再会と邂逅1
シリーズ作品の冒頭。平行世界の平和な日本が舞台の若い二人です。日下部のみ、呪術世界に関する記憶持ち。日下部×日車のCP。今回は全年齢(キス表現まで)ですが、後々R指定になります。
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この寒い季節に、そうだ海を見に行こう、となったわけではない。ただ、じっくり腰を落ち着けて話をするには何となく居心地が悪かったので、ちょっと外で、となったのだ。
彼の隣でどこか遠い、鋭い目つきを海に向けている日下部篤也という男のことは、数年前から知っている。知人と言うには親しく、親友と言うにはお互いを知らなかった。この男が『記憶持ち』という事さえ、昨日まで知らなかったのだ。
「まあ、実はあんまり、話すつもりはなかったんだが。お前が記憶を持っていないことは前もって知ってたしな…」
日下部は海のほうを向いたまま切り出した。直近で彼と同席したのは、先月、仕事帰りに飲みに行った時だ。頻繁に会う関係ではないとは言え、話したいことがあったなら、個人的にいつでも日車を呼び出して話せばよかったはずなのに、今回、わざわざ『面会依頼』を正式書類で送ってきたのは、それなりの理由があるのだろう。
約1割、共通の特定平行世界の記憶を保持している人の割合は10人に一人だ。断片的、潜在的記憶保有者は推定3割。さほど珍しいことではない。ただ、中には本物の記憶と実体験を伴わない別次元の記憶が混線してトラブルを起こす人も少なくない。弁護士である日車はこの種の問題を多く見てきた。彼らの生きづらさも理解している。その反面、記憶上だけの恋人や家族が再会し、再び結ばれたり、良好な人的ネットワークを作るという利点があるのも事実だ。
日車が事務所で日下部からの面会依頼書を受け取ったのは昨日。驚いたことが二つある。一つは日下部が持っている『実体験のない記憶』の多さと確かさ。そして、彼の記憶の中の日車との関係が『恋人』であったこと。会いたい、との旨を書面で受け取った日車は、すぐ日下部に連絡を入れた。連絡を受けた日下部の態度は普段と同じ、淡々としたものだった。
日車は彼の隣に立ち海のほうに体をむけたまま、顔と視線だけは日下部のほうに向けて待った。彼が視線を合わせたいと思った時に合わせられるように、だ。何から話すかな、と日下部。
別世界の記憶量が多いということは精神的に不安定になりやすいタイプのはずだが、普段の日下部はむしろ実年齢よりも落ち着きと貫禄がある。彼が持っているライセンスの種類を見ても、彼本来の精神の安定性が高いのだろう。
「私たちの関係性について話したいんじゃないのか? 記憶や感情の共有はできないから、君としては寂しいと思うが…」
「うーん、お前が、記憶ないのは…別にいい。俺の、……俺たちの記憶はあんまり幸せなもんじゃなかったからなぁ」
日車が知る日下部にしては歯切れが悪く、彼が望むことが推しがたかった。通常、記憶の中の『恋人』を探す人は関係の再構築を望んでいたり、そうでなければ、気持ちの整理や伝達、関係性の再定義付けなどを目的としているものだ。日車は待った。
「お前、最近の話題のアメリカのベンチャーCEO知ってるよな? サイコパスって評判の」
企業の名前を出されて、現実の話だと気づく。頭の中で情報を探し、整理する。
新進気鋭の30代の若き実業家、もともと資産家の御曹司で傍若無人なプライベートと徹底した合理主義的経営でサイコパスとも二重人格ともいわれている、短い赤みがかった金髪を上げ、鋭い切れ長の冷酷な瞳を持つ、2m近い屈強な体躯、趣味はキックボクシングと狩猟、セスナや自家用ヘリを自分で操縦し……
「宿儺だ。アレが、お前を……殺したんだが…」
お前は覚えてねぇんだろな。本当の話なんだ、と日下部と目が合う。日車は話が彼の記憶の中に飛んだことを察した。
「アレが来週、日本に、東京に来る予定がある」
今度は現実の話だ。
気をつけろっちゅーか、…近寄るなってか、いや、逃げろ、だな。出来ればアレが東京にいる間はどこか離れた場所に…
告白の内容に若干のショックを感じつつ、日車は自分の役割を理解した。
