怪物達の礼儀作法
人心を惑わし舞台を支配する怪物達の物語。
もしくは、とあるモブ俳優が類と司を憎む代わりに才能を開花させ呪いを受けるお話。
己の解釈違いと戦いながら書いた、ショーと互いに狂っている狂気のワンツーです。
フィiクサー咀嚼のために書きました。実装に間に合ってよかった……。
ツイッターやっております
twitter/wndrshooow
素敵な表紙はこちらよりお借りしました
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どうやら12/24の女子に人気ランキング55位にお邪魔したようです。とても驚きました。ありがたい限りです。
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昔から空気を読むことが得意だった。
だからこそ激しい競争と淘汰の渦巻くエンターテイメント世界でこうして何とか生き残れているわけだし、今回の舞台で自分が求められている役割だってすぐに察することができた。
(あーはいはい、なるほど。つまり俺は天馬司の引き立て役ってわけね)
溜息を吐いて台本を投げ出す。演出・神代類、主演・天馬司という話題の超人気コンビを起用した新作ミュージカル『白騎士と黒騎士』。天馬司演じる主役の白騎士に対峙する仇役・黒騎士を決めるオーディションにダメ元で挑んだ俺。俺より明らかに芝居が上手くて役のイメージにも合っていた人気俳優が落ちて、地味でほぼ無名な俺が合格した理由。
(……最終選考まで残った俳優のうち、天馬司より背が低いのは俺だけだった)
やったー俺ってば超ラッキーじゃん。笑いながら呟いた言葉はひどく虚しく部屋に響いて、心までカラカラと乾かしていく。
天下の人気実力派俳優・天馬司の唯一ともいえる弱点が「身長」だ。世間一般の平均からすると決して低くない背丈。だがそれは舞台世界において常に決定的な弱味として彼の評判についてまわる。
テンツカかー、顔は抜群にいいけど、でも身長がちょっとねー。あ、それわかる。もうちょい背高ければ良かったのに、なんか惜しいよね。
全く勝手な話である。天馬司本人とて好き好んであの身長になったわけではないだろうに。とはいえ、彼の背丈が原因でこの新作ミュージカルがコケるなんて事態を避けねばならない事もまた事実。
特に今回の舞台において、俺の選ばれた黒騎士は、天馬司演じる白騎士に憧れて騎士になり、そして彼を愛し焦がれ崇拝するあまりにどうしようもないほどの憎愛と執着を抱いてしまう役柄だ。舞台全体の構図的にも、そして何より主演たる天馬司をより格好良く見せるためにも、彼より身長が低い者を黒騎士に充てるのがベターと判断されたのだろう。
(それが舞台全体のクオリティを高め、“天馬司”というブランドの効力を最大限に活かして守る最良の選択……)
わかってる。頭ではわかってるんだ。だけど。
「神代さんが、そんな馬鹿げた理由で役者を選ぶなんて知りたくなかった……」
神代類。鬼才、天才、変人、奇人、挙げ句の果てには“怪物”とさえ呼ばれる稀代の演出家。
俺の一番の憧れ。
世渡り上手なだけで特に尖った個性もない、ごくごく凡庸な役者である俺が、××劇場なんてデカい箱の新作ミュージカル助演という甚だしく分不相応なオーディションを受けた理由。
「神代さんと、最高の舞台を創ってみたかった……」
神代類が演出だから。俺の憧れの人に演出をつけてもらえる可能性がほんの1%でもあると思ったから。だからダメ元でオーディションを受けたというのに。
「……なんであの最終選考で俺を選んだんですか、神代さん。最終候補者の中で一番芝居の完成度が低かったのは俺だ。神代さんに見てもらえる緊張感で浮き足立った芝居をした。最悪の失態だった。俺自身でもそれが痛いほどわかっていたのに何で……」
天馬司を輝かせるためだけに身長で仇役を選ぶ? それが神代さんの思う“最高の舞台”? 違うだろ、神代さんはもっと、芝居や舞台そのものを愛する崇高な人だ。他者の人気や評判に媚びたり、受けのいい安定策に逃げたりしない。ペラペラの安っぽい考えなんて絶対にしないし、いつだって奇抜で斬新で、役者の個性を一番に引き出して……
「はは、それもこれも全部幻想か……」
なんだ、つまり神代類もただの凡俗な人間だったというわけだ。気に入りの役者を引き立たせるためなら、演技力なんか問わず身長だけで役を決める。俺の憧れた「神代類」は、この世に存在しない虚像だったのだ。
「……俺の価値って、天馬司より身長が低いってだけなわけ?」
話題の舞台に立てるのに、大きな役が貰えて嬉しいはずなのに、俺の心には果てしない空虚が巣食い、燃えるようなやる気も行方不明のままだった。
あの日、神代類に俺の全てを支配されるまでは。
***
「改めて、今回の舞台で演出を務める神代と申します。どうぞよろしく」
稽古初日。神代類が穏やかに笑ったのは最初の数秒間、役者へ簡易的な挨拶をした時だけであった。
『黒騎士を……あの恐ろしい怪物を生み出してしまったのはオレだ。オレには奴を止める責務がある。いや、奴を止めるのはオレでなければ絶対にならないんだ、そうでなければ許せない』
