異境備忘録 -全文-
[1]序文
この「異境備忘録」は今から十一年前、すなはち昭和三年十月に十三日に発行された「古神道秘説」の附録として収載せられたのが印刷せられた初めであり、その後或る方面でそれを抄出転載せられたものがあったようにも仄聞したが、とにかく此れを普通の書物の附録として刊行したことは私共の態度にも慎重を欠く嫌ひがあったやうにも考へられ、近年の「古神道秘説」重版の際などには此れを附載することを見合せるやうに注意して来たのである。
ところが近ごろ是非とも拝覧したいといふ真面目な篤信の御方からの御照会があり、又た古い同志諸君からも此の「異境備忘録」だけを少し大きな活字にした一冊のものが出来て居ると時折拝読して信念を策動する上にも好都合であるとの御意見があり、中川宗主も同様の御意見なので非売品としてさういふものを少し拵へておきたいといふ石城山本部の御希望に私も賛同することにした。
斯ういふ種類の神祇界や、又は少し低い霊界の実消息を伝へた記録は我々の団体では大正年代以来の「幽冥界研究資料」としても種々のものを収めたものを公刊して居り、さういふものにも重要な記録が混入して居り、又た今年一月刊行した「口語神判記実」なども固より結構なものであるけれども、この水位先生の「異境備忘録」は学識あり冷静な批判力ある知識人にして、又た謫仙たる水位先生御自身の体験を自ら執筆して書きとめておかれたもので、そこに格別の意義があるのみならず、其の記録の中の或る二三節の如きは全く前人未発の重大なる世界的記録であって、容易ならざるものであることは此れを真面目に拝読する人が必ず襟を正して首肯せられることであらうと信ずる。
この「異境備忘録」の中にも余り重要でない記事もあり、又た拝覧する人をして只だ奇異の感を催させるに過ぎぬかと思はれるものもあるにあらうが、何度も其れらのものを彼此照合して拝読せられるうちには、神界霊界についての相当の認識も得られ、信仰のたすけとなるべきものがあるであらうと思ふのである。
元来この「異境備忘録」は他人に見せるつもりで書かれたものではない。まったく水位先生の心覚えに書きとめておかれたもので、篤信な身辺の二三の人にだけは見せても可いといふ位いな考へであったのであって、これを印刷すると云ふことについて、実は水位先生は当初あまり快き御承諾を下さらなかったのであるが、再三おねがひして御認諾の霊示を受けたやうな次第であった。
水位先生は暢達明快な文章を書かれる御方であるが、この記録の中には、どうもさういふ風に思へぬ箇所もないではない。
それは此の記録の中の何処かにも自ら書いて居られるし、又た他の手記せられたものの中にもあるやうに、神仙界の記録といふやうなものは相当困難なもので、筆記せられる時には筋が立って居るやうでも翌日読み直してみられるとさっぱり不得要領なものになって居たり、後日補筆しようとすると種々の故障が起ったり、記憶が掻き消されたりするもので、また記録そのものも部分的にことさらに他の或る霊気により混線したり隠蔽されたりして居る場合があって、記録者自身甚だしく不満足を感ずることがあるもので、さうしたことは私も若干体験があるが全くどうにもならぬものである。
だから此の「異境備忘録」を拝読せられる人は其の辺の用意が必要であり、みだりに軽々しく水位先生の思想能力を評価するやうなことは慎まるべきであると思ふ。とにかく私は此の「異境備忘録」を極めて貴重な文献と確信して居るものである。
このたびの此の「異境備忘録」の校訂編修等は石城山本部の御方の努力に成ったものである。
昭和十四年六月二十七日、無方斎の南窓下に於て
友清歓眞 謹記
[2] ▲
異境備忘録 水位 宮地堅磐謹述
- 鳥の嘴と足の赤きは仙界の鳥と心得べし。
- 兎また雉は幽界にて使はれ、人間に神使となりて出る事あり。
- 仙界の宮殿は屋根及び柱は黒塗にて、座敷は多く赤色なり。
- 宮殿の状にして塔を構へて五色に彩れるは仏仙界なり。
- 夜寝る時、天井は見えず大空の星の見ゆるは妄想にて眼を閉じても見ゆるものなり。
- 親戚の人の病死せんとする時に雪隠に入りて瞑目して「ハニヂの大神生死を告げ給へ」と唱ふる時、水色にて□如此物眼前に幻に見ゆる時は其病人必ず其夜に死す。
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七八歳の女、月水あるまでは天狗に伴ひ行きて召使はるることあり。又天狗界には僧侶の入りたるが最多し。
鷲、鷹、鳶の類も年経たるがありて、人をを背負ひて飛行するなり。又団扇を以て飛行する時は先を団扇の柄に付きたる眼鏡にて見定め、左右に打振り向ひて忽ち突出して僧正の先鋒をするなり。此眼鏡にて大空より見る時は幾千仞の海底の物も見ゆるなり。
- 杉山僧正、大山僧正、火衣僧正などの飛行する時は小鷹、大鷹、飛行の三印を結びて後、団扇を以て先を指し飛行するなり。
- 清浄利仙君、川丹先生、部令君、広原大霊寿真人、氷川上霊寿真童等の肉転人は幽界にて神仙界より人界へ事を告げ、或は人間より得道する者を神界へ取次する役目なり。
- 円頭にて赤衣を着け、長さ四尺許りの折烏帽子を冠とし、青袴にて黒の覆輪を取りて白足袋をはき、黒塗の木履を穿ち、太刀を佩きたるは大山僧正なり。
- 頭は白髪にして赤衣を着し、袴は大口に似て白色なるをはき、左右に二人烏帽子を着し青衣を着け白袴をはき、黄なる足袋をはき麻串を持ち、其傍に古鷲の背に山形の金色のつきて、背の左右に立上りたる色ありて坐せるは杉山僧正と其従者なり。
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少彦那大神は変化無比の神にして伊邪那岐尊の代理として大司命左定官にして常には御髪は垂れて腰に至り、十二、三歳許りの御容貌にて背に太刀を佩き団扇を持ち、青色の衣を着け給ひ、御腰の左右に幅六寸許り、長さ五尺許りの平緒の黒白を六筋づつ左右に着け給ふ。
又神界にて司命の簿籙を毎年十月九日より改定し給ふ時は御頭に金色なる簫に似たるものを二つ合せたるが如き冠を召し、其中より孔雀の尾三尾を出したまへり。左の御手に長さ三尺許りの丸き木に白玉三十二貫きたる緒の総の付きたるを持ちたまひて霊鏡台に向ひて坐したまへり。 -
大綿津見神の中にて海境の大英傑と称し奉りて御姉を龍飛様、弟を龍徳様と申して御二柱神共に海宮にて勝れ給へる御方にて、龍飛様は御歳の頃十六七許りの御容貌にて実に御面貌の美しき事比類なし。御髪は長さ七尺許りにして其御髪を風切の冠と云ふに巻付け給ふ。鈿は孔雀三十六尾の天真器を差し給ふ。魚鱗のつきたる青衣を着し給ひ、御腰に三十六の紫白の交りたる鱗形の長き緒を垂れ給ひ、龍頭の剣を佩き給ひ、龍徳様は御歳ごろは十五歳許りにして面は白きこと雪の如し。御髪は黒くまして長さ一尺ばかりなるが立上がりたり。御額に金色の鉢巻をなし、後にて結び其緒の端は長く坐上に垂れたり。御衣は黒白交りの鱗形を着し給ひ、御腰の左右に佩玉三連づつ付け給ひ、龍頭形の剣を佩き給ふ。
此二神は少彦那大神の補佐をなし給ふ御神にまして人に神憑し給ひて、諸の事を教へ給ふ御神にますなり。此二神の御愛慈を受くるときは御染筆を給はるは更にて海境へも入ることを得るなり。
[3] ▲
- 病気のときに先祖代々の中の霊の眼前に見はれて泣く状の見ゆる時は病気は平癒せずして必ず死す。我体の平臥せる状の見ゆる時は其身死したるなり。
- 神境にて人間界の塩と紙とを用ゆ。其余のものは用ゆることなし。
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仏境は其入口大なり。川ありて舟三艘岸に着きいたり。其舟にのりて其川を渡る時は大なる黒木の門あり。右の方は冥宮の館あり。左の方は松樹生ひたり。黒木の門を内に入れば大なる沙漠なり。ここを過ぐれば大海あり。其色茶色なり。其中に上の大なる山あり。躑躅の花三段に咲き、実に美麗なり。
是れ遙かに見る所にして此砂漠の岸には舟ありといへども其界の許しなければ容易く近づき見ること能はず。然るにこの山にはアララウツタラの二仏仙釈迦氏の宮ありといふ。 -
神仙界の刑法所は三ヶ所あり。一所は北に向ひ菅原道真公、武内宿禰の二霊此所を常に掌り給ふ。菅公は左冥司大之中津大兄官にまして武内宿禰は右刑司中津大兄官なり。一所は南に向ひ、右の一所と川を隔てて向会ひたり。此所は大国主神及び少彦那神の代命事代主命掌り給へり。一所は大なる杉林の中にあり。此所は神霊等の大罪によりては霊魂をも消滅する刑場なり。武甕槌神の掌り給ふ所にして神界の兵器などあまた飾り立て、其厳重なる事言語の及ぶ処にあらず。此所の殿は黒塗にして皆神等も黒衣を着し給ひていといかめし。
さて此所は日光の及ばざる所にして蔭地なり。如何なる訳にや裏門を消却門といひて、支那国の顔真卿其門番に坐せり。 - 本は日本の産にて支那の仙界にある者は役小角、橘広継、常陸坊海尊、聖徳太子、大津皇子、菊岡文坡なり。然るに役小角と聖徳太子とは其本は仏仙界にありしを仙界に遷りたりといへり。
- 大空を飛行するには三道あり。第一上道を飛行するは皆尊き神等にて只金の如く光りて其状は見えず。第二中道は神使道といひて諸の幽界の使者の通行する所なり。第三下道は天狗界の通行する所にて諸国の大社の上をばよけて行くなり。右之三道は空中の気によりて別あり。
- 日本国の深山にて御舞台と唱ふる所五ヶ所あり。各御舞台と唱ふるは方一丈の岩なり。毎年六月十五日茯苓、松脂、生蜜及び人間界の糧煎を交へて青竹に入れて御舞台の岩下中央に埋め置きて十二月大雪の時に俄に幽界に入りたる人等、其所に集りて八丈笛を六七人もして吹き、歌を謡ひ天女御舞台にて二人舞ふなり。舞終りて彼の埋め置きたるものを取出して分配して各々別るるなり。其埋めたるものの色は鼈甲に似たり。
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幽界は八通りに別れたれども、又其八通りより数百の界に別れたり。然れども宇内の幽府は第一に神集岳、第二に万霊神岳なり。数百の界の中に奇なる界あり。
其界は婦人多くして男少し。婦人の衣服は美しき獣の皮と孔雀及び美麗なる鳥の羽を交へて作るなり。其美しきこと舌頭の及ぶ所にあらず。面貌も皆極めて美なり。玉門の形は椰子を見たるが如き物出て、時々其口を開きて火気を放つ。されど物を焼くことなし。食物をも其玉門に入れて炊ぐなり。時ありて出せば煮えたり。其物をもて食するなり。男は皆先祖の霊を祭るを以て家格とす。衣類は大蛇の皮及び獣の毛皮を以て作りたり。男茎はいかなる形なるか愧じてあらはさず。此界は地球中の人の如く生死あり。上古より気道絶えて日本の明治五年までは通行絶えたるを大幽府の改革によりて気線を通じて幽界に入りたる人は往来せり。 其界の事は今より後に幽界へ出入する人より詳なる事も必ず聞え来るべし。
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- 杉山僧正を天狗と余が呼びし時に僧正が「我は天狗の主領にして天狗にはあまた通りあれども我界にては鷲鳶の年経たるを天狗と呼びて、人間界より来れるは皆山人とのみ呼ぶなり。我嘉永年間までは杉山僧正と呼びしが、故ありて杉山清定と改めたり」といへり。
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日本国にて真の天狗界にて下賤の天狗を掌領したるは二百十天狗なり。是は皆名高き天狗にて過半は肉体は消滅して霊魂のみなるが多し。其中には神界の川丹先生、清浄利仙君等に頼みて大玄陽生延気定期下符を司命官より授かりて、五百、六百、千歳と年齢を定めたる符を肉体に掛けて高山深穴の中に体を止め置きて霊魂のみになりて世を渡り行く随に、其定期の至りて其体に霊魂の入る時は三十七日の間に其体は消散して蝉の脱けたるが如くにして霊妙なる体を具足するなり。又定期下符を祭りて我定命と考へ、心に浮び出たる年数を書き、下符と共に封じて祭るもあれど、其期至らば身体は死して霊魂のみ残りたるが最も多し。
霊魂のみは日々の行ひも少なけれど、肉体にて新参者は棒太刀石打投矢などと稽古を致さしむるなり。此太刀は桃木にて作り、表裏に彼界の文字を神代文字と唐土の文字を交へて彫付けたり。 - 天狗界にて悪魔を払ふには桃木の剣の中空にして孔雀の頭の毛の入りたる刀なり。 又仏仙界にて悪魔を払ふには鶏冠石と雄黄を梅の肉にて煎じつめたるものを丸子となして擲ち掛くるなり。神仙界にては桃枝を割りて中に狼の歯を粉にしたるを入れて用ゆ。
- 神仙界又天狗界ともに玄胎とて肉体の異なる体に転じたるは剣玉鏡下等幣に我が生霊を止めて年に六度は丁寧に祭るなり。其祭祀の法は寒暖によりて異なり。
- 天狗などに抓まれたる人を還さんとするには風神志那津彦神、志那津姫神、並に風神御使早馳神の荒御魂を祭り祈る時は其人乍ちかへるなり。また言伝神と申してもよろし。
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神仙界に始めて入りたる時は尊き神等のお側近く参りて御慈愛を蒙る事もあれど度々参出る事の重なる毎に其御界の掟など漸々に知るが隨に遠ざかり後には御側近く参る事も尊き御位に恐れ、且つ其御掟によりて近くは参る事かなはざるなり。此界にては人間の位は役にたたざるなり。御側近く参る程は天地開闢よりして後の絵巻、諸の真形図、八散結界八定秘中霊文八散後運八会上下秘文を始めて古今神階列図など題したる物を拝見する事も得るなり。然るを我が神仙の位階定まりて容易く拝見し難きは更にて其題名をだに拝聞する事かなはざるなり。
始めて神仙に伴はれ参る時は其御界の掟をば少しも知らぬものにしあれば、必ず奇妙の霊物を拝見する事多し。又位階定まりて後は上古より今日に至るまでのこと、又天地間にあらゆる物及びその理をも明かに極むる事は更にて自由自在なる事も其御界にある中は侭なれども人間界にかへりては一ツも自由ならず、其御界にありし程の奇妙なる事は忘れ果てて人間に洩して閊なき条のみゆめの如くに覚えたるものなり。 -
万霊神岳の神仙等には日本支那諸国の人霊の役員の数多ある中に日本産の人にては日本武尊、万里小路藤房、楠正成、和気清麿、豊臣秀吉、此五名神は右察官中にて勝れたる御役に坐して仏仙界と沸騰を生じたる時に神兵を繰出し給ふ時の御役目にて度々戦争のある毎には軍大将として川丹先生に令を下し給ふ事多し。
其命令の出づる大元は神武天皇の坐す左察判鑑よりして退妖官に告げて発するなり。此外日本産の人霊あまたありて其数幾千といふ事を知らず。右の五神には各々位階あるなり。
此役員中にて支那人にては諸葛孔明右察官中の元点密といふ役に坐せり。これは最もよき官なり。 - 万霊神岳記録官には支那日本の学者等五千八百神坐せり。其従官七十二万二千十三なるよしなり。此界の主領官は少名彦那神に坐せり。
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墓所は其死者の魄霊の常に住む所にして魂の幽霊となりて出現する時は必ず其墓にて魄霊と合ひて人形を作るなり。墓所を畑として人糞など不浄物の穢を掛くる時は魄霊の魂に合する事難し。如何に恨ありとも其念は達する事あたはず。其不浄物を除き去りては人影を調へることあれば憤を達するなり。
又霊魂の魄霊に合して久しく墓所へ帰らざあればつひに其所に帰る事能はざるものにて、別に祠を設けて鎮祀せずんば浮遊の霊となりて幽中に迷ふものなり。 - 幽霊の火となりて見はるる時は近寄り見るに瞑目して窺ふ時は其火人面の如く目口を備へたり。火にて見はるるは多くは魂のみにて其望事ある時は其言語は声に見はれずといへども其言語の自然と我胸中に知れるものなり。
- 現界にて刑に罹り首を刎ねられたるは幽中の掟によりて幽霊となりて見はれ出る時は現世にて首を刎ねられたる首無の形にてあらはれ出るものなり。着したるものとても亦同じ。
- 人は死に臨むが一大事にて其時の心の置方によりて死後に霊魂の鋭と鈍との差別及び行先の尊卑もあるなり。
- 人死して霊魂となれば変形自在にして禽獣蟲魚の形をも思ふがまにまになれるものなり。
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神仙に伴はれて行くときは其志し行く所の界に至りて漸く其界に来れる事を知りて、此地を離るると其界に至れるとの中間は知れざるものなり。是は神府の御掟にて脱魂して伴はれゆく時は其中途は知らざるものなり。又肉体にても天狗などに伴はれて始めて飛行する時も其中途は多く知らざるものにて目を閉ぢさせて後、大なる鷲の年経たるに背負はして飛行するなり。久しく此の天狗界に入りたる人は鷲などには乗らず、先鋒して団扇を以て行く僧正の徳によりて自然に後に引かされて行くなり。
又神仙などに伴はれ霊魂の脱して行くことの数度重なりて後は幽界通行判鑑証を給はりて後は肉体のままにて参る事あり。されど我侭にて何時にても参る時はかなはざるなり。参る時は其月日を定めて伴ひ行く神等、或は神使の参られて其時に伴はれ行くなり。
其時は二様にて一ツは近き山へ伴ひ給ひて其山を歩み行く随に漸々に草木も異なる状に見え、又人家も此世とは其作状に違い、道端の草花も時ならぬものも見つつ行くに任せて何時ともなく神界に至れるなり。又帰る時も自然と本登りし山に出で来るなり。一ツは屋根に登りて神等の上天秘文とて十二字の語を唱へ終りて○○と呼び、手を結び人指ゆびを立て其指の間より息を三度空に向ひて吹く。其時左足を挙ぐれば綿を踏むがごとくおぼゆる随に、神等の神威につれて自然と体の空に上る如くおぼえ、山は青黄色にして海は月の如く光り、漸々に登り見れば北の方の大空より蛛の糸に似たるものあまた人家に下りたり。又登りて見れば地は丸くして月の如く光り、又別に月の見えて何れを真の月とも定めがたし。
又登るほどに下に見し地球を上に見る様になりて其れよりは又下る心地する程に神界の中の海岸と思ふ所に着くなり。但し此界に至る間は絶気の所と生気の所と幾重にも重なりたり。 - 仏仙界を見たく思ふ時は神仙等に願ふ時は眼前に其界の状を現じ、又古の合戦の有様なども現じて見せ給ふなり。また真に仏仙界に伴ひ給ひてそのさまを見せ給ふ事もあり。 又少名彦那大神、龍飛命、龍徳命、川丹先生、清浄利仙君等に伴はれたる時は何所の界にても行きて見ることも自在なり。