「そうか…君は、大切な人を失ったんだな…」
日下部の眉間にしわが寄る。こういう顔をすると、この男は凄味があった。
「日下部、確かに、君たちのような記憶のある人たちは時に現実ではなく、記憶に従って行動することもある。だが、かのCEOが記憶持ちという話は聞いたことないし、記憶が原因で殺人事件を起こした例は殆どないんだ。大抵の記憶は大切な人に対するもので…」
「分からねぇだろ、そんなこと!! 通り魔事件や行方不明者のどれくらいが記憶と関係あるのか、ねぇのか! そりゃあ、探し人が家族や恋人なら、大声で喚くだろうよ! だが一度殺した野郎をもう一回やろうと思ったら、逆に復讐するなら、お前なら事前にしゃべるか!? これから殺しに行きますって!? 黙って近づいて油断させんだろうが、相手が記憶もってねぇならなおさら。持ってんだよ!! 殺し殺された記憶も、憎み憎まれた記憶もな!! メリットねぇから言わないだけで!!」
彼が声を荒げた姿を見たのも初めてなら、話の途中でぶった切られたのも初めてだった。日下部は両手で顔を覆い、やっちまったー、とつぶやいている。
「いや、俺は大丈夫だ、日下部」
右手を伸ばして彼の左肘あたりを軽くタップする。そのまま両手を差し伸べた。彼が望むなら手を握れるように。だが、日下部は海のほうに向きなおった。波が高く、曇り空が低い。
「アレは…」
世界的な実業家をアレ呼ばわりしながら日下部は話を続ける。
「数千人規模で人間を虐殺した…テロ犯だ。テロと言うより化物だな。たとえじゃなくて、一人で数百、数千人規模だぞ。しかも殺害理由のない愉快犯だ。何の理由もなく……それで、俺は……」
大規模テロや天災、怪奇現象の記憶については聞き知っている。記憶持ちの人たちは平和で平穏な記憶を持つ人と、治安の悪い記憶を持つ人で分かれるようだ。
「俺は…誰も守れなかったし、大してなんもできなかった……俺の先輩や後輩に当たる連中も次々と死んでいって…若ぇやつらも…恩師は恩師の友人に殺されるし…ああ、これは宿儺じゃなかったな……そんで、お前も…」
日下部の言葉がつっかえた。雪と雨の間くらいの小雨が降り始めた。日車は言葉を紡げない男の側に立って、背中に手を添えた。彼よりもはるかに逞しい背に。恋人や友人を失った悲しみと、再び失うかもしれないという彼の不安。
「大丈夫だ、日下部。俺は生きている。今のこの国は治安もいい。俺は平凡なほど…」
不意に日下部が動いて、日車は彼の腕の中に抱き込まれた。思わず、硬直する。
――すまん、抱きしめていいか? 生きていることを確認したくなった――
抱きしめた後で、許可を求めるささやきが聞こえた。日車は彼の背に手を回し、ポンポンと軽く叩く。日車と、かのCEOとの間には何の接点もない。相手は世界的な実業家だ。もし仮に日車が面会を望んでも不可能だろう。忠告は、ありがとう。君の言葉はちゃんと覚えておくよ。相手を安心させられると思われる言葉を選ぶ。
日下部が小さく低い唸り声を漏らした。つと、彼の手が日車の頭に添えられ、唇にキスされた。驚いている間に、触れただけの唇はすぐ離れて、頭を彼の肩口に抱き込まれる。
すまん、アレのことだけじゃなくて、お前はいろいろ苦しんでたから、もう……お前が苦しむのも、死なれるのも、ごめんだ…。
荒れた彼の心境を表すかのように、強まった風が彼らにみぞれ混じりの雨を叩きつけた。ちょっとやそっとのことで風邪をひくほどやわではない。大丈夫、何も問題ない。今、この国は平和な法治国家だ。テロなんて滅多に起こらないし…。ぽつり、ぽつり、と声を掛けながら、日車は日下部が落ち着くまで雨の中、じっと待った。しばらくして、彼の腕にそっと手をかけると、やっと束縛が解かれた。二人の髪から冷たい水滴が落ちる。
「場所を変えよう。落ち着いて話せるところへ。君の気が済むまで聞くよ」
日下部が雨に降られた日車の頬に手を当てる。
「冷てぇな、死体みたいじゃねえか。縁起でもねえ」
縁起でもない話を突然始めた男が、縁起でもない台詞を吐いた。
最新話まで読み、また1話から読み直しています。 先の展開が分かった上で読む物語序盤の味わいがまた格別ですね! (この物語が完結した暁には是非御本にして頂きたいなぁ…)