
< 前口上 >
Hello 皆さん、みかん姉の記事、読んでくれて感謝のマイケルです。
ただね、残念ながら、せんじゃさん関連の記事は、前回のアレでお終いということになってしまいました。
あかねさんの提案で姉さんが実行した、宅急便を使った「 水菓子送付作戦 」によって、せんじゃさんの携帯がいまだ生きていて、送受信可能であるということが判明してしまったためです。
要するに、みかん姉は、それまでに何度も何度もせんじゃさんに電話をかけているわけですよ。
だけど、返事がない。電話にも出ない。
それにはなんかやむを得ない事情があるんだろう、と姉さんは思ってた。
でも、そうじゃなかったんです ――― せんじゃさんは、みかん姉が自分にむかって幾度も電話で呼びかけてることに、みんな気づいていたんです。
知っていてずっと無視してたんですよ。
無視っていったら語弊があるかもだけど、心配するみかん姉に対して一回だけ電話に出て「 ガハハ 」と豪快っぽく笑ってみせただけでしょう?
これって真剣に自分のことを案じてくれるひとに対して酬いようとする真摯な態度なんですかね?
僕はそうは思わない。
むしろこれは非礼ですよ。
何十回と呼びかけつづけた姉さんの電話に一回だけ出て強がりのガハハ。
で、あとは梨のつぶて・・・。
むっちゃ冷たい一方的な別れのセリフみたいに聴こえるな。
思いっきり恰好つけて、その自分飾りの物語にくるまれて、蛹の国に逃亡していったんじゃないのかな、せんじゃさんっていうひとは。
人間の親しさっていうのは、僕は、みっともない部分を互いにどれだけ晒せるかってとこにかかっていると思うのよ。
うん、たぶんだけど、本当の愛ってみっともないものなんじゃないのかな?
ま、ひとの世って往々にして、こうしたすれ違いが起こりやすい場所ではあるんだけどね。
自分が大事にしていた黄金色の思い出が、それを共有していた連れあいにとってはそれほど大事なものじゃなかったり。
あるいはそれなりに大事には思ってはいたんだけど、その大事に思ういちばんピークの部分がふたりして微妙にズレていて、ひとつにまとまるより先に裾野のほうからばらけてしまう、なんて関係は僕等もよく見かけるところです。
僕の見立てでは、せんじゃさんってそれほど他人を必要とするタイプじゃないように見えるんですよ。
案外、破産っていう新しい境遇のおかげで、他人とのあらゆるコミュニケートから解放されて、むしろホッとしてるんじゃないのかな、なんてことをみかん姉と話したりもしました。
他人とのややこしい気遣い関係がすべて煩わしい、という蛹の国に暮らすひとは実在します。
そう区切るのはとっても淋しいことですが、この世にはこの種の淋しいことって溢れかえっているからなあ。
せんじゃ話がどっちからも途切れがちになってきた7月の終りころ、たまたま僕があかねさんと7月の15日から17日にかけて上高地に行ってきたことを、何気にみかん姉に話してみたんですよ。
したら、姉さんの沈んでた声が、そこでいきなりぱっと跳ねたの。
あ。上高地ならあたしも行ったことある! あそこいいよね~ って。
えっ!? と僕はびっくり。
上高地が姉さんのキーワードだとは知らなかった。
てなよなわけで、みかん姉の新しいクロスロードです。
せんじゃさんという角を曲がってみかん姉がどういった景色と出会うのか、どんな新しい歌を唄ってくれるのか、さあ、皆さんも一緒に聴いてみようじゃありませんか ―――
マイケルさんにあかねさん、上高地行けてよかったですね。
上高地とは
神が降りる地。神降地。
まさに、その通りの美しいところです。
私は岐阜県に住んでいるので、
長野県側 ( 松本 )
と
岐阜県側 ( 高山 ) から
2回ずつくらい行ったことあります。
見上げるとすぐそこに焼岳、穂高の山々、
梓川にかかる河童橋からの景色は素晴らしいですよね。

その梓川、伊勢の五十鈴川の流れに似てません?
同じく、空の青が、伊勢の青に似ているように見えます。
穂高の神は、伊勢のアマテラスさんの姪っ子さんですから同じ神域なんでしょうね。
上高地は、夜になると
涸沢カールに登山者たちがはったテントから
ランタンの灯りがチラチラして、とてもきれいだそうですよ。
知り合いが上高地で泊まったことがあり、あまりのきれいさにうっとりしたと言ってました。

