最後の煽りが原因で付き合うまで三日かかった
日下部一級術師が補助監督の女性とキスをしていた。
という噂が流れて日下部さんが日車さんに弁明しに行くお話(※付き合ってない)
※日車さん呪術師IF
※め〇ん一刻のオマージュがあります。
2026.6.3追記
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2026.6.7追記
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日下部一級術師が補助監督の女性とキスをしていた。
そんな噂が高専内に出回っている事を日下部が知ったのはつい先程の事だ。なんでももうここ三日は学生から職員・所属術師の話題のタネになっていたとのこと。日下部がその噂を今まで知らなかったのは、噂とは得てして本人の耳には入らないよう配慮されるものだからだ。大変余計なお世話である。
噂に関しては事実無根——ではないのだが誤解で、だけど日下部は基本『人の噂も七十五日』なスタンスなので通常なら「まあ適度に楽しんだら飽きるだろ」と放っておく案件だった。
ただ現在は『通常』ではないので日下部は急いで高専敷地内にある書庫室へと走っていた。探し回ってやっと居所を掴んだ目的の人物がそこにいるとの事だったのだ。
長い渡り廊下を走って書庫室の扉を開ける。探し人は最近過去の呪霊祓除の記録に興味を持っていたので当たりをつけて該当本棚へと向かった。
「日車!」
死角から名前を呼ぶように滑り込めば予想通り、きょとんとした顔の日車が見返していたので日下部はほっと息を吐く。特徴的な三白眼は本棚の上段の書物にご執心だったようで、六段脚立の天板に座って本を広げていた。目線が上にある事を新鮮に思う。
ちなみに脚立の天板に座るのは使用禁止事項なのだが『やってはいけないと思い込んでいたこと』として楽しんでいるのだろう。
「日下部、図書室では静かに」
「——図書室じゃねぇし、他に誰もいないからいいだろ」
高専の書庫室は出入り自由だが、鍵がかかっている手間から利用する関係者はかなり少ない。今日も利用申請者は日車だけである事を日下部は知っている。——この三日間、会えてないなと思っていたら空いた時間全てを使って日車が書庫室に籠っていた事も、その利用履歴から分かっている。
「どうした、俺に何か用か」
脚立のてっぺんから日車が問いかける。その眼には平素の冷静な色が灯されていて、それに対して焦りだとか、ちょっとした苛立ちだとか、お門違いな感情が湧いている事を日下部は自覚した。それを逃がすように「はあ、」とため息を吐く。
「用っつーか、ちょっと話があるっつーか。——とりあえず一旦降りてこい」
「嫌だが」
「…………」
「要件があるならここで聞く。他に誰もいないなら問題ないだろう」
間髪入れずに返って来た『否』に日下部は一瞬鼻白む。
拒絶ではない、恐らくこれは警戒だ。
これはうまく立ち回らないと面倒な事になるな、と頭を回す。
「あー、じゃあ端的に。今高専内で俺に関する噂が出回ってるのは知ってるな?」
言えばぴくり、日車が小さく反応した。表情は変わらないが、腹が立つくらいのポーカーフェイスのその下でぐるんぐるん思考が回されている事を日下部は知っている。
「分かってると思うけど、誤解だからな」
「なんの話か分からない、し、——『事実無根だ』とは言わないのか」
「——なんの話か分かってんじゃん」
言いながら、「なんか浮気を疑われる彼氏みたいだな」と日下部は思う。まだ彼氏じゃないけれど。
(ここで変に拗らせんのは勘弁なんだが……)
実は、日下部と日車はいわゆる同僚以上恋人未満の関係にあった。
いつからだったかお互いがお互いに恋愛感情を抱くようになっていて、これまたいつからだったかお互いがお互いにその事に気付いてしまっていた。
いい歳したふたりだ、想い合っているのならどちらからでも告白して付き合えば良かったのだが、なぜかここでふたり揃って負けず嫌いが発動した。
——どうせなら相手に告白させたい。
多分、先にそう思ったのは日下部で、日車は日下部のその思惑に気付いて反撃に出た形になったのだと思う。
