イッツ・ベリー・ミステリアス、ユウ、ノウ?[1]
1995年にレコーディングでニューヨークに滞在していた時、マイケルは、連日寿司のテイクアウトを注文していた。本人が直接、車の中から電話をかけてきて「トロとサーモンと鉄火」と言うのだ。
食事が終わった頃を見計らって座敷に入ると、彼は、畳の上でリラックスした様子で、腹ばいになり、両肘を立てて顔にあて、「サクラ、サクラ」を歌っていた。
「サクラ~サクラ~、ヤヨイノソ~ラアハ~、ミワタスカ~ギイリィ~」
「お上手ですね」と言うと、
「日本ツアーに行った時にいろいろ童謡を覚えたんだよ」と答えた。
「いっぱい童謡がある中で、どうしてまたサクラなのですか」と尋ねると、
「イッツ・ベリー・ミステリアス、ユウ、ノウ?」と、マイケルは言った。
「いったいどんな樹の花でも、いわゆる真っ盛りという状態に達すると、あたりの空気のなかへ一種神秘な雰囲気を撒き散らすものだ。それは、よく廻った独楽が完全な静止に澄むように、また、音楽の上手な演奏がきまってなにかの幻覚を伴うように、灼熱した生殖の幻覚させる後光のようなものだ。それは人の心を撲たずにはおかない、不思議な、生き生きとした、美しさだ。
二三日前、俺は、ここの溪へ下りて、石の上を伝い歩きしていた。水のしぶきのなかからは、あちらからもこちらからも、薄羽かげろうがアフロディットのように生まれて来て、溪の空をめがけて舞い上がってゆくのが見えた。おまえも知っているとおり、彼らはそこで美しい結婚をするのだ。
しばらく歩いていると、俺は変なものに出喰わした。それは溪の水が乾いた磧へ、小さい水溜を残している、その水のなかだった。思いがけない石油を流したような光彩が、一面に浮いているのだ。おまえはそれを何だったと思う。それは何万匹とも数の知れない、薄羽かげろうの屍体だったのだ。隙間なく水の面を被っている、彼らのかさなりあった翅が、光にちぢれて油のような光彩を流しているのだ。そこが、産卵を終わった彼らの墓場だったのだ。
俺はそれを見たとき、胸が衝かれるような気がした。墓場を発いて屍体を嗜む変質者のような残忍なよろこびを俺は味わった。
この溪間ではなにも俺をよろこばすものはない。鶯や四十雀も、白い日光をさ青に煙らせている木の若芽も、ただそれだけでは、もうろうとした心象に過ぎない。俺には惨劇が必要なんだ。その平衡があって、はじめて俺の心象は明確になって来る。俺の心は悪鬼のように憂鬱に渇いている。俺の心に憂鬱が完成するときにばかり、俺の心は和んでくる。
ああ、桜の樹の下には屍体が埋まっている!
いったいどこから浮かんで来た空想かさっぱり見当のつかない屍体が、いまはまるで桜の樹と一つになって、どんなに頭を振っても離れてゆこうとはしない。。。」
梶井基次郎『桜の樹の下には』より抜粋。
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