そうそう。
上高地は、独立党で仲良くなった女性とも行きましたよ。彼女は、東京に住んでてね。なんかの電話の時に
「 どっか行きたいね 」
という話から、彼女が
「 私、行きたいとこがあるのよ。上高地。」
「 いいねぇ。上高地、行こうか 」
「 いい? 上高地の帝国ホテルの珈琲が飲みたいの 」
この人は、独立党の講演にもれなく参加し、
翌日はその地のカフェ巡りと観光をするんだと言ってました。「 カフェを探すのが楽しみなのよ、講演会はキッカケみたいなもんかな 」って (笑)
うん。そういう楽しみ方もあるんだな、と彼女に習い、独立党に入ってた時は、大阪、京都、名古屋、鹿児島、兵庫の講演会に行きましたね。
翌日は彼女とカフェやらランチ巡り。
独立党で知らない人と仲良くなれたのは、コシミズさんよおかげ ( 感謝はしてませんけど。すこーしはしてます 笑 )
彼女( Sさん )、大型バイクで来たんですよ。レザースーツの上下を着て、バイクにNAVI もサイドバッグもつけ、完璧にしてました。
松本で待ち合わせてバイクも荷物をホテルに預け、最初の日は、松本城や観光巡り。
翌日は朝からバスに揺られ、上高地へ。
今度、書きますね。帝国ホテルの珈琲。
マントルピースの周りでゆったりと ( 上客みたいな顔して。バレてるけどね 笑 )
ビジターセンターを見て、明神まで行き、お腹空いたから戻ろうか、って、また河童橋まで戻って。
あの橋って、ユーラユーラと揺れるんですよ。
面白かったわ。

独立党で知り合ったSさん、同い年でとても気が合って、講演会のあとは、ホテルで夜中まで話し合ったりしました。
鹿児島でね、二次会のカラオケ、夜の11時になったから。
Sさんに耳打ちして「 私、帰るからSさんも5分たったら出てきな。ホテルで思い切りしゃべろう 」ってね。
で、テーブルの上に乗って踊りながら歌ってたコシミズさんに「 私、帰ります 」と言ったら
「 なんだよーみかん! 朝まで付き合え! 」と言われたので
「 やーーです 」
コシミズさん
「 じゃ勝手に帰れ!」
「 はい。帰ります 」
とカラオケを出ました。
天文館の通りは若い人たちばかりが、うるさくなくマナー良く、賑わってました。鹿児島の人たちって穏やかでいいなぁと思いましたよ。眉間が広いんです、険しくないんだよね。街のあちこちの家、島津の紋が玄関にあるし。島津がきちんと藩をおさめてきた証拠。それが後世に出るんでしょう、行き届いているなと感じました。引越すなら鹿児島だね。
あ、上高地の話でしたね。
マイケルさんにも伝えたのだけど、
上高地は神が降りる地。神降地。明神池におわす
穂高見尊が降り立ちました。この人のお父様は、ワダツミの神。海人です。イザナギイザナミのお孫さんが穂高見尊。神話の世界になってしまうのでここらでやめます。
さて、Sさんは東京からバイクに乗って、私は特急しなのに乗って、松本で待ち合わせました。
ホテル近くの小さな喫茶店。駅からスーツケースをゴロゴロ引っ張ってその喫茶店が見えてきたら、Sさん、早くついて喫茶店の窓から見てたのかしらね。
手をふって迎えてくれました。
その頃、Sさんは独立党を辞めてました。
「 辞めたのよ 」と電話があったので、
お祝いに、どっかで会おう。となったわけです。
その日は、松本城を見て、ランチして、
夕飯もどっかで食べて、ホテルの部屋 ( お互いにシングル ) で、ベラベラベラベラとおしゃべり。
独立党の話題なんてそっちのけで、しゃべりました。
それぞれの部屋でシャワーして、パジャマ着て、寝る体制にして、どっちかの部屋でしゃべり混む。Sさんはビール、私はつまみと夜食用のおにぎりと飲み物をコンビニで買って持ち込んでおしゃべり大会の始まりです。1時になったので
「 明日は早いバスだから、何時に下のロビーで待ち合わせようね 」と決めて、翌日は、ホテル無料の朝食を頂き、Sさんはホテル玄関前にバイクを預けて、駅前のバス停に向かいました。
私はリュックにスニーカー、Sさんは、バイク用のウエストポーチにレザーブーツ。
その組み合わせにちょっと笑えましたけど、
彼女カッコよかったわ。

バスは、街から緑深い山の中へどんどん向かっていきます。
大正池で降り、河童橋まで歩きました。
尾瀬のような木を渡した道。
左には梓川、その向こうには焼岳。
真っ青な空と川の流れ、そのコントラストの見事なこと。
そうこうしてたら、河童橋、少し行くと、Sさんの希望の上高地帝国ホテルがあります。