日下部とて本当はさっさと日車と恋人同士になりたかったのだが、明らかに自分の方が惚れている自覚があったので告白くらいは日車からさせたいと思ってしまったのだ。おっさんのくだらない矜持である。
ただ結果だけ見ると、そんなくだらない駆け引きをふたり揃って楽しんでいた気配もあった。
青春時代のやり直しとかじゃないけれど、お互い愛だの恋だのに現を抜かせる学生時代じゃなかったから、付き合う前のふわふわしたぬるま湯みたいな関係をお互いで経験できる事に嬉しさを感じていたのだ。
まあそれでも、そろそろ恋人同士でしかできないあれやこれやも日車としたいので、いい加減潮時だなと日下部は自分が折れる算段も立てていた。
——と思っていたところでこの噂である。日下部としてはたまったもんじゃなかった。
「——事実無根では、ない。けど、俺からしたわけじゃねぇ」
一瞬迷ったがここで日車相手に下手に誤魔化しを入れれば更に拗れる可能性がある。だから日下部はありのままを伝える事にした。——ら、ひやり、体感温度が三度下がった感覚がした。
それを「やべ、」と思うより先に嬉しいと思ってしまうので始末に負えない。まだ綱渡り状態なのに。
「なるほど、キスをしたのは事実だと」
「同意じゃなかったから無効ってーのは通用しねぇか」
「同意じゃなかった?同意なしのキスを第三者の目が触れる場所で許したのか?君が?」
今度は体感温度が戻る感覚。きょとんと目を丸めた日車の気配は冷やっこいものからちょっとした興味に移り変わっていた。いやなんでだ。
「不意打ちだったんだよ」
がり、と頭を掻きながら日下部は当時の状況を思い出す。
四日前、呪霊祓除の任務を終えた日下部は例の女性補助監督の運転で高専へと送り届けられた。解散の際、見送りのためにわざわざ車の外へ彼女が出てきたのだが、「日下部さん、これ見てもらえませんか」と揃えた両手を差し出してきたのでついその手元を覗き込んだのが悪かった。気付いた時には補助監督の唇が自分の唇に触れていたのだ。その流れで愛の告白的なものを受け、その一部始終を通りすがりの別の補助監督に見られていたらしい。その結果が今である。
この件に関しては女性補助監督の方には丁重にお断りを入れたし、噂を広めた補助監督の方にはあとでコンプラ研修を受けさせる予定でいる。
ただ女性補助監督の立場的なものもあるので、噂に関しての弁明を周囲にするつもりは日下部にはなかった。日車を除いて。
「ほお、不意打ちをくらったのか。一級術師でトップの実力を持つ君が」
と思っていたらまた体感温度が三度下がったので「ぐ、」と日下部は一瞬怯んだ。この体感温度は嬉しいけどシンプルに怖い。日車はこういう嫉妬の仕方をするのかとニヤつきそうになる一方、捨てられる確率はこういう怒り方の方が高い気がしてソワソワしてしまう。まだ手に入れられてもいないのに。
あとは単純に、日車には日下部の好意の上に胡坐をかくくらいでいて欲しいので、こういった逃避行動をさせるのは日下部の本意ではないのだ。
とはいえ、日下部の実力を買ってくれている日車に口頭で説明しても納得を得るのは難しいだろう。
ならば、と日下部は自分の両手を揃えて日車の前へと差し出した。
「日車、これ見てみろ」
題して『お前も同じ事されたら分かんだろ』作戦だ。ちょうど日車が日下部より高い目線の位置にいるので四日前の状況を再現するのに都合がよかった。こんな形で日車との初キスを済ませてしまうのはどうかと思ったが、これを切っ掛けに恋人になれば仕切り直しはいつだってできるだろう。
と思っていると日車から怪訝そうな顔が返された。
「嫌だが」
「——お前ね、さっきからイヤイヤ言ってるけどそれじゃ話が進まないでしょうが。怒らせたのは謝るからとりあえず言うこと聞けって」
「いや、怒る怒らないではなく、単純に意図の分からない指示に難色を示しているだけだ」
「…………」
淡々、と返す日車の声には確かに怒りや嫉妬の色はなく、体感温度もまた戻っているので日下部は呆気に取られてしまう。
——え、普通「見てみて」って言われたら見ないもん?
