生き残った部下の命を助けるためです。龐(ホウ)徳の部下は最後まで苛烈に抵抗し、途中降伏しようとした将兵を斬り捨てる真似までしています。それでも降伏していく兵は後を絶たず、最終的にはたった4人で戦っていました。大勢が決した中無駄に死んでいった兵がどれほどいたことでしょう。しかもホウ徳はそんな状況になって逃げ出そうとしています。そこを捕らえられるわけですが、散々将兵を死なせておいて逃げるっつうのはどうよと私は思います。
対して于禁も預かっていた七軍が水没、3万の将兵を引き連れて高台に避難しますが、今度はそこから動けなくなります。そこに関羽が攻撃をかけ、于禁は為すすべなく降伏。樊城も水浸しで救援に来てくれるはずもなく、徐晃が救援に到着するのも2ヵ月後です。于禁は城に立て篭もったわけでもないし、まして慌てて水から逃げただろうから食料や装備なども皆無に近い状況だったんでしょう。つまり抵抗する手段がなかったと思われます。そして率いていた兵も少なかったであろうホウ徳とは違い、于禁は3万の将兵を率いていました。敗戦が決まった状態で3万人に「お前ら死ね」とは言えんでしょう。
大体にして、張遼や張郃(コウ)という魏の名だたる名将2人も、曹操に兵を引き連れて降伏した連中です。張コウなんて敗色濃厚になると、あっさりトンズラかましています(その前に陣営内で揉め事があったんだけど)。于禁と何ら違いはありません。于禁はその後汚名を挽回できるチャンスが無かっただけです。
~補足について~
してますねぇ。何せ曹操がおしっこちびりそうな勢いでビビッて、「首都変えようよ(´;ω;`)」と泣き入れてますから。
漢水の水攻め自体は偶然起こった自然災害のようですが、それで3万もの大軍が関羽に降伏したもんだから魏国内は相当に動揺したようです。そして関羽は単なる戦上手や武勇絶倫というだけではなく、相手の後方を動揺させることに非常に長けている武将です。関羽の得意技、反乱の煽動です。関羽は各地に印綬をばら撒いて群盗を煽動して反乱を起こさせています。さらに曹操のお膝元である鄴(ギョウ)でまでも魏諷の反乱が起こっています(ちなみに樊城を攻める直前にも反乱を煽動して魏に隙を作っている)。于禁らを壊滅させ、樊城をギリギリまで追い詰め、魏国内で反乱を起こしさらに動揺させる。結局は徐晃に負け、そして呂蒙に後方を奪われて敗死するわけですが、たかが一将軍であることを考えれば大活躍どころか伝説級の働きですよ。
名誉挽回
汚名返上
日本語は正しく使わないと赤っ恥かきますね(汗)ご指摘感謝です。