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神仙界と仏界とは大いに差別あれども神仙界へ□へるもありて、常には中悪しきことの無きを神仙界を脱して仏界に入り、仏界を脱して神仙界に入るものある時、且つ現界の人死して十一月八日頃に神仙界に各々の霊魂上昇せんとする時仏仙界の者前に廻りて仏仙界を神仙界と偽り見せて誘ひこみて、其霊魂に先祖代々の霊魂も此界に止まり居るとて其死亡せる親戚の者の形を幻に作り見せ、且つ其朋友の死したる形を見せて無理に其仏仙界の大門に引込みて忽ち門を閉ぢて再び出る事の難き様になして其後に女は右手、男は左手の掌に赤き印を押す。其時に□に此界を偽りて其印証を受けずして遁れ出で、真の神仙界に入りて其由を退妖官に告ぐる時は神仙界より神兵を繰出して征伐せらるるなり。されど戦酣になりては霊魂を互に消滅せらるるものなり。大抵三夜位の戦にて大川を隔て一方は山上より奇なる兵器を以て戦ふなり。竟に両方より尊神出て仲裁となりて其戦争も中途にして止まるなり。
日本国明治四年十月には過半仏仙界を征伐して大功業ありしと聞く。然るに明治十九年頃より十一月八日に神界にでる霊は集り合併して一つの火燐となりて参るなり。されど年々はなし。多くは地中の幽冥界と墓所などに止まり、或は放火山に退けらるるもあるなり。
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- 仏仙界の冥官九仙の中に羅喇大王といへるは此界の大豪傑と称して髪逆立ち鬚毛面を掩ふ。其毛三方に角の如く分れ、其長さ二尺余りに見え、右手に常に大剣を握りて衣は龍形の大紋あるを服し、眉間に眼鏡に似たるものを以て竪の□を作りたり。其光りに多くの新参の霊は平伏恐怖するなり。其面貌畏くも武甕槌神に似たり。其体は武甕槌神より少し大なり。経津主神は何れの界に入りても拝み見たる事なければ此神の御容貌は知らざるなり。
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神仙界に入る時は四門を過ぎて清井門といへる処にて銭転証といふ紙札を十五枚より十八枚位授かるなり。一枚は日本の十銭位にあたるなり。それを以て此界の商家とおぼしき処にて諸物品など買求むるなり。されど其界のものは一も取り帰る事かたし。其中に松実とて松の若木あり。其松は人間界の松と異にして其葉短く大にして平かなり。其葉の間に水晶色にてすき通りたる大さ大豆の如きものを生ず。其味ひは餅に砂糖を交へたるが如し。此実ばかり十二三粒は持帰ることも三四度は許されし事あり。
偖右の銭転証或は十五枚授かりたる時は十枚遣ふとき残りの五枚は帰る時清浄門の役官に返すなり。さて此界に帰りて後は三日の日の立たぬ間に常には役に立たぬ器のいと欲しくなりてあけ暮れ、其役にも立たぬ物の欲しさ止まらず五十銭の価のものをも一円にも買ひて損耗をするなり。神界にて遣ひたる銭は現界の銭に及ぶものなれば心得置くべし。又神界にて賞典に授け給へる銭転証に限り現界の銭に障なし。 -
明治十一年五月二十五日に我長男清明といふもの四歳にて病死す。其夜俄に我子の霊魂の何れの界に入りたるにやと大に気遣して諸の界に入りて尋ねけるが何れの界にても見えざりければ仏界に入りて尋ぬるに、此界の入口の左の川原に松樹あまた生ひたり。其処に童子数十人血の付きたる白きものを頭にいただきて遊び居たり。此童子の中に我子は居つらんと一人毎に改め見るに此所にも我子は居ずて帰りたり。如此童子の頭に戴きたる物は此界にて故ある事なり。それより埋葬もすみて五十一日に遷霊の式を行ふ時に我子の形を一寸現はしたるを見たり。それよりして又神仙界に尋ぬれども、汝の子の霊は此界へは来らずといふ。
何処へか行き迷ひつらんと思ひかへりて日を送る間に、我従妹の濱田嚴彦といふへ嫁したるが、其後奇病を発して腹中を苦しみて殆ど命もあやふく見えける。折しも嚴彦の父往に死にたりけるが神憑りして我に嫁の命乞ひを司命神に祈りくれよと切に望みけるによりて、其事を諾ひて少名彦那神に願ひしかば病も漸々に癒えたり。其後日を選びて快気の祝ひをなし、天神地祇を祭りて酒宴を設け、人々を呼び集へて賑ひたり。其時も招きに応じて参りけり。
それより七日の日数を経て、余が子清明の形を縁前にて従妹の見付けて問ひけるは「何とて来れるや」といへば「我あなたの御快気の祝ひに就きては諸社神等に少名彦那神へ御案内に参り、其時神々様を始め数々の神霊等来り給ひてせり合ひていと面白くありたり」といへり。従妹云ふ「此家に形をあらはし来る事の出来れば汝が祖父母親の家にはなど到らざるや」。清明云ふ「我家へ到る時は祖父母の我形を見ば泣き悲しみて現世にてありし事どもいひて嘆きを重ねん故に到らざるなり。我居る処は神界なれども其界の掟ありて親には其居所を語らぬなり。時刻うつりたり。此事を祖父母親に告げ給へ」とて消えたりとぞ。其後も従妹の家へは三四度も来りしと従妹より聞けり。 - 明治十一年七月九日の夕、神界へ参る砌り大空より怪しきものの通行するを見たり。裸体にて仰面になりたる人の身長二十間もありしと思ふばかりの男を数百の鬼形なる者の担ぎて乾の方をさして勢ひこみて馳せ参りたり。伴へる神に問ひきければ「こは魔神のなすわざにて大人と見ゆれども悪気を以て人形に結びたる物なれば、その気に触るる時は必ず流行病を受けて病死するなり。虎列羅病などを流行せしむるもあの魔物の禍なり」と指し給へり。其見たる時は身の毛もよだちて恐ろしさいはんかた無かりき。神仙に伴はればこそかかる魔物も肉眼にて見る事を得しなれ。
- 大空にては最細字たりとも見ゆるものにて闇夜も尚昼の如く覚ゆ。
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大空を過ぐる時に俄に大風の吹き来りければ余を伴ふ神の「今此処を神鳥の過ぐるなり。よく見よ」と宣ふ程に、風荒くして耳を切るが如く烈しき音して上の方より斜めになりて五丈ばかりの大鳥其色雉の如くして胸前に黄金色の輪の形ありて光り甚し、頭は孔雀に似て冠あり。支那国の仙界にては天雞と呼ぶなり。上等の団扇は此鳥の尾にて作る。天狗界の団扇は鷲の白尾に深山氷翠の羽を以て作ると申し給へり。
此鳥、目をとどめて見ること難ければ鳥の背の色は如何なるや知らず。其鳴く声も知らざるを後に聞けば、背には違羽とて二枚行違ひたる羽あり。一に風切羽ともいふ。鳴く声は鶏に同じくして大なり。地上にて昇天したる鶏は数百此鳥に随ひて行くことありとぞ。
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古鷲に乗りて杉山大山二僧正の先に立ちて行く時、風無くして息の出来がたき空に至る時は鷲の翼の両脇より風切り来るなり。是には術あることにて、そはある年三月三日の朝、杉山僧正の部分には古鏡を八面榊の枝にかけて伊邪那岐尊伊邪那美尊を祭りてありける時に、酒豆腐の饗応にあひたる時「明日は月界に伴ひ行くなり。其行く時の法は秘してありしが、人間より七八歳の時来りたる高山寅吉に空中の絶気の処を通るを近年をしえたり。川丹先生などの空行せらるる時は其術は用ひ給はざれども○○神とて風神の御使の霊の常に添ひたれば術は用いずして息も自然と出来るなり。
我界にては人を伴ふ時は其人を鷲に背負はせて翼の左右の脇に挟せ給ひ置く物あり。見置候へ。寅吉よ、彼の用意をなし置け」といひければ、寅吉立ちて岩間の小き淵を節をくりたる竹もて探りければ、泡立上がる。其泡を白く薄黒き袋にとり入れければ、自然と其袋大きくなりければ、又竹を入れて○○神と唱ふれば水面へ火の如き烟立上る。又其袋に入れて口をしめたり。寅吉に「我に其袋を見せよ」と云へば「此袋を術なくして持つ時は袋に引上げられて絶気の天までは自らに上らるるなり。手を放せば空に飛ぶ貴殿には渡すまじ」とて渡さざりけり。
翌日伴はれ行きし事又彼の器の絶気の所にて使ふ法はおぼえたれども、此界の秘法なれば洩しつ。 - 天狗界なる寅吉は二百歳なる定期あれども、此頃肉体をば錬形の法を以て練り消し、今は霊魂のみなり。島田幸安、栗山長四郎、幽名雪岳などは未だ其肉体を存したり。然れども肉体なるも霊魂のみなるも皆同様に見ゆるなり。寅吉が体を撫で見るに現世の人体を撫づるも替る事なし。
- 明治八年六月十六日の夜、川丹先生に伴はれて信州の空を通行する時に浅間山の方より黒き気にのりて西方に向ひて過ぐるものあまたあり。川丹先生に問ひければ「現世の罪を亡ぼさんが為に浅間に集ひて除罪の式を行ひて帰りける僧侶の霊魂なり。第一に行きけるは釈日朝、第二無住法師、第三西行法師、第四沙門景戒、第五釈空海、第六一休和尚、第七親鸞上人、第八沙門師高弟九実海法師、第十虎関禅師、第十一釈安然、第十二釈了意、第十三彦龍蔵主、後に従ふ。僧形のもの数十は其従へる者の霊なりとぞ。皆川丹先生に一拝して過ぎたり。
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川丹先生は一名玄丹大霊寿真人といふ。本の産は朝鮮国といふ。神仙界にて尊き位に坐すなり。年齢は明治元年迄二千十六年になりぬと云ふ。容貌は三十四五歳に見えたり。支那国の仙界中督吏官許真君によく似たり。ゆえに見まがふ事あり。
川丹先生の悪魔射攘弓矢とて梔木と桑木とを合して二十三所かつらにて結び、五元の神名を飛天の文を以て彫付けたり。長さ七尺一寸なり。矢は小竹の節を貫きて胆吹山の蓬を中心に入れ、羽は雉尾に鷲尾山鳥の尾を用ひて三羽に作り、桃枝を矢の根とせり。此根の仕様は□如此なり。何れの家にても此矢を作りて置く時は悪魔の害なしとぞ。 -
少名彦那大神の支那の神仙界へ奉迎せられ給ひし時、諸神の随行せられし中に川丹先生も随行の一人なれば、余も亦川丹先生の随行となりて参りたる時、彼界にて諸真形図並に符文数多神代の霊法及び宝鏡十一面拝見し、其上に女仙の舞を四番拝したり。右宝鏡十一面の三面は天竺上代のものと云ふ。八面は元始天尊の天神に命じて鋳さしめし物といふ。
又右符文の中には太元生符甲部のみ諸符中に交り入りたり。川丹先生の右の符を改められて「此太元生符甲部三十二符中第一籙より第八籙迄は惜哉、模写せし符にて実用には立ちがたし。少名彦那大神に御染筆を願ふべし」と云へば、彼界の神仙等慇懃に礼して願ひけれども、肉体の仙にあらざれば実用少しとて書き給はざりき。此少名彦那神を地上左部東海大司命青真少童大君と称へ奉れり。
川丹先生をば諸葛大武亨司真君と称へ奉れり。此御名には神界に故ある事と常に聞き及びたり。老子などは此界には居坐さず。此界にてちらと見えしは南陽張機先生なり。周の文王孔子なども此界には居坐さぬなり。 - 神集岳の官属の中にて、余が川丹先生に問ひて知りたる霊魂のみの神等は記式官三百神の中にては百済川成、舎人親王、菅野真道、太朝臣安麿、水戸西山、源順、斎部広成、小野篁、大江匡房、谷川士清、林道春、契冲法師、加茂真淵、本居宣長、平田篤胤大人等なり。此神等は各位階異なり。
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宇内の大評定の時は尊き神等は更にて諸の幽界より三人宛其界にて勝れたるは万霊神岳に集会するなり。日本人支那人天竺人西洋人種々様々衣服など異なるが参るなり。何れの界の言語も此界に入る時は聞分けらるるなり。会議決定しては神集岳に其決議書を奉る。かくて少名彦那大神、八意思兼神、大国主神御一見ありて、天照皇大御神、伊邪那岐尊も一見し給ひ、上極皇産霊神に御使を以て右の決議書を奉るなり。されども皇産霊神の其許へ参らずして其代命を受持ち給ふ天照皇大御神の御許にて多く御許可になるなり。
偖又幽界にも争闘ありて幽中の乱状によりては自然と現世にも及びて日本に及ぶと支那に及ぶと西洋諸国に及ぶとの差別ありて、関係せる現世の国は一年も俟たずして忽ち戦争起るなり。幽界の改革もすべてかくのごとく関係したる現世の国々に必ず及び来りて自ら改革あるなり。
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悪魔界へは一度の入りたる事なし。されども此界の魔王どもは見たる事あり。第一を造物大女王といふ。面貌は白く眉長くして黒く、唇は黄色にて身長一丈ばかり。髪は二尺位立上りて後に折曲して三方に散別して腰にいたる。天地開闢の際積陰の悪気凝結して此女王となりしと云ふ。第二を無底海大陰女王といふ。面色赤く唇青黒く髪赤黒くして棕梠の如く、身長七尺許りにして形痩せたり。第三を積陰月霊大王といふ男なり。髪長く鬚長く、素襖に似たるものを着たり。第四を神野長運といふ、第五を野間閇息童といふ。第六を神野悪五郎月影といふ。第七を山本五郎左衛門百谷といふ。第八を焔野典左衛門、第九を羽山道龍といふ。第十を北海悪左衛門といふ。第十一を三本団左衛門といふ。第十二を川部敵冥といふ。是れ皆悪魔の棟梁なり。此余は西原金才、高野彭九郎を始めて皆髪は針の如く、手足は熊の毛の如き物生ひたり。衣服は皆破れたり。是等の者幾百もあり。
右第四魔より第十二魔神迄には皆髪逆立ちして長上下に似たるものを服したり。此の十二の魔神は常に形を変化する事をなさず、西原金才以下の魔は種々様々の形をして半身、或は三目、或は四手一足、或は無音大足、或は横面大口、或は大頭一大目と種々変化して異形を見するなり。異形するは皆賤しき組なりとぞ。余明治十三年七月十九日の夜に魔神行列して空を通行しけるを川丹先生と共に見て、右の名をも聞きてやがて書付けたり。
後に川丹先生に魔の住居を問ひけるに「右十二の魔神は各々所を異にして眷属を置きたり。中に三本と神野とは住所同じくして天下の人民に災害を与ふるなり。然るに此魔界昔分列して二界となり、其界の主領は西端逆運魔王といふ流行病などは此界の仕業にして、明治十一年七月頃汝に教へたりし魔は此等の部内なり。此部内の魔の災をなすは日入頃に多くして日の出る前には立去り、又夜分を窺ひて来るなり。西端逆運魔王は地球中西方の極の積濁中の悪気に生じたる霊なり。然るに魔王といふものの中にては神野長運以下の魔神は吾が法を以て行ふ時は忽ちにして退くといへども、造物大女王一名窮利易子、無底太陰女王一名比衛子督等には空中にて出逢ふ時は清浄利仙君を始めて吾と通路をかへて遙側をよくるなり。此二魔どもは中通りの神等より其勢百倍も甚し。此等の魔には近寄らぬがよろし。またこの界より別れて一の魔界となる其主領は前三鬼神、飯綱智羅天、後天殺鬼なり。此三鬼の中にて前三鬼は仏界より入りたるを掌る。飯綱智羅天は天狗界より入りたるものを掌る。後天殺鬼は悪逆にして諸界を退けられし悪霊を掌る。右の魔神の界は吾等が住める神界の為には大敵とす。人間界の者の恐るべきはかかる魔物の妖なり。」
右のもろもろの魔物は住居と定めし所はあれども、多くは空中を往来するものなり。但し智羅天は天狗に入りては十二天狗の中に居ず。 -
明治十五年六月三日、川丹先生に伴はれて本国○○郡○○村○○といふ淵に至る。先生前より落つる滝に「天上気道一億万。地道海通十二万。天気地気水気。水霊総官海龍王之代命陰陽上下之靇神」と声をかけ拍手して「武亨十三等諸葛川丹海官○○命之伝命に依て到着す。従者一人」と申し給へば忽ち波逆巻立ち落つる滝水逆流して青き火炎数十燃え出たり。暫くして四方一面の雲霧となりて咫尺を弁ぜす時に川丹先生我手をとりて来れとて従ひけるに、逆に下る事十二間位と思ふばかりにして東の方と思ふ所に向ひ行く事又三丁ばかりにして美麗なる宮に至る。其時衣服を改め見るに濡れたる所なし。玄関と思しきに我を止め置きて内に入り給ひ、暫くして小き筥を携へて玄関に出給ふ。其後方に十七歳ばかりなる美男、黒き衣を着し、十五六歳なる美女白衣にて見送り給ふに川丹先生、我に向ひ「何も言語は出すことなかれ」と宣ふ間になま臭き気紛々として此宮を出で、南と思ふ方に向ひ行くこと一丁ばかりにて「此ものに乗れよ」と宣ふに、見れば大なる材木三本蔓を以て五所ばかり結びたり。それに乗れば漕ぐ人もなかりしにきびしく流れゆく思ひをしけるに暫し時遷りて「目を閉ぢよ」と宣ふ。仰せに従ひ行く間に「此材木の蔓を確と握り居れ」と宣ふに材木の逆になりて上る心地しけるに「今目を開きて見よ」とて目を開ければ大平海の上に出て目に見る物とては一物も無かりき。
其所を立ちて二十間ばかり空に登りて川丹先生海上に浮びたる材木を見掛けて佩刀と抜きて肩にかけ、何か口中に唱へ給ひて其刀を上段に振り上げて下し給へば、材木を結びたる蔓忽ち切離れて三方に別れ、浮々として流れ行く。それより刀を蔵め給ひ大空をさして登ること暫くにして又斜めになりて下ると思ゆる間に紀州熊野の山中に着きたり。其時に件の筥を開き給ふに経四寸ばかりの青黄色なる玉と径五寸位の鱗三枚入りてあり。暫くして夜已に明けて鳥の声の聞えければ、先生我耳に一枚の鱗をあて玉を以て鱗に添へけるに烏の鳴く声の人の言語の如く分明に聞えたり。
それより此所をたちて南に向ひ、海上の空を行く事暫くにして止まり給ひ、腰より筆をとり出し給ひ、白絹に似てすき通りたる物に何か認め給ひ、彼の筥に結び付け給い、佩刀を抜きて逆にして海面を探る真似をして何か唱へ給へば大渦俄に巻き、大なる穴海面に開きたり。其下を見るに金色なる物きらきらとして何物とも見定むる事能はず。其穴を見かけて件の筥を投げ入れ給ふに又忽ち平なる海面になりけり。やがて刀を治め給ひて其所を立ちて其日の夕方に我家に伴ひ送り帰し給へり。
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天狗の日本国に其名高きは天南坊は○○○○、大郎坊○○○○○、歓喜坊○○○○、普賢坊宇治左大臣、三密坊獻山法務大僧正、火乱坊は三井寺頼豪法印、光林坊鎮西八郎為朝、東金坊は六条判官為義、是を八天狗といふ。又東金増源義経、元参坊悪源太義平、延山坊平将門、密角坊は能登守教経、青胆坊平知盛、歓天坊新田義興、寒栄坊柿本人麿、転州坊篠塚伊賀守、是を九岳後天狗といふ。又愛宕山には太良王子栄術天狗、江州平野山には二良王子栄飛天狗、信州戸隠山には三良王子智羅天狗、駿河国富士山には四良王子尊足天狗、加賀国白山には五良王子通達天狗、熊野山には六良王子智吉天狗、出羽国羽黒山には七良王子命師天狗、伯耆国大峯山には八良王子仁命天狗、信州秋葉山には九良王子飛頂天狗、甲斐国金峯山には十良王子道仙天狗、同国天目山には千眼大莽足天狗、是を十一天狗といふ。是に象頭山金毘羅釈女及び善月光華大天狗を添へて十三天狗といふ。此中に釈女を以て主領とす。釈女は十二天狗の形を一人して現ずるの徳あり。
