【追悼】瀬地山角教授の思い出
東大でジェンダー論の講義を行っていることで有名な瀬地山角教授だが、なんとお亡くなりになったというニュースを目にした。
令和のご時世、62歳というのはあまりにも早すぎる死である。
筆者の東大時代は色んな意味で刺激的な時代だったが、駒場時代に最も印象的だった先生は間違いなく瀬地山教授である。筆者の時代はまだ今ほど男女論争が激しくなかったので、現在のように東大駒場を象徴する教員というわけではなかったのだが、それでも忘れがたいくらいに印象的な先生だった。単純に話が面白かったからだ。
瀬地山角教授は名前が珍しいので、しばしば「山角」が名前だと思われるらしい。「瀬地さんかく」という奇妙な名前である。この話を聞いてから、筆者は密かに瀬地山角のことを脳内では「さんかく」と読んでいた。ちなみに中国に行った時は「頼地山(ライチーシャン)」というニックネームにすると通りが良いらしい。
他にもエピソードが強烈だった。どうも瀬地山教授は左翼だったらしく
、「私が高校生のとき、ヒロヒトが死んだんですよ〜」と普通に言い放っていて、教室が若干どよめいていたのを覚えている。他にも北朝鮮は「朝鮮」ときちんと配慮した呼称を貫いていた。
他にも瀬地山教授は左翼に造詣が深いらしく、警察と衝突した時は公務執行妨害を取られないために手を後ろ手に組むという左翼活動家に広く伝わるのノウハウも伝授してくださった。定期的に自宅マンションに警察がやってきて防犯カードを書かせてくるらしい。これは不穏分子の動向を探るための常套手段であり、当然拒否とのことである。
あとは「東大女子宝くじ論」もインパクトが強かった。男女問わず東大出身者は必ず年収1000万に届くので、東大女子と結婚すれば生涯世帯年収は億単位で跳ね上がる。だから、宝くじを買うより、赤門の前でナンパした方が実入りが良いという話である。
瀬地山教授は関西人なのだが、標準語を東京方言と言い続けていたのも面白かった。これは左翼的ポリコレではなく、関西人ネタである。真の標準語は関西弁とのこと。以前の記事で関西の東京への対抗意識について書いたことがあるが、瀬地山教授のエピソードも元ネタの一つとなっている。
実は瀬地山教授の著書「お笑いジェンダー論」も読んだことがある。在日韓国人の女性と結婚し、娘を三重国籍にした話が面白かった。日本人と韓国人の子供であることに加え、出生地がアメリカだったので、三重国籍にできたとのことである。パスポートも複数持てるので、便利とのこと。ちなみに瀬地山教授は当然のように夫婦別姓主義なのだが、国際結婚だと夫婦別姓が可能らしく、夫婦同姓制度の欺瞞性を主張していた。
瀬地山教授の娘は美瑛というらしいのだが、これも当時住んでいた北海道に因んだとのこと。「アカデミアは勤務地を選んでいたらポストに就けない」なんて話をしていた。これもnoteにちょっと書いたかもしれないが、元ネタは瀬地山教授である。
授業で唐突にソ連国歌やイスラエル国歌を流し始めたときもあったのだが、筆者が良いと思った国歌もこの2つである。後にも先にも国歌についての音楽性が一致したのはこの時だけだ。左翼でありながら共産趣味者というのも意外に珍しい。
瀬地山教授は左翼的なところはあったが、それ以上に変わり者としての側面が強かった。東大時代のクラス会に出ても変人ポジションだったらしい。男性でジェンダー論をやっている事自体、相当な変わり者だそうである。当時は今ほど男女論争が活発ではなかったので、瀬地山教授は単に面白い授業という扱いだったのだが、今は東大のジェンダー左派の権化として一部界隈では有名人だった。
瀬地山教授は思想と行動が矛盾しているという批判を受けた人物である。まあ、そういう意見が来るだろうと思った。強烈な左翼思想の持ち主であると同時にアイデアマンでもあるので、発言は一貫しない。だから突っ込もうと思えばいくらでも突っ込むことはできる。これは筆者も似たところがあるので、突っ込める立場ではないが。強烈な主張と論理的なアイデアマンという数奇な両立が存在していた。
いつかの「彼女は頭が悪いから」のブックトークでの炎上事件もそうした瀬地山教授の一面が反映されていたのかもしれない。瀬地山教授は単に議論がしたかっただけなのだと思う。しかし、ジェンダー論客はそういう人だけではない。東大という存在は良くも悪くも社会的に強い注目を受けるので、独特の描かれ方がある。
こうして振り返ってみると、結構note記事の元ネタにしていたかもしれない。法学部時代は授業をほぼ聞いていなかったので、東大時代の授業で一番記事のネタにできたのは、たぶん瀬地山教授である。駒場時代に触れた授業は、キャリアアップの役には立たなかったかもしれないが、記事の元ネタという点では確実に役に立っている。
いずれにしても、貴重な人を亡くしたものである。合掌。


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こんにちは。瀬地山先生の御逝去、驚きました。いつも刺激的な論文等でわくわくしていました。社会学部の学生ながらあまり社会学を学んでいない学部生時代、確かまだ助手でいらしたと記憶していますが、すごい方が世に出たという印象でした。 こちらのNote.にて、より当時の記憶を鮮明にすることが…