政治について話してる二次創作作家とは絶対に目を合わせてはいけない話
SNSで政治や社会問題を語ることは、憲法で保障された国民の権利だ。
しかし、それが「二次創作作家」という立場で行われるとき、その権利は予期せぬリスクを孕んだ凶器へと変貌する。
ネットという大海原において、発信者は常に「何者であるか」という文脈とともに観測される。プロフィールにジャンル名を掲げ、日夜その作品への愛を叫び、二次創作を公開し続けている以上、そのアカウントから発せられる言葉は、どれほど「個人の見解」だと注釈をつけたところで、そのジャンルの影を背負わずにはいられない。
そもそも、二次創作とは何なのか。
それは「公式」という神が創り賜うた、美しく輝かしいキャラクターたちを勝手に借り受け、己の性癖という泥沼で四つん這いにさせ尻を曝け出させる極めて業の深いレクリエーションである。
言わば、人様の家の立派な庭を無断で借りて、そこにドスケベ地下牢を勝手に建設しているような身分なのだ。
公式の寛大な「お目こぼし」によってのみ、我々はギリギリ社会的に呼吸を許されている。
そんな日陰の存在が、もし大手を振って、己の画像欄やTLに原作キャラの妄想をおっ広げたまま「政治思想」を叫び始めたらどうなるか。
それは、無断建設したドスケベ地下牢の入り口に、デカデカと「打倒現政権!」とか「憲法改正反対!」というプラカードを立てるようなものだ。
通りすがりの一般人やメディアは、それを見てどう思うだろうか。
「あ、この庭の持ち主(原作)、こういう思想を支持してるんだな」と思われる。
アカーーーーン!!!!
公式からすれば、たまったものではない。
自分が丹精込めて生み出した筋肉隆々のイケメンキャラが、どこぞの馬の骨とも知れぬ同人女のスピーカー代わりにされ、勝手に「特定の政党の支持者」や「反体制の闘士」として世間に認知されてしまうのだ。
キャラクターが右派だの左派だの、そんな現実の泥臭いイデオロギーのラベルを貼られることは、公式にとってブランドの致命的な毀損である。単なる迷惑行為を通り越して、特大の営業妨害だ。
想像してみてほしい。
私が二次創作アカウントで「高市総理の政策は絶対に間違っている!」と熱弁を振るい、そのすぐ次のツイートで「見てください! 推しの〇〇が後背位でめちゃくちゃにわからせられる新刊のサンプルです!」と宣伝する地獄のタイムラインを。
そんな狂気の沙汰を繰り返せば、いずれ「あのジャンルのオタクは政治闘争のためにエロ同人を作っている」という、公式が1ミリも望んでいないクソデカ風評被害がジャンル全体を焼け野原にしてしまう。
私たちはあくまで、公式の威光の届かない影の暗がりで、コソコソと推しの開発をするだけの、無力で無害なオタクでなければならないのだ。
政治を語るなとは言わない。現実の社会問題に目を向けることも、大人として立派なことだろう。
だが、それを「推し」の看板を背負ったアカウントでやるのは、推しを人間の盾にして政治の戦場を走るようなものだ。そんなの、愛でもなんでもない。ただのテロだ。
私は推しに、デモのプラカードを持たせる気は一切ない。
推しの手に握らせていいのは、自慰用のローションか、愛する男の手だけだ。しかしこういうことを言うと、見知らぬ誰かはこう言うのかもしれない。
「確かに二次創作はしているが、そのキャラに政治思想を語らせるような話は描いていない。だから二次創作をする一個人として、何を叫んでも自由じゃないか」と。
甘い。攻めが受けに落とす口づけより甘い。
TLに二次創作があるだけで、そのアカウントは公的な意味での「個人」ではなく、「〇〇ジャンルの構成員」という看板を背負ってしまうのだ。
今のネット社会は、100の善行より1の「様子のおかしいオタク」を好む。
