PRESIDENT Onlineに掲載された矢部万紀子さんの論考を興味深く読みました。
「愛子天皇」を拒む麻生太郎の頑なさ…「天皇家の長子」より男系男子の「遠い親戚」にこだわる"長老政治家"の本心(PRESIDENT Online)
記事中では、与党・自民党における男系固執の黒幕である麻生太郎の思惑について、(あえて強調して書きますが、「母方の」)祖父である吉田茂からの「影響」を軸に考察しています。
面白いのが、その手法として、麻生太郎の著書である「祖父・吉田茂の流儀」内の記述と、麻生太郎の母で吉田茂の娘である麻生和子氏の著書「父 吉田茂」の比較なども交えて考察した上で、麻生太郎の皇室観について
独自の皇室観は浮かんでこない。わかるのは「太郎の皇室観=臣茂」だということだ。
と述べている所。
「臣茂」、愛子天皇論3の第10章「石破茂は『臣』ではない」にも詳しく描かれていましたね。
吉田茂は、日本軍を悪くは言えない世間の空気ができ上がった後も「軍は天皇の御心に反している」という確信を揺るがせず、命を狙われながらも英米との関係改善を模索し続けた強固な「個」の持ち主。
矢部氏の記事中では、麻生和子氏の著書中からの「父が昭和天皇陛下を心からご尊敬申し上げていたのは事実です」といった引用も交えて、軽やかに語り合う父と娘の中から「健全さ」を伴って感じられる吉田茂の尊皇心が紹介されています。
一方で、麻生太郎の皇室観については、矢部氏のこの論評がとても的を射ていると感じました。
「わが国古来の伝統」「民族」「道徳」といった祖父の言葉の断片を、「吉田茂の孫である」という自負と共に長きにわたり熟成させてきたのだろう。刷り込み、刷り込み、結果、「絶対男系男子、以上終わり」が信念になる。それが全てだから、語るべき余白がないのだと思う。
次代の皇位継承者が悠仁さまだけという現状を前に、吉田がどう判断するか。この議事録からははっきりしない。一方、吉田総理のもとで皇室典範が施行されたことは、麻生太郎という人に大きく影響を与えているのだろうということは想像に難くない。
麻生太郎は、(私個人としてはどうでも良い事だけど、「男系」に並々ならぬ固執を呈している麻生太郎の態度を尊重して言えば「母方の」)祖父である吉田茂の政権下で成立した現行の皇室典範に記載された「男系男子」という文言を「祖父のレガシー」として守ろうとしている、という分析です。
この辺り、麻生太郎は、よしりん先生の「戦争論」を極めて単純な「ニッポンバンザイ」と読んじゃった人の感性とすごく近い気がするなあ。
一方、当の吉田茂は答弁において
御血統の純粹性を保つ上からも、皇室會議の議を經たる、正當の結婚に基づいてお生れになつたお方に限るとすることが適當である、こう考へました
と述べています。
この文言を令和の現状に当てはめるなら、今上陛下のただ一人のお子様である愛子さま以上にドンピシャな存在は他に無く、先祖が皇族であった男子という属性のみを根拠とした「養子案」などは、この真逆の精神性に基づく言語道断な暴策としか言えません。
結局の所、麻生太郎は思想の根源となる「精神性」というものを理解できず、それを足場にして現状に対応した未来を紡ぐ能力に欠けた、百凡のネトウヨと同一の教条主義的な思考しか出来ない人物なのでしょう。
だからこそ、自身の木偶人形として高市早苗を放り込んで日本におけるあらゆる「信頼」を崩壊させながら、天皇陛下の想いを「拝察」どころか、制限下の中で極限まで踏み込まれた陛下のお言葉まで完全無視するような現在の国難状況を「これぞわが本懐」的に放言できるのでしょう。
先述の、愛子天皇論3・第10章より引用。
現在の麻生太郎&自民党が振りまいている態度は、上記における、天皇の意思に背きながら「皇軍を名乗り、自分は尊皇だと思い込んで」(いや、命がけで「思い込む」程の覚悟も無い)いるポジションと完全一致しています。
麻生太郎は、自身の「私」的なアイデンティティである(しつこいけどあえて言う、母方の)祖父・吉田茂の精神性を、「豊かな戦後」の中で曲解した上に、「屈辱的」な結果となった自身の政権におけるトラウマの私的な穴埋めに濫用しているとしか思えません。
この、自身の不全感の穴埋めのために、表面的な「右」キーワードを濫用するという態度、ネット上での放言という行為を超えた本質的な部分での「ネトウヨ」という存在の、まさに「テンプレート」と呼べる痴態です。
最後に一つだけ問います。麻生さん、この皇室典範変更に関する「立法府の総意」とやらを閣議決定〜議決したとして、天皇陛下に対してその結果を「高市早苗」に奏上させるのですか?(あなた、絶対に高市早苗を「信頼」していないし、何なら見下しているでしょう)。
その所業は、「賊・(麻生)太郎」として日本史に刻まれますよ。