1:05:13.48 ID:/NWhJ0i10
背後に控えていた智美が気楽な声で、じゃあ私は仕事に戻りますから、と。

この室内に漂う冷たい空気を無視して、無常にもさっさと去って行ってしまった。

結局残された咲は不機嫌な菫を目の前にして、続く言葉を全て忘れてしまいそうになっていた。

何か言わなければ。そう悶々と悩んでいると、俯き加減になっていた咲の視界が突如翳る。

怪訝に思い少しだけ顔を上げたら、いつの間にか窓辺に立っていた菫が至近距離まで近付いてきていた。

じっと自分を見下ろすその瞳に、何か探られているような気がして少しの居心地の悪さを感じた。

だから、それを紛らわすためにも掛け無しの勇気を持って咲は「あの」と声を掛けた。

咲「菫さん、その……」

たどたどしい咲の言葉を補うよう、菫は双眸を細めるとすぐに言葉を返してくる。

菫「ああ。貴方は私に、何か言う事があるのではないか?」

一瞬、言葉に詰まった咲だったけれど。

彼女が今この部屋にいる理由を思い出し、慌てて声を上げる。

咲「……ええ。あの、都合がよければ、これから書房で私の勉強を手伝ってくれないかと……」

菫「…………」

咲の言葉をを聞いた菫は、すぐに「いいだろう」と頷く。

了承の仕草、当たり前だといわんばかりの半身の態度に、竦みそうになっていた咲の心は温かく緩んだ。

よかった、と。そう咲が安堵の息をは吐こうとした直前、頭上より相変わらず淡々とした菫の声が振ってきた。

208: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/08/01(金) 01:08:46.26 ID:/NWhJ0i10
菫「その他に…」

咲「……?」

続く言葉を不思議に思った咲に、更に言葉は振ってくる。

菫「その他にまだ……貴方は私に何か言う事があるのでは?」

咲「他に、ですか?」

意味深な菫の言葉。だがそれが咲の何を知りたくて、自分へと尋ねているのか検討が付かない。

そして菫に言われて心中に生まれた困惑は、すぐに咲の表情に直結したのだと思う。

続く言葉も無くそんな咲を見下ろしていた菫は暫くの後、徐に双眸を閉じると諦めたよう浅く首を左右に振った。

菫「いや、いい。………私には言いたくないのだろう……」

咲「…え?」

菫の最後の言葉は、咲に伝えるというよりは自身だけに言い聞かせるような小声であったから、上手く咲には聞き取れなかった。

咲は訝しく声を上げるが、眼前に立つ彼女はこの会話を終えるよう踵を返した瞬間だった。

菫「行くぞ」

その場に佇む咲に移動を促す言葉。

不機嫌な様子は変わらないが、それでも先程彼女が言ってくれた通り、咲に付き合ってくれるという事なのだろう。

よかった、そう思って慌ててその長身の後に咲は続こうとする。

部屋の出入り口まで辿り着いていた菫が、追いかけてくる咲を見返してきて言った。

菫「これだけは言っておく」

咲「?」

菫「貴方は自分の立場をもっとよく考えるべきだ。何かがあってからでは、全て遅い」

咲「………」

209: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/08/01(金) 01:11:51.26 ID:/NWhJ0i10
足を止め、辿り着いた先の長身の見上げながら咲は思う。

どこか苦しそうに顔を歪めているその姿を菫自身は気付いているのだろうか。

ああ、もしかして……自惚れかもしれないけれど。

自分が彼女にそんな感情を抱かせているのだとしたら、素直に申し訳なく思う。

だから考えるよりも先に本能で。咲は菫に向かって深く頷いていた。

それを見届けた菫の表情が、多少は緩んでくれた気がする。

と、同時に。背後よりこの場には不自然な、水面に水が跳ねる音がした。

不思議に思って咲は自然な動作で振り向こうとする。

だがその前に菫の先を促す声に急かされ、結局背後より聞こえた音に対する疑問は掻き消えてしまった。

菫は僅かに前を歩く咲の背を見て、ふと今までいた室内へと視線を巡らせる。

自分達が出た事で無人になったそこには、いつの間にか六ツ目の獣がこちらに頭を垂れて鎮座していた。

その自分の使令の姿を一瞥し、小声で菫は命じる。

菫「相手の正体が分からんのが気になるが。凶行の影が見えたのなら構わん、排除しろ」

『御意』

更に深く頭を垂れたままに、その獣の姿が硬い床にできた水面の底に沈んでいく。

それを見届ける前に。先を行く咲の後を追いかけるため、菫もその場より歩き出したのだった。


■  ■  ■



210: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/08/01(金) 01:16:05.16 ID:/NWhJ0i10
王として拙いながらも一日の執務を智美に手伝ってもらい、それらを終えてから自室に戻る日々。

殆どはそれから自室にて書房より運び入れた書物を広げ読み耽っていたが。

たまに、こっそり抜け出す時間ができた。

純に出会えた事は本当に幸運だったと思う。

宮中にいる官吏達とはまた違った視点での情報を、彼女は咲に与えてくれる。

だから、その日も執務を終え自室に戻ってから抜け出した時の話だ。

3度目ぐらいだったか、初め出会った頃に比べたらお互いに対して気安さを覚え始めた頃だった。


咲「常備軍?」

咲が疑問を口にすると、横に座る純は頷いて言葉を続ける。

純「ああ、首都や各州に駐屯する軍の事だな。例えばここ首都には禁軍左右中3軍と首都州師左右中3軍が常備している」

純「これらは王が直接指揮できる六師だ。軍の規模も一番大きい。また、各州にはそれぞれの余州師の軍がいる」

咲「それも王が動かすんですか?」

その問いに対して純は首を軽く左右に振る。

咲が持ってきた揚げ菓子の最後を頬張り、咀嚼し終えると続きをゆっくり話す。

純「いいや、各州師はその州を治める州候が指揮する。んで、実際にできるかどうかは知らねぇが…」

純「国内の全ての州に在る州師軍を集めれば、王師に対抗できる数にはなると言われているな」

純の話を興味深く聞いた咲は無意識に頷く。

211: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/08/01(金) 01:21:47.81 ID:/NWhJ0i10
つまり…天の采配というべきか、王が絶対的な軍事力を握る訳ではなく

