Yahoo!ニュース

愛国心と刑罰

甲南大学名誉教授、弁護士
提供:イメージマート

1. 序論:過剰犯罪化の危機と愛国心

現代の法制度において最も深刻な危機の一つが、実体刑法における犯罪規定の際限なき拡大(過剰犯罪化)である。これは、社会に新たな問題が生じるたびに、立法機関が安易に(手っ取り早く)刑罰で事態を解決しようとする結果、身の回りに新たな犯罪規定が増え、気づけば窮屈な社会になっているという現象である。

国家が市民の行動を規制するさまざまな手段の中で、刑罰は自由や財産の剥奪、公的な汚名(スティグマ)の付与など、国家が合法的な権力行使としてなし得る最も峻厳で苛烈な手段である。したがって、新たな犯罪規定を導入し刑罰を科す際には、それが真に処罰に値する害悪を防ぐものであるという厳格な検証(正当化)が不可欠となる。しかしながら、今問題になっている国旗損壊罪法案では、国家の象徴の保護や愛国心の高揚、あるいは国家権威の維持といった極めて抽象的で感情的な目的を大義名分として、安易に刑罰が用いられようとしている。

本稿では、愛国心や国家権威の保護を目的とした犯罪化が、刑法理論においていかなる矛盾と危険性を孕んでいるかについて述べたいと思う。

2. 愛国心と刑罰の宣言的機能

愛国心を動機とした犯罪化の典型的な事例として挙げられるのが、国旗損壊の禁止である。しかし、国旗損壊を犯罪として禁止し、処罰する法律の制定を提案する者は、まさかそれが将来の国旗損壊を「抑止」するために必要だ(予防的立法事実がある)と本気で信じているわけではないだろう。なぜなら、現状で実際に日本の国旗を損壊したり、汚損したりする市民はごく僅かであるし、このような新たな犯罪規定を設けることは、むしろ逆にその種の禁止された行為そのものを増加させる結果を招くリスクすら濃厚だからである。例えば、日の丸が描かれた扇子、黒丸国旗や穴あき国旗はもとより「国旗」ではないから、デモ行進でそれを掲げたり、毀損する者が出てくるだろう。デモ行進で日の丸をマント代わりに跋扈(ばっこ)する者も出てくるだろう。あるいは逆に「触らぬ神に祟りなし」で、国旗を身辺から遠ざける者も増えてくるだろう。

それにもかかわらず、このような法律が一部の市民や政治家から強く支持されるのは、法案に「著しく不快又は嫌悪の情を催させるような方法」での損壊と書かれているように、それが敬愛されるべき国家的象徴の破壊に対する「道徳的な不快や嫌悪」、つまり愛国心に対する攻撃を表現するからという理由に基づく。

愛国心の保護を目的とする刑罰は、社会的な害悪の防止という結果主義的な目的(抑止効果など)よりも、国家の規範や価値観を公式に宣言するという刑法の宣言的機能ないしは表現的機能(一般予防的機能)に大きく依存している。しかし、単に道徳的嫌悪のメッセージを伝達するためだけに、個人の重要な権利を制限し、公的な汚名を着せる「刑罰」という過酷な手段を用いることが正当化されるかは極めて疑わしい。国旗を損壊する行為が、憲法で保護された表現の形態であると確信する者にとっては、刑法のこの宣言的機能は少しも響くことはないだろうし、他方、何が「不快」に該当するかの明確な線引きは不可能であり、市民の間に「これを表現したら逮捕されるのではないか」という強い恐怖心を生み出すことは間違いない。結果として、窮屈な空気が醸し出され、広範な自己検閲(自粛)が強要される。さらに、思想信条の異なる市民同士が「不快だ」として互いの言動を相互に監視する社会が到来するだろう。国家の道徳的嫌悪を強調して、刑罰で対処しようとしても、それが刑罰の苛烈さを正当化する十分な根拠とはなり得ないのである。

3. 国家権威への反逆としての犯罪化

愛国心の維持強化を名目とした刑罰の拡大は、特定の行為を「国家への反逆」とみなす法道徳主義の文脈においても顕著に見られる。「国家が設定した禁止」を破る行為は、合法的権威に対する反抗や反逆であり、社会の構造的秩序を脅かす行為だからである。

しかし、特定の法律に反対することと、政治的権威そのものの正当性を否定することは全く別次元の問題だから、このような「合法的権威への反逆」を根拠とする犯罪化の論理は完全に破綻している。なぜなら、法道徳主義は選択的ではなく、法を犯す行為は、どのような犯罪の実行であろうとも、それを国家に対する反逆や反乱に例えることは論理的に可能だからである。

国家の権威の維持や愛国心という名目はあまりに包括的であり、なぜ特定の犯罪(例えば国旗損壊)にのみ「愛国心」が述べられ、国の基礎となるべき国民の基本的な権利(生命や財産など)や基本的な社会の秩序の侵害にそれが述べられないのかは合理的に説明できない。愛国心の欠如を理由に特定の行為を厳罰化することは、刑罰の基本を逸脱した権力行使に他ならないのである。

4. おわりに

刑罰は個人の基本的な権利に対する重大な制約であり、その利用は厳格な犯罪化の要件を満たす場合にのみ正当化される。愛国心の高揚、国家的象徴の保護、あるいは国家権威の維持といった目的は、一見すると刑罰によって担保すべき崇高な理念に思えるかもしれない。しかし、それらの目的を達成するために刑罰という苛烈な手段を用いることは、犯罪化の必要要件を満たしておらず正当化されない。愛国心や国家への忠誠を理由とした安易な刑罰の利用は、真に非難されるべき重大な犯罪とそうでない行為との境界を曖昧にし、結果として過剰犯罪化を促進し、刑事法制度全体の正当性を根底から破壊してしまう。

愛国心とは、国家権力が刑罰をちらつかせて国民に服従を強要することで保たれるような、世俗的で脆弱なものではない。自国の歴史や文化に対する真の誇りや愛情は、多様な価値観を認め合い、時には政府に対する厳しい批判をも寛容に受け入れる、自由で民主的な社会、平和な社会においてこそ、国民の間に自然と自発的に育まれるものである。国旗損壊罪は、多数派の「不快感」を大義名分として市民から表現の自由を奪い、愛国心を強要する窮屈な社会への入り口である。これがこの罪の真に恐るべき本質である。(了)

  • 40
  • 9
  • 3
ありがとうございます。
甲南大学名誉教授、弁護士

1952年生まれ。甲南大学名誉教授、弁護士、元甲南大学法科大学院教授、元関西大学法学部教授。専門は刑事法。ネットワーク犯罪、児童ポルノ規制、薬物規制などを研究。主著に『情報社会と刑法』(2011年成文堂、単著)、『改正児童ポルノ禁止法を考える』(2014年日本評論社、共編著)、『エロスと「わいせつ」のあいだ』(2016年朝日新書、共著)など。Yahoo!ニュース個人「10周年オーサースピリット賞」受賞。趣味は、囲碁とジャズ。(note → https://note.com/sonodahisashi) 【座右の銘】法学は、物言わぬテミス(正義の女神)に言葉を与ふる作業なり。

園田寿の最近の記事

あわせて読みたい記事