高市総理の「コングレッショナル・フェロー」という経歴について高市氏の著書『アズ・ア・タックスペイヤー』(1989年)と2016年4月22日の記者会見での発言から以下のことが言えると思う。「当初はインターンとして事務所に入る」「3ヶ月後、コングレッショナル・フェローになる」「コングレッショナル・フェローは議会特別研究員のこと」「お金は松下政経塾から研究費として支給されていた」
◼️「当初はインターンとして事務所に入る」
・「これからパット・シュローダーの事務所で働いたにしても、当然インターンですからお金の入る見込みはありません」(同書 P49)
◼️「3ヶ月後、コングレッショナル・フェローになる」
・「二週間後にはアメリカに向かい、三ヵ月後には日本人では初の米連邦議会のコングレッショナル・ フェロー(立法調査官)として、バット(パトリシア・シュローダー議員のこと)の事務所で働いていました」(同書 P15)
◼️「コングレッショナル・フェローは議会特別研究員のこと」
・「うちの事務所には三人の立法補佐官(レジスレイティブ・アシスタント)がいて、彼らは永久スタッフでしたが、あと一人、議会特別研究員として、コングレッショナル・フェローという身分の立法調査官を採用していました」(同書 P66)
・「私がなったコングレッショナル・フェローは、ほとんどボランティア。もともと、研究の機会を与えてもらう代わりに議員のために働くという趣旨」(同書 P97)
◼️「お金は松下政経塾から研究費として支給されていた」
・「私がなったコソダレッショナル・フェローは、ほとんどボランティア。もともと、研究の機会を与えてもらう代わりに議員のために働くという趣旨なので、私に支給されていたのは研究費といったような意味合があったのです」(同書 P97)
・「政経塾から毎月振り込まれてくる研究費が一ヵ月、一五万五〇〇〇円。 次の振り込み日まで節約するしかありません」(同書 P49)
・「松下政経塾の方で、コングレッショナ ル・フェローは、要は、ちゃんとした経済的なバックグラウンド、研究費が出る研究機関からの派遣でなければならないもので すから、ひと月2000ドルでございますけれども、研究費としての送金をしましたという、当時の送金記録も含めて探していただきました」(2016年4月22日記者会見)
高市総理が「コングレッショナル・フェロー」だったというのも本当なのだろうが、これだけでは多くの日本国民には何のことわからない。自身で「議会特別研究員として、コングレッショナル・フェローという身分の立法調査官を採用していました」(同書 P66)と書いているのだから、経歴には「議会特別研究員」を併記した方が誤解・混乱を招かないのではないか。