反応する代わりに咲はぎこちなく笑う。


情けない話だが未だに、半身であるはずの彼女との距離を掴めていない。

智美のような第三者がいてくれれば多分、普通に話せているとは思うのだけれど。

こうして一対一になると……緊張が表に出てきてしまい咲にしてみれば上手く話す事ができているか不安だった。

菫「………」

しかし、折角やってきてくれた彼女に対して自信がないからと無言を貫く訳にもいくまい。

意を決して咲は声を掛ける。

咲「こんな時間にどうしたんですか?」

すると扉の前に立つ菫は、すぐに何かを言おうとして唇を開いた。が、またそれを閉じてしまう。

咲「?」

どこか言いにくそうな雰囲気。

迷いの無い言動が常の菫にしては珍しいな、と思い咲は首を傾げる。

でも多分こんな時間にわざわざやってくるのだから、なにか大切な話なのではないだろうか。

229: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/08/08(金) 00:26:42.26 ID:AgaGssca0
長くなるといけないし、まずは席を勧めようと咲は続けて菫に声を掛けた。

咲「菫さん、まずは席に…」

菫「今日」

言葉の先を遮るよう聞こえてきた菫の固い声に、咲の言葉は不自然に途切れてしまった。

菫「執務を終えてからどこに行っていた?」

指摘され、咲はドキリとする。

咲「………」

そのまま思案したのは数秒。素直に事実を言えばよかったのだが、なぜか咲は言えなかった。

多分彼女にこうして真正面から問われ、今更ながらに自分の今までの行動が軽薄だったのではないかと気付いたからだ。

内緒で行動していた後ろめたさもあったし、その過程で会った純や射人にいらぬ迷惑を掛けたくもなかった。

彼女らはいい人だし、何より素直に答えてこれ以上目の前に立つ菫より呆れられるのを恐れた。

すぐに答えない咲をどう思ったのか、彼女は固い声のままに言葉を続ける。

菫「様子を見にいったら留守だった」

菫が訝し気に思っているのがその声からも伝わってくる。何か答えねば。

咲「書房に」

咄嗟に咲はそう言葉を返していた。すると今度は菫が押し黙る。

咲の言葉の先を、真摯に待つ彼女の気配に後押しされる。

咲「書房に書物を取りに行っていて……暫くしてすぐには戻ったんですが。いき違いになったのかもしれませんね」

菫「………」

230: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/08/08(金) 00:30:39.53 ID:AgaGssca0
咲「それからはここにいたんですが、すみません」

瞼を伏せて詫びる。

視界が下がったから菫の様子は伺えなかったが、暫く経った後に微かに溜息を落とす彼女の気配を感じた。

やはり呆れてしまったのだろうかと心が小さく痛んだ。

菫「智美からも言われていただろう。今はまだ宮中も不安定なんだ、軽はずみな行動は控えるように、と」

もう一度顔を伏せたままに咲は「すみません」と呟く。

そして、思わず喉元まで競り上がってきた言葉を、続けて吐き出しそうになった。

いつも必要以上に硬い空気を纏って硬い言葉を吐き出すしかない半身に、本当はずっと尋ねたかった。

本当に、自分でよかったのかと。本当は後悔しているんじゃないのかと。

こんな…何も知らぬ、できぬ王で。

だからこうして言葉を交わす程に、失望感を抱いているのではないのかと。

言葉も無く、溜息を落とすのはそのせいなんでしょう?そう聞きたい。

けれど俯いたままに咲は唇を浅く噛み締める。吐き出そうとした言葉を寸全で飲み込んだ。

だから、きっと目の前の菫から見れば咲は謝ってからずっと黙っていたようなものなので。

必然的に、この沈黙を先に破ったのは彼女の方だった。

相変わらず硬い声のまま「分かっているのなら、いい」とだけ短く言う。

咲は伏せていた顔を恐る恐る上げる。

目の前には、閉めた扉の前から少しも動いてない菫の姿がある。

相変わらず眉間には皺がより険しい表情を浮かべていた。ただ紫の瞳がじっと咲を見下ろしていて、

顔を上げた咲の視線とが自然に合うと、彼女はそれを待っていたかのように咲を呼んだ。

231: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/08/08(金) 00:34:29.14 ID:AgaGssca0
菫「主上」

未だに自分がそう呼ばれる立場に慣れない。

他人よりも、彼女からは特別にそう思う。だから呼びかけに対して反応は鈍かった。

それでもたっぷりの時間を掛けて「はい」と咲は返事をする。

菫「私に何か伝えねばならぬ事があるのではないか?」

その言葉に既視感を覚えた。……前にも言われたような気がする。

ただそれを思い出す前に、彼女の言葉の硬さが消えているのを不思議に思った。

どこか見透かされるようじっと見つめられているのに多少の居心地の悪さを感じる。

きっと今、嘘をついたばかりだからだ。

動揺を悟られないよう咲はゆるりと首を左右に振る。

だって今更言えるはずもない。彼女にこれ以上失望されたくはないから。

心の中でごめんなさいと言って。現実では「何も、ないです」と。

そう静かに言葉を返していた。

目の前の菫は「そうか」と言い、何かを考えるように顔を伏せてしまったのだった。


■  ■  ■


232: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/08/08(金) 00:37:54.64 ID:AgaGssca0
智美「で。それで大人しく引き返してきたのか」