また奥羽にては東郎天狗、東烈天狗、安倍貞任、同宗任なり。九州にては西釈天狗筑紫五郎、阿波国にては南波天狗、玉良天狗、忌部義清、同時成、出雲国にては北角天狗、伊予国にては大羅天狗、飛郎天狗、此三の天狗は其名しらず。又三火坊、城石坊、西岳坊、九穿天狗、龍豪天狗、五精天狗、東元天狗、義泉天狗、参平天狗、霄令天狗、臨明天狗など云ふは右の十二天狗の中の異名なり。又常陸国にては十三天狗過半は僧侶の化せるなり。杉山僧正、立山僧正、長楽寺慧慶などは此中にあり。常には岩間山と云ふに住めり。同国加波山には五十六天狗あり。其中には将軍太郎良門、稲葉五郎実時、樋口次郎兼光など其中にはり。又山城国鞍馬にては右の八天狗並に十八天狗あり。此中には大山僧正弓削盛久、藤井大僧善長、剛清坊源頼朝などあり。下野日光山は十六万の天狗住めり。此界の天狗は如何なる故にや鰹節、田螺、海鼠を好む事あり。
又魔界の中にては天狗といふは天狐、老魅、魑魅、土公、大歳、狗賓子、愛魔天狗、媱魔天狗、罪魔天狗、行魔天狗、悩魔天狗、蘊魔天狗、天魔天狗、魔鬼天狗、大災天狗、釈魔悪鷲天狗などいひて賤しき中にも人間の位の如き位名を各々つけたり。此中には大納言また芝空三位など云ふ名もあり、また天狗中にて居住する処の入り替りもある由なり。
偖又此外に支那西洋にも天狗幾万といふを知らず。支那には上代よりの天狗多し。又鷲などの化せるは何れの天狗界にも多し。此は使用に置きたるなり。鷲天狗は其形嘴長きは雄なり。短きは雌なり。嘴色先き黒く眼の方へかけて紺色、眼は黄赤く大く、眉間は薄紅にして毛なし。聊上に猪の怒り毛に似たる毛数十本生ひて自然と眉の形をなす。頭上には角に似たる立毛あり。耳の穴より長き毛数多さし出たり。腹の毛は鼠色と白色と黒色と交りたる中に黄色の点あり。翼は大く長く鼠色にして金色の山形あまたあり。背に上に向ひて牛角の如き左右に立ちたる毛あり。尾は白と鼠色と交りたり。足は青くして足裏は黄色なり。此天狗どもは人化の天狗に頼みて毎年五月十五日に幣串を立て素盞鳴尊、天日鷲尊を祭るなり。 -
悪魔の中、尤も下界を罰霊界とて悪魔中の上等の界へも仏魔の界へも入る事を許さざる苦界あり。神界仏界何れの界にても極めて積悪無類の者は此の界に謫せられて出る事を得ずして尽きざる苦みとて一日に二度、一夜に三度づつ受くるなり。此界に支那国の産にて死後の霊魂の入りたるは九十三名、此中にて三十六霊は最も苦みを受く。日本国の産にては七十八名、此の中にて蘇我馬子、蘇我入鹿、北条高時、北条義時、足利尊氏、弓削道鏡などは尤も苦を受くるといふ。天竺の産にて百六名、西洋各国の産にて六百四十九名、此外主を害し、父を殺せし者の霊数を知らずと川丹先生万国のことごと其入りし人霊の年暦月日其名をも誦唱し給ひ、神界の年号と其界の年号と日本現世の年号とを比較して教へ給ひしかど、多端の語にして闇知もなし得ざるなり。されば其界に入りたる人霊の名をさへに多く忘れたり。
然るに我に諸の界の掟、又は其界にて行ふ業も毎々教へ給へる中に「恐るべきは宇内の幽界の毎々改正あり。其際を大に気使ひて心安んぜざるなり」と宣ふによりて、「それは如何なる事のありや」ととひまいらせしかど「こは幽府の掟によりて汝等には告げ聞かされじ」と語り給はざりしが、「近き年には日本にて身終る者ありて右の苦界に堕落する者も四名ばかり退妖官中の死籍簿籙にて見ゆ」と申されき。
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高山白石平馬、又定元知坊とも云ひて杉山僧正坊が随従の一人にて寅吉の事なり。此者の招待によりて我を迎へけるに団扇を振りて空に登りけるは通常の事なるが、大空より常陸国を団扇に付きたる望遠鏡にて見定め置き団扇を以て其国を指して行きたりしに、ねらひ外れて信州妙義山の側の樹木茂りたる天狗の住める山中に来りたるに、十七天狗の出向ひたる時其団扇を左の方に置きて一礼しけるに十七天狗のいへるは「団扇を使ふ式を知らざるものにて団扇は凡の天狗の持ちたる類にはあらずして上品なり。されど其団扇を持つ位あらず」とて其団扇を取上げられたるに、寅吉青くなりて云ふ「我も団扇を使ふ法は知りたるに如何にしてか目的の外れし合点ゆかず。団扇は師に暫く借りたるものにて大切の品なれば是非共返し呉れよ」と云へば「此方よりして師杉山君迄は返し申すなり」とて寅吉には返さざりける間に、余も詞を尽して種々様々申せども返さず。
如何になるやらんと見いたるに大空より火の棒其所に下りたるに、よく見れば小き竹に火燃えたり。十七天狗のいふ「御矢落ちたり。尊き神来るべし」とて十七天狗恐れ怖きて寅吉に何もいはずして団扇は風に巻き上げられて西の方より空を鳴動して烈風巻き来りて寅吉が持ちたる団扇は風に巻き上げられ其行方しれずなりき。
暫くして大雷鳴りはためき大雨降り来り、岩屋に入りて休息する間に十七天狗を始め寅吉も余も如何なる事出来つらんと恐怖してありけるに、杉山僧正坊日頃帯したる招雨剣を抜きて右手に握り十八人に鷲一疋を供して来り給ひて眼色に怒りを含みたまふに十七天狗は大に恐れたるに「寅吉の誤りなり」と申されて寅吉及び我を伴ひて古鷲に背負はせて常陸国岩間山に居たりて栗酒、柿酒に薯蕷にて作れる物を出して大に飲食したり。寅吉は其時隅にこもりて其酒宴の場へは出ざりければ「寅吉の誤りを赦し給へ」と云ふに「羽団扇は大切の物にて又其使ふ業は極めて大事なり。我が寅吉に暫時貸したるは生涯の誤りなり」とて「寅吉参れ」とて其場へ呼びたるに、寅吉は青き顔も少し直りたり。「川丹大霊寿真人の愛し給ふ水位氏を招待のために汝に貸したるを羽団扇を使ひ誤りたるは水位氏へ無礼なり」と呵り給ふ。其気の毒さいはんかたなし。寅吉、我に向ひ挨拶を其時に始めて述べたり。其時に「彼の妙義山の側なる十七天狗は名を何と申候や」と問へば「十七天狗の中にて青龍天眼坊といふが彼山の主にて、余は其眷属にて其名を知らず」と申されたり。
暫くして日西山に傾く頃、我村里まで送り返し給へり時は明治十五年六月二十五日なり。 - 川丹先生の上代の古図を模写するに就きて、支那神仙界より十七名図書の上官並に天界の記図官人を招き寄せられける時、我も側にありて其人物を見たり。我其名を皆筆したり。其模写を命じたるは八転八会五化結気玄黄図八十一枚、結化混成三変図三枚、五元大空九変霊図九枚、都合九十三枚なり。其模写役の指揮には神集岳の記図官三百余人の中の玉女李慶孫。図書の人名は永文史華、現世の名は郁奇。五峯徳、現名伊天麐。陽生延、現名路従広。河角良、現名彭行先。宇精玄、現名張邦岱。四方圭、現名趙延珪。岳生雲、現名陳廷敬。冥化元、現名劉沂春。大方経、現名李治運。応易道、現名林恵武。五良永、現名陸鳴時。貞正元、現名王岱。霊景形、現名高層雲。鹽良生、現名夏大易。霞生童、現名呉士虔。彭向延、現名沈聖昭。玄極、現名朱国盛なり。此模写役には上下あれども得たる所あるを以て招き寄せられしとぞ。 右の九十三枚の諸図一枚の間に写し竟へたり。其黎明に各に桃酒を賜り、其褒賞として紫色佩玉六十八を賜ひ、李慶孫には叮嚀に礼したり。彼界への送り物とて長さ一尺の平玉佩三百二十枚を箱入にして十七名に渡し給ふ。日の出に皆川丹先生の幽宮を退きけり。此中李慶孫は肉体にて余は其霊魂なるを、彼界にて更に形を結びたる仙等と川丹先生の申し給へり。
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筑波山の月張法師、比叡山の法性坊、伯耆の大山の異生坊一名伯耆大仙坊、土佐奥矢筈山の長歌坊、松霊僧正、神野坊、林風野坊、福神野僧正、高山野坊などいへる天狗は奇術をよく知りたる故に其眷属は種々の法術を行ふなり。且つ大山僧正と伯耆大仙坊とは愛宕、東叡山との二所を住居と定めし故に互に往来をなして入替り居たることもありとぞ。如此天狗に伴はれ行く時は市街及び人の群集する中を歩みても人には形は少しも見えざるなり。然るに天狗界には五行とて夏は火の行、湯行あり。冬は滝水の行、呑氷の行あり。秋の頃にては断食の行ありて肉身にて入るものは多くは此行をなす。其苦み死するより甚し故に、かかる界に入らぬが肝要なり。
偖又天狗界にて中に山人と唱へ呼ぶ限りは障礙は為さず、下賤なる行人幻妙天狗、羅官幻妙天狗、宗達幻妙天狗、骨冠幻妙天狗、印主幻妙天狗などいへる類は人に災害をなすなり。其災害を為す状は第一番に遠き所にて害を為さんと思ふ人を幻通三化印を結び、次に一本の指を以て其人の方に向ひ「平転野、閉気野、折陽野、三気野、四霊」と云ひて指先にて左より輪を書き、其れを漸々に小く□如此なして、輪の廻り止まりに至りて指を前に突き出し、又右よりも□如此するなり。次に左足を上げて「ウハアン」と云ひて踏みしめ「ウン」と云ひて右足にて蹴る状をする時は其人忽ち倒る。其人の心持は石き躓きたると思ふなり。又勝向といふ印を結び、其指の間より息を吹きて「アミウン、ザンダラリヤ。ウン」と呪言して、次に我に対して何をか云はん。汝に対して我も亦云はん。風闘火争口論忽ち発す。「アミウン。ザンダラリヤ。ウン」と唱ふれば道を行く人行き当りて喧嘩口論を互にするなり。又群衆の中にても側の人より失言して終に喧嘩となるなり。常人も途中を往来する時に不図腹の立ち、或は酒にえひたる時に人と口論したき節は指先にて件の輪を廻り止まりより解くが如く、左輪右輪と書きて十の字を書き「○○○○。○○○○。○○○○○○。○○○○」と目を閉ぢて云へば、心魂鎮まりて件の害を避くるなり。
さて右の幻妙天狗などに伴はれて仏界に入りたると思ふ事ある時は真の仏界にはあらずて、其界をかりに幻法を以て現ずるものなれば、狐狸の類に化されたるも同様なりといへり。此界の天狗は折にふれては人間となりて市街に出で物など買ふ事あり。然るに何の界にても金銀銅銭の類は多し。又神界仏界仙界いづれの界にても其界に居る人名を唱へて○○○神取次ぎ給へとて拍手して膳を供ふれば忽ちとどくなり。是には故由の三条ある事なり。
さて又幻妙天狗などは現世の書家画家の手を借りて物をかかせることあれど、其人は少しも知らず昼寝などしたる思ひをする由なり。 -
天狗をはじめて魔道に至るまでも鶏冠石を粉にして軽粉、烏賊、魚の甲、年魚の骨、四味を合して烏賊、魚の皮に入れ、蔭乾にして門戸梁柱に掛くる時はかかる類の害なしとぞ。偖山城国鞍馬山、土佐国石鐡山、足摺山、阿波国箸蔵寺山の谷間並に角峯等に住める天狗の中には猛勇なるがありて人を引裂く天狗あり。其は自身の手を下してするなり。此天狗界の中には五十印とて印一つに歌に似たる文一首づつ付きたり。印と云ふものはこの五十音より外には功能ある印は少し。
五十印中にて大切なる印は福加吉、甲要正、清加仁、瑞清、自主印、三加吉、吉加光、近勝初、先進、進都筒、白照光、楽加主、神加縁、挙月、阿克主、七加秀など名に負へる印は大切の印とて容易に眷属どもには教へざるなり。余は故ありて此五十印の結方及び其歌も皆書きとめ置きたり。 - 西洋国のヒマラヤ山には支那国上代の神仙界ありて西王母の住み給へる山なり。此山は八合位より上は木なく中凹なり。西の方に穴あり。山上は闇夜も昼の如く、この山は仙界にて地軸とも呼ぶなり。此山へは日本国よりは大剣小剣の天狗八合位へは度度食物を採りに来ると云ふ。山の全体は少し傾きたり。此山には珍らしき鳥数々あり。又支那国仙界よりは位階の事につきては此山上に登らるると云ふ。此山上にては殊その外磁石を立てて方角を窺ふ事を忌むなり。是には神仙界にては大に由縁のある事なり。是によりて日本支那にても高山の上は忌むなり。
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諸国に数多ある大穴へ入るには婦人の常に持ちて使ひ馴れたる櫛に火を燈して行く時は穴の内に物の住み居る時は其形を現ずるなり。又其燈火の消滅せば這入らぬがよし。毒気に触るる事あり。其毒気は大蛇の気と地の毒気にて大蛇の毒気は味噌を鼻の先に着けて入れぱ其息気忽ち消滅す。
又地毒の気は紙を散らば其落つる事遅し。是を以て其毒気あるを知るなり。山石とて赤き石の穴には冬は大蛇の住む事あり。赤石には大穴少く白石には大穴多くして四時大蛇の住むことなし。土穴は容易に入る事なかれ。下賤の天狗の集に非ざれば極めて大蛇住むなり。
又穴の中に滝ありて淵のあるは靇神住みて害はなさざるなり。且又乳石の下りたる穴は石炭に焼く石にて大蛇地毒等の害は更になし。又穴中川あり上より雫落ち風強く吹く穴は燈火消滅するとも害なし。蝙蝠のあまた飛び通ふ穴も害なし。又穴の毎々風は聊か吹くものなり。又大蛇の住む穴は暖にして息気あり。又狐狸の穴は小にして穴のロに糞あり。
[12] ▲
- 諸の界に入りて帰りたる時は二日を経ぬ間に其入りたりし有状を記せざれぱ三日を過ぐれば惰気になりて漸々に夢の如く思ひ、十日も過ぐれば秘事は忘れて仕舞ふなり。又彼界を帰りたれば必ず二日の中に記録することは忘るるなり。是には故ある事なり。尤も天狗界のみは紙筆を持行き記したるが多し。
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幽霊の墓所にて形を作る時は夜人の寝みたる頃墓に炎燃え、其火消えて白き帽子に似たるもの土中より抜け出て、それより人の形となりて通常の人の如く歩み行くなり。又墓所より火玉となりて思ふ所に飛び行きて其所にて形を作るもあり。又霊魂の弱きは風の吹く夜は形を結ぶ事かたし。又幽霊の形より後の物のすき通りて見ゆるは魄霊少くして魂の霊多し。又幽霊を背に負ひて重く、或は手をとりたる時人間の如きは魂魄十分に合ひたるなり。故にすき通りて後の物も見ゆることなし。我も幽霊の頼みによりて負ひたる事も手を取りて行く方へ導きたる事もあり。
又墓地には火燐出て其所のみ昼の如く見えて、暫くして闇くなり又炎燃え其側より白き帽子の如き物出で人の形となりて其所ばかりは草木の葉もよく見えて、暫くして又人の形は消え、帽子の如き物残りて其帽子より雨の如く小き火となりて落ちて後闇くなるは形を作らんとして作り竟へざる霊なり。是を側より見る時は気味悪く身の毛もよだつなり。新墓所等には侭あるものにて月の出ぬ曇りたる夜などは折にふれてかかる事あり。 - 神仙界の笛は昇雲笛、払雲笛、雨龍管、五精管など云ふ名ありて皆作り方異なり。仏仙界には夕星笛、玄通笛、昇極笛など云ふあり。天狗界にては八丈笛、星月夜、火龍、朝嵐、霧攘など云ふあり。以上皆横笛の名にて作り方名異なり。魔界には横笛はなく竪笛に五龍管と云ふあり。
- 天狗界にて雨を祈るには山人と云ひて人間より入りたる天狗主掌の何坊何僧正など云ふ類の祈る時は高名なる淵の側に坐して水柱と唱へて手を一つ拍ち、龍柱と唱へて一つ拍ち、次に印を結び「高靇、闇靇、水靇、火靇の神、天水分、国水分、天匏持、国匏持、男龍、女龍、河伯、海伯、鳴雷、水雷、火雷、男女風伯、雨師、水元伯の諸神」と唱へ、次に「天に水あり地に火あり、火は水に依りて燃え、水は火に依りて動く、風是れが導きたり。四龍は四方より集り二風東西より来り二雷上下より合し河伯川より起り、海伯海より通ず。諸霊茲に集ひて水脈を開く。靇の荒霊謹みて雨を願ふ○○○○○○○」と唱へ、空を向きて天御柱国御柱水分の二霊と唱ふれば忽ち淵に浪逆立ち風俄に生じて黒雲忽ち起り、水は玉になりて上り大空に棒の如く上り雲先八方に乱れてそれより雨降るなり。此時手を二つ拍ちて再拝して後ヘ三足しさりて其所を立ち退くなり。是は人民の為にすると云へり。右の呪言は定文言なり。
- 支那国の神仙界にては歩行の初に諾皐禹歩法、易卦離火法といふ足踏をするなり。又仏仙界にては普羅漢歩といふ足踏をなす。天狗界にては進退七数歩といふを朝日に向ひて進み、日光を含みて退く法あり。又支那神仙界仏仙界天狗界にも九字あれど其切り方皆異なり。九字の始まりは神仙界が元なり。又九字の替りに黒米と大豆とを交ぜて擲つ事あり。皆悪魔払に用ゆるなり。
- 天狗にて肉体のものの養生といふは徳利に八分目位水を入れてきびしく振る事数万にして其水を出せば熱湯となる。それに田螺の干物を入れ暫く置きて取出し食ふなり。一度湯に入れて其肉をとり、干したる田螺は火を以て焼き沸かしたる功なしとて水を其まま湯にするなり。又熱湯を徳利に入れて其ロをつめ、忽ち淵に投じ、二時許り置き出して極寒の水の如き冷水をこしらへることもあるなり。
- 神仙界に入りたる人に食物を送らんと思へば、其人の名を呼びて何処にても供ふる時は神仙界に居る人の眼前へ其物忽ち現ずるなり。其を食ふ真似をして腹張るなり。これは供物の正気を食ふともいふ。又現世にて供へたる品は調養司と云ふより其供へたる品の替りとて寸分も違はぬ品を渡されて真物を食ふ事あり。又旅行したる人に後膳をするは此理より起れるなり。
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神界にて死期を尋ぬるは大なる忌み事にて、それを強ひて尋ぬる時は「何月何日に死す」と云ひて年数を云はず。又無理に年数を尋ぬる時は「今現世に居る何某老人の死する年月日と同じ。其人死すれば其人の死したる年に至り、其月日に死す」といひて強ちには死期をいはず。これは極めて神界の秘密なり。
余此事を川丹先生に尋ねたる時に少童君の御怒りを互に受けたる事あり。是は深き幽理のある事と思ふ由なり。
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- 天狗界と悪魔界との中位の界に震勢大力天狗といへるありて戯れに大磐石を起し大木を抜き山上より大石を転下し、礫を以て大木の枝を打折り、其力の強き事実に鬼神の如く、此界には昔の英雄と称したる人多く、中には生きながらにして居るもあり。皆猛烈にして其勢甚し。陸地の上を飛行する時は其下は大風吹き通り、海上を通る時は其下に浮べたる船なども沈まんとするばかりなり。又其空を行く時正面に向ひて其気に触るれば忽ち熱病を発す。此天狗の眷属には獣身にして翼の生じたるも人身にして翼の生じたるも鳥にして手の生じたるもありて其勢亦猛烈なり。此界に限り十二月晦日に当りては幣串に緑色の玉を十二ケ付けて手力雄命を祭る。其祭具には剣一□、弓二張、矢十二本、栗、板昆布を以て祭祀を行ふなり。 此界の天狗の中にては明秀法師、伝蓮坊、鏡月の三人のみ僧にて、余は武人なり。此明秀法師は一人にして七つの名あり。秋剣、徳龍、大野坊、厭敵坊、張玄坊、三変坊、水乱坊ともいへり。武人にては大伴子蟲を始めて以下百八人あり。川丹先生云ふ「此界は故のある界なり」と。