「ストップ。司くん、瞳に説得力がないよ。わかってる? 黒騎士は君を想うあまりに何の咎もない無垢な民をも毒牙にかけているんだ。その事実に対する君の罪悪感はそんなに軽いものなのかい?」
『かつて同じ隊で共に戦っていた頃からずっと、お前はオレの一番の誇りだった。だがな、オレのためにと言いながらオレ以外の者にお前が刃を振るった事だけは、オレは絶対に許せない! 何故そんな事をしたんだ? 何故オレから目をそらした? オレはここで、お前の刃を待っていたのに』
「司くん、気持ちが足りないよ。黒騎士への清濁混ざった想いは、清らかな白騎士の心に唯一影を落とす負の感情だ。純白の中に滲む黒点、それが君の芝居からは見出せない」
『黒騎士、さぁ見ろ、オレはここにいるぞ! オレだけを見ろ、オレだけを追いかけてこい。希望も絶望も愛も憎しみもお前の望む全てをオレに寄越すんだ!』
「全然駄目。いいかい司くん、その台詞で君は黒騎士を支配するんだ。白騎士のためと言いながら周囲の人間を悪戯に弄び狂わせてきた黒騎士を、君の一言で強烈に惹きつけなければならない。君以外に目を向けさせず、ただ君だけを追い求めるようにね。そうじゃないと黒騎士はまた無関係な誰かを傷付けるんだよ? それを君は許容できる? 白騎士の抱く気概と覚悟をもう一度よく考えてきてくれ」
「……わかった」
「騎士隊の皆の演技はまずまず良かったと思うよ。尊敬する上司が見せた激しい感情への動揺と怯え、それがよく出ていたね。欲を言えば怯えよりも戸惑いのニュアンスを強くして欲しいところだけど、今はとりあえずこの感覚を忘れず刻みつけておいて」
「「「はいっ」」」
「あぁ、もうこんな時間か。それでは今日の稽古はここまでにしよう。お疲れ様でした」
「「「お疲れ様でしたっ」」」
「……お疲れ様でした」
嵐のような演技指導を終え、疲れた顔でハァハァと息を荒げる天馬司。そんな彼に少しも構うことなく、傍に控えていたスタッフと何事か打ち合わせを始める神代類。……正直に言って俺は驚いていた。
「……なぁ、天馬司って神代さんの気に入りじゃないのか?」
「そういう噂だけどどうなんだろうな。神代さん、他の役者のことは程良く褒めつつ指導してて雰囲気良いのに、天馬さんにだけはやり過ぎなほど厳しくダメ出ししてるし」
「もしかして、天馬司の演技って大したことない?」
「まさか、そんなわけない……よな?」
騎士隊(つまり名も無きその他大勢役)の俳優達が困惑したようにヒソヒソと噂話を交わすのが耳に入る。天馬司に対してだけ行われる神代類の苛烈なまでに激しいダメ出しに、彼等も大分怯え戸惑っているようだった。まぁ、それがそのまま「白騎士の激情に戸惑う騎士隊の演技」に反映されていたので結果オーライとも言えるのだが。
(……たしかに、天馬司の実力を疑う気持ちはわかる)
目の前であれだけ厳しく「駄目」だの「足りない」だの叱責されている現場を見てしまったのだ。誰だって天馬司の芝居レベルを疑うだろう。だが。
(俺の見立てでは、この中にいる誰よりも天馬司は役を掴んでいた)
清廉で穢れなく正義感に溢れた白騎士のような役は、天馬司が最も得意とする十八番的な役柄だ。なにせ天馬司は大きな劇場での初舞台でまさしくそのような役を演じ、そのあまりの“ハマリ役”っぷりから脚光を浴び始めた役者なのだから(そういえば、その舞台の演出助手も神代類が務めていた)。
「高貴な正義のヒーローといえば天馬司」だと舞台好きなら誰だって思っているし、実際彼は今まで様々な舞台でそのような役をさんざん演じてきている。むしろ最近ではそれ一辺倒といってもいい。
(まぁ、今回みたいなダーク要素もある役はあんまり見たことないけど)
いくら得意のヒーロー役でも慣れないダーク要素がある事で天馬司も役作りに難航しているのだろうか。そして、それを見越したからこそ神代類は黒騎士に“引き立て役”を起用したのだろうか。気に入りの役者(天馬司)が新作ミュージカルの主演で少しでも醜態を晒さずに済むように。
(……仕方ないか)
面白くはないが、神代類にある意味で頼られていると思えば少しは頑張る気力も湧く。激しいダメ出しを受ける天馬司の横で、特に大きなダメ出しを受けるでもなく過ごせるのも悪い気分ではないし。
(天馬司のために俺は引き立て役に徹してやろう)
一つだけため息を吐いて俺は自分の中に渦巻くモヤモヤとした葛藤にケリをつける。
昔から空気を読むのは得意だったのだ。だからこそ人気は出ずともショー世界で生き残れてきたわけなのだし、ならば今回も求められた役割を淡々と演じるまでで……
「つまらないね」
「…………は?」
それは俺が「天馬司の引き立て役に徹する」と決めた翌日の稽古での出来事だった。
「君、その芝居はなに? 昨日までの芝居もつまらなかったけど、今日はより一層酷くなってる。馬鹿にしてるの?」
「え、いや……」
白騎士と黒騎士の対峙シーン。神代さんの意図通りに、神代さんが喜ぶように、天馬司の引き立て役として相応しいように、満を辞して変えた演技プラン。
「聞かせてくれるかな、何故君は芝居の時に低い姿勢を取るようにしたんだい? その不自然に曲がった膝と猫背に黒騎士のどんな感情が反映されている? キャンキャン喚く台詞回しも気に入らない。そんな芝居で君は黒騎士の圧倒的強さや誇り、絡みつくような執着と憎愛を表現できると本当に思ったわけ?」
「それは……」