菫「…………うるさい」

智美「いやいやいや、言わなきゃ駄目な事だろ。なんで菫ちんは変な所で押しが弱いんだ」

声を上げる智美から逃げるよう菫は顔を背けてしまう。

だって、そんな事を改めて他人より言われぬとも自分自身で痛いほど理解している。

けれど主人が言いたくないというのに、どうして、しもべである自分が無理強いできるか。

顔を顰めながら情けない言い訳を必死に考えている。

だが、本当は智美が声を上げている事は正しい言い分なのだと理解していた。

顔を背けてしまった自分を立ち上がって見降ろしている智美は、同じように顔を顰めた。

智美「信頼できる人間だけを近づけていたはずだ」

智美「だけど昨日、わざとらしく菫ちんを訪ねてきた奴が何を言ったのか忘れてないだろ」

そう指摘された事を菫とて忘れる訳が無い。



一日の仕事を終え、明日の支度すら終えてから執務室より退室しようとしていた頃。

その時は丁度良く、一日の報告をしに智美もいたから彼女も一緒に迎える事になった。

そんな時間の来訪者を互いに訝しく思ったのを覚えている。

やってきたのは一人の官吏だった。確か夏官の格好をして随分と恰幅の良い男だったと思う。

迎えた菫には見覚えが無かったが、側に控えていた智美の顔色が変わった事には気付いた。

だが、彼女は自分が口を挟むのは場違いだと理解しているから何も言わない。

そのまま深々と頭を垂れた官吏が言ったのは別に特別な事でもなんでもない。

233: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/08/08(金) 00:44:09.41 ID:AgaGssca0
ただの挨拶みたいなもので、菫の立場であればこういった歯の浮くような媚を込めた台詞を言われた事など幾度もある。

ただ台輔である自に顔を覚えてもらいたいだけできたのか…まったく逆効果である。

辟易したが、それでさっさと話が終わるのならば下手に場を荒立てる必要もないと菫は判断した。

早く終わらせるために適当に相槌を打っていたが、変わり映えもしない挨拶も終わりに近づいたと思われる頃。

突然に官吏はこんな事を言ったのだ。

官吏「主上にはお会いしましたが、本当に良き王を選んで下さった。私のような者にも気さくに言葉を交わして頂けました」

官吏「ですので、是非とも台輔には突然無礼とは思いましたがどうしても御礼を申し上げたくて」

目の前で垂れる頭を胡乱気に見下ろしていた菫の瞳が驚きから大きく見開かれた。

待て、今こいつは何と言った。

思わず側で控える智美に顔を向ける。

彼女は相変わらず強張った表情のままで、顔を向けた自分と視線とが合うと浅く首を左右に振った。

智美にとっても預り知らぬという仕草、ただ、彼女は声の音は出さず唇だけを動かして言う。

智美(すぐに確認する)

それに対して果たして自分はきちんと頷けただろうか。

だが気付いたら今一度正面に向き直っていて。目の前の恰幅の良い官吏も言い終えた頭を上げた瞬間だった。

腰を低くしたままに、額に汗を浮かべながら官吏は言う。

官吏「今日はまずはご挨拶までに。どうかこれからも主上共々、お見知りおき下さい」

そう言って、反応の薄い自分に対して深々とお辞儀をしてから官吏は退室していった。

234: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/08/08(金) 00:49:24.12 ID:AgaGssca0
その姿が消えていったのを確認してから無意識に菫は主の気配を辿っていた。

そして瞬時に、いつものよう自室のいる気配を確かに感じ取る。

少しだけ動揺が薄れた。………だが少し前までの事は分からない。

どうする、あの人に付けている使令を呼び戻すべきか。

いや、今不確定な話も聞いたばかりでもあるから、主人を守っているはずの使令を引き離すのは躊躇われた。

智美「菫ちん、さっき伝えた通り。まずは状況を確認してくる」

押し黙ってしまった自分の前を早足で横切りながら智美が言い放つ。

だから軽はずみな行動はするなよ、と釘を刺されて…ようやく自らが酷く思い詰めている事に気付いた。


智美が退室し、その扉が閉まる音が響いて思考は冷静さを取り戻す。

一人残された部屋の中で徐に利き手を上げて手の平で顔半分を覆い、重い息を吐いた。

そして今一度、主の気配を辿る。

菫「………」

大丈夫、確かに存在する事を確認してほっとした。

自分をここまで揺れ動かすのは真実、主であるあの人しかあるまい。

その事を菫とて、こうして直に思い知っている。

ただ何も知らぬ他者より無遠慮にあの人の事を言われただけでこの様だ。

とりあえずは辿れば感じ取れる気配に今は安堵している。

だけど、あの人には信頼のおける者しか側に近づけなかったはずだ。

だから智美も側で話を聞いていて顔を強張らせていた。

自分たちの知らぬ瞬間に、顔を合わせていたという事なのか?

235: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/08/08(金) 00:53:46.04 ID:AgaGssca0
だが冷静になってあの官吏の話を思い出してみても、多分以前からという訳ではない。

それに言っていた話が真実かどうかも分からないではないか。

ならば攪乱?だとしたら何のために…

悶々と色々な可能性を考えていたら結構な時間が経っていたらしい。

窓から差し込む光は随分と弱まっている。そんな中で部屋の片隅にある燭台に明かりが灯るのに気付いた。

思考の渦に嵌っていた意識を現実へと戻す。

灯された明かりを辿るように