二次創作アカウントで政治を語る者が辿り着く、最果ての景色
政治を語るオタクが、界隈という名の巨大な共同体からじわじわと、しかし確実に切り離されていくプロセスはホラー映画よりも静かで、そして残酷だ。
最初は、ほんの些細なノイズから始まる。
いつも通り推しの鎖骨の陰影を熱弁していたアカウントが、ある日突然ニュース記事を引用して、この政府の対応はありえない、と呟く。
フォロワーたちは一瞬指を止めるが、まあ、たまにはこういうこともあるか、とスルーする。
だが、その頻度が上がりタイムラインが推しの筋肉と現政権への呪詛のハーフ&ハーフという地獄の定食状態になったとき、周囲の反応は目に見えて無言へと変わっていく。
オタクは争いを好まない。
少なくとも、自分の聖域に現実の泥臭い議論を持ち込まれることを極端に嫌う。
だから、誰も「政治の話はやめてください」なんて直接的なリプは送らない。そんなことをすれば、今度は自分が意識の低い非国民としてロックオンされ、数千字のお気持ち表明という名の説教を食らうのが分かっているからだ。
彼らが選ぶのは、最も慈悲深く、そして最も冷徹な手段。それは「ミュート」だ。
昨日まで「○○さんの描く受けの表情、最高です!」とリプライを送ってくれていた親友たちが、一人、また一人と、音もなく「見えない壁」の向こう側へと去っていく。
上げたイラストのいいねの数は減り、リポストは途絶える。
本人はみんな真実から目を逸らしているんだと孤独な戦士の悦びに浸るが、実際にはただ、周囲がめんどくさいものを視界から消しただけなのである。
しばらくすると、そのアカウントは「○○ジャンルの神絵師」ではなく、「時々エロも描く政治の人」というラベルに張り替えられる。
かつての仲間たちが主催する合同誌の誘いは来なくなり、オフ会のグループチャットからはいつの間にか招待が漏れるようになる。
界隈の人間にとって、そのアカウントに関わることは特定の政治色を支持しているというレッテルを貼られるリスクと同義になるからだ。
政治の話を熱弁すればするほど、かつて分かち合った推しへの情熱という共通言語は、イデオロギーという名の酸で溶かされコミュニケーションの道具としての機能を失っていく。
バズるのはイラストや萌え語りではなく同類のアカウントが拡散する政治思想ばかりになり、ますます本来属していたはずのコミュニティから遠ざかっていく。
そして最後。
そのアカウントの周りに残るのは、同じように政治の拡声器として二次創作を利用している、他ジャンルの見知らぬ活動家たちだけだ。
彼らは推しを愛しているのではない。
ただそのアカウントが持つフォロワー数や発信力を、自分たちの陣営のコマとして利用したいだけだ。
気づけばタイムラインには推しの名前など1ミリも出てこない。流れてくるのは怒りと憎悪に満ちた権力者への呪詛と、主旨がよく分からないデモの告知と、現政権への罵詈雑言だけ。
かつてフォロワーが大挙して押し寄せた夢のドスケベミュージアムは、いつの間にか物々しいスローガンが書かれた政治活動の詰め所へと改装され、一般のファンは一人も寄り付かなくなっている。
これこそが、二次創作アカウントで政治を語る者が辿り着く、最果ての景色だ。
少なくとも、私が愛したひとりの絵師はこうなっていた。
彼女は今、1時間に1度政府への呪詛を吐き出すだけの、タイマーのようなアカウントになっている。
彼女のメディア欄を遡る作業は、今やちょっとした廃墟探訪のような趣がある。
スクロールする指を止めさせるのは血走ったような長文の引用リポストと、怒りに任せて作られた毒々しいミーム画像、絵師達が積み上げたものを剽窃しているとあんなに嫌っていたはずのAIイラストによる政権批判画像ばかりだ。
さらに奥へ、奥へと根気よく指を滑らせて、ようやく私が愛したあの頃の片鱗に触れることができる。
1年前に描かれた、光の粒まで計算されたかのような推しの切ない微笑み。