たった一言だった。
今日の稽古が始まり、俺が放ったのはたった一言の台詞のみ。その一言を聞いた瞬間、神代類は言い放ったのだ。
「つまらない芝居をする役者は要らない」
冷めた瞳、低い声、全身から滲み出る激しい憤り。
神代類は、苛烈なまでに怒っていた。
「あ、あの、神代さん、おれ……」
シンと静まり返る稽古場の只中で、俺は何とか言葉を紡ごうと必死に口を開閉させる。だけど何を言えばいいのだろう。神代さんの指摘通り、たしかに俺の芝居には黒騎士の想いなんて反映されていなかった。ただ天馬司を引き立たせようと、それが神代さんが俺に求める役割だろうとそんな事ばかり考えて……
「おれは、ただ……」
「言っておくけど、君が犯したのは僕にとって最も許せない侮辱行為だ」
「っ……」
「それで? 君はこれ以上何を言って僕を失望させるつもりかな? 安い言い訳なら聞きたくない、時間の無駄だ」
「……ぁ……」
「やる気がないのなら今すぐ稽古場から出て……」
「おい類! お前言い過ぎだぞ!」
まさにそれは白騎士のごとく。
真っ黒になりかけた俺の視界に眩い金色が映り込む。天馬司だ。俺を庇うように立った彼は、それまでどんなに激しいダメ出しを受けようが少しも反抗しなかった神代類に対し、声を荒げて叱責を飛ばす。
「今のダメ出し、いくら何でも言い方が悪すぎる。それにその後の追及もやりすぎだぞ。演出家が役者を追い詰めてどうする」
「司くんには関係ないだろう。これは僕と彼の問題だ」
「いいや関係がある! 何故ならオレはこの舞台の座長(主演)だからな! ならば舞台が成功できるよう稽古場の雰囲気を真っ当に保つのもオレの責務だろう!?」
「……」
「類の言い分もわかる。だが、だからといって役者を必要以上に責めたりコミュニケーションを軽視していい理由にはならないはずだ。お前の言い方は明らかに攻撃的で一方的だった」
睨み合う二人に、稽古場の空気もピリピリと緊張感を増していく。主演と演出家の対立。呼吸すら苦しいほどの静寂。このままではいけない、止めなければいけない。わかっているのにどうしてもできない。二人の放つ青い炎のような感情に圧倒され、その一歩がどうしても踏み出せなかった。踏み込めば無傷では済まないと誰もがわかっていた。
ふっと、その張り詰めきった糸を切ったのは神代類だった。
「……わかったよ」
「類」
「僕の主張が間違っているとは思わないし、取り下げるつもりもない。……けど、少々キツい言い方をしすぎたのは事実だし、稽古場の空気を悪くした自覚もある。その点だけは謝るよ。……これでいいんだろう?」
「あぁ、言いたいことはないわけでもないが、とりあえずはそれでいい」
「そう、なら話はここまでだ。皆、すまなかったね。悪いけど15分程休憩にさせてもらおうか。少し頭を冷やしてくるよ」
そうして先程までの苛烈さが嘘のように、彼はひらりと手を振って稽古場を出ていく。
「おい、待てどこに行くんだ類っ……! みんなは気にせず休憩していてくれ!!」
そして、そんな神代類を追いかけるようにして、天馬司も稽古場を出ていく。
後に残されたのは、彼等に圧倒され動くことすらできなかった俺と騎士隊の俳優達。時間にすればわずか数分の出来事だというのに、まるで重厚な舞台や映画を見終えた時のようなフワフワとした不思議な虚脱感があった。
「な、なんだったんだ今の……」
「わかんねぇ。でも背筋がゾクッとした」
「あれ神代さんもだけど天馬さんも相当キてたよな」
「何で誰も止めなかったんだよ」
「んなのお前もだろ」
「いやだって、あの間に入ったら殺されるんじゃないかって……」
「わかる、そんなわけないのに、なんかさ……」
「うん、あの二人だけしか踏み込めない世界っていうか……」
「まるで、お芝居の中の白騎士と黒騎士の対峙みたいだったよな」
騎士隊の俳優達が無理矢理絞り出すように会話をし始めるにつれて、少しずつ、ほんの少しずつ、稽古場に温度が戻っていく。それと同時に少しずつ俺の焦りや放心も落ち着いて、自分がやらかした事への後悔、そして神代類への言いようもない憧れと喜びがじわじわ心を侵食していく。
そうだ、神代さんは俺を怒ったんだ。
まるで夢のような出来事、だけどまぎれもない現実。
「あの……俺っ、二人を追いかけてきます!!」
いてもたってもいられず俺は稽古場を走り出た。
(なんだ、誤解だったのか! 神代さんはやっぱり俺の憧れた通りの人だった!)
神代さんが怒ったのは俺の芝居が原因だ。
それはなんて喜ばしい事実だろう!!
(神代さんは“天馬司の引き立て役としての芝居”を否定してくれた!!)
つまり俺に対して、天馬司の引き立て役になるなと言っているんだ。黒騎士に俺が選ばれたのは低い身長が理由じゃない、天馬司のためじゃない! 神代さんは、ちゃんと俺自身を見て黒騎士役に選んでくれていたんだ!!
(俺、馬鹿だった。神代さんの期待に気付かず勝手に邪推して失望して……でもこれからは間違えない)
稽古場の外、いない。
廊下、いない。
トイレ、いない。
バタバタと走りながら神代さんを探す。残る可能性は給湯室か? あそこには冷蔵庫があるからコーヒーや菓子類なんかを入れてるスタッフも多いと聞くし。
(まずは誠心誠意謝ろう。それから今度こそ、今度こそ俺は神代さんの期待に……!!)
