賀川滋子
かがわ しげこ 賀川 滋子 | |
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| 生誕 |
1911年5月28日(115歳25日) |
| 国籍 |
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| 著名な実績 | |
賀川 滋子(かがわ しげこ、1911年〈明治44年〉5月28日 - )は、日本の産婦人科医、内科医、スーパーセンテナリアン。奈良県大和郡山市在住の長寿の女性。
経歴
[編集]江戸時代から続く医者の家の生まれ[1]。93歳で死去した産婦人科医の叔父は80歳を過ぎても診察を行っていた[2][3][4]。
郡山高等女子学校(現・奈良県立郡山高校)卒業を経て[5]、1934年(昭和9年)3月 、大阪女子高等医学専門学校(現:関西医科大学)卒業[6]。1934年(昭和9年)4月からは大阪市立南市民病院(現:大阪公立大学医学部附属病院)産婦人科で勤務、1936年(昭和11年)4月からは同病院内科で勤務した[6]。1937年(昭和12年)7月に開業を果たした[6]。
太平洋戦争中は大阪市内の病院にも勤務し[7]、86歳まで現役の医師として勤めた[8]。2021年(令和3年)109歳の時には東京オリンピックの聖火リレーで聖火ランナーを務めた[7]。
漢字などの勉強をし、毎朝新聞を読む生活をしている。長生きの秘訣は「一生懸命勉強すること」「好き嫌いなく食べること」を挙げ、「病気にならずにまだまだ頑張りたい」と答えている[9]。
チョコレートが好物であり、毎日板チョコ半分ほどを食べている。食べ過ぎないようにして、まだまだ元気でいたいとも語っている。
113歳となっても、週に3度、介護施設に通い習字やパズルゲームを楽しんでいる[8]。
2022年(令和4年)に奈良県の最高齢者となり[10]、2025年(令和7年)7月29日には廣安美代子の死去により、114歳62日で国内最高齢者となった[11]。
人物
[編集]趣味は古典芸能鑑賞[6]。
家族・親族
[編集]賀川家は代々、生駒郡郡山町雑穀町(現:大和郡山市雑穀町)にて産婦人科・内科の賀川医院を経営している。
脚注
[編集]- ↑ “109歳の元産婦人科医、車いすで聖火つなぐ”. 読売新聞オンライン (2021年4月13日). 2021年4月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年7月31日閲覧。
- ↑ 『大和郡山市医師会』大和郡山市医師会、1989年、389頁。
- 以下の位置に戻る: 1 2 3 4 5 『大和郡山市医師会史』大和郡山市医師会、1989年、103-104頁。
- 以下の位置に戻る: 1 2 3 『大和郡山市医師会史』大和郡山市医師会、1989年、527-528頁。
- ↑ “国内最高齢114歳の賀川さんを表敬 郡山高校のOBら、長寿を祝う|奈良新聞デジタル”. www.nara-np.co.jp. 2025年12月12日閲覧。
- 以下の位置に戻る: 1 2 3 4 『大和郡山市医師会史』大和郡山市医師会、1989年。
- 以下の位置に戻る: 1 2 “「平和な世界を」109歳聖火ランナー賀川滋子さん 灯つなぐ”. 毎日新聞. 2025年7月30日閲覧。
- 以下の位置に戻る: 1 2 “県内最高齢の113歳女性を副知事が訪問してお祝い 大和郡山”. NHK (2024年9月19日). 2024年9月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年1月6日閲覧。
- ↑ 産経新聞 (2023年9月25日). “「ありがとうございます」 奈良県最高齢112歳 賀川さんに祝い状”. 産経新聞:産経ニュース. 2025年7月30日閲覧。
- ↑ “奈良県内最高齢111歳・賀川さんの健康長寿たたえる|奈良新聞デジタル”. www.nara-np.co.jp. 2025年7月30日閲覧。
- ↑ “国内最高齢者 ご逝去について”. 厚生労働省 (2025年7月30日). 2025年7月30日閲覧。
- 以下の位置に戻る: 1 2 3 4 5 6 7 『大和郡山市医師会史』大和郡山市医師会、1989年、39頁。
- ↑ 『大和郡山市医師会史』大和郡山市医師会、1989年、47頁。
- ↑ 『大和郡山市医師会』大和郡山市医師会、1989年、45頁。
- ↑ 『大和郡山市医師会』大和郡山市医師会、1989年、92頁。
- 以下の位置に戻る: 1 2 奥田信義 編『現代人物誌 第2編』奈良新報社、1927年、219頁。
参考文献
[編集]| 記録 | ||
|---|---|---|
| 先代 廣安美代子 |
2025年7月29日 - |
次代 記録保持者 |