新大久保コリアンタウン70年史・ロッテ工場からチーズハットグまで
※この記事は「海外ZINE(現・株式会社ロコタビ)」で掲載された2019年7月25日初出のコラムです。
10~20代の女性に人気、昨今の新大久保
新大久保コリアンタウンのメインストリートといえば、通称「イケメン通り」と呼ばれる細い路地。本当にイケメンかどうかはともかく、韓国人の若い男性店員が多かったことからそのように呼ばれるようになりました。
韓流が世に知れ渡ったあとは、この場所を原宿の竹下通りに例えて、「新大久保の竹下通り」と名付けた人もいましたが、ここ数年のブームで10代後半~20代女性が増え、名実ともに「竹下通り」化したといえます。同時に韓国コスメショップが増加し、流行のチーズハットグを買い食いする姿を目にします。
コリアンタウンとは、どの場所をいうのか?
新大久保コリアンタウンと呼ばれている場所は、新宿区百人町1・2丁目と、大久保1・2丁目にあたります。特にJR大久保駅と新大久保駅の前を通る大久保通りと、ハローワーク新宿のある職安通りに挟まれた路地がメインです。
このあたりはJRの2つ駅のほか、地下鉄東新宿駅(東京メトロ・都営地下鉄)、西武新宿駅(西武鉄道)に囲まれるように位置しています。コリアンタウンと呼ばれる一方で、新大久保は多国籍の食材店や飲食店が集まる、エスニックタウンでもあります。
まず新大久保駅近くには、1950年に操業が開始されたロッテ新宿工場がありました。ロッテは在日韓国人の辛格浩(日本名:重光武雄)が1947年に創業した会社です。新宿工場は2013年までこの場所で操業を続けますが、2017年頃には取り壊されて更地となり、現在は住宅展示場となっています。
西武新宿線や山手線でこの場所を通るたびに、車窓から「チューインガム」「チョコレート」と書かれた大きな看板を目にしていました。
ロッテ新宿工場の存在がコリアンタウンにつながったとは必ずしも言い切れませんが、少なからず影響があったのではないでしょうか。
80年代の新大久保を象徴する韓国料理店「武橋洞」
70~80年代の新大久保周辺は、どのような様子だったのでしょうか。当時のことを知り、韓国文化に造詣が深く著書も多い、イベントプロデューサーの佐野良一さんに尋ねてみました。
この界隈には、ソウルの地名を冠した「武橋洞(ムキョドン)」という小さな韓国料理店があり、当時韓国日報の東京支社で記者として勤務していた佐野さんは、韓国からの来客者や仕事仲間を連れて、このお店に足繁く通っていたのだといいます。
武橋洞は、職安通り沿いのアパートの半地下にあったわずか8畳ほどのこぢんまりとしたお店。歓楽街の歌舞伎町でお店を出すには家賃があまりにも高く、職安通りを一本挟んだ目立たないところにお店を出したのだろうと、佐野さんは語ります。
佐野さんはまた70~80年代の新大久保周辺の様子についても語ってくださったのですが、職安通りに在日韓国人が経営する金融機関はあったものの、韓国色は感じられなかったといいます。香辛料などを売るアジア食材店など、多国籍な要素はあったようですが、町はシャッター商店街のような雰囲気だった、とのことです。
韓流ブーム前夜の新大久保
少し時期は過ぎ、韓流前夜の新大久保はどうだったのでしょうか。2001年1月16日、新大久保駅で韓国人留学生の李秀賢さんとカメラマンの関根史郎さんが、線路に転落した男性を助けようとして亡くなった事故があり、このことは映画化され、今でも語り継がれています。
そして翌年の2002年の日韓共催ワールドカップでは、職安通りの焼肉店「大使館」の前でパブリックビューイングが行われました。「近くて遠い国」といわれていた日韓の距離が近づいてきたのは、その頃からではないかと思います。
「冬ソナ」旋風が新大久保にも波及
新大久保が韓国ブーム化したのは2003年頃。NHKでドラマ『冬のソナタ』が放映されたことを契機として中高年女性のあいだで火がつき、特に主演のペ・ヨンジュンが「ヨン様」として大きく注目されました。この頃から新大久保はコリアンタウン化がいっそう進んだといいます。