そんな疑問が顔に出ていたのだろう、じ、と日下部を見ていた日車が「ああ、なるほど」としたり顔で呟いた。
「そうやって顔を近付けた所であっさりキスされたというわけか」
「…………」
「うかつ者」
『お前も同じ事されたら分かんだろ』をする前に察せられてしまって日下部は「ぐう」と唸る。頭の回転が速い日車に助けられた事は過去何度もあったけれど、こういう場では助けられたくなかった。
そんな日下部に日車から追撃が来る。
「しかし高専関係者相手とはいえ気を抜きすぎじゃないのか。今回はただのキスで済んだが、相手が毒や呪いを仕掛けるつもりだったらどうするんだ」
「それに関しちゃぐうの音も出ねぇよ。でもまさか十も下のやつから好いた惚れたが向けられるとは思わねぇし、いきなり実力行使でくるとも思わねぇだろ」
「ならまた同じ事があれば同じ状況になるんだろうな、君は」
「——やっぱ怒ってんじゃん」
「怒ってないと言ってる」
ふい、と日車が本棚へと視線を戻した。その横顔に「あ、」と日下部は気付く。
怒ってない、の日車の言葉は半分本当で半分嘘だ。
(——心配させたのか)
確かに日下部の今回のキス事件は相手が間者だったら只では済まない事態になっていた。その場合は日下部も気配などで気付くと思うがあくまで机上の空論だ。『不意打ちでキスされた』という事実がある限り日下部の高専関係者に対するガードの緩さは懸念事項として捉えられる。それを、日車は懸念しているのだ。
——ええ、めっちゃ好き。
日下部の噂を知って、事実確認を恐れて日下部と会わないように空き時間は書庫室に籠って、いざ日下部と対峙したら気丈に振る舞って、責める言葉ひとつ吐いてくれないくせに日下部の迂闊さを心底心配してくれる。そんな日車の行動ひとつひとつが胸を突いて、「やっぱ俺の負けでいいや」と日下部は目の前にある日車の足首へと指先を這わせた。
「——悪い、もう油断しねぇから。ちゃんと話してぇし、降りてきてくれねぇか」
懇願するように伝えれば一拍を置いたのち、ゆっくりと日車が日下部へと視線を戻した。
正しく意図が伝わっているのだろう、少し緊張を孕んだ面持ちに苦笑してしまう。
降りてくるかな、と出迎え態勢を取ってみたが、しかし先に降ってきたのは何かを図るような視線と疑問符だった。
「——その言葉に嘘はないか」
「ん?」
「『油断しない』と言った事だ」
「?、おう、もちろん」
「ふうん」と何か考え込む様子の日車に日下部は内心で首を傾げる。ここは告白からの両想い展開だと日車も分かっているはずなのに何を考える事があるのか。
なんか嫌な予感、と思っていると日車から斜め上の話題が振られた。
「日下部、最近新しい呪力の使い方を習得したんだが君の意見がほしい」
「え、今?」
「今。これが見えるか?」
おもむろに日車が左手をのぞき穴のようにして差し出してきたので「なんなんだ」と思いつつも日下部はその穴を覗き込むために背伸びをする。どう考えても今仕事の話をするタイミングではないのだが、日車が新しい術式運用や呪力操作を覚えると大抵ろくでもない使い方を思いつくため確認自体は必須だった。
——しかしこれはまさか告白の流れを意図的にへし折ろうとしているのか。
と、焦りが生まれた所で急に視界が暗くなって日下部は目を瞬いた。次いでふに、と唇に柔らかいものが触れて思考が止まる。
「え、」
間を開けずに視界が明るくなったかと思えば至近距離に日車の顔。視界を塞いでいたのがのぞき穴になっていた日車の左手で、口に触れたのが日車の唇だと気付いて呼吸が止まった。目の前にある体温が離れる瞬間、ぺろ、と口の端が舐められて日下部の背筋が粟立つ。不機嫌そうな三白眼が日下部を見下ろした。
「———うかつ者」
「っ、」
反射で伸ばした手が空を切る。日下部の手が届く前に脚立から飛び降りた日車がそのまま脚立を素早く折りたたんで日下部へと押し付けた。ずしんと想像の十倍重たいそれには日車の呪力が乗せられているのだろう、日下部の左膝が沈んで初動が遅れる。新しい使い方とはこれかと気付くと同時に日車が背を向けたので慌てて口を開いた。
「おいこら日車!っておっも!!」
「脚立、片付けておいてくれ」
ひら、と振り返りもせずに右手が振られて細い背中が本棚の向こうへと消える。数秒もしないうちに書庫室の扉が開けられるだろう予測に日下部は舌を打った。
——あんにゃろ……!
可愛らしい仕置きにえげつないほどテンションが上がっているが余韻に浸る暇はない。ここで逃がすと多分しばらく捕まらないので日下部は重さ十倍の脚立を急いで壁へと立てかけた。
今から追いかけても十分捕まえられるけど、意趣返しくらいはしてやろうと見えなくなった日車へと叫ぶ。
「そこで止まれこの馬鹿!やり逃げで訴えんぞ!!」
あえて煽る言葉を選べば本棚の向こうからわずかに荒れた呪力の気配。よく通る声が書庫室に響く。
「返り討ちにあいたくなかったらその油断ぐせを治してから出直してこい、この馬鹿!!」
反発するように日車がやっと声を荒げたので日下部は思わず笑ってしまう。
——なんだ、やっぱ怒ってんじゃん。よかった。
ならばあとは仕留めるだけだ。
熱の余韻が残る唇を舐め取って、逃がすものかと書庫室の扉へと向かって日下部は駆け出した。