だ、菫も理解している。

智美が心配する通り、王である少女にこの先、何かしらの危害が及ぶ事だけは絶対に排除しなければならなかった。

使令は付けてはいるが、万能では無い。

なにより居住するこの場所だけでも、安全を当たり前にして過ごして欲しいと思うのは間違っていないだろう。

智美「私は顔を合わせた事ないけど……内宰って名前はなんていうんだ?」

問われ、菫は思考を中断させると脳裏に一人の官吏の姿を思い浮かべる。

不正が蔓延る宮中の中にあって、随分と落ち着いて自らの考えを譲らぬ女性だったのが強く印象に残っている。

だから、その名前を菫はすぐに思い出した。

眼前の席に座り、じっと菫の返事を待っている智美へ「内宮を仕切る内宰は、塞という天官だ」と伝えた。



■  ■  ■

151: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/07/18(金) 21:26:59.18 ID:l402pkcK0
―少しだけ、時間は遡る。


純はこれでも随分と我慢をしてきたと思う。

軍に入ったのは自分の荒い気性に合っていると思ったからで、数年過ぎた今ではその選択は間違ってなかったと信じている。

新米の一兵卒の頃は、そりゃ生意気だとか口が悪い奴とか(否定はしない)で随分、上から目を付けられたりもしたが。

それでも自分で言うのはなんだけど兵としての能力はそこそこあったよう思う。

訓練の中で練習試合などしても上位には食い込んだし、実戦においても冷静に状況判断ができていたから

気がつくと一兵卒から伍長になり、そのまま数年後には両長を越えて100兵を纏める卒長を務めるまでになっていた。

上からの小言を聞く機会が増えたのは頭痛のタネだったが…それでも発言や行動の自由は増していった。

すると、不思議と一兵卒の頃は気にもしなかった責任を感じるようになってくる。

誰よりも気性の荒い自分だったが、部下である兵に対して責任を覚えてしまうとかつてのような無謀は控えるようになっていった。

なにより軍の上部で権力をもち居座る頭の悪い奴らは嫌いだったが、同僚や部下である兵卒らは元の自分のよう気性は荒く、

口は悪いけれど根はいい奴らばかりだったと知っていたから。

その誰もがただ今の腐った国の姿に絶望して燻っているだけ。

幾ら能力が高くとも、権力や金がなければこれ以上の出世が望めないのが現状で。

それは純にも同じ事が言えた。運と能力だけで卒長にまで辿り着いたが庶民の出であり金も無く、

軍に対して権力を持つ顔見知りもいない自分にはこれ以上の出世は望めないだろう。

どう考えてみても、自分よりも遥かに愚鈍で頭の廻らなさそうな奴が高い身分と金とコネだけで出世していく様を

横目に見ていれば現状に絶望し、燻ってくるのも仕方ないと思う。

それでも純は卒長に収まってからは随分、我慢していたのだ。

無能な上からの命令を聞き、無謀な事をやらされもした。

昔の自分ならば、すぐに憤慨し反抗していたかもしれないけれど。

152: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/07/18(金) 21:31:53.54 ID:l402pkcK0
現状において、百人の部下を持つという責任がどうにか純に冷静さを与えていた。

それでも上からの無謀な用件が増えてくる度に、部下を守るために聞き入れてもらえないと分かっていながら

何度も進言したりもした。そんな事を繰り返す内にいつの頃からか上より自分が煙たがられているのには気付いていた。

だが、どうしても譲れない一線が確かにあったのだ。

そんな純の我慢の限界を越えさせてしまったのは、上より与えられた最大級に無謀な命令のせいだったと思う。

今になってみれば、あれは扱い辛くなってきた純を排除するために画策された命令だったのかもしれないが。

残念ながら自分は戦場などにおける状況判断は得意だったが、影で行われる謀計に対してはとんと無知だった。

文句があるなら正面から来い、喧嘩なら買う、という気性であったし。

そんな自分が上官より呼ばれ与えられた命は、

『城下にて謀反の疑いある者を捕縛し、抵抗するのならばその場で処罰しても良い』というものだった。

聞いただけならば軍属として素直に従えばいいだけの命令だったが。

その標的である名前を聞いた瞬間、上官に対してすぐに任務了承の返事を純は返せなかった。

上官より言われた名は……城下の庶民の間では人望が篤いと噂される町医者の名前だったから。

なにより、純自身も直に会った事があって手当てを受けた事もある。

姿を思い浮かべてみても、気さくで、医者としてというよりは人として一本の筋がきちんと通った人だったと思い出している。

それにあの医者は純の素人目から見ても、人を救う事に誇りを持っていた。

王の不在で苦しみに喘ぐこの国に対して、更に謀反でもって混乱に陥れる無法者とは到底思えなかったのだ。

だが眼前に立つ上司は、国府の秋官に言われ、その町医者に対して動かぬ証拠も揃っているのだという。

その厭らしい上官の笑みを見て、謀計に疎い純でも直感的に悟った。

民衆から思う以上の人望を集める医者の存在が、権力を握る奴らからみて目障りになったのだ。

しかもあの町医者は人格者で民衆だけでなく、権力者にとって元より目障りな知識人にも知り合いは多いと聞く。

だから奴らは将来を見据え、自分達の地盤を確固たるものにするために

反乱分子の核となりうる邪魔者の排除に乗り出したに違いない。

153: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/07/18(金) 21:36:09.61 ID:l402pkcK0
きっと人格者である町医者に証拠など元から無かったに違いない。奴らは勝手に証拠を作って罪を被せようとしている。