『冬のソナタ』が日本でも知れ渡った後の、2005年にはNHKで時代劇ドラマ『宮廷女官チャングムの誓い』が放映され、それも大ヒット。これにより韓国ドラマブームは中高年男性にも広がったといいます。あとから振り返るとこの頃が「第1次韓流ブーム(2003~2005年頃)」だったのです。
このブーム前後に開業し、今もなお新大久保で営業を続ける飲食店の方にお話を伺ったところ、当初はいずれも韓国人向けに始めたお店だったが、それから次第に日本人客が増えていった、と口を揃えて言います。※参考:『散歩の達人』新大久保コリアンタウン特集(2018年2月号)
かつて佐野さんも「韓国人は食に対して保守的」だとおっしゃっていましたが、たとえ旅先であっても慣れ親しんだ韓国料理を好んで食べる傾向にあります(最近は少し変わってきたようですが……)。日本で暮らす韓国人たちも本国で食べ慣れた味を求めて、ことあるごとにこの町にやってきたに違いありません。
筆者がこの界隈に頻繁に訪れるようになったのは、2008年頃でした。当時、韓国語の勉強のために交流会に参加すると、韓国人は20代の留学生、日本人参加者は中高年が多かったことを覚えています。
K-POPブーム(2010~2012)とその後
2010年初夏の休日の昼下がり、韓国料理店で少し遅めのランチをしようとこの町を訪れたところ、路地は女性たちであふれかえり、駅から離れた食堂まで満席になったことに驚愕しました。この日は東京ドームで東方神起のライブが行われており、観光がてらに訪れた人々だったのでしょう。この頃がK-POPをメインとする第2次韓流ブームの始まりでした。
同年8月に、少女時代が有明コロシアムでショーケース公演を行うことを発表すると、応募者が殺到。当初1回の予定だった公演を3回に増やし、2万2千人が詰めかけたことで一気にメディアで取り上げられました。
こういったことが新たな韓流ブームとして世間に認知されたきっかけでしたが、少女時代のみならず、KARAやその他の男性アイドルも人気を集めました。
このブームのころからは「サムギョプサル」のほか、餅の甘辛炒めの「トッポッキ」といった定番韓国料理がより広く知られるようになり、そういった料理を求めて新大久保に足を運ぶ人も増えていったようです。
東日本大震災で多くの韓国人が帰国
しかし2011年3月11日、東日本大震災が発生。それまでにぎやかだった街が、留学生や、飲食店の韓国人の従業員たちのなかには帰国する人が増え、休業が相次ぎ、新大久保一帯は一時期閑散としました。
日韓関係の悪化とヘイトスピーチ
その後は次第に活気を取り戻し、2012年夏に差し掛かるあたりまでこのブームが続きます。それが下火になったころ、日韓関係を揺るがす出来事が起こりました。
2012年8月、当時の李明博大統領が竹島(韓国名:独島)を訪問します。その頃から日韓関係に暗雲が立ち込めるようになり、翌年になると韓流ブームの反動もあってか、新大久保では連日、ヘイトスピーチが繰り広げられるようになりました。
※2013年頃のヘイトスピーチと、反ヘイトを訴えるデモの様子は以下で視聴することができます。
東日本大震災を契機として帰国する韓国人が増えるなかで、危機感を抱いた日本語学校がベトナム人をはじめとする東南アジアからの留学生を増やすようになった、ともいわれており、その後は結果として多文化タウンとしての様相が色濃くなってきました。
その一方で、ブームが過ぎて閑散としたコリアンタウンとしての新大久保を再興させようと、2015年9月には新宿韓国商人連合会が「K-Shuttle(ケーシャトル)」という無料循環バスを運行し始めるなど、力を入れはじめます。
韓流第三のウェーブと、チーズタッカルビ
その後もことあるごとに新大久保を訪れていた筆者でしたが、街を歩く人が若返っていることに気づいたのは2016年の冬ごろ。すでに10代後半から20代前半向けの女性誌では「韓国っぽ」というキーワードが見出しに躍っており、新たなブームの兆候が感じられたころでした。