帝国ホテルに着きました。ここ、泊まるだけでめちゃ高いんですよね。中のロビーには大きなマントルピース。その周りにテーブルが並んでました。
いらっしゃいませ。と丁寧なイケメンが案内してくれてテーブルに座り、珈琲を頂きました。
ついでに
「 トイレに行ってみようよ 」となり、代わる代わるトイレに行きましたよ。【帝国ホテル】のトイレに入るなんて、人生でもうないかもしれないものね、なんてことを言い合いながら。
珈琲は、あの頃だったので800円でしたよ。
トイレと言えば、東京へ行った時、Sさんとお台場ツアーをしましてね。その頃、お台場をくるくる回る乗り降り無料のバスがあって、ヒルトン近くに来た時、トイレ行きたくなって、ヒルトン前で降りて、トイレを借り、ついでに珈琲飲んでいこうとなって
シースケープテラス、とかいうレストランで珈琲飲みましたよ。ちょうど16時頃でね。だんだんと暮れてゆく光景を珈琲1杯で味わいましたよ。
ベイブリッジ、飛行機、船、高層ビルに灯りがともっていくその様を言葉もなく、2人で見つめてました。
すっかり夜景になった頃、席をたって、東京駅へ向かい、東京駅でイートインできるとこで、夕飯代わりのお弁当を2人で食べ、私は9時過ぎの新幹線に乗りました。
上高地の話が飛んじゃいましたね。
次々とSさんとの思い出が浮かんでくるので、、、
元独立党。
ほとんどの講演会に来てました。
黒縁メガネの細身の女性。
二次会も必ず出てで、コシミズさんに火をつけてあげてましたよ。
どなたか知りませんか?
電話しても電話しても連絡とれないのです。
もしご存知の方みえたら
マイケルさんにお知らせして欲しいです。
独立党はほんの短い数年だったけど、
思い出深い人たちがいます。
独立党でなかったら出会えなかった人たちです。
ぜひ、WANTED! お願いしたいです。
上高地の話はこのあと、書きますね。
ヒルトンのレストランから見える真っ青な空と海。
まさにこの曲だったのよー
youtu.be
真っ青な空が
オレンジになり、
紫色になり、グラデーションのように
藍色になってゆく様を
うっとりと頬杖をついて珈琲1杯で味わった。2時間くらいいましたね。
今でも目に浮かぶわ
夕暮れの中を飛ぶ飛行機 ―――
藍色の海を静かにゆく船 ―――
ビル群の灯り ――—
この3種の素晴らしさを味わえたのは
独立党があったからだと。
Sさんと帝国ホテルで待望の珈琲を飲んだあと、
明神池まで歩こうとなり、その途中、上高地ビジターセンターとかいう展示してあるとこに入りました。
無料だったのでね 笑

上高地の動植物とか写真などがずらりと飾ってありました。
そこを出て、明神池へ。でもそこから結構時間がかかることを知り、
河童橋辺りでお昼を食べようと戻りました。
どうってことないお店で、どうってことないモノを食べ、そのあとの上高地ソフトクリームは美味しかったわ。
本当は五千尺ホテルくらいのとこでランチしたかったけど、下調べ不足で叶わず。
五千尺ホテルって、カレーが有名みたいね。
行けば良かった。残念。
その頃はインバウンドも少なく、人ごみもあまりなく、山男たちが行き交ってました。自分の背より高いリュックを背負って穂高へ向かっていくんだなーと彼らを見送りました。
そうこうしてたら、もう夕方。
バスターミナル近くのトイレ、チップ制なんですよ。
100円くらい入れた気がします。
帰りのバスに揺られ、上高地がだんだん遠くなる。
旅行って行きはいいけど、帰りが寂しいね。
岐阜市には長良川という綺麗な川があり、そこで鵜飼が5月から10月まで行われます。小林一茶が読んだ句
「 おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな 」
まさにこの通りですね。
祭りのあとのさびしさです。