その尊さに狂喜乱舞したかつてのリプライツリーは、まるで古代遺跡の壁画のように静まり返っている。
私はしばらくの間、彼女の変貌を傍観していた。かつて私に与えてくれた素晴らしい作品への恩義があったからだ。いつか熱が冷めて、またあの美しい線画を見せてくれるのではないかという、ファンとしての身勝手な期待もあった。
しかし、彼女の怒りは加速するばかりだった。やがてその矛先は政府や社会のシステムだけに留まらず、声を上げない同人作家たちやのんきに推し活を楽しんでいるフォロワーという、かつての仲間たちへも向けられ始めた。
「こんな国が終わろうとしている時に、まだヘラヘラ絵なんて描いてるの?」
そのポストを見た瞬間、私の中で何かが、決定的に冷えて、崩れ落ちた。彼女はもう、私たちが共有していた好きという感情よりも、自分の正義で他者を殴りつける快楽に支配されてしまったのだと悟った。
その日、私は彼女をそっとミュートした。ブロックして波風を立てる勇気も、別れの挨拶を告げる情も湧かなかった。
ただ、私のタイムラインという小さな箱庭から、彼女の存在を静かに除外しただけだ。彼女は今も、見えない私の画面の裏側で、1時間に1度の呪詛を吐き続けているのだろう。
界隈というものは、恐ろしいほどに新陳代謝が早い。
彼女がいなくなった穴は、ほんの数週間で別の新しい神絵師が埋めてしまった。
もう誰も彼女の不在を嘆かないし、イベント後のオフ会の席で彼女の名前が挙がることもない。
まるで最初から存在しなかったかのように、界隈は今日も推しの新ビジュへの熱狂と、他愛のない萌え語りで平和に満たされている。
大好きなものをただ大好きなまま讃えるために作られた私たちの楽園は、驚くほど暖かく、そして底知れず冷酷だ。
政治という劇薬を飲み込んだ彼女は、楽園から追放されたのではない。
自らの手で楽園への扉を焼き払い、誰もいない荒野へと歩き出してしまったのだ。
彼女がそこで、本当に救いたかったはずの国や社会からすらも孤立し、ただ虚空に向かって吠え続けるだけの存在になってしまったことを、私はもう哀しむことしかできない。
かつての戦友たちが楽しそうに「新刊の表紙やばすぎん?」「スケベが罪なら死刑だろこの顔は」と盛り上がっている輪の中から、一人だけ物理的に、そして精神的に排除される。
それは公式から出禁を食らうよりも、ある意味でキツいのではないかなと思う。
なぜならその孤独を招いたのは公式でも他者でもなく、自分の正義という名の独りよがりなのだから。
私はそんな風になりたいとは微塵も思わない。
誰からも相手にされず、自分と同じ色のプラカードを持つ者同士で傷を舐め合いながら、推しの名前を忘れていく……。
そんなもの、オタクとしては死よりもつらいことだ。
だから私は、今日も固く誓う。
私のTLに流れるのは、国家の危機ではなく、推しの受けの危機(貞操の)だけでいい。
自身の政治思想を表現するのは選挙の時だけでいい。
どれほど世界が炎上しようとも私はこのドスケベの聖域の温度を、政治の熱ではなくただの性欲の熱だけで保ち続けてみせる。
それが、私をここまで連れてきてくれた推しへの、唯一の報い方だと信じているから。


正直なところ、政治活動を始めた人と距離を置くことだけが特別視されているように感じました。オタク界隈では別ジャンルに転んだだけでTLが合わなくなったり、オフ会のメンバーが変わったりするのは普通にあります。 極端な言い方をすると、「政治活動を始めた人が嫌われた」というより、「仲の良かっ…
「ミュート」を最も慈悲深く、かつ最も冷徹な手段と表現したのが正確だと思いました。反論すれば自分が矢面に立つ、だから音もなく消える。 一番引っかかったのは、彼女がそれを「正義で殴る快楽」として自覚してやっているのか、本当に正義だと信じて動いているのかという部分です。外から見て「快楽…