【私の失敗(4)】駒田徳広、権藤監督と確執…代打出され試合中に帰宅(1/2ページ)

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 「監督、コーチがいないところでしか、言いたいことを言わないと思われるのが嫌でね。つい、はっきりと言ってしまいました」

 横浜(現DeNA)へ移籍して5年目の1998年、チームは権藤博新監督のもとで38年ぶりのリーグ優勝と日本一。連覇に挑んだ翌99年は3位に終わり、駒田はチームがうまく機能していないと感じていた。

 「優勝したことで、チームにいろんな色が出てきました。監督は、かわいがっている一部の選手とつるんでね。10月のある日、危機感を持つ選手会長の石井琢朗(現広島コーチ)が首脳陣と選手を集めて『チームが一つになれるようにお願いします』と話したんですよ。おれに振るなよ、絶対に振るなよと思いながら聞いていると、『駒田さん、何かありますか?』って」

 チーム最年長の37歳は、キャプテンを務めていた。

 「おれはいいよと固辞して、終わってから石井と監督室を訪ねればよかったんでしょうけど…。みんなの前で『同じ釜の飯というじゃないですか。3つも4つも釜があると、どれを食べていいのか分かりません』と話したんです。それ以降、権藤監督は口をきいてくれませんでした」

 駒田は通算2000安打に残り73本で翌2000年の開幕を迎えたが、なかなか調子が上がらなかった。6月18日の広島戦(横浜)で事件は起きた。2打席連続三振の後、六回の好機に代打を送られ、試合途中に帰宅してしまった。

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