- 肉体と分魂と分れて一時に二所に行きたることあり。其時には肉体と分魂と自身には取り分ちがたく、只一所に行きたる思ひして夢現の如くなるを、二所より帰りて合したる時に至りては忽ち詳然として二所に行き用を便ぜしことを慥かに思ひ出すなり。二所へ行く途中にて知る人に行き合ひて一礼したりしに日を経て其人々にあひければ過日は何所へ行き給ひしやと云ふに側より一人云ふに其日は我に何所にて何時ごろ遇ひたりと云ふ。又側の人我も亦何時頃に遇ひたりと云ひて二人に遇ひしは同日同時なり。之れ肉体と分魂との二つになりて二所に至れる時の事状なり。
- 川丹先生の云ふ「幽冥は闇き所に明く又理にも極めて明かなり。現界は明に似て其実は闇く、又理を明に覚ゆるに似て其理真に闇し。此故に幽冥の理現□は疑ふ事あり。」と申されけれぱ東岳隠光大霊義官大霊寿真人、上席より「川丹君の汝に申されしは真に理言にはあれども其意味を通じ物に感格を生ずる能はず。我も申し聞かさん。幽冥は極めて明なる所にして其明なるものの度を過ぎて現世の人の見る時は闇くして肉眼は昼ばかりの能に止まる。幽の明なるは更に其越度の闇きに眼の及ぶことなく又現界明にして其明なるが過ぎ、かへりて暗く、故に現世の事にも幽界の事にも大に迷ふなり。幽界より現世を見る時は明にして其物の知られぬ事はなきなり。又現世より見る時は幽の明の過ぎたる闇きに掩はれて物事見えぬなり」と申されけるに川丹先生の云ふ「それほどに事を長くいへば其理の意を達するども短言にしては事の凡人には解し難し。されど長言より短言にして解し易きは便にして智言と申す」とて闇処に燈火の例を引きて説かれたるに、大霊義官大寿真人笑ひて「それは人間にてもたとへに云ふ事にて童子も皆知る事をなり。然れども其理は叶ひたり」と申されければ、又川丹先生も手を拍ちて笑ひ「理に叶ふ語こそやがて正言といふものならめ」と申されければ真人も先生も互に笑ひ合ひたることありき。
- 天狗界に火矢とて竹の三尺許りなるものの節を抜きて焔硝に瓢の灰の等分に交ぜ茅の花を以て焼酎を錬り合せ右の竹の中に詰め、日に干して其を用ゆる時は大空より下らんと思ふ界に火を付けて落すなり。其火矢の落つる時は俗に云ふ火玉の如し。此火矢の一名を先打矢とも云ふ。神界にも同物あり。此矢を投ぐる時は至極大事なり。余此矢を用ひたるに矢に火を付けし時誤りて手を焼きたり。其時に川丹先生の薬を以て「これを付けよ」とて付けしかば、二日許りにして全治したり。後に其薬を尋ねしかば「蒲花を柊の灰に交ぜたるものなり」と申されき。
- ○○神、言伝神、来去神、使神、龍畑神、火入神など云へるは風神の御使なり。火矢を用ひ遙かに言を告ぐる先には此神名を唱ふるなり。川丹先生云ふ「此中○○神は風御の荒御魂なり」と。
- 途中にて異人にあひたる時に行き違ひて後を看れば忽ち其形を見失ふなり。其行き違ふ時に異人に目を付け乍ら漸々に看れば其形も見ゆるなり。瞬きをなし、或は俄に見る時は其形見えざるなり。或は天狗の美女となり山伏となりたるなどは鏡にうつす時は其正体の見はるるなり。
- 鶏冠石などの毒気を天狗の消す法は味噌なり。之は僧正坊などの類にあらざれば知らず。こは天狗中の秘事なり。又鶏冠石を手足の爪鼻穴耳穴に付ける時は流行病の伝染に罹る事なし。
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- 天狗の災を民家になさんとするには大空より鳶の毛に血を付けて竈所の煙出しの穴へ落し入るるなり。二日の内に火災起るなり。かかる類を高津鳥の災とはいへるなり。又梟の羽に蝦の殼を付けて落す事あり。かかる災を除かんとするには正月に用ひたる橙を煙出しに釣りおく時は諸鳥の毛風に誘はれて入る事なし。何れの鳥の羽にても入る時は悪く、火災なければ家内に必ずロ論を生ずるなり。
- 神仙界にて詩歌などを作り詠ずる事あり。歌は其調高く紙に書するは仮字遣ひも宜しく、音に明なり。然るを天狗界にては歌其余の物に至るまでも書するに篆字、草字、真仮字、平仮名、幽界文字をも交へて書する事あり。又草字と平仮名とにて今の世に人間の書くが如く書するも多くあれど、大に仮名遣ひの違ひたるが多し。又呪言の歌などには其詞の音便にたがひ仮名遣ひも違ひて歌とも調ともわきがたき。文盲者の仕業の如く見ゆれども其仮名を正しく歌の格に入れて直す時は其呪言の禁厭却て霊験なし。故に強ちに直す事勿れ。
- 神集岳中天輪館第三台大番場にて朝信礼を行ふ時に数千の仙宮人参朝する中に川丹先生も五勢先生も参朝ありて其常例の式も終りて来仙は皆一同に鸞龍班橋定真英台に退きて休息ありけるに、東蒙四宝霊海曲館代理玄角大真人の従者一神と川丹先生五勢先生の従者二神と如何なる事か大議論を発し喧嘩となりたるに二神して一神を論破せしに其事終に川丹先生五勢先生玄角先生の耳に洩れ聞えて大論を醸せんとするに至りて諸の神等御取持によりて其夕に至りて参朝神等残らず天輪第二等台館中の評証場に於て少童君より賜り物あり。酒宴を開かれたるに其有状は現界の懇親会に同じ。此時仙女五十一員連りて舞を拝見したり。其時の歌は十五条ばかりおぼえて別に書記せるものあり。
- 海中より龍馬に似たるものの青光を放ち電光の如き中に彷彿と現じ、海面潮煙となり昼も尚月夜の如くに見えて龍馬と思しきもの三疋大空に登りたり。暫くして大空より黒雲俄にきらきらと舞ひ下りて海上に垂れ、其雲の棒の如くなる物の其れに金光のきらきらとして鱗の如きものと火と打交りて浪を巻上げたるを見たり。川丹先生に問ふに「かかる類は皆龍の属なり」とぞ。
- 備後国なる比熊山には山本五郎左衛門百谷、神野悪五郎月影、並木権六郎東萌、大森左伝太登康など云へる悪魔の立てる所にて大杉といへる木の上に光り物ある時は此山に必ず風気あり。此時は大杉のあたりを通るべからず。又岡山大杉に近き所に平なる岩あり。此所は景色尤もよくして麓の川を見下してよき所なり。俗に天狗の遊び場といふ。又魔処といふ。之には夜々北海悪左衛門東流と云へる悪魔の休息する処にして悪しき処なり。川丹先生に聞けり。
- 其国は何処なりけん思ひも得出さず忘れ果てたるが、そは世の人の乳母ケ峯とも乳母ケ岳とも云ふなる山奥にて十四歳許りなる美女に逢ひたるに川丹先生の云ふ「前に来る娘は俗に云ふ神隠しとて天狗界に連れ行きたるものなり。今は月経のあらんとする時なりければ、それを知りて親元へ還し送る路なり。其娘こそ不便なれ。我連れ行かん事は易けれども彼界に入りたる女は手にかけぬがよろし」とて逢ひたる侭に行き違ひたり。見れば僧侶と思しき者の藁包を提げたると彼美女と二人に見えたり。其時に天狗界の者の僧侶と化して美女を送り行くと見受候が「彼界にても女犯どもはあり候や」と先生に問へば「曾てなし。彼界の数多ある中には新参の童を以て男女するもあるなり。此は彼界にて彼等が私にするなり」と宣ひたり。
- 出羽国秋田男鹿島に神石窟といふあり、大なる穴あり。此穴に入る事十二間ばかりにして平地あり。奥の深き事知り難し。左と思ふ方にも穴あり。此穴は暖気なり。川丹先生の云ふ「此穴は海神の住み給ふ処なり。其神体を汝等拝し奉らば恐るべし。人形とは大に異に見ゆるなり」と宣へり。此石の質は内裏石に似て白きに種々の色の経あるなり。此あたりの岩には珍らしきがあるなり。
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越中国中新川郡たる立山には仏仙界あり、天狗界あり、神界あり。麓には神社ありて伊弉諾尊を祭れり。山九合位に鎖一ケ所あり。上は岩出たり。穴あり、池も二つあり。滝もありて猛火の立つ処も亦一ケ所あり。川丹先生云ふ「此山に限り幽に入りて此山の界を見ずして現人の目にて見る方が尤も景色よろしく見ゆるなり」と我を血の池といふ処にて景色を見せたるに右の界が何処にありとも見えず、北方に嶮岨なる岩針の如くに立ちて殊の外に目を驚かすばかりなり。之を剣山といふ。
偖年を経て後に或人に聞けば山上の祭神は手力雄命にて北の卑峯には大汝貴命、別山には□□神南方浄土山大日如来を祭ると云へり。 - 国々の名山高山の幽界は毎々見て別に記し置ける書ありしに其中には人間に洩されぬ秘事も多くありて其書を人に見する毎に熱病を七日ばかり発する事はいつもたがはず。故に去る明治十六年一月一日に焼き捨てたり。されど多くは暗知したる事もあり、人に語らんとする時は夢見たるやうに思ひて順序のたたぬ事あり。其人去りて後には明白に思ひ出すことは常にあるなり。
- 伯耆国大山の天狗界には横山左門といふ天狐ありて大山僧正に似たるやうに化れるなり。此狐は大已貴命の使なりと云ふ。されど僧正より其位遙かに下等にて今迄飛行などもせずといへり。これは狐の年を経たるが天狗界に入りたるものなり。
- ○○○○○○○○○○、○○○○○○○○、○○○○○○○○○の代命にて日本国の天狗を掌りたるは○○○○○○○○○○○○○○○○命、○○○○○○○○○○○命、○○○○○○○○○○命、○○○○○○○○○○○○○命、○○○○○○○○命など申す神は朝拝の時々は必ず拝すべき神なり。又此神等神懸などして正心の人の信仰によりては種々の奇術を教へ、且つ著述などする人には心に憑りて発明なる事を思ひ出さしむる神なり。
- 天狗界中には芝塚兵衛、宇都宮古六郎、一閘沖姫、岩長老斎、於兎亀老、金長、石原玉姫等は阿波国の古狸の名なり。横山大生と云ふは伯耆国大山に佳む狐の名なり。磯崎芝右衛門道昌といふは淡路国の古狐の名なり。東原源五郎、小女郎、目白といふは大和国の狐の名なり。天狸老とは同国の狐なり。萓中宗語、髪床姥、天村九郎時童などいへるは山城国の狐なり。馬関於玉と云ふもあり。御杉少将といふは羽後国の狐なり。八島の兀といふは讃岐国の狸なり。竹内八助、立石味塵之助、吉村権九郎、玉島隼人、片桐文之丞、礒上金角などいふは土佐国の狸なり。行風と云ふは三河国碧海郡上和田村の犬の霊なり。小佐利団助と云ふは美濃国御岳の狸なり。處之進と云ふは近江国大津の狐なり。玉姫御前とは信田森の狐なり。伊予ササイガ滝於サン狸、松山の金平狸、尾張万松寺於小女郎稲荷、呉服丁豊桝稲荷、右の内には身体にてあるも亦魂のみもあれど、天狗界の一部分に入りたるものと聞く。此外にも百あまりもあれど其名をわすれたり。
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南陀天王、三界天王、気勢大霊天子、五行感太子、流侶大神摩利子天王などいふは其実はなきものなれども、此名を唱へて五人以上集りてかへすがえす一時間ほど行へば空中にさまよふ霊のよりかかりて験を現はすこともあれど、よろしからぬことなり。又此名のみに限らず作り事にても唱ふるときは遊魂魔物の憑るものなれど、右の南陀天王云々を唱へて漂遊する霊をよびよするはただの作り事を唱ふるよりは早く来るなり。
然るに南陀天王以下五神の名は其根元はなきものを、悪魔をよせんが為に偽作したるものなれど、今は漂遊の霊を寄する神名となりたり。又魔物遊魂も我等を寄せ呼ぶの名と常に思ひ居る故に、天狗狐狸悪魔漂悪などの類も南陀以下云云を唱ふれば来るなり。此外にも天狸梵王、三界万霊天子、大運大師などいふ偽名もあり。
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- 川丹先生に伴はれて東国の上を飛行するに、夜中なれども大空はあかく晴れたる如くなれども地は闇く見えたるに、一つの火玉現はれて川にうつり、矢よりも早く水上を行きけり。川丹先生に問へば「此下は勢州壹志郡川俣川なり。彼の見ゆる火玉は藤原千方といへる人の霊魂なり。今宵は地気の雨を催したる故に空よりもよくみゆるなり」と宣ひけり。「これは深き故あることにて、又事のついでに語るべし」と宣ひき。其後此由縁を語り給ひければ別に委しく書きつけ置きぬ。
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明治十五年六月の頃、川丹先生に伴はれて遙かに南海を飛行し時に海上に嵩あり。嵩の中に池あり。其色墨の如く、此嵩に下りて池岸を歩するに周廻三百十二歩あり。川丹先生、池岸に立ちて○○○○○○○○○○○○と唱へて手を八つ拍ちけるに、左右に渦の巻き出してやうやうにうづ高くなり、六間ばかりにして又漸々に卑くなりて穴二つとなり、左の穴よりは白き鱶に似たる魚、長さ三尺ばかりなるがおよぎ出で、右の穴よりは薄赤き鱶に似たるがおよぎ出で、それより渦はなくなりて池上平になり、二つの魚尾鰭を振りて池の側を三廻して電に似たる光りを吐きてニ魚海底に沈みけるが暫くして目の太さ四囲ばかりなるが四つきらきらと光りけるによくよく見れば大魚なり。川丹先生のいふ「是れ海神なり」とて二拝して手を八つ拍ちけれぱ忽ち大魚消えて見えず。暫時にして巾四尺許りの白色にて紅色に縁をとりたる海苔長さ三間位なるが浮び出たり。川丹先生其海苔をとり上げてきりきりと巻き、三折にて太刀の緒を以て結び給ひ、「此品は海神より賜はりし物なり。これを以て来れ」とて其所を拝して空に上り給ひけるに、やがて下を見れぱ今迄ありと見し嵩はなくして一面平なる海上となりたり。
それより遙かに南に向ひ行く間に曖気強くして甚だ堪へ忍びがたき処を通り、暫くして朧夜にて冷雨のはらはらと降る処を過ぎて氷山といふ所に至るに滝あり。其滝に件の海苔を漬け給ひけるに硝子の如くすき通りて白色となりて、紅の色は消え失せたり。それを又巻きて北に向ひ斜めに空に登りけるが、又南に向ひたる心地しける故、川丹先生に問ひければ矢張り北に向ひたるなり。「汝が南の如く思ふは日輪を常に南に見て北には之を見ざる故なり」と宣ひたり。
暫時にして煖熱の所をも通り抜けて又日を後にして何処とも知らず海中にある放火山の上にて件の海苔をあぶりたるに縮まりて、巾二尺長サ三尺ばかりになりて黄色と変じたり。其質和にしてびろをどの如し。其時に「此海苔は如何にして食し給ふや」と問ひければ「こは食物にはならず。幽中の宝器を包むに之ならでは年久しく保つこと難し」と宣ひけり。其処を立ちて東と思ふ方に向ひて斜めに空に登りて暫時にして我家に送り還し給ふ。此時は如何なる事にや耳痛みて四日許り物の音も聞えざりき。 -
羽前国の人にて竹内某とて玄角大真人に伴によりて神仙界へ安政二年の頃より出入する人あり。其人の根元は常に太上感応編を誦読して、行ひ正直にして父母に孝敬し、神仙を慕ひ願い、朝夕空に向ひて大祓詞と太上感応編とを誦して幽冥に坐す神仙等とて拝礼する事怠らず、遂に感通して玄角大真人の伴となりたるが、彼界にて竹内氏の字を感応寿真といふ。
此寿真の云ふ「罪科を祓ふの術は改心して後、大祓詞を誦し神祇に罪を謝するに止まり、修身の要は感応編を誦して行ひを正直にするに止まる」と云ひて我にも此編の誦読を頻りに奨めたり。此人の常に詞を使ふ毎に云く道は何に止まる、義は何に止まる、霊魂は何に止まる、此趣旨は何に止まるとて詞の終りには必ず止まると云ふ事を云ふが口癖にて、すべて詞の終めに止まると云ふ詞の出ざるは一つもなかりけるが、或日下等の神仙等数多会合せしときに、此寿真を「止まるの寿真」と呼びしに一座の神仙等一度にドッと笑ひて暫し止まらざりしに、此寿真はキョロキョロとして不審顔にて苦笑を少しなして皆笑ふに何故笑ふとも知らず皆の顔を窺ひけるに又皆の神仙等も下等の輩は尚笑ひ弥増して、此寿真の面を見ては笑ひけるに暫くして此寿真、大に腹を立て眼を怒らし、四方を白眼み廻して「今水位真の云はれたるは何の事に候や。再度承りたし」と切歯をなして云ひけるに「我貴殿を以て止まるの寿真と失敬に申せしなり」と云ひければ忽ち此衆は暫時笑ひも止まりたるに又再び笑ひ出し、仲裁する真人もなくて大に困却し、挨拶を種々致せども聞入れず、終に玄角大真人と川丹先生の聞に達して水位を始め笑ひたりし真人は皆御叱りを蒙りて当日限り其席を退けられたり。
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天線とて天より貴賤上下を論ぜず家々に垂れたる気あり。其気の盛衰によりて家の盛衰の見えて知らるるなり。此気を現世にて見知りたるは巨勢武内宿禰、九郎判官源義経、平良門、空海上人、松木春彦、安倍晴明なり。此気は山人の界にては気線と称し、支那の仙界にては天足と称して、こは容易に凡夫のうかがひがたきものなり。此気昼夜によりて其色異り、盛運の気は大にして金色の点交り盛烈にして棟上よ起りて漸々に大なり。衰運の気は黒点と水気の如くなる気と打交り、下大にして漸々空に及ぶに随ひて小く、其末遂に消滅して見えず。此気を窺ふは日の出づる前と日の暮るる曇りたる日、又月夜などは上の上なり。
其見る法を以て行ふ時は見ゆるものなり。之を空より見る時は網の目を見るが加し。盛運の気登りたる家には空より見る時は三つの玉の如くして美しき瑞気と見え、衰運の気の上末には消えかかりたる所に裸体にて黄褌をして手足爪長く髪茶色なる餓鬼の形なるもののいくらともなく跳りたる形の見ゆるもあり。黒色の形にて眼水色にて光るものの采配を持ちて打振る状の見ゆるもありて、玉の見ゆる家には思はずして益々富栄となり。異形のものの見ゆる家には貧にして大損を来すばかりにして夫嫌争論ロ舌止む時もなく、つひに産を失ふもあり、骨肉散々に離別するもあり。
此気を知らぬ輩は家の軒を見るべし。家の軒のあれてつやなきは衰運にして家内暗く汚衣汚物家内に散乱れて自然と家人の怠惰の心起り、家事多く、脆き病人絶えず。又家軒美しくして光潤あり、家内明く清浄にして家人病なきは之れ盛運の兆と知るべし。 - 神仙より罰を受くるに至りては二夜も必ず血の雨の降りて身にかかる夢を見るなり。此時は第一慢心を慎み、酒を一盃も飲むべからず。よく言語を少くして我身を清浄にし、怠惰の心起らんとするを一命に替へて勤めて怠らず、神祇に謝罪を祈りて祭典を厚く行ふべし。如此せざれば酔に乗じて人に無礼をし、容易ならざる失言を吐き虚言を誠らしく語りて忽ち現はれ、善人を罵り、人の非をあばき、終に如何ともずべからざる大事を仕出し、財産を割り、身を誤り、己を悔い、俄に天に祈れど及びがたきに至る。もし此夢を見たる者は右の祭典謹慎の事を怠るべからず。これ神祗より罰を蒙るの数多ある中の一つなり。
