ある日の午後。
事務所で、俺と倉本さん、そして背後に控える香名江さんの三人で、次のライブの打ち合わせをしていた。
「……というわけで、この曲のサビではお嬢様の可憐さを全面に押し出した演出を考えています。プロデューサー、あなたにしては、理にかなった案ですね」
香名江さんは相変わらずの調子で、俺の出した企画書に冷ややかな視線を送っている。
厳しいけれど、香名江さんの指摘はいつも的確だ。
お嬢様への愛が深すぎるあまり毒舌が混じるだけで、最近は俺もこのトゲのあるやり取りに慣れてきていた。
「ありがとうございます。香名江さん。そう言ってもらえると助かります」
「勘違いしないでください。私はお嬢様の輝きを損なわないかを確認しているだけで……」
そんな俺たちのやり取りを、正面でオレンジジュースを飲んでいた倉本さんが、じーっと不思議そうに見つめていた。
「……?倉本さん、どうしました?どこか気になる部分がありますか?」
俺が尋ねると、倉本さんはパッと顔を輝かせ、手をポンと打った。
「いいえ!そうではなくて、わたくし、気づいてしまいました!」
「……何に、でございますか?お嬢様」
香名江さんがいつものように問いかける。
しかし、倉本さんの次の言葉は、その場の空気を一瞬で凍りつかせた。
「香名江、プロデューサーさんとお話ししている時、いつもより少しだけ声が楽しそうですわ!まるで、恋する乙女のようですわね!」
「……え?」
俺は思わず、持っていたペンを落とした。
隣に立つ香名江さんを見ると、固まってる。
「……千奈、お、お嬢様?今、なんとおっしゃいましたか……?」
香名江さんの声が、かつてないほど震えている。
けれど、当の倉本さんは止まらない。
純粋無垢な、一点の曇りもない笑顔で俺達を追撃する。
「だって、香名江、先生がいらっしゃると、お背筋がいつもよりピンと伸びて、お顔も少し赤くなりますもの!昨夜も屋敷で『あの男は、お嬢様の魅力を引き出すことに関しては……認めてやらんこともない』なあんて、独り言をおっしゃっていましたわよね?」
「なっ……!お、お嬢様!それは、それはあくまで仕事の評価として……!」
香名江さんが、見たこともないほど慌てて倉本さんを止めようとする。
だが、倉本さんは「応援していますわ!」と言わんばかりの慈愛に満ちた表情で、俺の手をギュッと握った。
「先生!香名江は少し素直ではありませんけれど、本当はとっても先生のことを頼りにしていますの!わたくし、二人が仲良しなのはとっても嬉しいですわ!」
「あ、いや、倉本さん……それは……」
俺はどう答えていいか分からず、助けを求めるように隣を見た。
でも、香名江さんは、耳の先まで真っ赤に染まり、わなわなと唇を震わせている。
「……香名江さん?」
「……み、見ないでください……」
蚊の鳴くような小さな声で囁いた。
彼女は震える手で顔を覆おうとしたが、あまりの動揺に、自分のエプロンの端をぎゅっと握りしめることしかできていない。
「ち、違います。これは、お嬢様が……その、あまりに突飛なことを仰るからであって、決して、断じて、そのような……っ!」
必死に言い訳を並べようとする彼女だが、赤くなった顔がすべてを台無しにしている。
俺は、初めて見る彼女の女の子らしい姿に、不覚にもドキッとしてしまった。
「……香名江さん、顔、すごい赤いけど。大丈夫ですか?」
「う、うるさいです!......もう二度と、私と顔を合わせないでください!」
香名江さんはそう叫ぶと、お嬢様の手を引いて、逃げるように立ち上がった。
「あ、香名江!?待ってくださいましー!」
倉本さんに引きずられるように去っていく背中。
でも、去り際に一瞬だけ振り返った彼女の顔は、夕焼けよりもずっと赤く、そして――泣き出しそうなほど可愛らしかった。
俺は一人残された事務所で、自分の心臓が少し速くなっていることに気づいた。
「……恋する乙女、か」
明日から、どんな顔をして彼女と打ち合わせをすればいいんだろう。
俺は、床に落ちたペンを拾い上げながら、そんな贅沢な悩みに頭を抱えることになった。
お嬢様に忠実な冷静なメイドが見せる乙女な一面は寿命が伸びる…素晴らしい…