「読むこと」と「書くこと」について
阿部 実は、言葉を使った表現のノウハウは、突きつめて抽象化していくと同じやり方になると思っています。だから俺と小川さんの本には似ているところが多い。どちらも、それを追体験できる「抽象化の回路」を用意している点が広範な読者に受け入れられた理由だとも思います。
小川さんの本は、「群像」での連載時のタイトルが『小説を探しにいく』でしたが、良いタイトルですよね。小川さんは何をしていても何を見ても、そこに「小説」を見つけ出せる。これは自分のなかに抽象化の回路があるから為せる業です。本では、それを小説の「視力」と表現していました。小川さんのような視力を手に入れるのは、俺たちのような普通の人には難しいと思いますけど。
小川 ただ、書くことに使うノウハウは日常生活で誰でもアウトプットに活かせます。たとえば阿部さんの本に書かれていた「アブストラクト(論文のエッセンスを凝縮した文章)」は会話でも使える。誰かと話すとき、「自分は今からこういう話をします」とおおまかにアブストを前置きすれば、その話を聞く価値があるよ、と示すことができる。軽く「この前ヤバいことがあったんですよ」と言うだけでも、興味を持って相手は話を聞くことができます。
阿部 日常的に鍛錬できることという点では、「文章の読み方」も大事です。そもそも、「読むこと」と「書くこと」はかなり近い行為で、ほんとうは表裏一体と言ってもいい。極端に言えば、文章を書けないということは読めてないことと同じだと思います。
俺はドラムをやっていたのですが、読むことと書くことの関係は「聴くこと」と「演奏すること」の関係に似ています。たとえば演奏が上手いミュージシャンは、楽譜をなぞるだけなら誰でもできるような簡単な曲を演奏しても、そこに膨大な情報量を込めることができる。ただ楽譜を再現するのとは、まったく訳が違うんです。つまり、演奏が上手い人は耳が良いということでもある。これは読み書きでも同じだと考えています。