- 肉肌仙の精薬とて飲むものあり。之は紫柑とジヤボンとの間の蜜柑にて大橙蜜柑とて皮の厚き蜜柑にて通常のとう蜜柑よりは大なり。此核を十二三口中に入れて津唾にて錬る事暫時にして其津液のねばり苦くなりたるを度として核を吐き出し、其津液を清水にて飲み送るなり。之を益精易血の法と云ふなり。此法は川丹先生及び玄角先生にも聞き、且つ其行ひを見し故に書き置きつ。
- 天狗界にて重宝と呼び大切にするものを見し事あり。鬼の顔の如き形の兜一つ鬼の面の形たる鏑の付きたる矢三本、鬼の面の形なる鍔の付きたる太刀十一ロなり。此物は皆上代の器と云へり。又神仙界にては神代の宝器と呼びたる物は其数幾千と云ふを知らず。其中にて鏡三十二面、剣二十四ロ、穴明大玉二百六十三、木弓六張、天変先後大文一軸等は殊にすぐれたる宝器なり。
- 天狗界の山人の罪科を受けて狗賓界に堕ちたるものの卜筮を行ふ状を見し事あり。其状は四角たる水晶四つを左の手に二つ右の手に二つを握り、空を向ひて何か唱へて握りたる水晶を坐上に投ずるなり。一の水晶の四面には 天照皇大神と彫付け、一つには素盞鳴命と彫付け、一つには思兼神と彫付け、一つには神武天皇と彫付けたり。此四石の居方によりて吉凶をトするなり。
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仏魔といへる物あり。夜中に種々の異形を現ずるが中に、多くは金色にて長高く体大きく、左右に金色の童子長卑きが二人添ひたり。夜中に此仏魔に行きあふ時は忽ちすくみ、手足自由ならず、声を出さんとするにもロつくみて言語出でず、夢中に物におそはれたるが如く此もの消え失せて後は熱病を発する事あり。其病は猛烈の瘧疾に似たり。此病を癒すには桃核を細末として温湯にて嚥下し、体をば鶏冠石の粉を以て塗るべし。如此すれば其病も速かに癒ゆるなり。
又厠を不潔にする時は此仏魔の立寄ることあり。故に厠は清潔にして硝子鏡を常に掛け置くべし。厠の中には金の鏡は用に立ちがたし。如此すれば厠中に此仏魔の入る事なし。此仏魔に出会するは多くは深夜に厠に行きがけにあふものなり。
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明治元年の頃、川丹先生に伴はれて空中を飛行するの砌り、雲霧の中を凌ぎ行きけるが東南の方より蝶貝の音高く響き来るあり。川丹光生の云ふ「饒速日命、五十猛命の御通りなり」とて頭を下げて拝しける間に蝶貝の音近くなりしが雲霧忽ち晴れたるに、金光のきらきらとして乾の方に鳴り行きたり。川丹先生の云ふ「饒速日命と五十猛神は幽冥界にて螺を吹き給ふが御職なり。此神の螺貝の音を聞く時は其後とても幽府の神楽の音も深更に及びては遠音に聞かるるなり」といへり。
偖彼の金光の通りし後は又雲霧となりたり。川丹先生の云ふ「螺は雲を払ひ、神言を遠きに告ぐる用なり」とて飛行する程に又乾の方より以前の如く金光の中に螺貝の音しけるが、又も雲霧忽ち晴れ、金光の後に螺貝の鰭のあるもの数十連立ちて従ひ飛び行きたり。 - 川丹先生は其根元は神界にて水位と同官同位なりしが、水位冥官の掟を誤り、此界を退けられし事久しきが間に川丹先生は位階も進み、退妖館中の員列三十六等紫上の中位といへるに至りて大霊寿真人よりは二十七階ほどの上位にて其上に智識明達にして此界にても名誉ある川丹先生なれば、再び此界に出入の赦を受けてよりは師仙と仰ぎ敬ふなり。水位の根元神界に出入せしは十歳の頃より少童君に伴はれしが始也。
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諸越の神仙界へ玄角真人に伴はれ行きたる時に五岳真形図第二変図、第三変図、流門真形図、神虎十二符、神洲真形図など云ふを始め、諸図諸符も多く写し帰りたる事もある中に天運八会十二変図といへるものは此界にて其題名を聞きしのみにて、此界の宝物中の第一なりとて其図は請ひけれど見せ給はず。依て玄角真人に問へば「其題名をさへ下位の神仙等には知るものなし。又中位のも題名は知るもあれど、其真形は知らざるなり。余も未だ其図は見ず。其図の訳は略々聞及びたれど委しくは知らず」とて其事止みぬ。
日を経て後に川丹先生に召されたりし際に川丹先生に尋ぬれば「其図は宇内の宝軸にて支那のは写せし図なり。元書は此神界の紫蘭台に蔵りたり。容易に見る事は許さざるなり。其趣を語るさへ神祇の咎めあり」とて赦したまはざるなり。川丹先生の云ふ「支那神仙界にて五岳真形図一軸は元物にて外のは模写せしものなり」と申し給へり。 - 現世にて神等に伺ひ奉りたき事どもありて其事を心中に思ひ、幽界に入りて見れば其伺ふ事をも打忘れ、又此界に帰りては忽ち思ひ出づるものなり。されば此度は忘れじとて紙に書き付けて彼界に入る時は其書付を懐中にしながら忘れ、或は又書忖に不図心付きて尋ぬるに其時ばかりは能く覚え居れども、帰りて見れば夢の如くに恍惚として証なきが如くして忘れ、或は現世に訳しがたきも彼界に入りては自然に解する事も多くあり。人間に洩し難き事件に限り必ず忘るるなり。又人間に洩しても咎めなき事も日を経る間に忘るるなり。
- 現界にて常に行き通ふ山も霊魂の脱て行く時は一の仙界と見え、又肉体にて行く時は仙界のありとしも思はれず、三間ばかりの山の頂も霊魂のみにて行きたる時は百里もあるやうに思はれ、小き祠も数百畳の宮殿とも思はれ、狐狸にばかされた思ひをする事もあり。
- 或年、川丹先生に件はれて土佐国○○郡○○郷なる○○○山と云ふに至りけるに、白髪自鬚の老翁、大なる帳面を携へて笹の上に坐したるに、川丹先生九拝し終り、詞をも出さず遙傍に坐し居たるに、大蛇に乗りたる神御年頃二十五六歳ばかりなるが東方より来り給ひて「大山祇神の使者なり」と大音に述べ給ふがいなや、乗り給ひし大蛇は消えたり。又東方より小き蛇に乗り、色黒き神来り給ひて「建御名方神の御使なり」と申し給ふ其御声とともに小蛇は消滅したり。又東方より白狐に乗りたる神の年頃八十歳ばかりの老翁来りて「宇賀神の使者なり」と申せば狐の形は忽ち消えたり。又東の方より白兎に乗りたる神来り給ひて「氷川の神三柱の使者なり」とのたまへば白兎は忽ち消え失せたり。又西方より鳩に乗りたる神来り給ひ「八幡二神の使者なり」と申せば鳩は消えたり。乾の方より五色の小蛇に乗りたる神来り給ひて「大国主神の使者なり」と申せば小蛇は消えたり。又北の方より猿に乗りたる神来り給ひて「日枝三神の御使なり」とのべ給ふがいなや猿は消え失せたり。此外に物に乗りたる神等数多来り給へども乗物及び神名も忘れたり。諸の神等大帳面を携へ給ふ老翁の神に拝礼をなして各々又小き帳面を出して翁神に捧げ給へば、大帳と引きくらべて小首を傾け、或はうなづき、大帳に何か書入れ給ふ状の見えけるが、翁神暫時にして「諸神の御使者大義大義」と大音に演べ給ひ、且つ「川丹大霊普全寿真人冥鑑の代理御大義」と申し給へば翁忽ち消えて否や音楽の音しけり。其時諸神は同音に「エイ」と云ふ声を発すれば乗り給ひしもの皆現はれて、それに乗り一礼をして立還り給ふ。之には大切なる訳ある故に洩しつ。然るに此時は大陰暦十二月晦日なり。
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西洋にも一の幽界あり。北方より南の方を向ひて入る。家は数千万凸凹として屋根は毎く平かなり。高きは十五丈ばかりあり、卑きは五丈ばかりにして皆白色なり。家中には物を売買する状見えて種々の物品を陳列したり。その美なる事言語の尽す所にあらず。此商家とおぼしき所を経て東に曲折して歩すれば大川あり。北より南に流れ、其水色碧にして舟渡する者数名あり。皆女人なり。其舟に乗りて東に渡れば大なる川原あり。漸々其所を経れば杉の木に似たる木繁茂して南北は目の及ばぬ迄に生ひ連りたる林あり。ここを過ぐれば数万の家あり。或は丸く高きもあり、又四角にして上小く高きもあり、又屋根平かなるも山形なるも神輿に似たるもあり。其家は三階或は五階もありて此界を「ブラテリー」と呼ぶ。支那仙境より此界をさして竺半界と呼ぶなり。此界は支那仙界よりは五百倍も大なり。家内の造り方に至りては目を驚かすばかり種々奇妙に造り構へたり。又橋梁などに至りても奇妙に工みて架したり。此域の中央と見ゆる所に大山の如き家あり。其家に限りて屋根の中央より高き黒色なる大柱ありて空に聳えたり。家の色は黒白にして縁をとりたり。人物の状は種々にて一様ならず。女人の髪の結び様且つ腰に纏ひたる物に至るまで種々様々なり。男は多くは黒色の服を衣たれども其服の仕立様も少々違ひたり。其中に今現に見ゆる西洋人の如くなるが尤も多し。
偖此山の如き大なる家は此界を主掌する宮殿と見えたり。此宮殿の四方外に此宮殿よりは大名に小き家あり。然るに中央の大宮は「ゲートルサンダマリ」といへる神の坐して天神の命令によりて素盞鳴尊と八意思兼神の主宰し給ふ宮殿なり。東方宮には「ニムロト」「セイリウス」「アレキサンデル」「カラサル」など云へる神のまし、南方の宮は「アダン」「イブ」、西の宮は「諾巴」、北方の宮は「サルダナハリユス」など云へる神の坐し、四方宮の中の属神には豪傑の神霊及び智識発達の神霊付添ひたり。されど大事を議するに当りては「ゲートル神」諸神の優れたるを率いて神集岳界中の大永宮へ参観し給ふなり。然るに此界の乾の方に当りて「アンミ」と云ふ山添の所に宮あり。「キリスト」の住む所なり。今天竺の仏界にては此アンミ宮を「ビラウント」と呼ぶなり。此宮のある所は区域立ちて別界に似たれども「ゲートルサンダマり神」により指揮を受くるなり。然るに此界一円は皆死人の霊なるが後に霊の肉体を作りたるが七人ありと云ふ。玄角先生の伴によりて此界を一見せしことのあらましを記す。
「ゲートル神」は思兼神の事なり。「サンダマリ神」は素盞鳴尊なり。されど常には素盞鳴尊は居坐さぬよしなり。 -
地上に幽界は其数も多きが中に一小社といへども幽界を多くは構へたり。宮の幽界は出雲の大社などは幽界に入りて見る時は一つの大幽宮と見ゆ。又罰を申し付くるの宮は此宮にて賞を行ひ給ふは伊勢の神宮なり。又罪ある霊魂を罰し給ふ所は数々ある中にて地獄の刑に行ふ所は諸国の噴火山なり。又罪の最大なるは神集岳中の退妖官に出してその罰を受けしむるなり。其中には霊魂を消さるるも、月の国へ追はるるも、地上に付きたる下等の幽冥へ下さるるもあり。又善行ありし人の霊魂は日界に上るもありと川丹先生に聞きしかど、月界に入り又日界に入りたる霊魂を見たることは稀なり。多くは霊魂は地に付きたる幽冥界に止まるなり。
然るに万の幽冥界の霊魂も神集岳万霊神岳に往来する事もあり。然るに幽界の大都は第一紫微宮、第二日界、第三神集岳、第四万霊神岳なり。されども常に幽政を行ふ法式を定むる所は神集岳なり。 -
一月一日には北辰星中の紫蘭大枢宮号真光遊門の前庭に万の界の神々の参り揃ひて朝するなり。此神界は常に日月の光りは見えず、電光に同じ光上宮より発して常にも晴れたる月夜の如く、此界に至る迄の間は氷中を通るよりも寒く、界に入りたる時には三月頃の気候なり。偖参朝の神等は此光遊門の内なる鸞磐場といふに列坐して慇懃に参朝の式を行ふ。上宮には扉開きたれど遙かにして神体は見えず。只猛烈なる電光の三つキラキラと光りありて四方に発徹するを拝するのみなり。三つの光りの中にて水色にして五色を含みたる光りを中央として左に火色の光りあり、右なるは白光を放ちたり。此三つの光り千里の外に及ぶ。
偖参朝の神等には風神、五行神、豊字気毘売神、大山積神、須佐之男神、建御雷神、大綿積神、天之冬衣神、言代主神、賀夜奈流美神、少毘古那神、天忍日命、天手力雄命、天之字受女命、天児屋根命、天角凝魂命、大禍津日神等を始め奉りて諸の界に優れたる神幾万を以て数へ奉る。此参朝は毎年一月一日なり。此参朝の事を西洋の幽冥界にて「ヤニユアレー・ロウマーンド・エーンダフ・ノールドボール・コーニングスボイス・ヲツフキリムメンゾン」といふ。之は何と云ふ事なるか知らず。又此名に異なりたるもあれど忘れたり。
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日月の界には入り難し。されど近くより見たりし事あり。川丹先生に伴はれて日界に近づくに暖冷の処を幾重ともなく過ぎ行く程に火気身を焼くが如き処あり。此処を過ぐる事暫くにして日界を下に見るなり。それより下るに四五月頃の気ある所あり。其処を過ぐれば日界は黄色に見えて三ケ所噴火山と見ゆる所あり。其傍に黒色なる三ケ所あり。其四方に城閣の如くなるもの数十あり。委しくは分らず。
又或日伴はれて月界に近づくに暖気なる処を過ぐれば又寒気甚しき処あり。此所を又過ぎて遙かに月界を望めば白き山に似たるもの数々あり。其中には黒色のもの打交りて見え、且つ滝の如くなるものの大小ともに四つ光りを発して四方に散乱し、水玉の如きもの数々飛び上りたる如く見え、能く能く見れば人家の如くなる物数多見えたり。先生の云ふ「此所より能く見て覚え置くべし。常には来り見る事難し。天狗界のものは此処迄近くは来る事なき故に種々見違へるなり」と宣ひける。 -
明治四年十二四月晦日夜明方、少童君に伴はれて北氷洋を過ぎたる時に氷海を過ぐれば氷山あり。その北岸よ幾千仞を知らず大滝数ケ所に下り、其光り月の如く空に映じ、寒気尤も強く此所を過ぎ行くに西南と思ふ方より音楽の音して東北に過ぐるを見る。女神に随従の神千余許りも付きたり。少童君と出会し給ひて互に慇懃に礼を述べ給ひて別れ給ふ。少量君に伺ひければ「須勢理姫神なり」と宣ひけり。此神御年は三十歳許りに見え給ひて御面美はしくましまして御頣は少し長き方に見奉りき。
又行く程に暖気の所にかかりて下に黄黒き色を見て又寒き所を経て又暖所にかかり、海面を下に見て行くまにまにやや下りて一の島に着きければ、ここにて休息す。少童君宣ひけるは「地球を一周廻したり。此処は琉球の属島なり」と宜ひ暫くして此処を立ち土佐国にかへる。かくて此国近きあたりの雲路にて一神に出会ひ給ふに又礼して別れ給ふ。少童君に伺ひ奉れば「此神は建依別神にて御名を天之八現津彦奇根命なり」と申し給へり。さてそれより我家に送り給ひしは一月一日の黎明なり。 -
何れの界に至りても其界に入る時と其界を出る時ばかりは飛行は致せども、已に其界に入りては其界の上を飛行する事を許さぬが諸の界の掟則にて、界に入れば尊き神等と雖も歩行し給ふなり。川丹先生の用向ありて一つの界に趣き給ふ時に伴はれて行きたる事あり。其界の名は今は忘れたり。大川の東方に流れ、長堤のある処に始めて降りたるに、北方は大川南方は堤なり。此堤を歩する事二里許りにして藁葺の人家ある所に出たり。男女ともに皆面貌は美麗なれども現界にて見る非人乞食の様をして腰には小き緒を結び、多く股迄露はしたり。此処一つの区域をなす。此処を東に過ぐる事一里ばかりにして黒色の家ありて商家の状をなす。又此処を過ぐる事八丁許りにして山あり。宮殿並び立ちたり。支那服に似たる仕立にて黒衣を着し、男女共に太刀を佩きたり。此山の入口に黒き大門あり。内に入れば左右に大なる家あり。此処を一丁ばかり右の方と思はしき所に黒き塀十二重高く聳えたり。私に内を窺ふに黒き大なる柱を数十組上げたり。此処は此界の刑法場と云ふ。此処を過ぐれば南は大山、東に連り北は大川を隔て砂漠を見る。山麓に添ひ東に行く事二十丁許りにして北の川岸に折曲すれば渡舟数十あり。舟の舳に四歳ばかりの童子を載せて居えたり。此川渡大る浪逆立ち大渦の巻きたる処数を知らず。
川丹先生云ふ「汝は此処の舟に乗る事勿れ。最危き所なれば此処を一丁許り東に行く時は十丁位なる小山あり。此山を半を北に向ひ下れば川渡に出るなり。又小山に至る際に道二つあり。左の道を行く時は大なる家あり。其家より役員出で来れば事六つかし依て窃に右の道より山に登るべし」と宣ひて先生は舟に乗り別れて行く程に道をとり違へて件の大なる家の門に行き当れり。此門前をさへぎり山麓にかかりけるに後より棒を持ちたる人二十人ばかり追ひ来りけるに一生懸命足に任せて行く程に此山は巌岨にして大樹茂り、種々の獣類大るは牛の如く小なるは兎の如くなるものの数十往来して其恐しき云はん方なし。山半に至りて日已に暮方になり、追ひ来る人も近くなり此処より北に下れば即ち川渡に出たり。川上には筏を組みて水面穏なり。此筏を踏みて渡る事六丁ばかりにして大なる川原に出で、後を見れば彼の追ひ来る人は何処へ行きたるか見えず。又川丹先生も来り給はず、此川原を北に向ひて行くに小高き所に松の林あり。此処を過ぐれば又人家数十あり。其人家の並びたる中には学校に似たる所ありて童子共数多物学ぶ状の見えたり。此処を又北に過ぐるに川原にして墓所とおぼしき物の累々として連りたるが幾千と云ふを知らず。其処にて日已に没したり。又此処を過ぎて行く程に向ふより六人、現世の巡査の如きが来りて我を捕縛せんとするにぞいと心細くなりて大音を出して「川丹先生」と呼ばはりたるに六人の者少しためらふ状の見えけるに、又「川丹先生」と呼ばはりければ六人の者「川丹先生といふは神集岳中の尊官なり」と云ひて六人咄しけるに西の方より数十の燈火の見えけるに追々に近くなりて川丹先生五十人許りの者を率い給ひて来り給ふに、六人の者は地上に平伏したり。此時蘇りたる心地をぞたしける。
川丹先生の云ふ「此界の主官に要用を談ずるほどに隙どりたり」と宣ひければ六人の者は跡しさりして逃げんとするに川丹先生の云ふ「此者を一人此界に放りたりしは我が失策なり。廻察員大義なり」と宣へば六大の者は「大に御無礼を仕りたり」とて其所を退きたるに、又五十人の者に向ひ「送員大義」と申し給へば西の方へ皆々帰りたり。之より此の所を立ちて其夜半ごろに送り還し給ふ。
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- 神集岳退妖官の尊き御役目をしたる五気鬱隆進退吏官行方位刑上品磐性君の余に示して云ふ「現世にては天皇は諸社の神よりは尊し。然りとて官人等の天皇の命を偽り、神社の神位を我心任せにして神の尊卑を談じ、貴神を堕して賤神に増位する等は幽冥界に入りては其罪重し。親に不敬をする等の罪は之より軽きと又重きとの二つあり。されど天皇を軽蔑し、高官として命令を偽り作りたるは神の赦さざる所にして其罪科尤も重し。○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○、天照皇大神の御祭には何れの界に入り給ひしも打連れて参覲し給ふなり。死して後は神集岳ぞ大都にはありける。されば現世にて天皇に仕ふる如く正直に仕へ奉るべし。又現世天皇の御為、次で人民の為には心をも尽すべし」と常に宣給ひき。