「はぁ、本当嫌になる。黒騎士の役、彼以外なら誰でもよかったのに」
「え…………?」
まさに急転直下。給湯室から聞こえたその声に、俺は一瞬で凍りついた。
「プロデューサー陣が彼を黒騎士役にすべきだって煩くてさ。あんまりにも強硬に言い張るから僕も妥協せざるをえなかったんだよね」
軽いため息と共に、億劫そうに吐かれる言葉達。俺の知らなかった、知りたくなかった、神代類の真意。
「知名度的にも芝居の巧さ的にも、僕は別の役者を起用したかったのにさ。というか僕は、最終オーディションに残った役者の中で彼以外なら誰でもよかったんだ」
「類」
「全くイライラしたよ。プロデューサー陣の意向には絶対服従しておいた方が得だから彼の起用にも妥協したのに、よりにもよってあんな、司くんの実力や身長を侮るような芝居をするなんて。本当にガッカリだよね、今からでも降板してくれないかな」
「おい類、いい加減に」
「神代さんっ、嘘ですよね?!」
それ以上黙って聞いてられなくて俺は思わず給湯室に踏み込んだ。嘘だと言って欲しかった。目を開けた先に“ドッキリ大成功”みたいな看板が出てくるのを期待した。
だけど突然現れた俺に驚きもせず冷めた表情を貫く神代類の冷たい瞳と、気まずそうに目を逸らす天馬司の引き結ばれた口元が、俺の淡い虚実を真正面から否定する。
「そんな……嘘ですよね、俺以外なら誰でもよかったなんて、プロデューサー陣の意に諾々と従って妥協したなんて……神代さんがそんな事するわけない。そうですよね?」
自分でもわかる。俺の声はみっともなく震えていた。全身が戦慄いていた。だってそんな、俺の憧れの神代類がそんな、そんな俗物的で役者を裏切るようなこと、するはずないじゃないか。そうだろ? 必死に自分に言い聞かせる。
「君、聞いていたの」
「立ち聞きしたことは謝ります! 神代さんの意図と違う半端な芝居をしたことも!!」
「あぁうん、それはいいよ。司くんからも言い過ぎだって言われたし」
悪かったね。そう言って神代類は肩をすくめる。誰が聞いても明らかなほどに心がこもっていない、平坦で薄っぺらい謝罪。……違う。俺が欲しかったのはそんな言葉なんかじゃない。俺が憧れ続けた神代類は、そんなつまらない男じゃないのに。
「それで? 僕の話が嘘が真か、それを知って君はどうするんだい?」
「え……」
「どんな事情があれ黒騎士役に選ばれたのは君だ。その事実以上に大切なことなんてあるかな?」
「な、何言ってるんですか、そんなの当然あるに決まって……!!」
「なるほど、ならこうしようか。“さっきの話は全て真実”だよ」
「っ?!」
「僕は君以外の役者を起用したかった。だけどプロデューサー陣の反対にあって仕方なく君を選んだ。そう僕が言えば、君は黒騎士役を辞退してくれるのかな?」
試すように、見定めるように、神代類の金色の瞳が俺をひたと静かに見据える。
「君がもし黒騎士役から降板するなら、今度こそ僕は僕の希望通りの俳優を選び直す事ができる」
「っ……」
「それで君はいいんだ?」
「それは……」
「フフ、そうなれば君も僕も万々歳だね。不本意に選ばれた役から降りれてよかったじゃないか、そうだろう?」
神代類。鬼才、天才、変人、奇人、挙げ句の果てには“怪物”とさえ呼ばれる稀代の演出家。
俺の一番の憧れ“だった”人。
瞳を細めニコリと感情なく笑ってみせるその様は、こんな時でさえ美しく、一分の隙もなく整っていて。
それはまるで、得体の知れない怪物のようにおぞましかった。
「おい類! さっきから黙って聞いていれば!!」
「おや、司くんはお怒りかい?」
「当たり前だろう! 悪戯に他人を傷付けてお前は一体何がしたいんだ!!」
「フフ、清廉潔白な良い子の司くん。そんな事言って本当は僕の意図くらい全部わかってるくせに」
「っ……!」
「僕は、いつだって司くんを想っているよ」
「〜〜っ!! とにかくお前は黙れ!! な、なぁ君、これには事情があるんだ、類がさっき言った話は……」
「くそったれ!!!!」
気付けば俺はそう叫んでいた。
「くたばれ神代類、俺はあんたを軽蔑する」
「フフ。軽蔑ね、大いに結構。それで君は黒騎士を降りてくれるのかな?」
「おい類!」
「……殺してやる」
呪詛を吐くように俺は低く呟く。
「俺が、お前らを殺してやる」
それは憧れの演出家と売れっ子人気俳優に言うべき台詞では絶対になかった。わかっていたがもう俺は俺自身を止められない。「空気を読むのが得意な俺」? そんなのくたばれ、クソ喰らえだ。
「黒騎士役は絶対に降りない。引き立て役にも、もう二度とならない」
例え舞台の評判がめちゃくちゃになろうと、天馬司ブランドを失墜させてプロデューサー陣に恨まれようと、それで俺自身が二度と舞台に立てなくなろうとどうでもいい。
「喰ってやる」
俺の黒騎士が一番目立つように。
白騎士も演出も何もかもを霞ませるほどに。
「俺が全部喰ってやる!!!!」