松本駅につき、ホテルに戻り、それぞれの荷物を片付け、Sさんはバイクで中央道。私はまた特急乗車。
再会を約束して
駅でおそば食べてバイバイしました。
松本の駅って改札内にもそばやがあり、
駅ビル内にもおいしいお店があって、
「 うまいそばを食べたければ、駅へ行け 」なんだそう。
ちなみに、名古屋はきしめんが有名で、
各ホームの島にはそれぞれのきしめん屋さんがあります。その中でも1番おいしいと言われてるのが、新幹線ホームのきしめん。
わざわざ入場券買って新幹線には乗らずに
きしめん食べに行ったことあります。
ぜひ、名古屋にお越しの節は、きしめんの食べ比べしてみてください。
Sさんとの上高地はこんなストーリーです。
ーーー
あと、Sさんとは、
コシミズさんがいろんなとこで講演会をやってくれたおかげで、神戸、福岡、大阪も行きました。
講演会が楽しみだったわけではなく、
翌日になにをして楽しむか、が目的でしたね。
でも何度も言いますが、
独立党があったからです。
独立党がなかったら絶対出会えなかったし、
ぷち旅行もできませんでした。
大阪、神戸での講演会は
「 いつも聞く話だから外で販売のお手伝いしようっと 」と
ずっと外にいて、外でデザイナーIさんや
美人の背の高い女性とおしゃべりしてました。
残った本とかはダンボールに詰め込んで、
事務所に宅急便で送ってましたね。
たまに、コシミズさんは講演会のあと、
ダンボールの隅っこに詰めてあるストラップを
じゃんけんで数人にあげてたりしてましたよ。
私は、コシミズさんが自分のポーチにつけてたストラップを無理やり外して、ちゃっかり自分のモノにしましたけどね。
それも、独立党を辞めると同時に燃やしました、
なにもかも。
それらは、煙になって空へ立ち昇っていきましたけど、物は燃やせても、思い出は残るもんですねぇ ウンウン。
懐かしや懐かしや。
こんな風に
あの頃のことを思い出させてくれた
マイケルさん、あかねさんに感謝です。
秋に上高地に高山方面から行こうと思ってます。
3時間弱で着くのでね。
行きたい時に行っておかないと、、、と思うこの頃。
では皆さん よろしゅうに ――—! ( by みかん姉 )
< エピローグ >
いや~ 姉さん、素敵なエッセイ書いてくれてありがとう。
僕は独立党初期のコメントのときからみかん姉のファンでね、フアン歴結構長いんですわ。
僕と姉さんとの在籍期間はほとんど入れちがいに近いんだけど、姉さんが辞めてすぐに、なんの因果か僕も独立党の解体工事はじめてさ、そのときせんじゃさん絡みの記事をみかん姉に6、7回くらい書いてもらったんだっけな?
そのへんの初端はどうでもいいんだけど、みかん姉の文章ってやっぱ独自のポエジーがあるんだよねえ!
秋口の野っ原を駆け抜けてゆくような独自の詩情っていうのかな?
編集していても、その手触りが非常に楽しいんですよ、いつも。
編集者にとって生原稿って神ですから、僕もそれにあやかって、姉さんの原文は一言一句たりとも変えていません。
ただ、繰り返しが3度あった部分をふたつ削ったのと、みかん姉の文章のいちばんの特色である「 余白 」のいくらかを整理して、読みやすいように段落分けしたくらいかな、僕のやったことは(笑)
あと写真か ――— これらはみんな僕かあかねさんが撮ったものなんなんだ。
あかねさんと僕がこの7月15~17日にかけて上高地を旅したことは前にも書いたけど、実はこのとき全国的に線上降水帯が荒れまくっていてね、なんとあかねさんの乗った名古屋発のしなの3号が、岐阜で足止めを食って、あかねさん、松本への到着が9時間も遅れちゃったんです。
これ、全国区のニュースにもなりました。笑えるよな、もう( 爆 )
いや~ おかげで予想をはるかに超えた、ドラマチックな旅の旅情を満喫することができましたっ。
せんじゃさんの件ではみかん姉も残念でしたけど、ま、ひとの世っていうのはいつだって人間の思惑通りには流れてくれないもんだからなあ。
あ。みかん姉がラストで一茶の渋い句をプレゼントしてくれたんで、お返しに僕もみかん姉に定家卿の作品を送りたいと思います。
「 秋の夜の夢の浮橋とだえして 峰に別るる横雲の空 」
好みからいうと、情緒の精霊みたいな万葉歌人の人麿だとか能の世阿弥みたいなタイプの詩人のほうが僕はずっと好きなんだけど、新古今の藤原定家のこの歌って、なんというかそういうアングルからはちょっと隔たっています。
というか、この視点はもはやほとんど近代のものだよね。
秋の夜に甘い恋の夢からふと醒めて、おもむろに障子をあけて東の空を見上げたら、空にかかった長い横雲を切断する刃先みたいにそびえた山の峰が、そのときの自分には異様にでっかく険しく見えた・・・。
怖いよね。甘さに浸ることを自ら禁じているみたいな醒め具合が、なんともセクシーな一歌です。
現実はときには甘く、幸せな横顔を見せることもあるけど、ときには不安いっぱいの瞳でこっちを見つめてきたり、情け容赦ない裁きの剣を振りかぶった残酷神もどきの怒り顔を拝ませてくれることもある。
苦い現実と甘い現実、甘やかしてくれる過保護現実と修験道みたいに厳しい現実 ――— あなたならどの現実眼鏡を選びたいですか?
今日の僕記事は以上です ――— お休みなさい。





