プロデューサーが最近冷たい。私が何か話しかけても考え込んでいて聞いていないことが多いし、一緒に歩いているときもぶつぶつ何かしゃべってたり、二人でカフェにいてもスマホを弄ってばっかりだったり。
別に私とプロデューサーはその…恋人、とかじゃないから、私がどうこういうのはおかしいことかもしれないけど。かといって、目の前のアイドルを疎かにしてまで見なくてはいけない何かがあるのか、そこはちょっと疑問。
かといって直接そこまで指摘できるかと言われるとそういうわけでもなくて。
今日も目の前で何やら考え込んでいるプロデューサーに何も声をかけられず、氷だけになったフラペチーノをストローでかき混ぜて時間を過ごす。
せっかく最近アイドルとしての仕事が増えてきて充実した日々を過ごせてるのに、プロデューサーとの熱量に大きな差があるような気がして、なんだか寂しい。
以前組んでいたユニットの二の舞になってしまいそうな気がする。それだけはどうしようもなく嫌だ。でも口下手な私が何を言っても事態を好転できるとは思えなくて。
そのまま、五分、十分と時間が経っていく。
「ねぇ、プロデューサー…」
「……」
プロデューサーは答えない。目元に濃い影を作りながら、眠そうに考え込んでいる。
あからさまに無視をされているというより、シンプルに気が付いていないのだろう。意識が完全にここにあらずといった様子。
「ねぇってば」
「…あ、すみません月村さん。なんでしょうか」
「最近、さ――」
そこまで私が言ったあたりで、プロデューサーに着信。つくづくタイミングの悪いものだと思う。プロデューサーは私に向かって「出てもいいですか」と言いたげな視線を投げかけてくるけど、どこか私が断らないのを知っているような視線にも見えて、なんだか胸の内が寂しくなった。
「…出ればいいんじゃないですか。待ってますから」
正直に言うと、胸のどこかで期待していた。プロデューサーから『今は月村さんとの時間なので』と言ってもらえるんじゃないかって。誰よりも私のことを大切にしてくれるって言うなら、プロデューサーはそのくらい言ってくれるはずだから。
「すみません、ありがとうございます。すぐに戻りますので」
「あ…」
でも。
願っていた私の言葉を裏切るような言葉が、遠慮なく降り注いだ。
私が答えると、待っていたかのようにプロデューサ―は飛び出していく。最近新しく用意した業務連絡用の携帯を手にしているところを見るに、大事な話みたい。私だって子供じゃない。かかってくる電話にはひとつも出ないで、なんて言うつもりもない。
だけどそれは、ある程度私を大事にしてくれているという前提が必要だと思う。
そうじゃないと、なおざりにされているような気分になる…私がおかしいのかな。
「プロデューサーのばか」
可愛らしく言ってみたものの、視界がぼやけていくのを止められない。
あれ。
私ってこんなに弱い人だったのかな。
自分だけでもやっていけるはずだって、自信があったのに。
「私、愛想尽かされちゃったのかな…」
声に出して、もしそうだったらという不安が、ちゃんと重みのある現実になってしまったような気がして、心臓がどうにも苦しくて仕方がない。
「普段使ってる方のスマホ、いっつも弄ってるけど、何見てるんだろ――ダメなのは分かってる、けど…」
分かっている。スマートフォンなど、現代を生きる人間が一番勝手に見られたくないものだって分かっている。私だっていやだ。自分が聞いている曲も、見ている写真も、検索の履歴だって、やましいことがなくても嫌なものは嫌だ。
でも。
赤黒く変色した感情が血の中に溶け込んでいく。呼吸が浅くなって、嫌な妄想が頭いっぱいに広がっていく。
もしも、私以外にプロデュースしようとしているアイドルがいたら。
もしも、他に大切にしている人がいたら。
もしも、私の悪口をプロデューサーが書き込んでいたら。
肩で息をすれば、喉の奥からひゅうひゅうと情けない音が漏れる。
何の証拠もない。ただ私が寂しいというだけの理由で、そこまでしてもいいのか。いいわけがない。分かってる。分かってるよ私だって。だけどプロデューサーが私を放ってまでしたいことがあったなら知りたいじゃん!私だって寂しいの!私を大事にしてくれないプロデューサーにも責任があるんじゃないの!?