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或年の九月頃に日暮を待ちて脱魂法を行ひ居たるに常に座敷の四隅に掛けたる蚊帳の釣緒の風なくして動き、拍子とりをして音したり。行を止めて見居たるに座敷の中央に小き土俵出現したり。東南の隅と西北の隅とへ小き相撲取数々現はれたり。小くはあれど皆肌の肥えて現に今の関取の如く其粧も異なる事なし。暫くして一人の行司黒き上下を着して土俵に進み出て、東の方は龍田川、西の力は凱陣と名のりたりしに、左右より二人の相撲とり土俵に上り、常の如くして立上りて組合ひたるに西の方は東の方に足手斧を打たれて凱陣負けとなる。行司の采配、東の方に上る。次に音羽川と名乗りて西の方より出で組合ひたるに、胸やぐらにて西の方は土俵の際に仰向になりてトンと云ふ音して倒る。東の方勝と采配上る。さて面白く見居たるにいつしか時移りて日暮れたり。又西方男山と名乗るに常の如く一人の相撲取、力ありげに見ゆるが土俵に上る此時坐中に光り物出で忽ちに土俵も相撲取も一度に消えたり。庭の方にて「ハア」と云ふ声して一枚の障子火炎となりて黒焼になれり。不図心付き座敷を見れば川丹先生なり。「先刻より来りて種々の状を現はせしは妖魔の仕業にて、如此あらんと思ひて参りしなり。○○○○と云ふ文字を書して門に張るべし。かくすれば以後来る事なし。
然るに今の妖魔は東隣の家にゆきたり」と宣ひて川丹先生は帰り給ふに、暫くして東隣に「ワア」と呼ぶ声して大に騒ぎ立つ物音聞え又暫くして女の泣き叫ぷ声したり。それより寝て翌日隣家より我を呼びに来りけるに行き見れば其家の主は「昨夜燈火の下にて孫子童観抄を読み居たるに、障子の外にて火の燃ゆるが如く見えければ、障子を明けて眺め居たるに炎は見えず、前庭の垣を押別け髪の乱れたる色青き大男が槍を小脇に挟み来りしと見えて消え失せたるに、俄に大熱を発して閨に入りたり。夜も更けければ女等も皆閨に入るに黒き坊主の長高きが眼を怒らして座中を徘徊し、衾の中へ毛のある手を度々差込みたるに鶏鳴の頃髪長く長高きが長上下を着して来る。其時は太刀にて切らんとすれど手足しびれて動く能はず。今朝に至る迄如此事ありて一睡もせざるなり。之を厭除く祈祷を執行ひくれよ」と依頼せらるるに、「余は今日は要用ありて他出すれば帰り次第に執行仕らん」とて帰り、朝飯して他出し、其日の夕方に帰りけるに東隣には日中も種々の変ありしと云ふにいなや行きて問ふに「貴殿の帰りの遅き故に市街より陰陽師を呼び、祈祷を致したるに陰陽師の持ちたる幣串の炎となりて焼け失せ、或は盥に衣服を水に漬けたるが火燃え上り、竃の前には堅き人糞を串刺にして立て列ね、或は床下に小児の泣く声して陰陽師も手を置きて退きたるに夜明鶏助といふ卜筮者を雇ひ来りて又祈祷を行ふに雷木の先より火燃え、或は祈祷札の祈念中に焼け失せて夜明鶏助も只今帰りたる処なり」と云ふ。不図思ひ出て件の○○○○と云ふ文字を数枚書して柱の毎々に張りて「之にて止まるべし。明日を待ちて試み給へ」とて帰りぬ。
さて其翌日に至れども何の変りたる事もなく妖魔の害も止みて主人の熱病も全快に趣きたり。 -
先年阿波国勝浦郡金礒新田村多田氏の招待によりて当家に滞泊の砌り、同村某の子息十八九歳なるが狂気を発して種々様々の術を施せども全快せずとて、余に此狂気の鎮まりて平癒すべき祈祷を致し呉れよといふに辞退すれども聞入るる様もなくて、遂に招きに応じて或日の夕方に彼処に至りけるに、其夜は小松島と云へる所の神宮分教会所の世話方をする者等数人よりて酒宴いたし大に賑ひて深更になりければ、明日は祈祷執行の有様を拝見に来らんとて皆一礼をなして我家に帰る。
折しも六月の事なれば蚊帳を張りて閨に入り一睡して目覚めたるに身体寒くなりて衾を巻きて居たるが、東北の蚊帳の隅にて青火ボロボロと燃え漸々に大きくなるに従ひ、人の形となりたり。よく見れば年頃三十七八歳許りの男白無垢の上に麻上下を着たるが怒れる体にて余を見つめて云ひ出けるは「足下は幽冥に通達したる人なり。故に我形を現はして積年の鬱憤を告ぐるなり。我此国の家中にありて中郎の職を致したりし者なるが、今此家の妻になりたる者は其根元は吾妾なりき。我存生中に種々云ひかはしたる事のあるを或日我入湯したる時汚垢を流し呉れんとて手拭を持来り後に廻りて手拭より短刀を出して吾咽喉に突き立てければ、我忽ち即死を遂げしなり。其死したる有状は我と我手にて自害したる有状に見せて其罪を免れ一年二年行く程に此家の主と蜜通し我が儲へ置けりし金銀を取出して此家の妻となれり。其悪さ堪へ難く思ひ、いつかは此恨を晴らさんものと已に此家の一子をば狂乱人となし、其胤を断ちて遂には悪女を取殺さんと思ひ積りて今日に至れり。今迄も度々出現したれども狐狸の如く云ひなすもあり、或は恐れて逃げ去る者ありて其意を達せず、今夜足下に告ぐる事一として偽にあらず。最早夜も明けなば此家の毒妻に問ひ糺し給へ。今一番に狂乱者を締め殺して我来りたる証とせん」と云ふにぞ。「如何にして足下の意に適ふや。此家の女に新宮を建てさせ生涯日々に恐入致させ、祭典怠らずして足下を叮嚀に拝礼致させ、改心の有状を見給はんには恨怒の心も鎮まり給ふべし。我に此中取持たし給へ」と呉々もいひけれども「如何に叮嚀反覆を尽し給ひて悪女のいかに恐入り改心すとも此恨は去りがたし。足下此国にある中は我思ふに狂乱者を殺しなば足下の名誉に関係すべし。又足下に対しては道たち難し。此国を去り給はば其後には彼を殺すべし。イザサラバ」と云ふ声と共に炎となりて飛び去りたり。
漸々夜明ければ狂乱者物を吐く音しけるに家内皆起きて朝飯の用意をして我も朝飯を食し竟りければ狂乱者の今朝かかるものを吐き出したりとて金盥に痰汁の二合位入りたるを見せたり。それより夜中の委細を窃に語りければ夫婦共に打驚き泣き悲しめどもせん方なければ、彼の怨霊を慰むるの祈祷を執行ひて、其日の午後四時頃に家を立出で多田氏の宅に帰り、さて日を経て其国を発足して帰村し二十日の後に多田氏より書状来る。其文中に件の狂乱者は「ワア」と叫びて五日以前に死したりとありて彼の霊魂の仕業なる事を思ひ出したり。怨魂の姓名も夫婦の姓名も明白なれどもよろしからぬ故に書き洩しつ。
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或時川丹先生に諸国名山を巡見せん事を願ひたりしに「六月六日より九日まで四日の間は休業日なり。故に伴ひて諸国の名山を見物いたさすべし」と宣ひけるに其日を待ちて六月七日の夜明先生に伴はれて土佐国を立ち、大空に上りて西方に斜めに下りて薩摩国海門岳並に紫尾山を始めとして日向国高千穂、肥後国阿蘇岳、肥前国中岡山、豊前国彦山、豊後国羽根山、周防国久米大山、安藝国久羽山、伯耆国大山、隠岐国大寺山、丹後国大江山、美濃国丹生の大山、飛騨国硫黄岳、越中国立山、能登山伏山、信濃国御岳、三河国連谷山、遠江国秋葉山、駿河国不二山、甲斐国八岳、天目山、上野国吾妻山、足尾山、日光山、岩代国鬼面山、常陸国筑波山、磐城国守山、湯岳、羽前国蔵王岳、羽後国駒ヶ岳、陸中国南昌山、陸奥国岩城山、龍飛岬にて休息す。此外七十二山あれども常に参りたれば此度は洩しつ。此所を立ちて渡島黒木岳、胆振国札幌岳、石狩国空知岳、天塩国ケネフト山、北見国エカリ山、釧路国足寄山、根室国茶々ケ嶽、此処を立ちて択捉鳥モヨロケ岳にて休息し、又此処を立ちて樺太国ルウタカ岳、ニイシヤチ岳、キトウシ岳にて日已に暮れたり。此処にて田螺と干飯の粉と水にひたして硝子に似たる紙に包み、土を掘り埋めて其上にて火を焼き、暫くして取出して我のみ食したり。川丹先生は食せず。側に火を焼きて一夜臥したり。其翌朝日出前に此所を立ちて大空に上ること遥かにして斜めに西の方に下りて支那国の徐州泰山に着き、此所を立ちて楊州の鍾山、会稽山、予州嵩山、熊耳山、荊州の衡山、梁州の峨眉山、岷山、遥かに西に過ぎて大崑崙山、岡底斯山、此処より東と思ふ方に向ひて、雍州の積石山にて日暮れたり。
翌朝崆峒山、終南山、華山、大龍山を見物して冀州に入りて姑射山、大岳、恒山を見て朝鮮国に入り、三面山より立ちて大空に上り、又下りて日本の地方に渡り長州の上を斜めに通りて速吸門を下に見て伊予国石鉄山に休息して、其日の午後九時頃に我が住居せる村の中にある筆山の頂迄送り帰し給ふ。右に記せる外に数々見物せし山あれども忘れたり。樺太国を立ちて徐州へ通りし時に海中にて大渦巻くを下に見て川丹先生に尋ね奉れば「淮南海なり」と宣へり。速吸門の渦よりは余程大なり。偖右の諸山の中にて大崑崙山、泰山の二山には心を止めて見物せし故に山形及び景色なども今にありありと覚えたり。
偖伴はれて国々を見巡りたる時は川丹先生三度水を呑み給ふのみにて食事は致されざりしなり。我は三度食事を致したる様に覚ゆれど二度は何れの山にて食せしか忘れたり。又高千穂岳にて川丹先生の云ふ「此池は雄黄水にして之を扱み取る時は鼠色となりて堅くなるなり。それを粉にして現世人の痺癬に付ける時は忽ち癒ゆべし。これ無類の奇薬なり」と宣ひけり。 -
我同村に岩蔵とて漁業を以て家業とする男あり。嘉永元年大江戸にありて叡山の二本杉を信仰するよりして年三十六歳にて大山僧正に伴はれて万国を巡り度々伴はれ見馴れぬ所を見し嬉しさに同僚の者に委細を語りて俄に狂乱を発して江戸より追ひ下され、同村に帰りて後は狂気も治まりて常人の如くなりたるに、其後も度々異境に入りし由聞えければ、我父常磐が安政五年七月にかの岩蔵を呼びて異境の事を書き記せる中に、杉山僧正に伴はれて諸山を見巡る様に相州浦賀ノ港の上を通り伊勢両宮へ参拝し、それより伯耆の大山へ行く。此大山は八丁許りの山にて初めの二丁位の処に清海ケ瀧あり。此時僧正、滝へ声をかけ「此度大山本山を相勤むる者召連れ参拝仕る」と申されければ、上の滝にて「宜敷」と答へあり。
それより又二丁許りの処に中の寺と申すあり。此処に地獄の権衡ありて、人の善悪を知り給ふ。私此衡に掛けられたるに僧正申されけるは「此者は獣を殺せしこと顕はるれど、其獣の仕業悪しかりし故に罪咎は少し。後刻此者を伴ひ帰る雲路にて浅間山の烟にうたせて罪を清むべし」と宣ふ。此獣のことは私魚を料理せる時に猫来りて其魚をロにくはへ走らんとするに、庖丁を振り上げておどし候処、はからず柄がぬけて猫の急所に立ちて死したりし事あり。之は若年のことなり。
さて「此上には尊き所あれば祓ひをして参るべし」と申されけるに傍の人私の後より麻を以て祓ひ清め給へり。それより半丁許りにして奥院といふあり。此所に社あり。「其社はもと伊弉諾尊の天降り給ひし所なり」と申されて其所行きければ小き穴あり。内に入れば踏石あり。向の左に滝あり。其下は淵にて水面は紺青色なり。落つる水は逆まに飛び上り、通常人にては容易に渡る事難し。故に翼ある人に負はれ向に渡りければ、左の方は青色の石にて菊の彫物あり。花は朱にて塗り葉は縁青にてぬれり。此処より向は上下左右共に水晶の加くして八畳敷ばかりの平なる石あり。其光り美はしく其奥の上の方に高さ一丈余りの丸き穴あり。此に六尺許りの石にて作れる神体あり。之は伊奘諾尊の御形と申されたり。之より上は穴明き通りて大空見え奇妙なり。此処は山人どもの深く信仰し給ふ所にして此山の名を菊山と申せり。又僧正申されけるは「花は吉野の桜といへども、此菊山が花の本ぞ。忘る事勿れ云々」
岩蔵がいへるは伯耆大山の幽冥界と日向高千穂山の西南にある幽冥界とを混合して語れる事にて伯耆の大山には人間も容易に通り難き滝はあれども神体などの石はなし。高千穂山の幽界には穴あり。四方は岩蔵が云へる如く美しき伊奘諾尊の神像たる天然物と見えて長き一尺ばかりがあれど、滝のうつりによりては長さ一丈にも二丈にも見ゆるなり。前の畳岩は三尺方面にして八畳敷程はあらず。岩蔵は魂にて見しか皆大きく見えたり。此三尺ばかりなる石は緑色にして所々に十六方面の白色にて燈火の如く光る石を含蓄し、其石の中には日光と滝水との遇会なるか、虹蜺の如くに光り見ゆるもあり。伊奘諾尊の尊像石は其色は茶色にして少し赤色を帯びたり。然るに此幽界は常人の至る事を許さぬ所にして偶に至る人ある時は近年頃は再び帰さぬ所なりき。明治五年の頃よりは西洋人も多く来るに隨ひて異人に伴はれける人すら此所に行くは止められけり。
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- 幽冥界の事を記するに当りては何れの界に入りても返るや否や近年は筆記すれども大事なるは書き落せる事あり。其大事のことも書きたる様に思へども後日見れば大事件は如何なる事か書き落して文句のつづかぬも多かるを、心つきては書入もせんと思ふに、これさへ只思ふのみにてあるは心地悪しくなり、頭痛などして書入るる事も亦うるさくなり、明日こそ書入もいたさぬと思ひつつ、其日になれば又前日の如くかくして一日二日延び行く随に夢の如くなりもて行きて終に忘れ果つるなり。又其忘るることを知りては幽冥界より帰りたる時に早く大事なる事も書きつけて漏落ちたる処はなきかと数十遍も繰返して読み見るに文句も聞ゆるを、翌朝取出して見れば文句も散乱して木に竹をつぎたる如く我が筆記せし物ながら合点の行かぬ様になりて再び書せんにも大に労の行くやうに思ひ、怠惰の心俄に起りていかにしても大事をば書き止むる事かたし。こは幽冥中にゆるさぬ理りのあるなるべし。
- 大山僧正、杉山僧正の大空より志したる山に下るには雲霧にて其山の見えぬ時は空より九字を切り、次に指にて○+□を書く。其書く形は■如此にして○○と三唱して十文字の中と思ふ所を口にて吹き、次に羽団扇を左右に振りて両手に持ちて頭上に上げて横にして吹きたる所と思ふ所におろすなり。かくすれば忽ち雲霧はれ山々の峯も見ゆるなり。
- 杉山僧正が川丹先生の命を受けて東京の平川町と云ふ所を焼きたる事あり。之には故あることなるが、其焼く様は種々あって、血を落すも羽を落すもある中に、空より大指の爪先より血を出して火となし落しけるに、其下俄に大火事となりたるに、天狗等数々飛び来りて鳶に化して火にあたりし事あり。奇妙なる事なり。
- 狗賓界の者の人形に化けて諸社の札配りと偽りて板木にて浅間大神守護、太宰府天満宮守護、鹿島大神祈祷守護など云ふ札を摺り、之を配りて金銭を取り、梅干、豆腐、白紙、庖丁の類を第一として種々買求めて住所に帰るよし聞きたるを、明治八年十月頃に鹿島大神霊璽と書きたる札二枚を商家にて見たるに「此札は誰より授かりたるや」と問へば「此札は鹿島神宮の社人とて先刻配り来りしを受けたるなり」と云ふ。其字体常と異なれば不図思ひ出して彼の狗賓の仕業にはあらざるかと疑念起りければ一枚所望して持帰りて開き見るに短冊ばかりに切りたる紙を墨にて色々に塗りて何を書しありとも知られず、日を経て杉山僧正に問へば「登喜魂経津ノ剣神、矢大臣弓主神と書きたるを塗りたるなるべし。之は武甕槌神と天忍日命の二神なり。狗賓界より出たる札は皆中の字を塗りたるなり」といへり。又鬼面に矢を通したる物にも矢大臣と名づけたる物もあるなり。
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杉山僧正、高山僧正、大山僧正などの山人に伴はれて諸国の見馴れぬ所を見物するは殊の外面白く、行く時は耳に風当り切るる様に思はるれど、蝙蝠の皮にて度々湯を付けて押す時は其痛みも止まるなり。諸の幽界にも入りて心に発明する事も数多あれど、山人天狗界には入らぬが真の人にてかかる界に入る時は自由自在なる事はあれど、其自由自在に倍したる苦しき行ひあるなり。其行は見る度毎に身の毛もよだつなり。
此界に入るやいなや僧正ほどの位にならばよろしきことなれど、常人は容易になる事かたし。故に其従者となりて苦みを受けんよりは人間の楽みが第一番なり。然るに神仙界には苦行とては無き故に肉体にて幽顕出入をば神々に願ふべきなり。偖我が折々杉山僧正に伴はれて所々を見たるは川丹先生の杉山僧正に命じて我を連れ行かしたるにて、我眼には杉山僧正は左程に貴人とも思はれず尤も物事を何によらずよく合点し、知りたる山人にては杉山僧正に限るなり。
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紀州の事を種々書きたる雑誌に云ふ、紀州の御家中にて殺生に出て美麗なる雉を打ち申候処に鉄砲あたり不申、其後毎度打ち候得ども中り不申に付、後には其雉子に見知りを付け不思議の事と沙汰有之。鉄砲の上手の人承伝へ行きて毎度其雉子を打ちけれどもいよいよあたり不申。右之風聞有之故に不思事なる事に付、網にて取り候様に被仰付、其雉子網にて捕へ吟味致し候処、羽下に文字ある札つき候由、これによりて其文字を写し的角の裏に張り付けて弓鉄砲にてためし被仰付候処、兎角に中り不申。不思議なる事と申候由、矢除の守にて可有之哉と被存候。然るに雉の翼下に付け有之候札の文字左の如し「■■■■」右は天明二壬寅年四月聞之とあり。此文字は世上の人の門戸に常に張る人多くして皆知りたる事にて、或は守として懐中すれば怪我過ちなしとて不転の守とも云ひて此字を書して授くる人もあるに、何と云ふ文義を世中に知る人なし。
然るに我思ふに此文字は天狗界にて見たる事あり。或時杉山僧正に問へば「■■■■の四字は其よみは「サンバ、サンバ」「ジヤクカウ、シヤクカウ」「キンカツ、キンシン」と四音によみ、一には■■■■。■■■■。■■■■。とも書きて剣難、鉄砲難、弓矢難、悪病難を除る。近勝初。近進(一名先進と云ふ)といへる印の別名なりと云へり。之に付きて思ひ出したる事あり。先年印形と印名と印歌とを彼界にて写し来れるが、其印名は彼界の字を以て書きたるを後に尋ねて漢字を以て其字義を解したり。其印名の字は右の文字も入りたり。今其印名を記する事左の如し(印名等略す編者)右は天狗界に秘する所の五十印の名なり。此五十印を以て印元と名づく。此外に種々の印あれども人間用いて霊験なし。印法も術は五十印に限るべし。
此外に九仙八海印、飛行印、長高童子印、大鷹印、小鷹印、水印、火印、霞印など云ふはあれど、五十印の中より出たるものにて諸の印は此五十印を以て主印となすなり。偖又右の五十印には一名に付きて四名ありといへり。我は一通り写したるなり。 - 深山にて引きさかれたる人其体は離ればなれとなりて其ままに手足もよせ集むれば五体の調ふは天狗の仕業にて、衣服など多くは高木の枝にかけたり。又引きさかれし者の腸なく諸所の肉なきは杣人の悪魔界に入りたる者の食ひて血を吸ひたるなり。又骨ばかりなるは狼の仕業なり。天狗は鉄砲弓矢などは当らぬものなれど、杣人及び悪人等の肉体にて魔界に入りたるは地に伏して「朝の明星、夕の明星力」と唱へて打つ時は砲矢も当るなり。立ちながらにして打てば当るなしと聞けり。