このブームを代表とする料理といえば、「チーズタッカルビ(치즈닭갈비)」。これは「新大久保のお店で生まれた」という説もありますが、韓国ではそれ以前にも存在していました。辛い料理にチーズを入れ、マイルドに味わう食べ方はかねてより行われており、新大久保ではチーズの種類や盛り付け方などがアレンジされたものがヒットしたといえます。
チーズタッカルビよりもむしろ、「チーズハットグ(치즈핫도그)」と呼ばれる、チーズが入ったアメリカンドッグこそ、韓国の流行がそのまま波及したものではないでしょうか。日本に入ってくる以前から、韓国の街中でチーズ入りのアメリカンドッグのチェーン店が急増していたのです。
10~20代の若者たちが主役となった第3次韓流ブームでは、SNSを通してリアルタイムに海外の情報に触れた若い世代が、「カワイイ」「オシャレ」と感じたものをそのまま取り入れた結果、韓国ファッションやコスメなどが若い世代に選好された、という見方が一般的です。
そして最近では、新大久保のことを俗に「しのくぼ」という若者も多いとか。これは「新大久保」をハングルで表記したときに”신오쿠보(しのくぼ)”と読むことが理由。韓国語では連音化したり、長音が曖昧であるために韓国人の発音がそう聞こえることもあります。それだけ「コリアンタウン」としての新大久保という認識が定着しているということなのでしょう。
今の新大久保の姿は、ボーダーレス化を反映
「近くて遠い国」と呼ばれた韓国。ネガティブな過去もあり、それぞれの国が「日本」「韓国」の文化や国籍を隠すようにしていた時代もありました。今も政治的な軋轢はあるとはいえ、新大久保で若者たちが韓国カルチャーに触れている姿を見ると、ボーダーレス化が進んでいくことを予感させてくれます。
初出:2019年07月25日
※この記事は海外在住者と国内にいる利用者とを結ぶマッチングサービス「LOCOTABI(株式会社トラベロコ)」のウェブマガジン「海外ZINE」(2017~2024・ネルソン水嶋編集長)にて公開されていた韓国文化に関する記事です。2017年~2020年にかけて、拙記事は約30本が公開されました。
当時、個人のTwitterでRT・いいねで500以上の多くの反応を得て、公開された翌日午前中までに約3000近くのPVが発生し、その後も長くお読みいただきました。
当時の内容の変更は多少行っておりますが、最小限にとどめております。
インタビューは元韓国日報記者・イベントプロデューサーの佐野良一さんにご協力を頂きました。その後2024年に逝去されました。Web上では、記事公開後に「佐野さんの扱いが軽いのでは?」というご指摘が1件ありましたが、その語り口は長年の間、懇意にさせて頂いた関係性から再現して表現を選びました。
公開当時ロッテ新宿工場の場所は、更地ではなく「住宅展示場」でした。Web上でご指摘をいただいていたことから修正いたしました。
東京都在住の筆者としては、その後も度々新大久保を訪れております。
※新大久保エスニックタウンについては以下で解説しています。
筆者略歴
1986年生まれ。20代で韓国約100市郡を訪れ、ソウルに約2年の滞在。現地でのフィールドワークをもとに、都市環境や生活・娯楽空間を中心に広角的かつ、継続的に観察し続けています。
ライター・記者としてのバックグラウンドを活かして、韓国国内での長年にわたる取材・滞在経験から得た知見を、日本と比較のなかで、分析・整理してお伝えすることを得意としています。
都市・サービス・地域に対するコラム執筆やコンテンツ企画制作、現地調査やマーケティングのご相談などにも対応しています。
プロフィール詳細:https://www.tomhangeul.com/
お問合せフォーム:https://www.koreatravel-expert.com/contact/


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