嫌な妄想に嫌な妄想を重ねていくと、自分の感情が最初の妄想を確かな事実だと誤認する。あったのは寂しいという気持ちだけなのに、あらゆる不安が不安を押し固める。
地獄めいた思考回路だと思った。でも止まらない。
「あ…ロック掛かってる」
かちり、と。乾いた音に拒絶される。
そりゃ、そうだよね。私の顔はロック解除には使えないし、かといってプロデューサーに見せてもらうわけにもいかないし、なによりプロデューサーの許可とセットの情報じゃ安心なんかとてもできないし。
「プロデューサーの誕生日は…違うし、いっつも使ってるパスワードとかも知らないし…」
諦める理由が見つかった。
よかった。
これで良かったんだ。
これでプロデューサーのことを裏切らないアイドルではいられるから。
嫌というほど気になるけど、でも、ダメならダメで――。
「そういえば…」
そこまで考えて、まだ試していない数字があることに気が付いた。
いや、でも、もしそうだったとしたら?
期待と困惑、不安が綯い交ぜになって視界を目の前の板に釘付けにする。
もしも。
仮の話。
予想を多分に交えて話すことが許されるならば。
こんな風に考えてしまうことだってできる。
プロデューサーのパスワードが、月村手毬の生年月日だったとしたら?
希望的観測だ。プロデューサーが今もなお、月村手毬という担当アイドルのことが大好きで仕方がないプロデューサーだとするならば、この仮説は当たっていることになる。
だけど。
もし当たっていたら。
当たってしまっていたら?
私が勝手に不安になって、勝手に我慢をして、勝手に酷いことをしただけになる。
そんなこと、許されるのかな。
震える指先で、画面に浮いた文字盤を叩く。
0603。
たった四桁の数字を入力するだけだっていうのに、神経を全て摩り下ろしているみたいな負荷が全身に降り注ぐ。
「うそ、開いた…」
開いてしまった。
嬉しいのに苦しくて、どうしようもなく裏切ってしまったことだけがひたすら私にのしかかっていて、なんてことをしてしまったと思いながら、それでもやっぱり視線と指先は動かさずにはいられない。
「……!これ、って……」
真っ先に飛び込んできたのは、メモ帳のアプリ。毎日日記のようにメモを付けていたようで、最新の――先ほどプロデューサ―が打っていた内容が飛び込んでくる。
『月村さんは最近精神的に不安定な様子。出来るだけ余裕のあるスケジューリングを心掛けるが、仕事関係の連絡や営業の準備は今が正念場。今夜もほとんど眠れないかもしれない。だが担当アイドルのためだ。なんだってしなければ』
その前の日。
『最近新しくラーメンのお店が出来たようで話題になっている。月村さんが好きだと話していたこってりしたものらしい。頑張りに報いたい。ある程度片が付いたら誘ってみよう』
その、さらに前の日。
『枕営業をすれば仕事を斡旋してやると言われた。冗談ではない。営業の最中に飛び出してきてしまったのは良くなかっただろうか。だが月村さんが傷つくような仕事の取り方は絶対にしない。俺は彼女を、もっとも輝ける形でプロデュースしなければ』
月村さん、月村さん、月村さん。
何日の日記を開いても、プロデューサ―は私のことばかり考えている。記入している時間帯はいつも深夜から未明にかけて。状況からして、ほぼ毎日夜を徹しての作業をしているのだろう。
――そんな風に働いてたら、眠くもなるし、リアクションも遅くなるに決まってる。
じゃあ他の人とは関わってないのかな。一線を越えてしまったらもう止まれない。連絡用のアプリを片っ端から覗いていく。メールフォルダ。トークアプリ。SNSのDM。想像しうる限りすべてのやりとりを遡って――分かったことと言えば。
ただひたすら、プロデューサーが私に対して一途でいてくれてることだけだった。あらゆるメディアの担当者と綿密に連絡を取り、丁寧に交渉を重ねている。
その上で、私が嫌がるようなことは全て明確に切り捨てている。どんなに交渉で譲歩してもそこだけは譲らない。