特に顔がいいわけでも売り出し中でもない地味で無名な凡才の俺が、観客の視線も話題性も全て掻っ攫う。そのためなら俺はなりふり構わず何だってするし、未来にどんな重い罰が下ろうと喜んでその大罪を犯す。神代類と天馬司を完膚なきまでに叩きのめし、奴等の舞台生命を殺してやるのだ。
主演よりあからさまに目立つ助演。それがいかに罪深く、舞台全体を貶める行為であるか俺はちゃんとわかっている。敵役ばかり神作画で主人公が常に作画崩壊しているアニメなんて、例えどんなにストーリーが良くとも見たくはないだろう? それと同じだ。だが俺は、その罪をこそ犯すと決めた。
「有名でも人気でもないぽっと出の地味役者に芝居で喰われる天馬司! 舞台は破綻して演出家・神代類の失態は大いに話題を呼ぶだろうな、ざまぁみろだ!」
これは天馬司に対する舞台上の殺人予告。
そして神代類に贈る憎愛の復讐劇。
「俺を黒騎士に選んだ事、必ず後悔させてやる」
渦巻く感情のそのままに俺は低く叫び、そして踵を返した。俺は俺の持ちうる全てを賭けて、それこそ魂までも売って黒騎士を演じるのだ。だから俺はもう振り返らない。天馬司のことも神代類のことも、もう二度と……
「その感覚、忘れず刻みつけておいてね」
背後から低く甘く、怪物の囁き声が聞こえた気がした。
***
「フフ、大変な事になっちゃったねぇ、司くん」
黒騎士役の彼が去って数瞬、神代類はとてつもなくご機嫌な調子で冷蔵庫の扉を開けた。
「彼、化けるよ。これ以上ないほど最高で最悪な黒騎士役を仕上げてくる」
ゴソゴソと冷蔵庫を漁り、取り出したのは大きな板状のチョコレート。箔押しのお洒落な包装紙で飾られたそれは海外ブランドの希少な高級品であるのだが、類は躊躇なく包みを破いて捨てると、ボリボリ無造作に食べ始める。
「うーん、差し入れでもらったから食べてみたけど、やっぱり僕はラムネの方が好きだな」
限られた専門店でしか買えない一枚数千円のチョコレート。そのへんのコンビニで売ってる一袋百円のラムネ。神代類の価値感はいつだって彼だけの物差しによって測られ、それがブレる事はない。
「フフ、彼を黒騎士役に選んでよかった」
ベキン
まるで骨でも砕くような音を立てて、司の眼前で黒いチョコレートが噛み砕かれた。
「……類」
「怒ってる?」
「当たり前だろう、彼に何故あんなデタラメな嘘を吐いた」
「デタラメ?」
「そうだ」
「デタラメなんて言ったかな? 僕としては、ほとんど真実を語ったつもりなんだけど」
「とぼけるのはよせ! オレは知っているんだからな、あの話は全て“逆”ではないか!!」
抑えきれない感情をじわりと滲ませながら激昂する司に、類はニィと嬉しげに笑った。
「ご名答」
くつくつと笑いながら類は思考する。そう、あの話はデタラメなんかではない。嘘か真かで言えば、ほとんど真実だ。ただ“うっかり”、話の主語を逆転させて話してしまっただけで。
知名度や芝居の上手さを理由に彼以外の俳優を黒騎士役に選びたがったのは、類ではなくプロデューサー陣。そして、それに猛抗議しほとんど独断で強硬に彼を黒騎士役に据えた張本人こそが、類。だけどもちろん、類が彼を選んだのは見栄えや身長なんかが理由ではない。
「……最終オーディションで、ピンときたんだよね」
よく言えば要領の良い世渡り上手、悪く言えば自分の感情を鬱屈と溜め込むタイプ。そんな彼が最終オーディションの場で「神代類」に向けてきた、崇拝にも似た危うい感情と、期待と熱量が凝縮された羨望の眼差し。
「まるで白騎士に純粋に憧れていた頃の黒騎士に、そっくりだなぁって」
「だから、無理を通してまで彼を選んだのか?」
「そう。大変だったんだよ、彼を黒騎士役に選ばなければ演出を降りるとまで脅迫してプロデューサー陣を頷かせて……」
「そのくせ嘘を吐いて、自分を悪者にしてまで彼を裏切り傷付けたのか? 彼の黒騎士としての演技にリアリティと深みを持たせる、そのためだけに?」
「そうだよ。僕が裏切ればきっと、彼は黒騎士役に相応しい“憎愛の怪物”に化けると思った。でもそれは、僕が目指している最大の目的じゃない」
「最大の目的?」
「まだわからない? さっきも答えを言ってあげたのに」
「え……」
“僕は、いつだって司くんを想っているよ”
黒騎士役の彼と揉めている最中に類がさりげなく司へと囁いた言葉。その真意を悟った瞬間、司の心臓がドクンと跳ねた。
「類、お前、まさか……」
「フフ、ようやく気付いた?」
「ふざけるな。こんなこと、気付きたくなかった」
「残念、僕は司くんに気付いて欲しかったんだ。……すべては君の“呪い”を解くためにやったことだとね」
怪物が甘く優しく司に囁いた。
「覚えてる? 君が大きな劇場に初めて立ったあの公演のこと。僕は演出助手で、君は主演でこそなかったけれど一幕ラストで命を落とす正義のヒーロー役なんていうおいしい役を貰っていたね」
与えられた大きなチャンスに酔いしれ、二人で夢中になって駆け抜けたあの日々を思い出す。二人ともに全身全霊で魂を賭けてステージに挑んだし、結果、司のヒーロー役は大反響を呼ぶ“ハマリ役”となった。類も司も一気に評価され、特に司は舞台好きの人間なら誰もが知る人気俳優へと急激に昇り詰めた。嬉しかった。楽しかった。全てが順風満帆だと思っていた。