もし私が誰かに唆されて、「推しへの愛を原動力に、私は現政権を許さない!戦争になったら二次創作もできなくなるんだよー!」なんて、政治と二次創作をチャンポンにした怪文書をポストして、それがうっかりバズりでもしてみろ。
瞬く間に
「【悲報】〇〇界隈、政治垢に侵食される」
「エロ漫画描き、推しをダシに政治利用か」
というタイトルでまとめサイトに晒される未来が、4K画質並みの鮮明さで予見できる。
そうなれば、検索エンジンのサジェストは地獄だ。
作品名を入力した横に、「政治」「デモ」「過激派」という、原作が最も嫌がる不名誉なワードが並ぶことになる。
新規の読者が「この作品、面白そうだな」と思って検索した瞬間、真っ先に目に飛び込んでくるのが、私の垂れ流したイデオロギーと推しのドスケベセックスが混ざり合った泥濘なのだ。
これのどこが「迷惑じゃない」と言えるんだ。
公式からすれば、自分が産み落とした愛しいキャラクターたちが、どこぞの馬の骨の政治的主張を補強するための「添え物」にされているようなものだ。
キャラクターは、読者に夢や楽しみを与えるために存在しているのであって、活動家の主張に説得力を持たせるための「宣伝材料」ではない。
もし私が政治に一家言を持ちたいのなら、今すぐこのドスケベアカウントをログアウトし、一切の創作活動の気配を消した「完全なる無名の個人」として、街角でマイクを握ればいいだけの話だ。
それをせず、フォロワー数や界隈の注目度を利用して主張を届けようとするのは、それはもう「政治」ではなく、推しの人気にタダ乗りした「集客」でしかない。
今この瞬間も、二次創作の看板を背負ったまま、高らかに現実の政治を語っているアカウントがタイムラインには存在する。
彼らは、この凄まじいリスクを知らないわけではない。むしろ、この「界隈の注目度」や「推しの拡散力」を、己の主義主張を世に届けるための「効率的な拡声器」として利用しているのだ。
彼らにとって、原作のブランドイメージや、他のファンが静かに享受している安寧などは、自分たちの掲げる「大義」の前では些細な犠牲に過ぎない。
「平和と表現の自由を守るための戦いだ」という、反論しづらい綺麗事で武装し、人様の家の庭を勝手に戦場に作り替えている。
その行為がいかに公式にとって「招かれざる厄災」であるか、彼らはそのリスクさえも「自分たちの正しさ」で塗りつぶし、飲み込んでいるのだ。
だから、言わせてもらおう。
そんなアカウントには、絶対に関わってはいけない。
たとえ彼らの意見にどれほど賛同できようと、あるいは逆にどれほど不快感を抱こうと、リアクションを返した瞬間にあなたも「戦場の一部」としてカウントされる。
リプライ一つ、引用RP一つで、あなたの愛する推しの名前と政治的思想がネットの藻屑の中でガッチリと結びつき、デジタルタトゥーとして刻まれる。彼らに触れることは、自分の背負っている「推しの尊厳」を、泥沼のイデオロギー闘争に自ら投げ捨てるのと同じことなのだ。
彼らは、自分が「公式」という神の庭を荒らす侵略者であることを忘れているか、あるいは確信犯的に無視している。
そんな人間と議論をしたところで、返ってくるのは「目を逸らすな」という独善的な説教だけだ。
私はこれからも、二次創作アカウントでは政治経済の話題から全力で回避し、推しの骨盤の角度と上腕二頭筋の陰影だけを真摯に見つめて生きていく。
それが、人様の庭でドスケベを描かせてもらっている日陰者の、せめてもの仁義である。


プロフにレインボーフラッグ、反差別←これらに近づいてはならない。
知らないキャラをアイコンにしている政治アカウントを、Twitterのアルゴリズムの関係で一時期よく見かけていた。 その後、偶然読んだ漫画でそのキャラに出会ったのだけれど、第一印象がその政治アカウントの強過ぎる主張故に薄っすら引っ張られてしまっていた。 読み手側の問題ではあるのだけれど、…
「あ、この庭の持ち主(原作)、こういう思想を支持してるんだな」と思われる。 思われるわけねーだろ