視線を向けると、いつの間にか智美が戻ってきていた。

照らされるその横顔は……残念ながら、先ほどこの部屋を出て行った時と同じく強張ったままだ。


智美「確認してきた」

そう開口一番に智美が言うには、あの官吏が言っていた通り。

以前からの事ではなく今日の出来事だという。

朝からは執務もあるし、菫の主が智美と一緒にいたのは智美本人からも確認済だ。

ならばその執務が終えた後という事なのだろう。

騒ぎがあったのは確かで、起こった時間も執務が終えてからと考えれば辻褄が合う。

どこで何があったのかまでは確認できなかった。なぜなら騒ぎを収めたのが夏官達で詳しく話すのを渋ったからだ。

それでも結果として、彼らが騒ぎを内密で収めて、巻き込まれた主を内殿まで無事に送り届けてくれたという話だから

感謝こそすれ、無理に聞き出す事もできなかったという。

236: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/08/08(金) 00:57:55.62 ID:AgaGssca0
ただ、そこまで聞けば不安を抱くのは仕方ない。内殿まで送り届けたという事を考えれば。

菫「………外宮に行ったのか」

呆然と呟いた菫に対して、智美は数秒考えてから言い返す。

智美「多分。…どうしてわざわざ内宮より外に行く必要があったのか」

それが分からない、と智美は呟く。

智美「まだ短い付き合いでしかないけど。主上は決して愚かな人じゃない」

智美「自分の欠点を知って、それを克服しようとする人が愚鈍であるはずが無い。それでも外に行く用があったというのならば」

不自然に智美の声が途切れる。

菫「……あったというのなら、なんだ。まさか、また逃げようとか」

問い掛ける菫の語尾は自然に荒くなる。

そんな菫の言葉に対して智美は首を左右に振って、それは無いと断言する。

だって、今でも書房から書物を持ち返り徹夜を続けている人が今更逃げ出す算段をしていたとは到底考えられない。

けれどそのまま思案気に智美は顎に手を当てて呟く。

智美「まぁ、……誰かに会いに行ったと考えるのが妥当かな」

菫「誰に」

即聞き返してくる菫に対して、落ち着けと智美はなだめる。

智美「私が知るはずないだろ。……それを確認するのは、菫ちんの役目だろう?」

菫「ぬ…」

237: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/08/08(金) 01:00:34.09 ID:AgaGssca0
突然、矛先が自らに向いた事に対して菫は怪訝な表情を浮かべた。

当たり前だろう、と言わんばかりに智美は頷いた。そして外の暗さを指差しながら彼女は言う。

智美「時間も時間だし。事前に謁見を申し入れてもないのに一官吏である私が出向くのはさすがにまずいからな」

智美「その点、菫ちんはきちんと立場もある。仁重殿のここから正寝までもいけるだろ?」

智美「守衛や官吏に見つかったって王の半身である麒麟なら納得するだろうし」

菫「…だ、だが」

明らかに狼狽している菫を見て、智美は呆れを滲ませた。

智美「おいおい、こんな時まで“自分は嫌われているから行けない、訊けるはずがない”とか情けない事言わないよな」

的確な指摘に思わず菫は渋面になる。図星という仕草。

ただ、それを見返す智美は「誤解、まだ解けてないのか」と呟くと片腕を上げて頭を掻いた。

そのまま押し黙る事数秒。再び唇を開いた彼女は、どこか言葉を探すように慎重にそれを菫へと吐き出す。

智美「……王と、麒麟の問題だ。一臣下の私如きに図れない部分もあるのかもしれない。けどな…」

智美「これから一生付き合っていくんだ。この国のためにも、こんな状態のままじゃいけないって事ぐらい分かっるてんだろ」

菫「……っ」

智美の言葉が痛い程正論であると分かっているから反論できない。

燭台の明かりにだけ照らされた彼女の顔に冷たいものが陰ったような気がした。

智美「台輔」

そう呼ばれる時、いつもは明るい彼女が柄にもなく真剣になる時なのだと菫は知っている。

238: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/08/08(金) 01:04:06.27 ID:AgaGssca0
だから、その先を聞きたくないと思ったのは菫の本能だ。

智美は菫にとって、とても恐ろしい事を言おうとしている。

智美「私は一臣下だ、この国の」

菫「………」

智美「だからこの国の行く末をまずは憂う。なぁ台輔。麒麟としてのあんたが駄目だと言うのなら……」

智美「あの人を諦めて、あんたは次の王を探すのか?」

冷たく突き放すよう言われた言葉に心が掻き乱される。

カッと胸の内が熱くなるのが分かった。

深く思考するよりも胸中に耐え難い拒絶感で溢れる。瞬時に朱に染まった顔面を菫は歪めた。

慈悲の獣のはずの彼女がそんな本性をかなぐり捨てて、菫は激高した。

菫「ふ、ざけるな!!」

眩暈がした。怒りに似た衝動に突き動かされ、続けて吐き出す言葉に迷いすらない。

菫「私の主はあの方だけだ!主上が…あの時私に許す、と言ったから!他になんて、考えない、絶対にっ!」 

認めない、と。そう思った瞬間、ようやく菫自身も理解した。

例え後に冗談だと言われても、絶対に許容できない一線がそこにはあった。

智美は珍しくも激昂する菫をじっと見返している。

いや、こうして感情を酷く顕わにする菫の姿を見るのはこれで2回目だったか。

確か最初は彼女が無断で連れて来た王である少女が高熱で寝込んでいる時だった。

あの時も、暴れ出した彼女をなだめるのに苦労した。

239: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/08/08(金) 01:11:07.95 ID:AgaGssca0
いつの時も毅然として感情の起伏が薄いはずの彼女は、唯一王に関する事柄にだけは感情豊かに反応してくれる。