- 神経病とて諸事の心に掛り其妄念より異形の者の眼前に浮び、服をとぢても見え諸の異声を聞き、終には狂乱病を発して種々の雑言を吐きなどする類は邪気の血に入りて妄想を引起したるものにて、邪気を去り妄想を退くる事は其法あれども容易に行ひ難し。然れども発病の始めなれば平癒せしむる奇術あるなり。
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幣串を持ちて何の言にて数度唱へ神の名、仏の名、何によらず雑々唱ふる時は空中に往来せる種々の邪霊の寄りて幣串に憑り、奇なる事を現はすものなれど長くは続く事なく、遂には害を受くる事なり。俗人の神憑と云ふは此類にて、何人にても行はんとすれば行はるるなり。其中には邪霊と妄想と感じ合ひて幣串を振はすことあり。真の神のよることは万に一つが覚束なし。然るに心正直にして道の為に一心不乱になりて神憑の式を行へば憑り給ふ事あれど、私欲の為に行ふに至りては真の神は来らずして、邪霊かかりて始めの程は物事もよくあたれども、終には尻ロなる事ありて大損をし、或は困窮を招き、身を立つるの時至る事なし。楽などには神憑を願ひ、且つ幣串を持ちたる時は種々に難言など繰りかへす事なかれ。
又神憑に心得居るべき事あり。悪魔狐狸や死霊等の憑りて神名を詐り名のりて、其教へには上下左右に手を振り又言語にて教ふるもあり、手を頭上にて振るは神の使役し給ふ霊なり。目下にて振るは悪魔なり。其中に拍手する事度々にして又手をくみてロばしるは多くは空中に浮かれまよへる諸霊なり。又悪魔のかかる時は如何なる尊き社殿にてもかかるなり。悪魔は一度憑れば度々来りかかるなり。憑る時、目の前闇くなるは魔の類なり。又火の如く光りて来るは神霊にて、其時は一度び頭の下に自然と下るものなり。
又嗜慾なる事を伺ひ願ふ時は神は何時の間か去り給ひて悪魔入替りて憑り居るなり。又魔の憑りたる時は其人の足の裏に「付くも不肖付かるるも不肖、一時の夢ぞかし、生は難の池水つもりて淵となる。鬼神に横道なし。人間にうたがひなし。教化に付かざるに依りて時を切てすゆるなり。下のふたつへも推してする」と唱へ、灸を三つすゆる時は悪魔も忽ち離るるなり。又足の形を板にうつしてすゆるもよし。又天狗界の物の憑りたるは大指の爪を握りかくして大豆類を好むなり。
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- 天狗界にて妖魔を禳ふ桃剣■は如此にして身長二尺七寸、中心の長さ一尺七寸にして■■■■と書きて彫付け裏に■■とえり付けたり。此外に二通りあれど、彼界に秘したる故に記さず。
- 杉山僧正の占を行ふ詞に「カケマクモカシコキ。クシマチノ思ヒ玉ノ彦御子ノ神ノ始メテ、カラヤマトノ占ノ道ヲウケ伝へ給フ御霊ノ神世ノ、人草ノ見知り覚リカタキノリヲ以テ、今何々ヲ占ヒ思フ。天地ノ息打墨縄ノ速ケク、十寸鏡ノ磨キ明メタル事ノ如ク千重ノ一重モ違フコトアラシメズ、マサヤカニ告ゲ知ラシメ思ハシメ玉ヘ」と唱へ、○○と唱へて手を八つ拍ち、瞑目して暫くしてウウといひて目を開きて後に合点の行きたる有様をするなり。
- 先年杉山僧正、大山僧正と二人に魔術とて奇異なる術ありと聞けり。何々の法なりやと問ひたりしに、第一にヲヲメノ蹴乱タツマノ蹴乱とて文言を唱へて足にて蹴るまねをして人を倒す法なり。其詞を略して云へば天シキシキ地シキシキ、天ニ八違ヒ地ニ十文字、天切ル地切ル八方切ル、前ヘオロシ後。アテ(中略)マルアテ。ビラリ。ハツトウシウンウン。カンノマダシアミウン。切リ放チテ倒ス。サンヒラリ」と唱ふあり。又十三式法と云ふありて、鳩の体、蛇の体、狐狸の体、剣の体、弓の体、釘の体、大魔体、火の体、水の体、木の体、土の体、人形体など云ひて奇術ある中に水体といへるは土人形を作りて詞を唱へ水に入れて漸々に洗ひ落す法にて、火体も土人形を火の中に入れ詞を唱へ焼く法なり。之は大に恐るべき詛術なり。又土の体と云ふには三名ありて、辻式、水口式、総含式とも云ひて人を速死せしむるの魔法にて、之も恐るべきなり。此外に遠当法とて即坐にして人を絶気せしむる法あり。こは唱へのみなり。此唱へを略して云へば「○○○○○○。○○○○○○。○○○○○○○。○○○○○○。○○○○○○○。○○○○○。○○○○○○○。○○○○○○○。○○○○○。○○○○。○○○○○○○。○○○。○○○○。○○○○。○○。○○○○○○。○○○○○○。」と唱へて手を一つ拍つなりといへり。詞も略して云ひて全き詞を知らば却て害ありとて教へざりき。右十三式法は委細に其仕様も聞きたれど筆記せざりし故に忘れたり。略ながらも蹴乱の詞と遠当の詞は其問ひたる時に筆記せし故に今かくしるせるなり。又摩利支天法。大神白骨法、聖天法、運下法、月輪法、三虫法、化落法などいへる類は今にも闇知したり。
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夜中に異形のものに出会する時に長の高き短きを論ぜず、前に見えて黒色又金色なる形の見はるるは其正体は前にあらずして必ず後にあり。女人の褌など腰に巻き行かば魔の目にかかることなし。されどかかる事は男子のすまじき事にて常に鶏冠石の粉と雄黄とを懐中すべし。魔物に犯さるる事曾てなし。又魔の正体を見るには股を開きて頭をたれ、股より後を見れば正体見ゆるなり。又後に草履の音してバタバタと鳴りて夜る人の往来なき所にてかく音のするは自分の臆病にて草履の砂の腰及び脛に当ると、阿須波神の後を守り給ひて附き来り給ふと、魔ものとの三つにて、臆病にて何者か歩み来るやうに思ゆれども股より右の如く逆になりて見れば薄白く人形に見えて足なきは魔物なり。足の見ゆるは足羽神なり。何も見えぬは只我臆病にて件の草履の音のみなり。
又夜神社へ参拝する道すがら後ろより「ホイホイホイ」と三声呼ぶ時は其夜には参拝せざるがよし。又夜中途中にて大男並に大牛に出会する時は目を閉ぢて三足退き、後に廻り、目を張りてロを大きく開き、歯音を高く叩き、両手を下げ大指を握り見返りて、又歯音を高くきびしく叩きつつ歯をむき出し通る時は物なきが如く歩行せらるるなり。此大男大牛は勿論真物にてはなく、化物のことをさしていふなり。 - 大白星は万星よりは近く見え、此星に近づくに随ひて虹蜺の如き色に見ゆるが中に小星二つ見え、又近より見れば小き二星は前にあり。此二星の間を過ぐれば月を見る如く、又近より見れば大空より地球を見るが如くなりて寒気身を刺して此処より至る事難し。此処より地球を見れば、又大白星の如くきらきらと光りあるなり。
- 天狗主領の山人に某僧正とて山々分け持ちたる山人の中に、某僧正の現世にありし時の名をいふ事はさして云はれぬ事なるが、弓削の内ン人、巨勢朝俊、藤原朝臣高持、筑波小次郎源隆国、久米判官友行、高田入道義明などいへる人の僧正号を唱へたり。又孝元天皇三年に入りたる根室建彦、光仁天皇の宝亀八年二月に入りたる杉山石麿、小野石根等は皆肉体の様に見えたり。
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- 投羽団扇と唱へて魔物に投げ付くる物あり。羽団扇の本に鬼を付けてかり股の矢根を指して上に緒をつけたるものなり。之は人間の手にても出来るなり。
- 地球上の中なる夜国に近き所に一つの天狗界あり。此界の名をフルシバルと云ふ漢字に訳すれば自明界と云ふ事に当るとぞ。いかなる故あるにや、又此所には鶴鳥の尤も多き所なり。此界にて祝歌を歌ふ音声を聞くに西洋支那日本の語を交へて言ふ様に聞えたり。
- 先年土佐郡種崎町といふ所へ年頃二十歳許りの男老母一人を連れ来りて商家に滞泊して価をとらずに薬を病者に与へて忽ち功駿を発し、或は又禁厭を行ひて病者を癒しけるに其事市中に名高くなりて堅磐が耳にも入りてければ、日々我家に出入する男子萬屋楠馬といふを使として「水位寿真、現名宮地堅磐。高山白石平馬、目今の幽名玄達殿に久し振に対面致し度、又父常磐よりも尋ねたき仔細もあれば、御苦労ながら今宵は弊家へ来り給ふべし」と申遣しければ、其声を聞きて大に驚き「我名を知られては一大事なり」とて俄に老母を伴ひて何処へ行きしか行方しれずなりたりと使の者の帰りて述べたり。 彼界を窃に出で来りたるを堅磐が杉山僧正に告げん事を恐れて逃げたるか、将た何故なるか知らず。其後大山常照僧正に問へば「白石玄達は奇符の官を越え奇乙の上位になりて伯耆僧正の伴ひて九州の長崎に至れり。然るに杉山石麿僧正の留守にて玄達奴の土佐国へ参りたりし時水位寿真の使来りて大に迷惑せし事あり」と長崎へ行く際に語りたりとぞ。
- 諸所にある神仙界の大都と思ふ所々は其形を多く写したれども秘事秘言などは筆記をばゆるさぬ故に委しき記なし。天狗界は下等の界なる故に筆記し来りて秘事もをりをり洩したり。
- 天狗に入りたる新参者の飛行の稽古をするを見たる事あり。其状は深山の高き岩上にて僧一人立ちて径一尺五寸許りの磁石針の付きたるものに二所穴ありて西洋時計に似たるを仰向に置きて其穴にねぢを入れて四十度ほど巻きければ右の器の横より一尺五寸許りの針出てビリビリと振ひ動きブンブンと音するなり。其時僧正羽団扇を持ちて右手にて頭上にあぐれば一人の兄弟子と思ふが前に立ち、護身法の印を結び、次に大鷹小鷹の印を結び、次に飛行の印とて左右の手の大指を組み違へて八指を広げ頭上に挙ぐれば新参の者二人許りそれに従ひ、その通りして高弟の両手を頭上より下し、前に突出すと一時に岩を飛びて前なる山の麓を見がけて飛び下るなり。其時僧正何かロ中に唱へつつ羽団扇を岩上より打振るなり。又上を向ひ上るは十年間ほど修行して後なり。又僧正に従ひ行く時は自然と其威に引かされて行くと聞けり。又彼の飛行稽古の始めには怪我する事もままありと聞けり。
- 天狗界にては魔物除の為なりとて種々の稽古ありて投羽団扇、投桃核、手裏剣、豆打、剣法、石打、円月刀、弓矢、風砲、投矢、棒業、笛術、水火術、六甲進退禹歩、鎌術、十文縄、引落、目打、桃剣、吹針など云ふは見たる事あれど、鋸はかつて見たることなし。此外にも蹴術、集鳥使、降火術などいへる稽古もあれど僧正ならでは行ひて其しるしなし。
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四国の南溟に方りて妹背二別島といふあり。此島は余程大なる島にて、四面浪荒く船の容易に至り難き所なり。船にて行く時は雲の如くに此高を見る迄は行かるるなり。去る明治元年一月九日なりき。杉山僧正の「我とは親しくする故に妹背二別之島にて今夜山人等の会議あり。足下一人伴ひ行きて其有状を見せ申さん」とて九日の日暮に伴はれて行きし事あり。此時種々の山人を見たり。出席の山人には日光山の大冠貴僧正、杉山石麿清定君、大山常照清定君、高千穂岳の火雷僧正、彦山の退勝坊、剣山金角僧正、朝鮮国の李意仙門、同国の易光仙門、来良仙門、琉球の天風胤子、地虬胤子、蝦夷国のヤマトヲホヂミコ、エボツ彦ミコ、など云ふを始めて此外僧正の位置なる山人二百余人集会したる中に天風胤子、ヤマトヲホヂミコの二人は当夜の会議長と見えたり。此二人のことを杉山僧正に問へば天風胤子は「アマミキユ、シネリキユ」といふ神の眷属にて綏靖天皇十二年に入りし人なり。ヤマトヲホヂミコは孝霊天皇二年に入りし人と聞けり。
又此会議へは来り給はざる貴人三名あり。之は来り給ふことなし。其三名は筑紫国の産にて○○○○○○○○○○、○○○○○○○○、○○○○○○○○なり。此三人は神武天皇即位二年に入山し、奇術を得て身に翼を生じ、天の日鷲命の命令を受けて天狗界を始めて開きし元祖なり。三人を合して○○○○○○○の神とも称するなりと云はれたり。又御三神の御名は現世の人に聞かすことを容易に許されずと云へり。此会議の条は面白き事あれども秘事もあれば洩しつ。偖其夜の鶏鳴過ぎに至りて会議了りて帰る。此一条には人間知り難きことの百分の一を洩したり。 -
天狗の行と云ふは実に苦しき行にして其縁に引かされて行く者すら死するより苦しく思ふものにて、熱湯行、断食行、寒水行、火鉄丸行、立止行、捕木行、火上行、夜興行、当番行、雪中行、日光行などいふありて、其行をする様を見れば身の毛もよだつなり。其中には大罪の刑に行はるるが如きも其実はあるものにて、天狗界の奇術を好み慕ふ人はあれど、此界に入らぬが肝要にて人道が極楽の道なり。縁に引かれて入りたる人も僧正以下のものは此界に入りて後は夢現の如く思ひて人間界をば折々心に思ひ出て慕ふことも常なりと天狗界のものに聞きたり。
○○○○○○○○○○、○○○○○○、一名○○○○○○○、○○○○○○等すら「日鷲命に令を受けてかく天狗界は開きたれど、かかる下界とはなすまじく思ひしに苦界に陥りたり」と歎き悲しみ給ふこと時々ありと聞く。故に此界の僧正といへども祭ることは宜しからず。祭る時は漸々に近づきて悪しく、此事は皆心得世くべし。又天狗界よりも其縁にあらざる人は其実好まざるなり。人間たるものは長命にして此世に在るが第一の徳なり。此事はかへすがえすも書き置くなり。又あまりに奇異を好む時は折にふれては魔神のよるものなり。 - 飛行して遠く行く時は諸の界の近き辺を通る事もあり。又星の近くをたまたまに通る時は白き霞の中を通る様にて、此時は星の見えざる事もあるなり。又何れの界に至りても近く寄る時は其界を下に見るなり。行く始めは上を向ひ行けども、いつの間にか身体のふりかへるが合点行かざるなり。
- 少童君に伴はれたるより、故ありて川丹先生を師と仰ぎ奉る。川丹先生の命じて杉山大僧正等に伴はれ、心易くなりて折々は諸所へ行けども、杉山僧正等の界に入らぬは生涯の仕合なり。然りとて天狗界を世の人悪く云ひて謗りなどするは極めて宜しからず。其仔細は夜中一人往来の節深更に及び山中にて天狗を悪しくいひ譏て試るべし。其駿多くは速かに来るなり。たとへ其時来らずとも一月を経ぬ間には来るものなれば、必ず何も云ひ且つせぬが宜し。現世人は疑ひ多くして信ぜず、かかる事は世には無きものとおろそかに思ひたる人もあれど、幽冥は畏るべきものにて譏り笑ふ人間も死して後には合点行きて後悔するなり。
[28] ▲
- 神仙界に度々出入し天狗界をも度々見物するまにまに面白くなりて今日は神仙界より御使の来るか、明日は杉山僧正の伴ひに来るかとひたすらに恋しくなり、人界のことは苦しくなり、彼界の事は珠に面白くなりて片時も忘られず折にふれては不図声を出して「川丹先生はなぜに来らぬ」などと独言する声の妻や奴婢どもに聞えて不審に思はるること度々ありけるに、川丹先生の云はれけるは「一月に一度許りは汝の閑暇の時を見ては伴ふべけれども、現界の大義を忘れ勤を怠り家業を忘るるに至りては神仙界の掟に違ふ故に人間の勤を第一にして忠孝は云ふに及ばず、人間交際の正義を尽すべし。かくせざる時は我も師弟の縁を切るなり」と深切に諭し給ふ。其時は其御詞の肝に銘じて身の毛もよだちたり。
- 「書籍を沢山読みて生合点して学者自慢し愚人を見下し、無理なることも道理らしく云ひまげ、常に珍言奇事を好み、或は神もなきものの如く言ひなし、己より地位高きものをそねみ、神典などは悪しく譏り行く程に、命終りては幽冥界のあることを知らざる故に狼狽し、霊魂の行く処を失ひ迷ひ居る中に、同類をふやさんとする魔神の界に引入れられて神府には至り得ず、不自由を極め永く苦みを受くるもの多くあり」と川丹先生の云へり。故に何れの界に入るも現世の心の居り一つなり。
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杉山僧正の弟に杉山熙道僧正といへるあり。彼界の内にては二杉熙道君といへり。此僧正には白石左司馬、水上時馬、坂田義平、吉永金九郎などいへる人の付添ひなり。白石左司馬は此界の名にて現名は信田豊前といひし人なり。水上以下は現名にて幽名を水上時馬は白石霊碧、坂田義平は白石張鐵、吉永金九郎は白石野丈といひて如何なる事か皆白石と名乗りたり。
此二杉熙道僧正も白石二杉熙道とも云へり。此熙道君不二山にありし時は大山日石と云ひしを、後には日の字の上にノを加へ白石とし、それを名字にせられしとぞ。又杉山僧正の寅吉に日石と云ふ名も付けられたり。日石と云ふは太陽中の物を云ふとぞ。此界へ支那より来り入りたる人にも炎石左郎、血石左郎と云へるあり。 - 杉山僧正の界には鶏卵、鰹節、干魚、鳥類を大に好むなり。四国の天狗には右様のものは皆嫌ふが中に鰹節のみは食するなり。
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我父常磐大人年三十六歳までは武術を好みて剣術、砲術、弓術には別けて其道に達し、何れの処にても先生と仰ぎ敬されしに、父が砲術の師たりし田所氏、或日父を招きて云ひけらく「足下神主の家に生れながら神明に仕ふる勤めを捨て年来武術を好み、其奥義を得んとして砲術は其極に至ると雖も我職務に暗きは実に生涯の恥辱なり。我職務を怠りては神明に対し奉り第一の不敬なり。足下武術に心を入れて粉骨するが如く神明に奉仕すべし」と示論せられけるにぞ。
之に感服して三十七歳の正月元日より武術を止め、毎夜子刻より起きて寒暖霜雪の間も休息する事なく地上に立ち、天を拝し、次に神前に向ひ祈白する事巳の刻にして竟り、さて朝膳を食す。夕は日暮より五つ時(今の八時迄)に及ぶ。我父の行ひの有状を見るに雪の夜などは庭前の石上に坐して祭服にふりかかる雪は氷となり、之を握れば服と共に氷りたり。されども撓まず手を組み空を向ひて慇懃に祈白すること二時ばかりにして家に入り、神前に向ひて又礼拝すること十年を積み、漸く大山祇命に拝謁するを得て益々魂を凝らし、終に海神及び諸神に通ずる事をも得、又天狗界の者をも使ふ事を得て行く程に、畏くも大山祇命の御依頼によりて土佐国吾川郡安居村の高山手箱山と云ふを開山し、大山祇命を鎮祭し奉り、衆人を集へて大鎖三十六尋を此山にかけたり。
其時より父の神明に通ぜし噂の盛になりて、奸夫十八人其事を種々に申立て詐上し、遂に神主職も放され遠方往来さへ留められければ、父の代りに堅磐十二歳にて神主職に召出されたり。されども屈せずして神拝の勤め前に倍し怠らざりければ、父を詐上し且つ吟味せし者は皆年々に死往きて一人も残るものなきに至りしかば、遂に父正義分明なるによりて又召出し給ひ、父子勤めを許されたり。此時より手箱山へは父の我魂を神法を以て脱し、使に遣し給ふ事度々にして、終に大山祇命の御執持によりて少名彦那神に見え奉る事を得て、終に伴ひ給ひけるぞ、諸の幽界に出入する始めにぞありける。之皆父大人の恩頼によるなり。