「……でもそれ以来、司くんは呪われてしまった」
司の演じるヒーローに誰もが見惚れた。司が舞台上で眩い正義の光を放つ姿を誰もが観たがった。その弊害だろうか、“高貴な正義のヒーローといえば天馬司”などという触れ込みの商業イメージ戦略に支配され、司はここ数年似たようなヒーロー役ばかりを宛てがわれてきたのだ。
天馬司はもっと色々な役ができると、一介の演出家でしかない類がいくら主張したところで状況は変わらない。しかも司は好きでヒーロー役ばかり演じているわけではないというのに、世間は無情にも“天馬司またヒーロー役か”“テンツカのヒーロー役飽きたな”などと彼を批判し、挙句の果てには“天馬司はヒーロー役しか演じられない大根役者なのではないか”などと評論家ぶって訳知り顔に言い出す素人まで現れる始末。
「許せなかった」
司の芝居を薄っぺらく消費する業界が。司の気持ちも考えず適当に称賛して簡単に批判する世間が。なにより。
「あれ以来伸び悩んでる“天馬司”という役者が、僕は一番許せなかった」
「……」
「彼を怪物に仕立てたのは、ただの手段さ」
天馬司は無限の伸び代を持つ役者だ。ぶつかる壁が大きければ大きいほど飛躍的に成長する。だが、いや、だからこそ、お綺麗で変わり映えのしない似たような役ばかり演じさせられる日々の中で、司は役者として伸び悩んでしまっていたのである。
それで類は考えたのだ、ならば司の相手役として途方もなく純粋で醜い憎悪をぶつけてしまえばいいと。司は必ずやそれを超える美しい醜さを自分のものにしてみせるだろうし、それはきっと彼にかけられた呪いを跳ね返すための大きな起爆剤になる。
「もうわかった? 僕はね、舞台の完成度はもちろんだけど、なにより司くんのために、司くんをより高みへ昇らせるそのために、黒騎士役の俳優を選んだんだよ」
「類」
「たしかに黒騎士の彼には少し悪い事をしてしまったけれど、僕への盲信的な幻想なんてどうせいつかは壊れていたんだし、それなら華々しく裏切って彼自身の役者としての才能を開花させてあげた方がよっぽどいいじゃないか」
「類っ……」
「だから、ね、司くん。断ち切ってよ。正義なんて呪いは君にとってもう邪魔でしかないんだ。司くんはあらゆる最高の役を演じるべきだし、そんな君に僕はあらゆる最高の演出をつけて最高のショーを作り上げたい。もっと複雑でもっと色彩豊かでもっと驚きに満ちたもっともっともっともっと……」
「類!!!!」
司が怒鳴る。類が振り向く。二人の目が合う。
その瞬間、類の背に走ったのはゾクゾクとした抑えきれない興奮と快感だった。
「許さない」
天馬司の瞳に宿る、憎悪の黒い炎。
最高の役者となるために、どうしても司に習得して欲しいと類がずっと切望していた、美しくも醜い負の感情。それが司に宿っている。
「今回の黒騎士役の件、オレはお前を絶対に許さないからな」
それだ。その表情だ、その声色だ、まさしくその感情だ。神代類が望んでいたもの。今までの天馬司に足りなかったもの。類が怪物に成り果ててでも、司に手に入れさせたかったもの。
「フフ、あぁいいねぇ、やっぱり司くんは最高だ」
「……」
「許さなくていいよ。それで君が、スターへとまた一歩近付くなら」
「ふざけるな! こんな事もう二度としないと誓え!」
「悪いけどその約束はできないな。断言してもいい、僕はきっとこの先も同じことをするよ。嘘を吐くし裏切るし誰かを利用だってする。それが最高の役者と最高のショーに必要な避けられない道なのであれば、たとえどんな悪者になったとしても、ね」
それが神代類の価値観。
怪物と呼ばれる彼が唯一ショーに対してのみ払う、最大級の礼儀作法。
「僕が憎い?」
「…………ああ」
「フフ、ならその感覚、忘れず刻みつけてステージで魅せてね」
それだけ言い残して、類はひらりと手を振り踵を返す。
「さて、今日の稽古はもう中止にしようか。君も彼もそれどころじゃないだろう? 稽古場のみんなとプロデューサー陣には僕の方から説明しておくよ」
「……わかった」
「司くんもこのまま直帰していいよ。それじゃあまた、明日の稽古で……」
「類」
「なに?」
「オレに口止めをしなくていいのか?」
「口止め? あぁ、彼を黒騎士役に推したのは僕だって話の事? 別にいいよ、口止めなんてする必要ないからね」
ニィと嗤い、ツカツカと戻ってくると類はその手に持っていた食べかけの板チョコレートをおもむろに司の口へと突っ込んだ。
「彼に真実を黙っていた方が、この舞台の完成度は高まるし、彼の役者人生にも未来と展望が生まれる。司くんはもう、それを理解してしまっている」
「……」
「だから司くんは話さないよ。例えそれが君にとって、どんなにか感情的には許せない行為だとしても、絶対にね」
所詮、僕も君もショーに魅せられショーに狂った怪物なのさ。