智美から見ればとても分かりやすい。

ただ智美にしてみれば菫の本心がやっとで聞けたから。冷たく纏っていた空気を緩めると苦笑を浮かべた。

智美「それを聞いて安心した。じゃあ大丈夫だよな?」

目の前の菫にしてみれば、溜まった怒りの矛先を智美に挫かれたようなものだったらしい。

怒鳴ろうとしていた口を開いたままに「は?」と間抜けな声を上げる。

智美「ワハハ。その調子で今日何があったのかを詳しく聞いてくるといいぞ」

智美「ついでに互いの遠慮からくる誤解が解ければ、菫ちんにしてみればほんと上出来上出来。がんばれー」

そこまで言われた菫は、ようやく智美の思惑を正確に理解した。

菫「……っ!!」

結局、菫は何も言い返せずに言葉を飲み込む。

智美は言いたい事は言い切ったと大きく息を吐いた。

智美「それじゃそろそろ自分の溜まってる仕事を捌きに戻るな」

そう言って、自分に乗せられて固まったままの菫を見上げるとワハハと笑って告げる。

智美「明日一番に結果聞きにくるからな。微力ながら菫ちんの分かり難い健気さが主上に伝わるよう天帝に祈っておくよ」

菫「…………!!」

駄目押しだ。菫がもはや決めた事を反故しないだろうという事は分かっていたが、強く背を押すぐらいの事はしてもいいだろう。

これから自分には徹夜の仕事が待っているが…それでも少しの希望を持って事に当たれそうだ。

やれやれ、と凝った肩を鳴らしながら智美は菫の部屋を後にする。

外に出て扉を閉めるまでに結局、彼女より返ってくる声は無かったが。

扉を閉める瞬間、観念したよう瞼を伏せる姿が見えて、智美はたまらず苦笑を浮かべたのだった。

240: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/08/08(金) 01:14:47.98 ID:AgaGssca0


つい昨夜の出来事を思い出しながら目元に出来た隈を強く擦る。

溜まった書類に埋もれながら、それでも頭の片隅には王と麒麟の事を気にしていたと思う。

どちらも性格は違えども、素直で真面目だ。

その事を天帝に感謝こそすれど、残念に思った事など一度もない。

だから智美の視点からすれば彼女らの仲違いなんて些細な擦れ違いにしか見えなかった。ただ深く話し合えばいいだけだ。

これで少しは歩み寄れるだろう、と智美なりに思っていたのだが。

額を手の平で覆いながら低く呻く。

どうやら擦れ違いは智美が思う以上に大きかったという事なのだろうか。自分の読みもまだまだと浅く息を吐いた。

ただ約束通り菫の所に結果を聞きにきて、残念ながら彼女が主人に対して深く原因を聞いてこれなかったという事は理解した。

ついでに仲直りというか、歩み寄りも不発に終わったと。

後者は平和な時ならば、微笑ましく智美なりに精いっぱいからかいを持って見守ってやりたいと思っていたが

今の足元の不安定な状況ではそうしてやることもできない。

塞達や、 昨日の騒ぎの件も不安要素として智美の頭の中には残っている。

まだ塞達の方は対等だと思っているが、昨日の騒ぎは何か嫌な予感がしていた。

詳しく内容も分からず結果として外に借りができたようなものだし。

本当に……今更言っても仕方ない事だが、王と麒麟の間がもっと親密であればこうも悩んでいないと思う。

取りあえず結果が芳しくなかった事をいつまでも責める訳にはいかないだろう。

それに真面目な菫の事だ、きっと智美が思う以上に後悔しているに違いない。

ならば自分が今日の執務の間にでも、主上にそれとなく聞いてみようかなと智美が思った矢先。

目の前で顔を背けていた菫より「待て」と短い言葉で呼び止められた。

241: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/08/08(金) 01:18:18.03 ID:AgaGssca0
先程までの不機嫌さが消え、明らかな声質の違いに気付き智美は訝しく思う。

見上げてくる視線には真剣さが感じられて智美はますます不思議に思った。

菫「私がやる」

智美は目をぱちくりと瞬きさせて「え?」と聞き返す。

菫「今日からお前に代わって、私が主上の側に付く。……すまなかったな、今まで無理を言って」

智美「え、いや……菫ちん?」

意味が分からず怪訝な表情を浮かべていると、彼女の声は続く。

菫「お前は今日から自分の仕事をしろ。主上の執務の際の補佐は私がやると言っている、終わってからの送り届けもな」

智美「え、いいのか?でも菫ちんの台輔としての仕事だって」

菫「仕事はお前よりは溜まって無い。それに今日の分とて昨日の内にある程度終わらせている」

腰を降ろしていた椅子より立ち上がると机をぐるりと回り込み、置かれた棚の上にある紙の束を手に取った。

菫「昨日、忘れていっただろう?」

紙の束を掲げながら智美に向き直り、菫は言う。それを注視した智美は「あ」と声を上げた。

すっかり忘れていたが、菫が持っているのは主上との執務の際に必要な資料や書類やらだ。

いつもは持ち帰って添削や明日の纏めなどやっていたのだが。昨日は自分の仕事に手いっぱいですっかり忘れてしまっていた。

それを持った菫は、これに一通り目は通しておいたから引き続き智美に代わって執務の補佐もできるだろう、と言葉を結ぶ。

明らかに昨日とは打って変わった菫の姿に智美は