偖父の神法を種々神々より授かりて飛行の法をひそかに近き山に入りて修行し、海上歩行の法をも行はんとして其用意をしけるに、余りに奇妙なることを授かりし嬉しさに神明にロ留せられし奇術を思はず信仰の諸士に語り、其御咎めによりて明治三年中風病を発して神明より授かりし秘事は多く忘れたるに、折にふれては又人々に神明の授け給ひて秘しけることども不図思ひ出て語りけるに同十二年言語を止められ手足叶はずして、それより一言半句も出す事能はずして当年二十二年に至れり。これに付きては川丹先生に父の咎めを神等に赦し給はんことを依頼し、少童君にも父の病気平癒を祈り申せども「明治三年に死すべきを生して言語を止めたるなり。死して後に至れば又慈愛は本の如く致すべし」と宣ひて平癒の願は叶はず。悲哉。
偖父の秘密を語りてそれを聞き、妄りに其法を行はんとして仙人ぶりて自慢しつつ己が自然に神明に通じ御教を蒙りたりと誇りし者二十九人ありしが如何なる事にや二十八人は死して今其一人は残りて家貧しくなり、今も此世にありて売薬などせり。故に神明より授かりたる秘事は死すとも洩さぬが肝要なり。偖父常磐大人の神明に奉仕せし間の勤めの艱難苦行せられし事は神官中普くなきが如く、我ながらも覚ゆるなり。之は我国人のよく知る処なり。我は父の万分の一も其勤めなくして神明に見えしはこれ全く父の恩頼によるなり。父は画を好みて其稽古をもせし故に神々の御形も多く写し置きけるが中に、大山祇命の眷属を率い給ひて見はれませる時、御許しをうけて写したりとて秘め置ける神像の図は殊の外に厳重なる御備立にて畏く見奉るなり。
又父の開山せし山は予州石鉄山と牛角の如く屹立して最高山なり。石鉄山は海神三筒男の神の鎮り給ふ山手箱山は大山祇神の鎮坐にて、此宮は其後郷社となれり。因に云ふ、此山にも山人の住みて夜に入れば山上の南方にて種々の囃声の聞ゆるなり。此山の天狗は一年替りに交替して伊賀国
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我父幼名佐之助、後に任官して上野助重房といふ後、又革名して布留部といひ、諱を常磐といふ。其後又諱の常磐を実名となしたり。明治三四年迄は布留部といひしが中症を発し遠方の往来は出来がたく大に難儀せし折柄、明治四年神社改正鎮祀役と云ふを命ぜらる。病気なれ辞退申せしかども「籠に乗りてなりとも当国中の奥院、或は入らずとて人の入り難き所は改正致す御官もなければ汝到るべし。神仏取分は一大事なり」とて遂に此役を蒙りければ、辞しも敢ず籠にて国中霊場と呼ばれたる足摺山に至り奥院を改正し、神仏の取分をなせり。此処は月暁と云ひし名僧の体を引さかれし処なり。かくて道中籠に乗りて彼所に赴きたりし次第奇異なる事のあれば記して左に出す。
覚
天満宮社神主 宮地布留部
右者足摺山境内鎮坐ノ諸社ノ中熊野、白皇、清浄、三社之義者素ヨリ古代ノ霊場ニテ金胎両部ノ祀典二御座候処、已ニ朝廷御沙汰ニ依リ別当持被止神職御指備ニ相成居候へ共、未ダ内陣奉斎ノ神仏御取分之儀其侭ニ相成居候間、此度殿内清祓之上新ニ内陣神璽ヲ備へ、仏体ヲ被除、神璽安置鎮祭被仰付右御用方トシテ彼地へ御指立被仰付之
末九月
指出
同ニ十三日
一、送夫二人(駕篭児)潮江村天満宮神主宮地布留部殿、右者幡多郡足摺山神仏御取分鎮祭御用被仰付候間往来道筋上宿並宿共相渡候様可被仰付候以上
未十月 社寺係
勤業司中
覚
一、御用度御長持二人担弐荷
一、駕籠 一挺
右鎮祭御用ニ付、足摺山へ被差立候ニ付テハ御渡ニ相成候以上
未十月 社寺係
天満宮神主 宮地布留部殿
足摺山(亦云蟻蛇山)鎮祭次第御届
一、十月廿五日高知出立。十一月三日幡多郡中村着。同日ヨリ神器取調ニ掛リ、同八日相調ヒ、同九日中村出足下茅泊リ、翌十日伊佐着
鎮祭に相係る神官左の通り
祭主 宮地 布留部 後取当社神主 北代 信濃 同禰宜 宮内 清馬
自力寸志を以て鎮祭に相掛る神官
白山神社神主 北代 八百路 高岡神社神主 岩崎 肇 伊都多神社神主 浦田 競 同社禰宜 永橋 清来 田野川天神社神主 浦田 傳 下の茅天満宮社神主 永橋 岩根 大岐御影神社神主 橋本 速登
同十一日神器神供等取調相済み、白山神社拝殿に於て一同祓除の式を修し、夫れより熊野神社及び清浄殿に至り、秘物の箱を開き之を改むるに皆仏体也。但し熊野神社に十二箱、清浄殿に三箱あり。両所共に皆物体なり。尤も其余に金幣あり。(此秘物の箱総釘にして古来未だ開きたる例なしと云ふ)同十二日午時頃一同浜辺に出で潮に入り、身滌祓除の式を修し、佐田山上白皇神社(俗に奥院不開堂と云ふ)へ登り(凡そ三十丁許り)社司北代信濃が家に休息す。暫くして時已に午後五時に至る。衆皆進んで白皇神社へ参拝す。
夫れより又登ること凡そ六丁許りにして岩祐と云ふ巌に(此処神社なし。則ち此岩を以て神体として祭る。其岩形末広にて扇の如し。所々に玉を含む。前に石坐に似たる石あり)至る於此則ち石坐に着き、神供を献ず。(行事中前に供へ在る所の幣串風なくして振動く)時に西方の虚空より鳴動し来り、頭上の大木を振勤せしむること恰も大風の如し。空に声有て布留部と呼び続けて、猶語あれども衆皆弁知すること能はず。直ちに恐怖平伏す。漸く献供の儀竟りて、衆其岩の後に廻る。此処広さ三四尺、長さ五六尺、清潔にして掃除したるが如し。
扨此より降ること凡そ一丁余り、亦北に向ひ上る事一丁ばかりにして峯山一神(此所にも神社なし。巌上に甕あり。径六七寸、高さ七八寸石を以て蓋とす。俗に悪魔を封じたる甕也と云ふ。岩祐及び此峯山神両所共に不入と称ふ所にして人跡絶えたるの地なり。然るに毎年正月二十四日、白皇神社の神官、爰に神供を奉る。御飯は神聞食歟無くなると云へり。)と云ふに至る。巌上に甕あり。石を以て蓋とす。衆進んで之を開かんとするに醒気甚しく近づくこと能はず。故に皆鼻を蔽ふて退き降ることこ一丁許り時に岩崎肇、後れて来らず。衆怪しんで之を顧るに其着たる烏帽子の掛緒木枝に結留められたり。則ち其枝及び掛緒等其侭切取り帰りて奇事の証とす。
此時日已に暮れ、人面を見分かず而して又降ること一丁許りにして漸く小道に出たり。又歩すること二十間許り東方より斗の大さなる火輪飛び来り、十間許り前にて忽ち散乱し、遂に往く所を知らず。
扨又社司北代氏の家に帰り休息す。其夜九時頃衆再び白皇神社に進み、拝式相竟りて内陣を開き奉る。其美麗なること言語の及ぶ処にあらず。内に十二の像を安置す。皆仏体にして一も神璽なし。又其側に一の厨子あり。錠を以て之を固鎖す。鍵なくして之を開くこと能はず。故に慎みて之を破り見奉れば、内に神体三体あり云々。衆皆感激嗟嘆の声を発し、平伏尊拝す。殊に謹慎を加へて之を中央に安置し奉る。然れども此神何神と云ふを知らず。衆或は黙然たり。時に社司北代氏の児(未だ十才に不足と云ふ)偶然独り自ら来り進んで神前に至り、幣を取りて即ち神憑し、其祭三柱の神名且つ新に猿田彦神の神璽を設けて合せ祭れ、と教示し給ひ、畢て其幣を祭主宮地布留部に渡し給はりぬ。(上の三柱の神名別紙に出すを以て爰に略す)布留部之を授かり奉りて、則ち御教示の如く仕へ奉りて神式に掛る。
此時又西方より虚空鳴動し来り社頭に止まる。神社内外震動する事一時許り、其勢ひ恰も大風の大木を倒すが如く、且つ其着坐の前後左右猶在数大衆大に恐伏する時に宮地布留部太玉串を取り進んで鎮祭の儀を行ふ。衆共唯称す。神光流星の如く声に応じて来降す。爾後一山更に寂寥たり。於是衆殊に信仰祭式を修する事常の如し。百事首尾能く相済み衆両段再拝して退出す。
北代氏の家に帰り、則ち直会の儀あり。此時社頭に於て神楽の音聞ゆ。因て宮地布留部一人又社頭に至り祝詞を奏す声を聞き、衆亦来り、共に拝して帰る頃、已に黎明也。
扨翌十三日十二時下山して伊佐の宿所に帰る同日前件相改めたる所の熊野神社及び清涼殿の仏具仏体等取片附の上熊野神社を始め奉りて小社十一社、清浄殿に当分相殿合祭を以て其夜十時頃より鎮祭奉仕徹夜無滞、首尾能く相すみ翌十四日十二時頃伊佐出足を以て同廿日帰着仕候事。
右佐田山鎮祭之次第大略相記為御届如此に御座候以上
明治四年辛未 十一月
潮江村鎮座
天満宮神主 宮地 布留部
庶務課内
社寺係御中
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紫微宮玉京山鳳宮の形状を拝せんとするには先づ空中寒烈の所を登りて又降らんとすれば黄黒色にて地を見るが如く、其中央と覚ゆる処より三色の電光を放つ。之れ即ち玉京山なり。其光りを目標として降る事二時聞許りと思ふなり。
さて海岸に降り着きて南方と覚しき海中に紫蘭島屹立す。其中に宮殿楼閣空碧に聳え属島二あり。之を眺望しながら北に向ひて大沙漠を過ぎ大樹の林を三里ばかり歩み、また一の沙漠に出て東南に向へば初めて純黒なる門を見る。霊章門といふ。此門に入れば西南の海岸より東北の沙漠に達する通路ありて道の幅七十間許り、門より七十間歩みて東南に渡る。長さ八十間許りの橋あり。
此橋を経過して方七十五間許りなる台に達す。玉琅台といふ。夫れより東方に向ひ四十間許りなる橋を渡れば純黒門あり。全化門と云ふ。此門に入りて掛橋あり。長さ二丁半許り斜めに空を向ひて高台に架せり。台上に高さ四間巾一間許りなる碑あり。数千字を彫刻せり。然れども其字読み雛し。此界の掟を記せしものといふ。
それより東に斜めに屈曲せる橋を下る事凡そ二丁余にして太真場に達す。道巾凡そ二丁、これより東北に向ひて行く事三丁位にして四角に築立せる上に口の明きたる石台数ケ所に散在す。西北方を見れば曠々渺茫たる大沙漠あり。東西の空を遐観すれば針の如く峨々たる峯嶺凸凹屹立す。其数々十東方に綿々として漸々に高く玉京山に連なる東方に歩すること二十丁許りにして、北に向へば二重に築上げし東西の高石垣あり。長さ遠くして人目の及ぶ処にあらず。地下は三階の家となり、西方より水滝のごとく三所落つ。
南方を望めば溟海色紺青の如く海上目に遮るものなく天と相接す。北に向ひ石壇を登る事一丁にして東西に通ずる道あり。巾半丁許りにして高さ一丁余築上げたる石垣あり。石壇を登れば昇降門に達す。此門より東に最長き家あり。西半丁許りにして長き家あり。
次に又門あり。紫蘭大枢宮号真光遊門と云ふ。此両門の間、左右に長き楼あり。西に厳重なる大殿あり。徴真宮と云ふ。右二門の間を鸞磐場といふ。次に又高楼門あり。左右に又高大なる閣あり。西北方に荘厳なる磐を切立てて九重の二館あり。簿式館といふ。
紫蘭大枢真光遊門の次に又玉櫃門あり。次に玉鏡門といふあり。玉鏡門の東南に当りて九重玉楼あり。分霊館といふ。東南に廊下伝ひにして玉館あり。日使舘といふ。其西に当りて殿閣あり。真粉台といふ。日使館の北に閣あり。東に二ケ所宮設あり。其北に当りて四ケ所の宮殿あり。分霊館の東北に池あり。玉鏡門の北に大磐石を切立て四角の穴ありて、其上大館あり。御神館と云ふ。其西に宮殿あり。其西に一山を隔て大瀑布あり。此水は宮殿の地下を貫通し下の海岸の三滝に出づ。御神館の下なる穴より鳳闕門に通ず。御神門より司命館に至るまで山路直立なり。
司命館より八丁登りて紫微上宮に達す。御神館より直立九里紫微上宮の地方八丁嶺の西端に巨巌達々として突出して落ちんとする形状なり。爰を産光嶺といふ。上宮嶺より下観すれば西南に綿々せる山脈中三峯尤も高し。上より第一峯を火切峯といひ第二峯を鏡山といひて鏡を磨くが如く上宮の三光此峯に映じて輝光四維に照徹す。第三峯を伏指峯といふ。其地に大沙漠あり。此沙漠の北に鬱繁せる大樹、高さ一里雲を凌ぎて見ゆ。上宮より東方を下視すれば平地渺茫として人家に髣髴たるを見るなり。
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神集岳の形状を拝せんとするには、先づ大空に登り西北の方に降る。凡そ二時間許りにして着す。神集岳乾の方の海岸に楼門あり。見麗門と云ふ。又五化門と云ふ。此門を入りて道巾八間左右小松原なり。道程九里にして門あり。旧名宝龍門といふ。今六元門といふ門内に至れば警官数多出張して判鑑符を検査す。警官の許可を得て此門を経過し、又左右小松原なる道を行く事三里の内貪慾心ある者を試みんが為に古器珍物等捨置きたり。若し之を摭ひて行く時は先に小き門あり。之を思昔門と云ふ。其門の内に茅葺の館あり。神火屋といふ。其殿の左右に幟二流建ちたり。此館にも数多の警官ありて、若し拾ひし品物あれば「如何なる物を其方窃取したるや」と先に拾ひし品と同じき物を出して鞠問せらる。遂に白状すればそれより六人の護送官相添ふて北に向ひて松原の東に道あり。此道を歩行する事九里にして其内三里ばかりと覚ゆる所より東に巨巌を堆く積みて高山の如くなるを眺望して行けば、遂に退妖館に至る。一に呼吸館と云ふ。其館に入りて、六人の真人館人に罪科を奏告す。其れより厳しく叱咤を受け罪の軽重によりて処分せらる。軽きは警吏相件ひて神集岳入口の門より東方にある通路に出て、現界に帰らしむ。退妖館の後面に館左右に在り。官人の出張猶予所なり。正直にし慾心なく捨置きし珍器を拾はざるものは神火殿前を経て行く。
此より二路あり。東方に通じたる道を行く事四十里にして大国主神の坐す宮殿に至り、西方に通じたる道を歩行する事十里にして玉壁山に至る。山腹に通路あり。二十里の間を歩む僅に足を容るる細道なり。危畏云はん方なし。漸く此山腹を過ぐれば改鑑台に至る。宮殿ありて真人数多あり。行人の鑑札を検査す。此所の許可を得て青城山に登る。頂上にて西方を遙望すれば始めて天元山、勇山、見越山を見る。其処に池あり。知穢の池といふ。上に礱臼に似たる岩ありて清水湧出す。柄杓を以て池の水を汲み岩上に湧出する水に注げば火炎上る者は往き、上らざる者は跡へ帰るなり。
之より又道二道あり。右へ下る坂道は難しき故に左道に降る事三十丁にして東に廻れば径り二尋たる神字を彫せる石を八重に積み、横に十七数を並列せり。此所を斜めに下り、五龍山東麓を越えて歩行すれば広さ四十二間許りなる川水あり。橋を架す隔化橋といふ。北方を眺望すれば磧ありて遙かに宮殿二字を見る。諸芸の勝負を決する処なりと聞く。
青城山の頂より隔化橋迄道程凡てニ十八里。此橋より南に向へば宮殿あり。退妖上官宮と云ふ。此処を過ぐる事九里許りにして南東西巽方に通ずる四道あり。南道は大永見宮東門に出るの道。巽道は神商館四殿に通じ、且つ柳原神宴台に達す。東道は大国主神の九羅殿に達す。此処を西に向ひ歩む事暫時にして南に宮殿一宇を見る。西方に宮殿八宇を見る。
之より東に向ひて大永宮の朝神門に至る。方四十里の高壁囲繞す。四方に大門あり。高壁の外面に大道を隔て、西南の二方に溝塹あり。垣内大永宮を四方より囲みたる数十の荘厳なる宮殿あり。南門を采女門といふ。南門外より東の大道を眺むれば高壁の中に宮殿のある事を見る。之を神幣館といふ。神界の兵器を蔵むるの所。南門の正面の二川に橋を架せり。此橋を渡りて東西を見れば女神館、東方に一宮、西に四宮を見る。此処を過ぎて通道二分す。南道は簿式館を経て山門の穴に通ず。此界へ入るの裏門なり。
東方を見れば遊神玉殿あり。此館は海岸絶景に臨む。海面に四山あり。風光の明媚、又現界の名所の及ぶところにあらず。見越山の西南に当りて環玉山あり。全山青色なる水晶なり。南方に当りて試霊山を見る。此山に穴あり。頂上は空碧にかかる家に貫通す。又東北より入るの通路あり。右神集岳神界の大略なり。
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- 深山にて雷鳥仏法僧の飛び通ふ辺には天狗の住所其近きにありと心得べし。又寒温草の生ひたる所には必す大蛇住むと心得べし。岩屋の中に青炎の有る所に限り魔物住むと心得べし。
- ○○○○○○○○○、○○○○○○○○、○○○○○○○○といへるは禍神の数多ある中の三神の名なり。○○○○○○○○神は見る神通といふを掌る。○○○○○○○神は聞く神通といふを掌る。○○○○○○○命は言はせる神通といふを掌る。之は梓式を行ふ覡巫の祭る神にて深き訳あるなり。
- 少童君に伴はれて先年天竺の霊鷲山に至る。錫蘭島といふ所の中に「アダムス」といふ山あり。霊鷲山の事なり。頂上より水落ちて二流となり、又合して一の川となる。此川を「シチガンケン」といふ山の七合位にして大池あり。頂上は牛角の如く両立す。此山の高さは十四里ばかりと覚えたり。支那仏界には青龍島と呼べり。此山は余別に委しく記せる書あり。
- 土佐国吾川郡仁淀川の川上にて十七八歳ばかりなる美少年の黒き羽織を着て黒色の袴をはきたるが川岸の淵の辺に立ち居たるに、其面貌を見るに美麗貴品なること言語の及ぶ所にあらず。暫く右の少年を見居たるに空を向ひ炎を吐きて逆になりて淵に投じたり。我忽ち淵に走せ寄りて見るに大なる蛇となりて水底に漸々沈みたり。不思議なることと思ひつつ其所をたちて十四五間許り離れたる時に何処ともなく二十歳ばかりの女の淵の辺に来りてさめざめと泣きたり。我其女の側に立ち戻りて無理無体に連れ帰りけるに、伊野村の某の娘なり。日を経て窃に聞けば背青く腹赤き小蛇を七つ産みたりと云へり。
- 大巌松原君、青文雲仙君、峨月利仙君、中使黄道君など云へる天狗僧正より昇進して神仙界と山人界との中間に位して一の界を立て居るなり。此界の名を両伝仙境と云ふ。
- 現名藤原平次、幽名清浄気玉利仙大君は常に九州の山中に居して従者も多くある中に浄伊白龍道異人、現名劉煕渓。清玉異人、現名劉応明。清達胆方異人、現名諸葛潜良。清観法当異人、現名許湯清。清長立異人、現名孫先永。五浄善異人、現名延丈淮。浄通玉会異人、現名楊寉明。清泉谷異人、劉能道。利法異人、現名張全了。清通異人、現名文玄角。清道井華異人、現名応伝仲。清山方治異人、現名呉伯景。清方日龍異人、現名墨孔易などは支那国の産なり。清角陽異人、現名弘井権大夫藤原親春。三清五位異人、現名佐伯次郎高綱。奇見異人、現名高井三郎行国。利清行異人、現名堺六郎左衛門宗幸。浄玉道異人、現名吉永熊三郎。清玉心異人、現名島田幸安重信。沢林浄玉異人、現名山崎八九郎基信などは日本の産なり。此異境中の巻物の文字は(文字略す、編者)
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