また、連絡の中には他のアイドル科の生徒からの連絡も複数あった。あの月村手毬をこれほどまでにプロデュースしたというのは多彩な手腕によるものだと、話題になっているらしい。媚びたような内容で誘ってくる生徒もいて、こんなことをプロデューサーに言っている女が学園のどこかにいると想像するだけで腹立たしい。
「…プロデューサ―」
お金。名誉。女。ありとあらゆる誘惑を込めた連絡がひっきりなしに舞い込む状況。
だけどプロデューサーは全くそれらすべてに靡かなかった。どんなに可愛らしいアイドルでも、素質があっても。『俺がプロデュースするのは月村さんと決めているので』と一蹴している。
…ばかみたい。
何疑ってたんだろう。プロデューサーだって私のことばっかり考えてくれてたんだ。胸が温かくなって、それから堰を切ったように申し訳なさが溢れてくる。
そりゃ、プロデューサーがちゃんと説明しなかったのが悪いと思う。ちゃんと言ってさえくれたら私だって納得した。プロデューサーの説明不足だと思う。
「でも、私のためだったんだ」
余計な心配をさせないようにと、ただひたすら自分の中のこととして完結させようとしてしまう、プロデューサーの悪い癖。
ってか、スマホの壁紙、私だ。
初めて定期試験に合格して、小さなステージで踊ったときの、バテバテな表情。体力管理も何もかもままならなくて、後半は息切ればかりマイクに載せていたあのライブを、プロデューサーはわざわざ選んで壁紙にしていた。
「こんな格好悪い写真、大事にとってたんだ」
「…その時の月村さん。必死で素敵でしたから。俺はやっぱり月村さんを選んでよかったと、心から思いました」
「っ!プロデューサー!?」
音もせず、背後からプロデューサーが顔を覗かせた。座っている私の顔の高さに合わせるように腰を落として、同じ画面を一緒に見つめている。
「すみません。驚かせてしまいましたね。でも、勝手に携帯を見るのは感心しません」
「そ、れは……プロデューサー、怒ってる?」
「怒っていませんよ。不安にさせてしまったこちらの落ち度ですから」
「え…」
「さっきの電話。あさり先生だったんです。『仕事に熱を入れるのは偉いですが、担当アイドルのことをもっと見てあげてください』とお説教されまして」
お恥ずかしい限りです、と苦笑いを浮かべるプロデューサー。柔らかく笑んだその瞳は確かに私のことを見てくれてる。
「…プロデューサーと久しぶりに、目が合った気がします」
「申し訳ありません。月村さんのこと考えてばかりで、目の前にいる月村さんのこと――見ていませんでした。プロデューサ―失格ですね」
ばつが悪そうに声のトーンが落ちる。でも視線は逸らさない。ちゃんと見ていようとする意志が籠っていて、こちらの方がなんだか恥ずかしくなってきた。
「もう、分かってくれたらいいです」
「はい。それと、お仕事の件なんですが、すごいですよ。結構大きな箱でいくつか企画が進んでます。ラジオ番組なんかのゲスト出演のお話もいただいているので、出来るだけアピールしていきましょう」
「いつの間にそんなの…やりますけど」
「はい。忙しくなりますよ。ちゃんとクリーンな仕事ばかり選んでいます。月村さんはもう十分、仕事を選べる立場になっていますから」
「分かってますから、ちょっと…その、恥ずかしいんですけど。そんなに褒められたら、流石に私も」
「事実を述べたまでです。俺の担当している月村さんが一番なんですから」
「も、もう…っ、分かってるから」
それからも、しばらくプロデューサーの言葉は続いた。ずっと私に不安な思いをさせて悪かったと謝ってくれたし、これからは態度を改めてくれるとも言ってくれた。
私はトップアイドルになる。
そのためには仕事はあればあるほどいい。
でも、その前に。
ちゃんと私が私のこと愛せるように、プロデューサーに愛してもらわないとスタートラインにすら立てないから。
「プロデューサー」
「なんですか、月村さん」
「私と仕事、どっちが大事なんですか」
拗ねたような口ぶりでそう告げれば、プロデューサーは柔らかく笑って頭を撫でてくれた。
今まで一度も聞いたことないくらい、優しい声といっしょに。
「月村さんを大事にすることが、俺の仕事です」
「分かってるならいいです。持ってきてくれた仕事の話、早く聞かせてください」