もしものために、民の側にも王に抵抗する術を与えているという事。

確かに愚王の存在はいずれ天が許さぬだろうが…今までに読んだ歴史書にも書かれていたよう、

すぐに王が退位する事にはなるまい。その過程で数多の民の血が流されるのだとしたら、

もしものために王に対抗する術を民自身に与えたのも天という訳だ。

客観的に見て面白いと思う。そこで咲はふと、考える。

王ではなくて、一介の歴史学者にでもなれれば自分の性に随分と合っていただろうに。

周囲の声など気にせず 、一日中本に埋もれて過去を考察する。

考えるだけでも、心が躍るような気がした。

純「おい、咲」

呼ばれ、現実に呼び戻される。

声を辿って横を向くと、反応が薄い自分を訝し気に見下ろしている純の姿が見えた。

その顔を見上げ、咲は「すみません」と苦笑を浮かべる。

こうして付き合ってもらっている彼女に失礼な事をしたな、と返す言葉を脳内で探す。

確か、彼女より基本的な軍の話を聞いていた。

それを思い出したと同時に胸中に沸いてきた疑問を咲は伝える。

咲「えっと…じゃあ。純さんは元々、首都州師の軍にいたんですよね?」

純「ああ。上官職になろうと思わなければ学が無くとも腕さえあればやっていけたからな。一応これでも卒長まで勤めてたんだぜ?」

そこまで話を聞き、咲はきょとんとした表情になる。

212: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/08/01(金) 01:26:11.02 ID:/NWhJ0i10
だって、最近読んだ書籍の中に浅くではあるが軍組織の内容が説明されたものがあったから。

咲「卒長といえば軍の中でも多くの部下を従える立場だと読みましたが。どうして軍を辞めてしまったんですか?」

咲「素人考えで恐縮ですが…それなりの立場だったのなら色々と惜しい気がします」

すると、見つめる先の純の表情が徐々に渋い顔へと変わっていく。

暫く顔を歪めたまま無言を貫き通していた彼女は、ふと片腕を上げるとガシガシ頭を掻いてから観念したように答えた。

純「我慢できなくなったって事だな。まぁ、元々生きていく選択肢として軍属を選んだんだ」

純「事実、荒い仕事は性に合ってたけどよ。いかんせん木偶な上官との折り合いがつかなくて…」

咲「………?」

そこで彼女がどうして軍を辞めたのかを簡単に説明を受けた。

上司からの理不尽な命令や、卒長としての部下や仲間に対する葛藤。

それでも命令に従うか、それとも背くかを悩んだ挙句……結局は、仲間と軍を離れる事を選んだという彼女の話。

だが、その話を聞きながら咲は愕然としている。

咲「そんなの、純さんが悪い訳じゃないのに」

思わず心に溜まった気持ちを口より吐き出す。それでも咲の胸中に芽生えた怒りが薄くなった訳ではない。

筋が通ってないのは純のかつての上官の方だ。

証拠も何も無かったという、純が庇った相手の犯した罪も定かではない。

けれど軍属であれば筋の通ってない話でも上官より命じられれば従う他ないという事。

理不尽だ、ならば一体誰が、どこで間違いを正すのだろう?

213: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/08/01(金) 01:30:07.99 ID:/NWhJ0i10
何気なく話をしていた純にしてみれば、咲のそんな反応は予想外だったのかもしれない。

彼女は興味深そうに咲を見返している。そしてそれはすぐに苦笑へと変わっていた。

純「深く言い過ぎたな。咲が悩む事じゃねぇよ。もう終わった事だしな」

純「それに俺自身も我慢の限界だったから丁度よかったんだ。……でもよ」

途中で言葉を途切った純は徐に腕を伸ばすと、くしゃりと隣に座る咲の髪の毛を掻き混ぜる。

仕草は柔らかいもので、視界を揺らしながら咲は大人しく衝撃を享受していた。

純「いい奴だな、咲は」

咲「え?」

純「いや、まぁ…怒ってくれてありがとう。ってのも、可笑しいか…だけど意外だな」

純「こんな所にいる役人なんて、もっと自分勝手で矜持の高い奴らばかりだと思ってた」

咲「……それは、喜んでもいいんでしょうか」

純「俺にしてみれば安堵してるんだぜ?今まで見てきた官吏は相手をよく見もせず上から目線で物をいう奴が多かったし…あ、すまねぇ」

言葉の途中に入る謝罪の声。多分彼女なりに言い過ぎたと感じたのだろう。

咲へと伸ばしていた腕を戻しながらバツが悪そうに片眉を曲げている。

だけど純の言った事は事実だ。だから咲は首を左右に振る。

咲「いいえ、純さんは間違ってないと思います。実際苦しむ民よりも、私利私欲のため動いている官吏がいないとは言い切れない」

咲「ほんと……何もできなくて、ごめんなさい」

純「ん?咲が謝る事じゃねぇよ。それにそんな中でもお前みたいに真面目な官吏もいるんだからな。安心した」