ベキボキンと、まるで怪物が骨でも噛み砕くような音を立ててチョコレートが割れた。溺れるほどに甘く濃密でどこかほろ苦い罪の味が、どろりと司を支配する。
「……許さないからな」
司は静かに言った。
「……期待してるよ」
怪物が嗤っていた。
***
「……ってことが稽古中に起きたらしくて」
「むむむー、そんなことがあったんだー」
その日、新作ミュージカル『白騎士と黒騎士』の初日公演を招待席で観劇し終えた寧々とえむは、劇場近くにある行きつけのカフェで感想戦に興じていた。
「だから黒騎士さんはギギギギゴゴズシィィィンなお芝居になってたんだね!」
「ギギゴゴズシンはよくわかんないけど、まぁ鬼気迫る凄い演技だったのはたしかなんじゃない」
「黒騎士さん、人気者になっちゃうんだろうなぁー」
「うん、だって今までほぼ無名だった役者が突然の大抜擢であんな芝居を見せたんだもん。きっとすごい話題になると思う」
「えへへ、新しい才能を見出したって、類くんまたみんなから褒められちゃうね!」
「多分ね。黒騎士の役者にとっては不本意な話だろうけど」
クスリと苦笑して紅茶を一口飲み、寧々はそっと溜め息を吐く。あのミュージカルはきっと世間を大いに賑わせ話題になるに違いない。無名の役者が見せた恐ろしく純粋な狂気の芝居はもちろんだが、それ以上に司の演じた白騎士は本当に溜め息が出るほど素晴らしかったのだ。
「司、すごかったね。あの黒騎士相手に少しも芝居で喰われてなかったっていうか、むしろ逆に相手を喰い殺すような勢いと凄みがあって」
「うんうん、いつもの司くんと全然違うからあたしびっくりしちゃった!」
「類も考えたよね。一幕でプロデューサーや観客が求める“高貴な正義のヒーロー”の司を見せておいて、二幕以降の展開でどんどんダーク要素を強くしていくなんてさ。これなら誰も不満を抱かないし、司のいろんな芝居を見てもらうことができる」
「類くん、司くんがヒーロー役ばっかりオファーされちゃうのずーっと悩んでたもんね。でもこれで司くんの“呪い”も解けるんじゃないかな! 類くんの愛の力だね!」
「えぇ……愛、なのかな? たしかに類は司のこと大好きだけど、でも……」
「?」
「それだけじゃないっていうか……」
首を傾げるえむに、寧々は曖昧に笑って言葉を濁す。えむにはかいつまんだ内容しか話していないのだが、稽古中に起きた事件の顛末を類本人から直接全て聞いている寧々としては実のところ少々ゾッとした気持ちを抱えていたのだ。
(類は昔からショーのためなら手段を選ばないところがあったけど、でもまさか司のためとはいえあんな事するなんて。一歩間違えれば舞台全体が崩壊して、自分の演出家生命も司の役者生命も終わりかねない最悪の博打だったのに……)
まるで深い峡谷にかけられた古い吊り橋に火をつけてから渡るような行為。
普通の演出家なら絶対にやらないはずだ。
(でもあの時の類は)
寧々を突然叩き起こして、自分の起こした事件と司への賛辞を語ったあの夜の類は。
(熱に浮かされた恋する瞳で笑っていた)
怪物だ。
そう思った。
大事な幼馴染なのに、そう思ってしまったのだ。
だからこそ寧々は、類が司に向ける想いを“愛”なんて言葉で片付けられずにいる。そんな綺麗な言葉だけでは物足りない。もっと重く、もっと深くて、もっと強く、心まで絡め取るような狂気を孕んで、妄執で、心酔で、礼賛で、強欲な……
(まったく、厄介な怪物に目を付けられちゃって司もカワイソ。これはもう類から逃げられないかもね)
はぁぁと深く溜め息を吐く寧々に、えむはニコニコと笑いながら首を傾げる。
「どうしたの寧々ちゃん?」
「うぅん、なんでもない。ちょっと司のこと考えてただけ」
「そっか! そうだよねっ、だって司くんの愛の怒りもすーーーっごかったもんね!」
「え……?」
「ゴゴゴゴグッッッグラグラグラ〜〜〜ッ……バァァァァァン!!って!! 類くんへの想いが大爆発わんだほいしてて……」
「え? え? 待って、どういうこと?」
「え、だって司くん、舞台上ですっごく怒ってたよね? 類くんが余所見したから」
「え……」
「許さないって、司くん言ったんでしょ?」
きょとんと不思議そうにえむが首を傾げる。
「あの白騎士は、司くんそのものだったよ」
えむが微笑う。
冷や汗が流れる。
その瞬間、寧々は唐突に気付いてしまった。
そうだ、思い返せばえむの言う通りではないか。たしかに司は怒っていた。これ以上なく怒っていた。白騎士の芝居を超えて、天馬司自身として怒っていた。でもそれは、類が偽悪的に他者を傷付け利用した行為に対してではない。そんなの類は今まで何度も繰り返していたし、その度司は真剣に叱っていたものの怒ったことはなかった。
ならば、司がここまで怒った理由は一つ。
(類が、一瞬でも司以外の役者に夢中になった事が許せなかったんだ)
策を弄し、伏線を張り、虎視眈々とタイミングを見計らって、そして自分を悪者にする一芝居を打ってまで、類は他の役者に目をかけ、手間も時間も最大限にかけた。
黒騎士の彼を怪物に仕立てるために、類は司から目を離した。