しかもその役を庶民の出で何かあった時の使い捨てが効く純に任せようとしている。

多分、町医者を処罰した後も、もし庶民より反発が出たとしても

命じた権力者では無く実行した純を処分する事で事無きを得ようとする魂胆まで見えた。

笑みを浮かべたままの上司を見返しながら、純はカッと頭に血が昇り目の前が怒りで真っ赤に染まった。

が、唇を噛み締め、拳を握り締める事で怒りの爆発をなんとか抑えた。

ここで喰って掛かっても、腐った軍とは言え純は軍属の身。上官の命に背けばそれだけで処罰の対象となる。

自分だけならまだしも今は百の兵を抱える責任のある身だ。おいそれとその場で上官に向かい反発する事はできなかった。
 
感情の含まない了承の意だけを告げて、上官の前を後にする。

期限だけを言われ、方法は問われなかった。……だが、どうすればいい。

ただ周囲より人望のある人格者を腐った権力者の命に従い断罪せよというのか。
 

誠子「お前も運がないな」

軍の宿舎に帰り、純の副官でもある両長の誠子に粗方の事情を説明するとそう言われた。

彼女は自分と同郷であり、腐れ縁の友人でなにかと気安い間柄だ。

裏表無く言い合える相手でもあったから…誠子に言われ、純は苛立たし気に舌打ちをする。

純は庶民の出でここまできたが、結局は上から理不尽な理由を押し付けられ足元を掬われようとしている。

上官の命に従い人格者である医者を処断すれば、きっと純がここで培ってきた人望は容易く地に落ちるだろう。

それに軍属としてでは無く純の個人的な感情でも、あの医者を亡き者にはしたくはない。

だが上官の命に逆らったら軍の中での純の立場は危うくなる。

154: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/07/18(金) 21:41:20.86 ID:l402pkcK0
今でさえ目を付けられているのに、危険分子として警戒されれば有事の際には真っ先に最前線に送られかねない。

純一人だけの事ならそれも自身の責任として納得しようが、

今の自分には誠子を含めた100人の部下がいる。彼女らをこんな馬鹿げた理由で危険に晒したくはなかった。

誠子「まぁ…飲むか」

そう言って酒瓶片手にやってきた誠子に純は大人しく付き合う。

呑まなければやってられない心境でもあったから。

ただそんな素直な自分の様子を見て、誠子は明日は雨が降るかもな、とからかう。

そんな彼女をギロリと睨んでから差し出された器をしぶしぶ受け取ったのだった。


それから、二人で夜通し飲んだ。

自室の窓を開けると城下の街が見渡せる。時間帯は夜だったから、城下の街に灯った明りが煌々と灯っていた。

それでもあの灯りの下で愉快に騒げるのはこの国の中になって一握りの人間だけだ。

もはや、この才州国の前王が崩御してから何十年にもなる。

煌々と灯りが灯っているのはこの広い国の中と言えど、きっとこの首都だけだろう。

王宮は王が不在でありながらその代わりの権力を握り、仮王朝に組する者だけでこの世の春を謳歌している。

純も誠子も前王が崩御したのは小さい頃だったから、平常無事に天命を受けた王がこの国を治める時代を経験したことは無い。

ただ、世の中はこんなにままならないものなのかと気落ちはしてきていた。

アルコールも入っているから余計そう思うのか。この国の未来に希望が持てなかった。

例え才能があったとしても、能力が高いとしても……先に立つのは金とコネの世界だ。

それは宮中でも街中でもここ軍の中でも変わらない。

155: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/07/18(金) 21:47:16.73 ID:l402pkcK0
純はたまたま運が良くてここまでこれたが、今日のように上官より命じられれば

筋が通っていなくても力の無い身では従うしか生き残る道は無い。それが無性に息苦しく思った。
 
だからこんな夜には思うのだ。

どこかに……この広い国土のどこかに、この国の生まれの王が存在するのだろう。

郷里の親や老人が過去を懐かしんでいたように。

天命を受けた正規の王が立てば、この国は変われるのだろうか。

人格者である医者が、その徳のままに尊敬され評価され謀殺される事も無い。

むしろ王不在の宮中にて、権力を欲しいままに法も人としての筋も捻じ曲げる畜生共を黙らせる事ができるだろうか。

軍属として出現する妖魔から人を守るために、または罪を犯した者に剣を握る事に躊躇いは無い。

だが何の咎も無い人間を理不尽な理由で屠るために剣を握る事は許容できなかった。

それは軍属以前の、純の中にある越えてはいけない一線だったのだと思う。

それをきっと、付き合いの長い誠子も良く分かっている。


暗い夜空が昇る朝日により白み始めた頃。空になった酒瓶を傾けながら、誠子は言った。

誠子「無理だな」

純「ああ」

詳細は全て省いた。ただ言われた言葉に対して純は当り前だという風に相槌を打つ。

夜通し呑んだはずだが、互いに少しも酔ってはいなかった。

純の返事を聞いて、誠子は一拍置いてから席を立ち上がる。そして、まだ座ったままの純に対して言った。

誠子「半刻経ったら、10名程連れてくる…性根が良さそうな奴を。そいつらに今回の事を話そう」

誠子「私たちは責任がある分、動けない。だが、そいつらが何かしら動いたら………仕方ない」

純「…そうだな」

誠子に言われ、純は頷く。

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