが、ペガサスの相手をする彼の様子は普段通りばっちり見えるのでクラスメイトたちも彼が急に何もない空間に声をかけることにすでに適応してしまっている……というのはナイショの話だ。演技の練習って大変なんだな、と心配したようにクラスメイトから話しかけられた時は流石に笑いを堪えるのが大変だったが、せっかくなのでその通りだよと返して当の本人の耳に入れることはしなかった。だって類は司が愛らしいペガサスと戯れている光景がことのほか気に入っているのだから。これであのちいさなもちもちがお留守番させられることになるのは少し可哀想だしね。
 と、目を瞑って思い出し笑いを噛み殺していると、ふいにぱたぱたと聞き覚えのある音が耳に届いた。

「ぴぃ〜ん」
(……おや)

 音の聞こえる方を見ると、先ほどまで遠くにいたはずの生き物が目の前でホバリングしている。
 ちらり、斜め前へ視線を向けると申し訳なさそうにこちらを振り返る琥珀色とかちあった。ダメ押しのように手が合わせられる。なるほど、残り時間はこちらで相手をしてやってくれということか。それにしても随分はジェスチャーをしてくれているけれど、あれは流石に……あぁ、ダメだったね。先生に見つかって当てられてしまった。けれどその問題は昨日一緒に予習した部分だから大丈夫だろう、と思うことにして。

「はい、こっち」
「ぴゃ」

 机の上に散らばった工具を端によけて、スペースを開ける。すぐさま着地して鼻(が多分あるんだと思う。いつか調べさせて欲しいものだ)を鳴らしたペガサスは、類のことを一瞥してから斜め前へとまっすぐ向き直りご機嫌に尻尾を揺らした。当然、その目線の先には焦りながらも刺された問題の答えを述べている金色の姿がある。太陽が一番高くなるころ、窓から差し込む光をきらきらと反射するその姿は何度見ても飽きない良いものだ。

「ふぴぴ〜」

 小さなペガサスが満足げな声を上げる。うん、わかるよ。問題が正解だったことに嬉しそうにしているのを見ると、こっちまで嬉しくなってくるもんね。
 類と司が同じクラスになってから、このペガサスは時折こうやって類の元にやってきては大好きな彼のことを鑑賞するようになっていた。特に今の席割になってからは司の後ろ姿を大変いい角度で拝めることもあって頻度が増えている。あれだけ一緒にいるのによくもまぁ飽きずに見ているね、という言葉は見事なブーメランになるのでいままでもこれから先もきっとこのペガサスに言えることはないのだろう。つまりは類も同じ穴のムジナ、もといペガサスということだ。

「ほんと、いい趣味してるよねぇ、僕たち」
「ぴ!」

 返ってきたのは珍しく肯定の鳴き声。それと同時に琥珀色がまたこちらをむいて、ぐっと勝利のガッツポーズを見せてくれた。微笑ましいったらありゃしない。
 気が付けば授業の終わりまではもうあと数分になっていた。視界の端で煌めく金色の後ろ姿とそれを嬉しそうに見つめる小さな背中、こんな最高の景色があと数分でおしまいなのは少々惜しい気がしてくる。だが、類はこの小さなペガサスのようについ先ほどまで撫でで構ってもらっていたわけではないので、見せつけられたことにより少々充電不足になっているのも事実であったので。

(昼休みが楽しみだなあ)

 少なくとも、お守りの分くらいは多めに構ってもらうことにしようと心に決めて。チャイムまでのあと数分、その残り少ないやわらかな時間を満喫することにしたのだった。


Comments

  • 那由多昔着

    とある場所で買って読みました。本当に好きで好きで…!!いっぴきが可愛すぎるし言葉回しも秀逸でとっても面白くて、通学前とその日の夜読んだのですがとっても元気になれました!ずっときゅんきゅんしっぱなしで尊過ぎた…素敵な作品ありがとうございます!!!

    Apr 10th
  • THIRTY(三途)

    微笑ましすぎます^^再録ありがとうございます!ペガサスってダブルミーニングだったんですね♪気づいた時きゅんでした♡

    March 25, 2025
  • くむくむ

    「ペガサス」という単語が重義的な意味で使われたという点が私をとても幸せにします。 二人と一匹ならきっと、遅くてもゆっくり進み、幸せを一粒ずつ集めていけると思います。 TTKさんの作品が大好きです。 いつかぜひファンアートを描けたらいいですね。これからも応援します!

    September 19, 2024
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