「発達障害だから…」 診断名で思考停止していませんか? 精神科医が指摘する「診断学的還元主義」
心の不調について「うつ病だから」「発達障害だから」という診断名で説明されると、どこか納得した気持ちになるかもしれません。しかし、その一言で片づけてしまうことで、本当に大切なことを見失ってはいないでしょうか。この「診断学的還元主義」という姿勢は、かえって問題の解決を遠ざけてしまう危険性をはらんでいます。精神科医の水野雅文医師(あさかホスピタル院長)が発刊した朝日選書『物語で治す 社会を変える精神医学』では、診断名にすべてを還元するのではなく、その人の背景にある物語を丁寧に読み解くことの重要性を訴えています。 【画像】水野雅文医師の著書『物語で治す 社会を変える精神医学』はこちら * * * ■診断を超えて――社会精神医学への視座 精神医学では、人が抱える複雑な悩みや行動の変化を、診断名という一つの言葉にまとめて表現する文化がある。診断名は、医療者同士のコミュニケーションを助け、治療方針を考える上でも重要な役割を果たす。しかしその一方で、診断が〝説明のすべて〟であるかのように扱われてしまうことがある。これが「診断学的還元主義」と呼ばれる姿勢である。 診断名に過度に依存すると、こころの不調をあたかも単純な原因に還元できるかのように感じさせてしまう。たとえば「発達障害だから不登校になる」「うつ病だから意欲が出ない」といった短絡的な説明がその典型だ。けれども実際には、精神的な苦しみは、生まれつきの気質や脳の働きだけでなく、人間関係、学校や職場の状況、社会的なストレス、不平等や暴力の体験など、複数の要因が重なり合って生じる。診断名はその複雑な現象の〝地図記号〟にすぎず、原因そのものではない。 診断学的還元主義に陥ると、一人の人間の時間的な変化や個性が見えにくくなる。たとえ同じ診断名がついたとしても、その症状の現れ方や困難の背景は人によって大きく異なる。状況の変化や支援のあり方によって、病状も経過もしなやかに変わっていく。しかし診断名ばかりが前面に出ると、こうした多様な側面が「病名」という一語に押し込められてしまう。 もうひとつの問題は、診断名が〝説明責任〟の代わりになってしまうことである。「なぜこの子は教室に入れないのか」「なぜこの人は働けなくなったのか」という根源的な問いに対して、「発達障害だから」「うつ病だから」と答えてしまうと、それ以上考えなくてもよいような錯覚をもたらす。本来必要なのは、その人がどんな環境で、どのような困難にぶつかり、何に負荷がかかっているのかという物語的な理解である。 さらに診断名にすべてを還元してしまうと、支援の選択肢も減る。「この診断ならこの治療」という決まりきった対応に終始しやすくなり、生活環境や対人関係、トラウマの影響、社会的な不利などが見落とされる。精神的な問題の多くは、薬物療法だけでは解決できない複雑さを持っており、その人が置かれた文脈を丁寧にたどる必要がある。 診断には制度的・社会的な力もある。日本では診断がつかないと支援にアクセスできない場面が多い。医療者が病名を与えることが、しばしば〝サービスの入口〟になってしまう。診断が本来よりも大きな意味を持つ社会では、専門家が診断に慎重であること、そして「診断しない力」を持つことが、むしろ重要になる。 こうした理由から、診断学的還元主義は精神医学の限界として繰り返し指摘されてきた。だが誤解してはならないのは、診断そのものを否定する必要はないということだ。診断は治療の標準化や当事者の自己理解に役立つ場面も多く、適切に用いれば大きな助けとなる。問題は診断〝に〟還元することであって、診断〝を〟適切に使うこととは対立しない。 精神的な苦悩は、生物・心理・社会の相互作用によって生じる多層的な現象であり、単一の病名で言い尽くせるものではない。診断学的還元主義を避けるということは、人を病名で語るのではなく、その人の物語や歴史、置かれた世界を丁寧に読み取る姿勢を取り戻すことでもある。 医学は個体の健康や病気の予防、治療に起源を発する学問であり、生物学としての医学の視点で見れば、精神医学の対象は脳になる。社会は個体の集合であり、脳と脳のインタラクション、あるいは脳と環境とのインタラクションが社会を形成しているとも言えるだろう。 精神医学は人の社会的な営みを対象とする科学であり、関係性を観察し考察する視点が求められる領域である。しかし社会は常に変容している。インターネットの出現と普及により、人類のコミュニケーション手段は大きく変わった。人が出会う動線も変わった。さらに、未曽有の少子超高齢・人口減少社会を迎えわが国では人口構成も大きく変化している。外国人が増え、非正規雇用や貧困により格差が拡大する中で、家族の有り様や個人の価値観に加え、個体としての個人の不安や緊張の持ちようも変化している。 このように個体を通じて全体を見渡し、全体を把握して個体へ還元することを通じて、いち早く社会精神医学的な新たな問題やニーズの存在に気づき提起することが求められている。本書は、診断中心の精神医学から脱却し、社会精神医学の視点を取り入れた新しい理解を提示する試みである。 ※朝日選書『物語で治す 社会を変える精神医学』より 【プロフィール】 水野雅文 1961年東京都生まれ。精神科医、博士(医学)。あさかホスピタル院長。1986年慶應義塾大学医学部卒業、同大学院博士課程修了。イタリア政府給費留学生としてパドヴァ大学心理学部に留学。帰国後、慶應義塾大学医学部精神・神経科専任講師、助教授を経て、東邦大学医学部精神神経医学講座主任教授(2006年4月~21年3月)、東京都立松沢病院院長(21年4月~25年3月)。25年4月から現職。日本社会精神医学会理事長、日本森田療法学会理事長、第122回日本精神神経学会学術総会会長。著書に『心の病気にかかる子どもたち』(韓国語、中国語で翻訳出版、朝日新聞出版2022)、『リカバリーのためのワークブック』(中央法規2018)、『心のケアの羅針盤』(ラグーナ出版2021)ほか。
水野雅文