一番面白い「’80年代アイドル映画」はこれだ!!【“三賢人”中森明夫×寺脇研×北川昌弘が大激論】
角川3人娘、聖子、ゴクミ、ナンノほかスターの名作がズラリ
歌番組や雑誌のグラビアで若者を魅了した’80年代アイドルたちが次なる活躍の場として選んだのが、映画館のスクリーンだった。薬師丸ひろ子(61)主演の『セーラー服と機関銃』や松田聖子(63)主演の『野菊の墓』など、アイドル主演の名作が続々と誕生し、日本映画界の新たな活力源となった。
女性アイドルとアイドル映画の黄金期、’80年代で一番面白かった作品は何か!?
今回、FRIDAYはアイドル評論家の中森明夫氏、映画評論家の寺脇研氏、女性アイドル研究家の北川昌弘氏を招き、座談会を実施。エンタメ界に精通する3人が、「最強の’80年代アイドル映画」について激論を交わした。
寺脇 日本映画は’50年代に黄金時代を迎えました。しかし、’60年代に入ってテレビが登場すると、映画産業は少しずつ衰退していきます。
北川 私はよく「映画スターの時代からテレビアイドルの時代に変わる」という言い方をするのですが、’60年代までは映画が娯楽の中心でした。その後、’70年代の前半頃から、山口百恵(66)を筆頭としたテレビアイドルの時代が本格的に始まるわけです。
寺脇 窮地に陥った映画業界は、「テレビで人気のある人をキャスティングすれば、客が集まるのではないか」という発想に至ります。そこから、映画はいわばテレビのおこぼれに与(あずか)る形で、「アイドル映画」を制作し始めました。
中森 本来、映画女優は「銀幕のスター」としてテレビタレントより格上の存在とされていました。しかし、お二人がおっしゃるように’60年代以降、テレビの中の存在だったアイドルを使って映画を作る、という状況が生まれました。その意味では、「アイドル映画」は最初からある種の矛盾を孕(はら)んでいます。
北川 歌手としても映画女優としても国民的スターだった百恵が引退したのがちょうど’80年。以降、歌の世界では聖子へ、映画の世界では薬師丸へとスターのバトンが渡されました。
中森 ’80年代のアイドル映画を語るうえで薬師丸は外せません。彼女は’78年の『野性の証明』でデビューしますが、単独で主役を張ったのは’80年の『翔んだカップル』が最初。
他にも、’83年の『探偵物語』や’84年の『Wの悲劇』と名作が多い。ただ、一番ヒットしたのは’81年の『セーラー服と機関銃』でしょうね。公開当時、大阪に薬師丸が舞台挨拶に来たときは、ファンが殺到してパニックになり、機動隊が出動しましたから。
北川 薬師丸が機関銃を撃ちまくりながら、「カ・イ・カ・ン」と呟くCMは強烈でしたね。大量のテレビCMを打ってヒットにつなげる手法は、当時の角川映画独自の強みでした。
中森 ただ、いざ本編を観ると、機関銃のシーンは淡々と終わるんですよね。CMのように、薬師丸のアップが映るわけでもない。拍子抜けした人も少なくなかったでしょうね(笑)。寺脇さん、いかがですか?
寺脇 私も最初はそこまで評価していなかったんですよ、実は。新宿の伊勢丹前での長回しなど、相米慎二監督(享年53)の撮り方は当時にしてはあまりに斬新で、戸惑いがあったんです。後になってから、だんだん凄さが分かってきたという感じですね。
薬師丸作品なら、私は『Wの悲劇』を推しますね。彼女が演じる劇団の研究生は、公演で役をもらうために演技修業に励んだり、脇役のセリフを暗記して代役出演に備えたりする。一人の少女が苦しみながら女優として成長していく姿が、現実の薬師丸とリンクしていました。『Wの悲劇』でブルーリボン主演女優賞など4つの映画賞を受賞。薬師丸はこの作品で、女優としての評価を確実なものとしたのです。
中森 確かに『Wの悲劇』も名作ですが、『セーラー服と機関銃』は社会的インパクトが絶大でした。

百恵に倣って映画界へ乗り出した聖子は、『夏服のイヴ』や『カリブ・愛のシンフォニー』などでも主演を務めた