司はそれが許せなかったのだ。
例えその行為が、司の呪いを解くための手段として利用したにすぎないものであったとしても。
ゾッと鳥肌が立ち、それと同時に寧々の脳裏に白騎士として司が放った台詞の数々が鮮やかに蘇ってくる。
『黒騎士を……あの恐ろしい怪物を生み出してしまったのはオレだ。オレには奴を止める責務がある。いや、奴を止めるのはオレでなければ絶対にならないんだ、そうでなければオレが許せない!!』
あれは。
『かつて同じ隊で共に戦っていた頃からずっと、お前はオレの一番の誇りだった。だがな、オレのためにと言いながらオレ以外の者にお前が刃を振るった事だけは、オレは絶対に許せない! 何故そんな事をしたんだ?! 何故オレから目をそらした?! オレはここに、ここでお前の刃をずっと待っていたのに!!』
あの台詞達は。
『黒騎士、さぁ見ろ、オレはここにいるぞ!! オレを、オレだけを見ろ、オレだけを追いかけてこい!! 希望も絶望も愛も憎しみもお前の望む全てをオレに寄越せ!! お前の全部をオレに捧げるんだ!!』
架空のお芝居なんかじゃなかったんだ。
「ぜんぶ、ぜんぶ類に向けて……」
類を振り向かせるために。
もう二度と、目を逸らす隙なんて与えないように。
目に、耳に、肌に、脳に、記憶に、思考に、鮮烈に、鮮明に、傲慢に、焦がれさせ、求めさせ、舞台に立つその姿を、いっそ残酷なほどに強烈な美しさと眩しさで焼き付けて擦り込んで……
「怪物だ……」
スポットライトを浴びて華やかに笑う司。
舞台上の誰よりも醜く美しかった司。
長年共に舞台に立ってきた寧々ですら打ち震えてしまったその姿はまさに、人心を惑わし舞台を支配する、途方もなく恐ろしい怪物そのものだった。
(なんだ、厄介な怪物に目をつけられたのは類も同じか。だってあんなのを見せつけられちゃったんだもん、きっと類は二度と司から逃げられない)
目を閉じれば、醜く美しい怪物達が手を取り合って楽しげにクルクルと回り踊る様子が思い浮かんだ。彼等は舞台によって人から呪いを受け、そして舞台によって人に呪いをかける。誰をも惹きつけ、誰をも夢中にさせ、そして知らぬうちに誰かの心を惑わせ狂わせてしまうのだ。
傲慢で欲深い怪物達がその最大級の礼儀を払うのは、唯一つ、舞台という小さな聖域に対してのみ。
「……それを羨ましいと思うなんて、わたしも大概、舞台の呪いにかけられた怪物なのかもね」
「? ねねちゃーん? どうしたの、さっきからムムムムーって難しいお顔したり、ニコニコーって笑ったり」
「ううん、なんでもない。それより紅茶も飲み終わったしそろそろ出よっか。わたし、なんだか無性に歌いたくなってきた。えむももちろん来るでしょ?」
「はいはい! あたしも! あたしも行きたい! 寧々ちゃんと一緒にいーっぱい歌っていーっぱい踊って、わんだほいな練習たっくさんするんだ〜♪」
「ふふ、だと思った。わたしもえむも本番近いし、今日はとことんやっちゃおっか。待ってて、今からでも予約取れそうなスタジオに電話かけてみるから」
「やったやった、寧々ちゃん大好き!! 練習わんだほーーーい!!」
「わっ、ちょ、ちょっとえむ、お店でそんな大声出さないでってば!」
「えへへー、ごめんなさーい」
「もう……いい? わたしはいったんお店の外に出るけど、帰ってくるまでちゃんと静かに待っててよね」
「あいあいさー!」
スマホ片手にカフェの外へと出て行く寧々を見送り、えむはワクワクとした心地でその帰りを待つ。
「えへへー、寧々ちゃんとの練習うれしいなぁ〜。司くんも類くんもとってもわんだほいだったもん、あたしも負けないぞー!」
ニコニコと笑いながら、えむは今日手に入れたばかりのパンフレットをめくる。演出家挨拶のページに書かれた類の少し気取った言い回しにニヤニヤし、司考案のかっこいいポーズが採用された白騎士のピンナップにパチパチ拍手し、そして澱んだ目でこちらを睨みつける黒騎士役の彼のページへと辿り着く。
「……人気者に、なっちゃうね」
えむの声に滲む、ほんの少しの憐憫の色。無名の彼が魅せた悪役芝居はきっと世間を騒がせ大きな話題となるだろう。彼は一気にスターダムへと駆け上がり、望む望まないに関わらず昨日までとは比べものにならないほどの人気と名声を手に入れる。……「悪役といえばこの人」という呪いを代償として。
それはまるで、昨日までの司のように。
「黒騎士さんも早く呪いが解けるといいね」
小さく祈ってえむは立ち上がる。店の外で嬉しげに笑う寧々を見るに、どうやらスタジオからオーケーをもらえたようだ。となれば、これから楽しい楽しいわんだほいな二人練習が始まるのである。
「あたしも、舞台が大好きな怪物だから」
果たして黒騎士の彼が、望まぬ呪いに耐え歯を食いしばってでも舞台に立ち続ける怪物となりうるか、はたまた彼に惚れ込み彼の呪いを解かんと共に闘ってくれる演出家やプロデューサーに巡り合えるか。
それは、気まぐれで移り気な舞台の神のみぞ知ることである。
名作すぎる.......