"ネット世論"は有期刑を軽く考えすぎだし、"正義"に酔いすぎ
北海道旭川市で17歳の女性が川に転落し死亡した事件で、事件の被告である女性 (当時21歳・現在23歳) に懲役27年が求刑された。
量刑の多寡に関する専門的な議論はここでは置いておこう。ここで注目したいのは、この求刑に対する「ネット世論」の反応の方だ。不満がなければSNSに書かないという点は差し引く必要があるが、多くは求刑が少ないことへの不満だ。何かしらの事件、とりわけ被害者が死亡している場合、求刑が有期刑であればSNSユーザーはほとんど機械的にそのことへ不満をぶちまける。この光景は日常となっている。
これ、27年はさすがに軽いと思うよ。
— ひこ🍩 (@hikoneko_dao) June 8, 2026
無期で良いんじゃないのかね。
「永山基準」が未だに求刑や判決に影響を及ぼしているのが腹ただしい。もう殺人はよほどやむを得ない状況や動機以外は原則死刑に法改正して欲しい。
— 元気玉 (@genkidama0930) June 8, 2026
事件の被害者遺族や被害者の知人が、加害者に恨みを持ち死刑を望むというならその理路はわかる。興味深いのは、SNSで怒りを発散している人々は例外なく (といって問題ないほど) 事件と無関係であるということだ。彼らは自分と一切かかわりない事件に対し、誰かの死を願うほど強烈にいきり立っている。要素だけ抜き出せば起きている出来事は尋常ではないが、対象が殺人事件の被告であるだけで社会ではスルーされてしまう。
もちろん、自分と直接関係がない事件に憤ってはいけないわけではない。我々のような左翼はよく、別段自分が被害を受けたわけでも同胞が被害を受けたわけでもないヘイトスピーチやヘイトクライムにキレている。ただ、このときの憤りはヘイトスピーチにまともに対応しない警察や日本社会の怠慢へのものだという点で一貫しており、根底には明確な問題意識がある。何より、加害者の死刑を望んでいるわけではない。(1人くらいいても不思議ではないが、存外見当たらない)
上に挙げた投稿は、事件の公判を報じるライブドアニュースの投稿へのリプライのうち、いいねの多そうなものを適当に取り上げたものだ。ためしにアカウントを遡ると、2つのアカウントは両方ともネトウヨだった。偶然にも、ではないかもしれない。旭川の事件には性暴力の側面もあったが、ワールドカップが行われているということで日本代表の佐野海舟による事件を思い出し、彼らが何を言っているだろうかと調べてみたがなにひとつ投稿はなかった。その程度の正義感と一貫性だった。
さて、このような言説の原因はどこにあるのだろうか。ここではその原因として、人々の拘禁刑への無知と正義の暴走という概念から考えを進める。
ネットのイキり、拘禁刑を軽視しすぎ
刑務所での生活はどうなっているのか
有期刑が無期懲役や死刑に比べたら軽い刑であることはそうだろう。だが、それは殊更重い刑と比べればという話であって、拘禁刑自体が軽微な刑だというわけではない。ここでは、SNS利用者の論理能力の低さが見て取れる。
そして、彼らは拘禁刑について何も知らない。この無知と想像力の欠如が、彼らの拘禁刑の軽視へと繋がっている。
刑務所で、受刑者はどのように生活するだろうか。最も特徴的なのは、活動の時間がすべて決まっているということだ。起床と就寝の時間は当然として、食事、仕事の開始と終わり、余暇の時間までスケジュールは決まっている。
娑婆の人間だってスケジュールは決まっている、と考えた者は救いようのないアホである。彼らの念頭にあるのは平日の過ごし方だろう。だが、刑務所にはそれはない。作業が休みになる日はあるが、スケジュールが完全に自由になる日などない。有給休暇もない。だから、休みの日に夜更かししてしまおうとか、朝寝坊してしまおうという自由はない。
刑務所での生活の本質は、この自由のなさである。年々緩和されているところもあるものの、刑務所では自分の意志でなにかを決めて過ごすということは難しい。我々は何か食べたくなったら冷蔵庫を漁るとかコンビニに行くとかできるが、もちろんそんな自由はない。受刑者も購買でいくらかのものを買うことはできるが限度がある。
外部から刑務所に持ち込めるものにも制約がある。一般には知られていないが、色鉛筆は刑務所に持ち込めないとされている。かつて、色鉛筆に付属する鉛筆削り器の刃物で自殺した死刑囚がいたためだ。こうした運用も時々によって、あるいは刑務所ごとによって変わるが、規制の厳しさは伺い知れよう。
こういうことを書くと、自分はコンビニを使わないから平気だとか、色鉛筆などいらないから厳しさのうちに入らないなどと的を外した反論も飛び出すのがSNSだ。彼らの愚かさには底がない。だが、こうした言説には2つの問題がある。第一に、このような言説は本当は重大な問題を軽く扱うことでイキってみせる有害な男らしさの文化であること。もうひとつは、自分の意志であえてやらないこととそもそもそれをする自由がないことの区別がついていないことだ。
心理的リアクタンスという言葉がある。例えば勉強をしようとしているところに、親から勉強しろと言われて急にやる気が失せることがあると思う。これは、そのまま勉強したら親の言うことを聞いた格好になるので、それをやめることで自分の意志で行動を決定したという状態にする現象だ。元々勉強をするつもりだったのだからそのままやってもいいはずだが、人間は不合理な振る舞いをしてまで自分の自由を守ろうとする。それくらい、人間にとって自由は重要な概念である。
刑務所に入るということは、この自由がない生活を続けるということだ。複数の死者を出した戸塚ヨットスクールの創設者である戸塚宏ですら、この生活には自分のことを棚に上げて被害者面をし、自分が散々軽視してきた人権を云々するほどだった (彼が刑務所に入ったのは"たった"4年間だ)。求刑通り刑が言い渡されれば、それが27年間も続く。考えただけで気が狂いそうな歳月だろう。とてもではないが、この刑を軽いなどと言うことはできない。身体拘束の苦痛を軽視すべきではないのだ。
「すぐに釈放される」という神話
刑期の話をすると馬鹿の一つ覚えのように仮釈放を持ち出す者がいる。曰く、無期だろうが懲役30年だろうが10年くらいですぐに釈放されるので意味がないということだ。10年だって大して短くないということはここまで読めばわかるが、そもそもこの主張は事実に反する。
令和3年版の犯罪白書によれば、令和2年における仮釈放率は約6割である。つまり、受刑者の6割は刑期満了を待たずに刑務所から出る。これだけ見ると「ほら、やっぱりすぐ出てくるじゃないか!」と言われそうだが、この統計は刑期の長短を考慮しない全体の数字に過ぎないことを踏まえる必要がある。
では、刑期ごとの仮釈放の様相を見てみよう。このグラフにある刑の執行率とは、言い渡された刑のうち刑務所で過ごした期間を指す。10年を超える刑期のもののほとんどは執行率が9割を超える。例えば刑期が30年なら、仮釈放されるのは27年を過ぎてからようやくということだ。「10年で出られる」などと、刑期の半分以上が残った状態で仮釈放されることがあり得ないとわかるはずだ。
この記事は『九段新報+α』の連載記事です。メンバーシップに加入すると月300円で連載が全て読めます。
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